第26話 湯浴み
ヌヴォラの街に着いたのは、もう夕方になってからのことだった。
幸いなことに、コレペティタが追ってくる気配はなく、影との遭遇もなかった。
痛みがぶりかえすときはあったが、気が付いたときにアインが摘んできてくれたカルマンテ草を噛むようにして、極力足を止めないようにした。
スーに「休みましょうか?」と聞かれる度に「大丈夫」と笑顔をつくった。
「本当にありがとうございました」
栗毛の兄のミノタウロスが言った。
他の二人も頭を下げる。
「途中の襲撃で荷を奪われなかったのは、あなたがたのおかげです。その活躍ぶりは、カデンツァにはもちろんですが、この街の首長であるパッサージョにも話しておきますので」
「私達はこれからパッサージョの所に顔を出して、知り合いのところに厄介になります。宿をとるなら、大通りをまっすぐいって、服屋の角を曲がって少し行ったところに「夜鳴きうぐいす」という良いところがありますから、おすすめしておきます」
お礼の品にと色々なものが入った小さな革袋を受け取り、私達は別れた。
ひとまず、今紹介された宿を探して歩き、すぐに見つかった宿は確かに広く上等な造りだった。ミノタウロスの建物はおおらかで、悪く言うと雑な造りが多かったが、その宿は丁寧だった。
スーが手際よく部屋をとり、鍵を受け取って私達の所に戻ってきた。
「アイン様は、一階の大部屋です。私とトリル様は二階奥の部屋を予約しました」
「夕食はどうする?」
アインが聞くと、スーは一度私の方を見た。
私はハッとして、こくりと頷く。
それを見たスーは、あらためてアインに向き直って口を開いた。
「少し、遅くなっても大丈夫ですか? 支度が出来たら呼びにうかがいますから」
了解した、と言ってアインはカツカツと蹄を鳴らして部屋に向かった。
「それじゃ、部屋に行きましょうか。少し、良い部屋をとりました」
「支払いは大丈夫なの?」
不安になって尋ねると、スーは笑顔で言う。
「チェーロでもそうでしたが、ミノタウロスは貨幣でのやりとりがないようです。しかし、人族の銀貨や金貨は単純に価値のあるものとして認識されているので、カステロの相場より少し高い金額に当たる分をお渡ししたら了承してもらえました」
スーについて二階に上がり、良い部屋に入る。
なるほど、部屋の広さはもちろんだが、奥に私達がもっとも望んでいるものが見えた。
浴室と、浴槽だ。
「火精の力が込められた特別なもので、冷たい水を張ってもすぐに温かいお湯にしてくれるそうです。少し、傷にはしみるかもしれませんが……」
「ううん、入る。ちょっと、きつかったもんね」
何が、とスーは聞かなかった。
同じ年の、同じ女の子だ。
汗のにおいや血のにおいが体に染みついているのは、やっぱり耐えがたい。
旅をして、体を拭いたり流水で流したりすることがいかに女として大切なことかを思い知った。
「先に入っていいよ」
私が言うと、スーはきょとんとした表情で口を開いた。
「なぜですか?」
「だって、私が入ったら、どうしても血で汚れちゃうし」
「そうではなくて、ご一緒しますよ」
今度は私が呆気にとられてしまった。
「い、一緒に入るの?」
「ええ。だって、傷口を押さえたままで、どうやって髪を洗ったりするおつもりなんですか」
「で、でも……」
傷の手当てをしてもらったときもそうだったが、スーは、肌を見せたり見られたりすることに抵抗がないんだろうか。
正直、私は自分の体をスーにまるっきり見られるのに少し困惑するのだけれど。
しかし、確かに髪を洗ったり体を洗ったりするのに傷口は押さえたままでいたいが……
「いや、大丈夫だよ。自分で出来るから。ほら、スーは先に入って」
「しかし……」
「いいから、ほらほら」
強引にスーを浴室に送り込み、私は三つあるベッドの内のひとつに腰を下ろした。
ベッドで寝るのは、いつぶりだろう。
私はブーツを脱ぎ、上衣も下衣も脱いで楽な格好になった。
アインがいるとさすがにこんなあられもない格好にはなれないが、スーとふたりなら問題ないだろう。
そしておそるおそる、足の包帯に目をやる。
血はにじんでいるが、日が経つにつれて収まってきているようだ。
くるくるほどいて包帯を外し、傷口を見ると、乾いた血でぱりぱりになっている。
魔法で治せたらな、と思うが、それは出来ないということだった。
「傷を治す魔法はないの?」
「ありません」
歩きながら聞いたとき、スーはきっぱり言い切った。
「陽精の活力とか、水精の癒やしとか、何とかなりそうな気がするけど」
スーは首を振る。
「おそらく、人が魔法に望む中で、もっとも望まれている魔法のひとつだとは思います。しかし、宮廷魔術師団は、その研究そのものを禁じています」
「どうして? 命を傷つける魔法は精霊に嫌われるっていうのは分かるけど、命を救う魔法なら精霊は喜んでくれるんじゃないの?」
「私が知っている限りの事例ですが……」
スーが口元に手を当てて、目を虚空に向ける。
「傷口を塞ごうとした魔法は、その傷口部分が急速に老化し、崩れてしまったそうです。折れてしまった骨を治そうとした魔法は、その周辺すべての体を硬直させてしまったと聞いています。病を治そうとした魔法はさらに悲惨で……」
「分かった、もういい」
これ以上は聞かないでおこうという話ばかりだ。
「でも、どうしてうまくいかないんだろうね」
「一説には、精霊が永遠の時を生きているためだと考えられています」
ふむ、と私は考えてみる。
「時間の概念がないから、加減が効かないってことか。回復させ過ぎちゃうというか、回復する力を強め過ぎちゃうというか」
スーは頷いた。
「本当かどうかは分かりませんが、危険な魔法であることは間違いないので、モナルキーアでは禁止されています。下手をすると、かけた相手が苦しむ結果になるだけでなく、命を傷つけたということで精霊に嫌われる可能性もありますから」
「助けようとして苦しめて、さらには魔法も使えなくなるのか……それは、誰も研究しようなんて思わないね」
あらためて自分の傷口を見ると、まだ穴は空いているが、十分回復してきている。
魔法に頼らなくても、こうしてちゃんと治っていくのなら、それでよしとしよう。
私は肩掛け鞄を引っ張って、中から単語帳を取り出した。
スーの几帳面な性格のおかげで、単語のひとつひとつにふりがなが振っているから一人でも練習できる。
ぶつぶつ『力在る言葉』を言っていると、スーの声が聞こえた。
「トリル様、どうぞ」
浴室から出てきたスーは、当然と言えば当然だが、いつもの馬の尾のような髪型ではなく、まっすぐ下ろした形になっていた。
見慣れた髪型ではなくなっていたので、新鮮な感じだ。
「その髪型、はじめて見た」
えっ、と言ったスーは頬を赤くした。
「な、なんだか恥ずかしいですね。でも、洗ってすぐに結うと痛むので」
違う髪型を見られるよりも、裸で一緒に入る方がずっと恥ずかしい気もするけど、と思いながら、私は「どっちもかわいいよ」と言って浴室に向かった。
桶に溜めたお湯で体をさっと流し、汗を流す。
きしきしいう肌に、お湯が浸透していく感じがした。
「トリル様」
「はーい」
スーの声がして、私も大きめの声で答えた。
「本当にお手伝いしなくて大丈夫ですか?」
「大丈夫だってば」
まるで小さな娘を心配する母親のように見えてくる。
「それじゃあ、先にお洗濯してしまいますね」
そう言い残し、スーはぱたぱたと扉の前から離れていった。
私は指先で浴槽のお湯に触れ、心地よい温度であることを確かめてから、体を湯船にいれた。
足の傷はじゅっと痛む感じがあったが、それ以上に疲れた体が癒される感じが心地よかった。
作者の成井です。今回のエピソードをお読み頂き、ありがとうございました。
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