第33話 隠者
小柄なミノタウロスだった。
ここに来る前に出会った、屈強なパッサージョ首長に比べると、二回りは小さい。
フードをかぶり、フードに空いた穴から角が見えている。
角は細く、ねじれて上に向かって伸びていた。
毛並みは小麦の穂のような金色がかった土の色だった。
「アインか。早かったな」
ぼそぼそとした消え入りそうな声で、しかも早口だったが、アインから事前にその特徴を聞いていたおかげできちんと聞き取ることが出来た。
「息災か」
ルーラードさんはそういうと、すたすたと歩み寄ってきて、じっと私を見た。
「紫色の瞳、黒髪、人族、女か」
思わず、はい、と返事だけして固まってしまった。
「緑色の瞳、亜麻色の髪、人族、女」
「ス、スーブレットと申します」
スーが緊張した声で答える。
「トリルです」
私も慌てて自分の名を告げた。
「ルーラード」
隠者はそういうと、さっきまで座っていた椅子のところに戻り、キィ、という古い木の音を鳴らしながら腰を下ろした。
「用件は?」
「お前の安否を確認しに来ただけだ」
ため息交じりにアインが言った。
「この山に危険な人族が潜伏しているという情報を得たのでな。実際、俺たちもそいつに襲撃された。黒ずくめの女だ」
ルーラードさんが、私をじっと見る。
「え、いや、私じゃないですよ! 確かに髪は黒いですけれど……」
「そんなことはわかっている。わかっているとも」
それだけ言うと、彼はじっと黙ってしまった。
「二人とも、先に進むとしよう。彼の無事が確認できたのだから、これでよしだ」
アインはそう言うと、四つの踵を返して外に出ようとした。
「待て」
キィ、と音を鳴らしてルーラードさんが立ち上がる。
「泊まっていけ」
そういうと、彼は小屋の奥に姿を消した。
水を汲んでいる音が聞こえるので、何か飲み物の準備でも始めたのだろうか。
「確かに、意思の疎通が難しそうな方ですね」
スーが苦笑しながら声を潜めて言った。
「でも、悪い人じゃなさそう」
私も笑った。
少し言葉足らずなだけで、別に敵意があるわけではないし、アインのことを心配していたのは事実らしいのだから、久々の再会に水を差す必要もないだろう。
もっとも、アイン本人がそれを望んでいない可能性はあるのだが。
「やれやれ……だが、これから山の向こう側に行くとなると、日が暮れてしまう。夜の山道を歩く危険を冒すわけにもいかんし、一晩厄介になるか」
頭を掻きながら言葉を紡ぐアインに、私は笑って口を開く。
「久しぶりに会うんだもん、ちゃんと時間を共有したほうがいいよ。家族みたいなものでしょ?」
ふぅ、とため息をついて、アインは「適当に座っておけ」と言い残して奥に入っていった。
座っておけと言われても、人数分の椅子があるわけではない。
それなりの大きさの小屋に、所狭しと木の箱や巻物、本とは呼べない粗末な冊子が雑多に積み上げられているだけで、どこでどうやって食事をとるのか想像がつかないほどだ。
スーが「よし」と言って片づけ始めたので、私もそれに倣って片づけ始めた。
片づけながら、手に取る羊皮紙をちらちら見る。
どうやら、魔法についての覚書のようだった。
「これは、火精でしょうか。こちらは水精。精霊を絵として描いているということは、彼には精霊が視覚化できている?」
「でも、精霊を見ることは出来ないって聞いたような……」
「そういった研究をしている、ということなのでは」
そんな話をこそこそしながら、私たちは小屋の片づけを次々と進めていく。
奥の、おそらく台所がある方では、アインの声だけが時々聞こえてくる。
きっとルーラードさんも話しているのだろうが、声が小さくてこちらには聞こえてこないのだ。
結局、木の箱や板を使ってどうにか食卓らしいものをつくることに成功した私たちは、ひとまず椅子のようなものに腰を下ろして休むことにした。
ほどなく、二人が戻ってきた。
大きさの違う木の杯が四つ、テーブルに置かれる。
「魔術師なのだとか」
ルーラードさんが、スーを見てぽつりと言う。
「はい、人族の国モナルキーア王国の宮廷魔術師です。陽精の力をお借りします」
スーが精いっぱいの笑顔で答える。
流れる沈黙にも、スーは表情を崩さない。
さすが貴族だ、といったところだろうか。
「吾輩は、陽精の力は借りない」
「では、やはり土精ですか?」
「そうだ」
「畑を耕す魔法などですか」
「それもある」
「雑草を枯らす魔法はどうですか」
「それもある」
「畝をつくる魔法は使いますか」
「出来るが使わない」
「それでは……」
矢継ぎ早に質問をくり出し続けるスーは、まるで舞うように双剣を振り続けて戦っているようだ。
次第にのけぞり始めるルーラードさんが、しまいには音を上げてしまった。
「待て」
好奇心の高さは、目をキラキラさせるスーの勝ちだったようだ。
ルーラードさんは、見るからに困った表情になって、杯を口に運んだ。
「人族というのは、みな、こんなにしゃべるのか」
ちらりと視線を送られて、私は首をかしげながら苦笑した。
「スーブレット。見てもらいたいものがある」
そういうと、困った表情の隠者は、さっき私たちが片づけた巻物、冊子とは違う、きちんと装丁された本らしきものを一冊、テーブルにどかっと置いた。
振動で杯が震える。
「これは吾輩のこれまでの研究を記録してきたものだ。精霊の声を聴く方法を、おそらく、見つけた」
え、とスーが驚く。
「すごいことなの?」
私が尋ねると、スーが緊張した面持ちで頷く。
「精霊の声を聴く、というのは、あらゆる条件が重なって初めて可能なことだと言われています。人族の中で、陽精の声を聴けた人はほとんどいません。私も、実際に陽精の声を聴いたことはないんです」
私はアインを見た。
「アインは、月精の声を聴いたことはあるんだよね?」
「あるが、条件がよいときだけだな。具体的には、満月で、しかも大きく照っているときだけだ。それに言葉が明確に聞こえるわけではなく、音として耳に入っては来る、という方がいいかもしれん」
ルーラードさんが、こほん、と咳ばらいをした。
私達三人は、彼に視線を送った。
彼はほこりを払いながら、卓上の本を開く。
めくられていくページには、たくさんの、お世辞にもきれいとは言えない文字や絵がびっしり書かれていた。
そして止められた見開きには、ミノタウロスとおぼしき人が、土に耳を当てている様子が描かれている。
次に彼は、おもむろに立ち上がって、部屋の隅から石の器を持ち出してきた
中を覗くと、そこに入っているのは、どう見てもただの土塊だった。
『トイ、トイ、トイ』
器の中の土には、何の変化も見られない。
『土精、土精、土精』
ルーラードさんが、石の器をアインに押して寄越す。
アインは、彼に促されるまま、それを耳に当てる。
しかし、アインは首を傾げ、それから首を横に振った。
怪訝そうな顔をして、ルーラードさんはその器をスーに寄越す。
スーがそれを受け取り、耳に当てる。
隣に座っていた私も、耳を近づけてみる。
しかし、特に音は聞こえない。
「聞こえない、よね」
「はい」
そんな馬鹿な、といってルーラードさんは同じように土精の名を唱えた。
彼は自分の耳にそれを当てた。
「……聞こえるのだ。私だけなのか。どういうことだ」
「あの……」
スーが、小さく声を出す。
「精霊を象徴する具体物に呼びかけることで、守護された種族が声を聞けるようだ、というのは、だいぶ前から明らかになっていることで……」
「でも、さっき驚いてなかった?」
「てっきり、あらゆる精霊の声を聴くという意味だと早合点してしまいました。申し訳ありません……」
ばつが悪そうな顔をするスーをよそに、それ以上に落胆した顔のルーラードさんがいた。
作者の成井です。今回のエピソードをお読み頂き、ありがとうございました。
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それでは、また次のエピソードで。




