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第28話 恩人

 俺の部族は、大陸の東側を渡り歩く一族だった。

 このコリーナのさらに北にも行ったし、海岸沿いを歩いて南下したこともある。

 移動する中で、地名などは誰も言わなかったが、今にして思えば場所の名前に頓着していなかったのかもしれん。

 多いときで二十人くらいだったろうか。

 オンブラを屠り、獣を狩り、果物を食い、夜になるとみんなで飯を食った。勝利と生存を祝って歌う日もあった。


「歌? ケンタウロスにも歌があるのですか? それはどういう」

「スー、あとにして。アイン、続けていいよ」


 俺が九つのときだ。

 新月だった。

 見張り役だった一人が悲鳴を上げ、倒れた。

 焚き火の光が照らしたのは、火よりも赤い髪をした人族の男だった。

 男は剣一本で部族の戦士たちを斬っていった。

 奴はカストラートと名乗りを上げ、次々と相手を替えて剣を振るった。

 距離のない戦場で、本来の戦い方が出来なかったのはあっただろう。

 だが、それを抜きにしても奴は強かった。

 俺は既に戦いに参加することを許されていた年だったが、母が俺とともに隠れ、俺を止めた。

 もっとも強かった父が切り結んでいる間に、母は言った。

 何があっても俺が死ぬことはあってはならないと。

 月精ルナの声を聴く修練をし、時が来たら復讐を果たしなさいと告げられた。

 月の導きを待て、と。

 今は、この場にいては見つかるかもしれないから、とにかく走って逃げろと。

 部族において、年長者の指示は絶対だ。

 それが肉親であればなおさらな。

 俺は夜陰に乗じて逃げた。


 今思い出しても、情けない。

 家族とともに討ち死にする道もあったように思う。

 だが、母のまなざしに何か決意を感じた俺は、ただ逃げるしかなかった。

 どれほど走ったか分からん。

 逃げるからには普段は行かない場所がよかろうと思い至った俺は、ケンタウロスがあまり寄り付かない山地に入ることにした。


 そうして出会ったのが、ルーラードというミノタウロスだった。


 彼はひとり山中にいた俺を見て「追われているのか」と言った。

 俺は「追われているのかは分からない。でも、身を隠す必要がある」と答えた。

 彼は「いつまで」と聞いたので、俺は「月が教えてくれる」と言った。


 それから、俺は彼と生活するようになった。

 彼はモンテ山の中腹に小屋を建てて生活をしていた。

 「私は様々な精霊の魔法を研究している。だが、本来、ミノタウロスは新たなものや変化を望まない種族だ。土精テラの恵みに感謝し、大地の恵みとともに生きることが正しい生き方だと。つまり、自分は異端だ」と彼は言った。


「新たなものや変化を望まない……わりには、人族の私たちを歓迎してくれてるけど」


 その通りだ。

 今にして思えばルーラードが言っていた言葉のいくつか、あるいはほとんどは、彼の思いこみだろう。

 だが、俺が知り合った初めてのミノタウロスの言葉を、疑うことは難しかった。


「人というのは初めて聞いた情報は正しい情報だと受け止めるものですからね……そうではないという情報が後から入ってきたとしても、最初の情報の方が正しいと思ってしまいがちです」


 そういうことだ。

 ルーラードは、そんな風に俺にいくつかの誤解を与えながら、生活を共にした。

 俺としてはケンタウロスとしての遊牧の旅に戻りたかったが、母の言葉を破るわけにもいかず、毎日月を眺めて兆しが表れるのを待った。


「そんな生活を、十年も……」


 そうだな。長かった。

 だが、そのおかげで、ひたすら腕を磨き続けることが出来た。

 投擲技術や植物の知識、オンブラとの戦い方など、自己流ではあったが強くなるための時間は十分にあった。


「ルーラードさんから、魔法を教わったりはしなかったの?」


 彼は俺に魔法を教えようとはしなかった。

 俺も、彼が何を研究しているか尋ねなかったし、教えを乞うこともなかった。


「どうして?」

「なぜですか?」


 ふー……

 単純に、俺が、彼のことが苦手だったからだ。

 とにかくルーラードは、声が小さく、早口で、何を言っているのか聞き取ることが困難なのだ。

 そのくせ、こちらが聞き返すと明らかに機嫌を損ね、口を閉ざす。

 彼を前にして何かを学ぼうという気には、誰もならないと思う。


「アインがルーラードさんのことを良く言わない理由って、それだけ?」


 トリル、考えてもみろ。

 いつも何か言っても聞き取れず、聞き返せば嫌な顔をされるから聞き返すこと自体が少なくなる。

 俺から話しかけることもなくなる。

 会話がなくなるのだ。

 そういう同居人と、十年だ。

 それも、終わってみれば十年という期間だったというだけで、実際のところはいつまでそれが続くかも分からない日々だった。

 お互いに食料や飲み水の確保など協力し合うことはあったが、生活を共にしてはいても家族のような関係ではなかった。

 もちろん、匿ってくれたことに感謝はしているし、コレペティタのことで彼の身を案じていないわけではない。

 だが、再会することに喜びを感じるかというと、半々といったところだ。


「でも、ヌヴォラに買い出しに来たりはしてたんでしょ? ルーラードさんと来てたのかと思って聞いてたけど」


 そうだな、そういうときもあった。

 彼がつくる薬の類は貴重らしく、それでもって俺が必要としているものなどを買ってくれることはあった。

 その中で街の人々と会話をすることもあった。

 だが、それも数か月に一度という頻度だ。

 とても知己を増やすというような回数ではない。


「それで、アイン様が先ほどからおっしゃっている「月の導き」というのは、どういったものだったのですか?」


 部族に伝わる伝説があったのだ。

 自分が月に語り続ければ、月が大きく変化を見せるときがあると。

 それは満ち欠けではなく、月精ルナの力で自分にだけ見せられる超常の現象だと。

 そして俺は、復讐の旅を始める兆しを示してほしいと願い続けたのだ。


「それを毎日、毎晩……気の遠くなるような話ですね」


 両親の、そして仲間たちの無念を晴らすために、万全を期したかった。

 だからこそ、俺は待ち続けた。

 そしてある夜、はっきりと、それと分かる現象が俺の目に見えたのだ。


「それは、どういう変化だったの?」


 ……俺は、お前に出会ったときに、あの導きが正しかったことを確信した。

 それが人族の予言にまで繋がっていたと知ったときは、たてがみが震えもした。

 俺が見た現象は、月に紫色の輪がかかるというものだったからだ。


「紫色の……」


 俺はルーラードを呼び、それが見えるかと聞いた。

 だが、月を見上げた彼は、見えないと言った。

 俺は街に下りて、何人かに同じことを尋ねたが、誰にも見えていなかった。

 間違いないと思った。

 そして俺は、人族の国を目指したのだ。


「ルーラードさんは、何かおっしゃっていたのですか?」


 俺は「いよいよ復讐の旅に出る」と言った。

 彼は「そうか」とだけ言ったよ。

 実際のところ、彼が俺のことをどう考えていたのか、分からん。

 ただ、世話になっている恩にと食料の調達などは買って出ていたから、小間使いがいなくなって不便になった、くらいは思っていたかもしれんが。

 とにかく、そうして俺は旅に出、オストに着き、カステロに入れず、北に向かうことにした、というわけだ。


「そして、二人の運命の出会いが果たされたのですね」

「言い方……」

作者の成井です。今回のエピソードをお読み頂き、ありがとうございました。


「面白い話だった」「続きも読んでみよう」と思って頂けたなら、

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それでは、また次のエピソードで。

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