第四話『怒りの衝動』
ゾンビ研究においての『冷凍処分』とは、文字通り素体を氷漬けにして生命活動を停止させる行為だ。肉体的に特異性を持ったモノに適応され、処分をするには惜しいが生きたまま管理するのが難しい場合などに行われる。
すでに何体ものゾンビが冷凍処分され、その中には百番台の『デンジャー』も数体含まれている。そして今まさにシゴロウと関わりある107もそこに加わろうとしていた。
シゴロウが最下層に到着し、急いで冷凍処分室に向かった。すると部屋の前には火器装備のスタッフが立ち、無理やり入ろうとするシゴロウの行く手を遮ってきた。
「――邪魔だ! そこを通せ!」
掴みかかってくる腕を振りほどこうとするが、細身のシゴロウにそんな力はない。すぐに床に叩き伏せられ、サブマシンガンの銃口を突きつけられる。無力感と憎悪に苛まれながら扉を見つめた。
「……うるさいな、何の騒ぎかね?」
少しすると扉が開き、中からはハゲ頭の主任が姿を現した。そして主任は床に転がっているシゴロウに気づき、ぐにゃりと気味の悪い笑みを浮かべた。
「おぉ! 君だったか。もう出ていったと聞いていたが、まだいたのだね。最後に別れの挨拶一つしてなかったと、ずっと気に病んでいたのだよ」
「貴様! 107に、何をする気だ!」
話すことはないと言葉に怒りを込め、シゴロウは主任を強く睨んだ。
だが主任はそれを滑稽とあざけり笑い、シゴロウを拘束しているスタッフに指示を送った。
「その者を立たせてやれ。あぁもちろん、下手な真似をせんように注意はしてくれよ」
「了解です」
「さて、四五郎君。せっかく来たのだから、特別に君も見て行くがいい」
主任の指示でシゴロウは立たせられ、銃口を突きつけられた状態で冷凍処分室に入った。すると中には何人もの研究員がおり、中にはあのスーツ姿の一団もいた。
「――皆様、こちらが本日冷凍処分される管理番号107を担当していた四五郎君です。どうしても最期を見届けたいというので、ここにお連れしました」
わざとらしい説明でシゴロウは前に立たされ、その場にいる者たちの視線に晒された。すでに主任は離れた位置に移動し、容易に近づくのは困難となってしまう。
しかしすでにシゴロウの目には、主任も突きつけられた銃口も目に入っていなかった。真正面に見えるのは人一人がすっぽり入るガラスカプセルで、その中には目を閉じた状態の107が入れられていた。
その身体は微かに動いており、薬剤か何かで眠っているのだと分かった。ひとまず無事なことに安堵するが、状況は何も好転していないのだと思い直した。
「……主任、一つ質問をしてもいいでしょうか?」
「許す。何でも言ってみたまえ」
「報告書にも何度も書きましたが、107は極めて稀な知性を持つ『デンジャー』です。その素材価値は他のモノの比ではなく、時間を賭けてでも調べる価値があるはずです」
親心的に107が心配だったというのも当然あるが、シゴロウは研究者目線として107という価値ある存在の喪失を恐れていた。
当たり前のことだが凍結処分などされてしまえば、107はただの珍しい素材でしかなくなる。もっと時間を掛けて知性の発達を調べていけば、そこから広がるゾンビ研究の可能性は無限大に広がるのだ。
シゴロウは必死に107の価値を熱弁し、馬鹿な行為をやめさせようとした。だが主任はわざとらしくポカンとした顔を見せ、シゴロウへと驚くべきことを言った。
「……はて? 知性とは何のことだね?」
「…………は?」
「私はそんな報告を見たことがないと言っているのだよ、四五郎君」
その言葉を聞いた瞬間、この行為が嫌がらせのためだけにあるのだと完全に理解した。激情に顔を歪ませるシゴロウを面白そうに眺め、主任は別の研究員に質問を始めた。
「君は107の運搬に関わらせたが、アレに知性などというものは見られたかね?」
「いえ、危険な改造ゾンビという印象しか感じませんでした」
「そうだろうそうだろう。まぁ四五郎君は直接担当していたのだから、愛着があっても仕方がない。だが嘘をついてまで、実験を止めようとするのはいただけないぞ」
シゴロウの熱弁に耳を傾けていた者たちまで、主任の言葉を信じ始めた。そして聞こえてくるのはこの場にいる者たちのヒソヒソ話で、誰もが孤立したシゴロウを遠巻きに憐れみ馬鹿にし始めた。
「いつも独りでいるから、ゾンビしか相手がいなかったんだろ」
「あんな女の子をそんな風に見るなんて、さすがに気持ち悪いわね」
「女の子じゃなくてゾンビだろ? あいつもゾンビみたいな奴だからお似合いじゃね?」
ついにはクスクスという笑い声まで聞こえ出す。シゴロウは周りの反応に失望し、反論する気も失せてその場に立ち尽くした。
「まぁ、安心したまえ。実は今回の凍結処分は、君のためを思ってやったところもあるのだ」
「…………何を言っている」
「実はな。君が異動する新設の第二研究所で、『デンジャー』の本体資料が必要と言われていたのだよ。107をそれに選び、担当は私の権限で君を推薦しておいたんだ」
主任の言葉は、シゴロウのことを心底考えているのだという口調で発せられた。そこに純度百パーセントの悪意があったが、それに気づいたのはシゴロウだけだ。
もしあの電話がなければ、シゴロウは第二研究所で氷漬けの107と対面していた。何も知らずそうなっていたとしたら、きっと自殺してもおかしくないショックがあったはずだ。
誰かが空気の読めぬ拍手を鳴らし、周りの者もそれに続いて手を叩いた。主任はこれ以上ない満足顔をし、屈辱で顔を伏せたシゴロウを眺めていた。
耳障りな音の中で、シゴロウはある決意を固めた。どうせ第二研究所で死んでいた命ならば、ここで失っても同じことだと意志を心に刻んだ。
シゴロウがおもむろに手をポケットに突っ込むと、周りの空気が一気に冷えた。もし銃でも取り出したのなら、即座に射殺されそうな殺気を感じる。
「……あぁ、撃つがいい。撃てるものならな……!」
そう言ってシゴロウが取り出したのは一本の試験管だった。中には血液のような赤い液体が入っており、シゴロウはそれをよく見えるように前へ突き出した。
「――ここにあるのは、107の血液から作り出したゾンビ因子だ。俺が改良を加えたもので、通常の物にはない空気感染する性質がある」
その発言を受け、この場にいる者たちすべてが動きを止めた。そしてシゴロウは冷静な怒りのまま、もう後に引けぬと覚悟の宣言を発した。
「――――一歩でも動いてみろ、これを床に叩き落としてやる!!」