第1話 白馬の王子様
「私、大きくなったら白馬の王子様と結婚するの!」
小さかった頃、私がこう言うと、両親は優しく「それじゃあ、トリルが王子様と結婚したら、パパとママもお城で暮らせるようにお願いしてみようかな」と笑ってくれた。
はるか昔、英雄サルヴァトーレは、白馬に乗って戦い、悪い王様をやっつけたという。
その英雄譚は、様々な物語を生んだ。
私達町娘が夢見る『白馬の王子様』もそのひとつだ。
運命の恋人は、白い馬に乗って自分を迎えに来る、と。
十を過ぎるくらいまでは、わりと信じていたかも知れない。
でも、十六を過ぎた今は、そうでもなかった。
モナルキーア王国領の北部に位置する、ここ湾岸都市ノルドには、そもそも王子様がいない。
王子様のいる王都にも、行ったことはない。
それどころか、ノルドを出たこともない。
いつからか私は、夢物語を口にしなくなった。
他者に与えられる幸せよりも、自立しても生きていくためのたくましさを求めるようになったのだと、自分では思っている。
子どもから大人になった、と言い換えてもいいかもしれない。
私の毎日は、父の鍛冶仕事の手伝い、母の接客の手伝いに費やされる。たまの休みは、父と運動したり、母と菓子を作ったり、図書館で本を読んだりして終わった。
それでも、手に取る本のほとんどが旅物語で、読んでわくわくしている内は、まだ大人になったとは言えないのかも知れないけれど。
「王都まで、直接ですか?」
領主の遣いだという客と話している途中、母が珍しく大きな声を出した。
急ぎの注文で剣を五十本と言われたときにも、あれほどには驚いていなかったのに。
私が奥の工房から顔を出すと、甲冑を着た男性が母と話している。
母は驚いた表情で、目を大きく見開いている。その瞳は薄い茶色で、父と一緒だ。私の瞳の色だけが紫色で、何故かみんなと違った。でも、髪の色はみんな、青みがかった黒だ。私はその髪をあまり伸ばさず、短めに整えておくのが好きだ。
「そうだ。こちらの職人……ブッフォ殿の自信作を、王都に直接、供出してもらいたい」
これまでに聞いたことのない注文に、私は心の中では驚きながらも、平静を装って母の隣に立った。
「今季の騎士団への供出は、既にノルド伯様へ届けたと思いますけれど」
母がもっともな意見を言う。
毎季、王家の近衛騎士団が使用する武具は、各都市の各職人から数揃いずつ用いられるのが慣わしだった。職人達の腕を競わせるという目的だというふうに聞いた。
そしてその武具は、各都市の領主の元に集められ、一緒に王都へと送られていくのだ。
母の問いに、鎧の男はため息をついた。
「そうなのだが。実は先の季節の供出で、ブッフォ殿の武具が、近衛騎士団団長のバルカロール様の目に止まったのだ。バルカロール様という方は生粋の武人で、自分が気に入った武具の職人には必ず一度お会いするのだ」
母が私を見て、私は母を見た。
たぶん、同じことを考えていると思ったので、私が口を開いた。
「申し訳ありませんが、王都までは馬を走らせても二日はかかります。馬車を使っても、往復で一週間。その間父が居らず店を閉めておくとなると、正直、生活が苦しくなります」
男が驚いた顔で私を見る。
私は心の中で、ふふん、と鼻を鳴らす。
きっと王都でも、若い女は口をつぐんでしとやかにしていればいいのだ、と言われがちなのだろう。
でも私は、気丈で聡明な母に倣って、いつでも店を継げるように、精進している。だから読み書き計算は身につけたし、こうして店に出て接客だって手伝っているのだ。
甲冑の男が、ごほん、とわざとらしく咳払いをして言葉を紡ぐ。
「それについては、ちゃんと手当がある。交通に使った費用、滞在で必要な費用等々、必要経費ということで、結構な報酬が出る。これが額面だ」
母は封蝋が押された封筒を受け取り、丁寧に剥がした。確か、王家の紋章の封蝋って、ちょっとしたお金になるんじゃなかったっけ。ちゃっかりした母のことだ、落ち着いたらお金に換えるのだろう。
母が用心深く取り出した羊皮紙を、私も横から見た。
そして、思わず口が開いて、塞がらなかった。
そこに記載されていた額は、馬車を借りて二、三日王都の宿に泊まり、お土産にちょっとした家具を買ってきても、まだあまりそうな額だった。
「お二方の顔を見れば是非もないように思えるが、万が一にも断るようであれば、今日の内にノルド伯の城へ参上されよ。その旨の連絡が無い場合、承諾したと見なすゆえな」
鎧をがちゃがちゃ言わせて、男は店を出て行った。
後ろ姿を見送りながら、留め具のいくつかが緩んでいるのを伝えてあげた方が良かったかな、という気がした。
こうして私達一家は、その夜、ついに王都にまで腕を認められた父を称え、乾杯した。
次の朝には、父が「これは三百本打って一本出来るかどうかだ」としまっておいた長剣を手みやげの筆頭に、いくつかの武具の類を貸馬車に載せて、ノルドを発った。
生まれて初めての旅で、本当はおしゃれな服を着たかったけれど、心当たりのなかった私は結局普段のように動きやすさを重視した軽装にした。父も母も、普段通りの格好だったから、安心した。
初めての『旅』に、私の胸はずっと高鳴っていた。
王都カステロって、どんなところなんだろう。
名前は本で見たし、そこから来た人の話は聞いたことがあるけれど、うまく想像できなかった。
ノルドでドワーフを見たことがあるけれど、他の種族の人もいるのかな。森の民エルフはいるかもしれない。水の民フォークは、きっといないだろうな。まさか、竜人ドラグーンが街を歩いていたりして。
私は車中で、これまでに読んだ本の挿絵をあれこれと思い出していた。
事が起きたのは、私達が行程の半分を過ぎたあたりだった。
「襲撃だっ!!」
聞き慣れない声が響いた。
馬車の護衛の任についている戦士の声だった。
急に怒号が飛び交い始めた。
剣戟の音もする。
父がおそるおそる前の幌から外を覗き、すぐさま私と母の方に向き直った。
「怪物達に囲まれている」
小声で言いながら、父が腰の剣を抜き放った。
父は剣の腕前も相当なもので、客員でノルド騎士団の剣術指南を務めることが度々あった。
でも、怪物相手に戦った経験なんてあるんだろうか。
父の剣の刀身は、木目のような不思議な模様を光らせていた。
たしか、いろいろな合金を試していて一振りだけ完成した、偶然の一振りだ。薄い鉄の板を真っ二つにするほどの切れ味で、どうにか量産出来ないかと苦心したが、結局、二本目が完成することはなかった。
私も、献上する予定の剣とは別の、良質な鋼で打たれた、刃渡りの短い剣を手に取った。
父と目が合う。
私は黙って見返す。
戦うな、とは言わないでよね。
父さんが私を誘ったのはただの戦いごっこだったかもしれないけど、こっちは本気で向かって行ってたんだから。きっと、私も戦える。
父が固い表情のまま頷いた。
母も短い剣と大きな丸盾を構えていた。
瞬間、馬車の幌がベキベキと音を立てて、柱ごと後方に外れた。
父が前方、私が後方、母が真ん中に立つ。
すかさず周囲を見渡すと、四人いたはずの護衛の内、二人は地面に倒れていた。
御者の姿は見えなかった。
襲撃者は八、九体の……たぶん、オークだ。
絵で見たことはあったが、直に見るのは初めてだった。
人と同じ二足で歩きながら、言葉を持たず、略奪によってのみ生きる怪物。真っ黒い皮膚はただれたように醜く、腰布のようなボロをまとう以外は何も身につけていない。
武器も、上等な物は持っていない。
父の造った剣や斧に比べれば、がらくたといって差し支えないようなものばかりだ。
切り結めばこちらが有利なのは明白だった。
でも、どのオークも大きく見える。
大柄な父よりと同じくらいだから、私よりも筋力はあるだろう。
組み合ったら、たぶん、殺される。
そもそも私の剣の腕なんて、遊びの延長線上でしかない。
……怖い。
私は剣を握る力を強めた。
ゲッゲッゲ、と気味の悪い笑い声をあげて、オーク達がゆっくり、ぐるぐる馬車の周りを歩き始める。
私達三人と、後ずさる二人の護衛と、襲撃者達との距離が、だんだん狭まってくる。
固い唾が喉に痛い。
ヒュンッ。
風切り音が鳴り、オークの一体が声も無く倒れた。
ざわつくオーク達が、また一体、また一体と倒れる。
姿勢を低くしたオーク達の中の一体が、何かに気付いて指をさす。
私もつられてそちらを見ると、向こうから、白馬に乗った戦士が駆けてくるのが見えた。
「白馬の王子様……」
誰にともなく、私は呟いていた。
戦士は風のように突進し、私の身長ほどもあろうかという巨大な剣を振り、一体のオークの体を両断したかと思うと、すぐさま向き直って次のオークの首をはねとばし、さらに二、三歩進んで巨剣を振り上げた。股の下から切り裂かれたオークは、本を開くように右と左に分かれて倒れた。
おののいて逃亡を図った残りのオークに向かって、戦士は手投げ斧を投げつけ、それらの背中に深々と刃を突き立てた。
そして戦士が剣を下に向け、こちらを向いたとき、私は十六年生きてきて最大の驚きを味わった。
戦士は白馬に乗っていたのではなかった。
上半身は人間の男性だったが、下半身が白馬のそれだった。
戦士は、ケンタウロスと呼ばれる少数種族だったのである。
作者の成井です。
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では、また。