第三十三話『寄生者の恐怖』
離れた位置にいた主任が銃を構えたことに、最も早く気づいたのはシゴロウだった。とっさに「伏せろ!」と叫ぶが、研究員たちは突然の事態に反応できず動きが遅れた。
パンという銃声が響き渡り、誰かのうめき声が漏れる。続けて聞こえたのはバリンという破砕音で、床に散らばっていくのは陶器製のマグカップの残骸だった。
全員が音の方に顔を向けると、そこには痛みに腕を抑える主任がいた。
拳銃は手から離れて床に落ち、銃口からは白い煙が立ち昇っている。突如飛来したマグカップが腕に直撃したことにより、放たれた銃弾は誰にも命中せず床に穴を開けていた。
主任は苦痛の表情で辺りを見回し、一方向に顔を向けて驚愕した。
「……なっ、なぜデンジャーがここに?」
目線の先にはテーブルに立つ107がおり、その手には今投げられた物と同じデザインのマグカップが握られている。107は冷ややかな目で殺気を発し、がるると喉を震わせて威嚇していた。
主任は慌てて床に落ちた拳銃に手を伸ばすが、即座に107は新しいマグカップを振りかぶった。
デンジャーの怪力で投擲されたカップはボッという風切り音を鳴らし、凄まじい速度のまま突き進んで拳銃ごと主任の指を弾き飛ばした。
「あ、が、ぎゃあああぁぁぁぁぁ!!?」
指があらぬ方向に曲がり、痛みに悶えて主任は床を転げまわる。一連の様子を見て研究員たちは呆然とし、襲ってくる気配のない107とのたうち回る主任を交互に見ていた。
「――何をしているお前ら、そいつはゾンビだぞ! 早く殺せ!!」
目を血走らせて叫ぶ主任の声を受け、ショットガンを持っていた研究員が107に銃口を向けた。だが撃つか撃たぬべきか判断に迷っているようで、引き金はすぐに引かれず震えて止まった。
張り詰めた緊張を解いたのは、部屋の奥から姿を現した野乃の冷静な言葉だった。
「……命令だよ。今すぐ107に向けた銃を下ろしなさい」
直属の部下ということもあり、ショットガンを持った研究員は素直に従った。それに対し主任が抗議の声を上げるが、野乃は適当にあしらってシゴロウを含む研究員たちに向き合った。
「これだけ……か。死んでしまった者たちは残念だけど、君たちが生きててくれて私は本当に嬉しいよ」
悲しさを見せつつも、心から嬉しそうに野乃は言った。そのいたわりの温かさに感化されたのか、何人かはここまでこらえてきた感情が決壊し辛そうに涙を浮かべた。
しかし再会の喜びは、主任の騒ぐ声によってかき消された。
マグカップの投擲以降まったく動いていない107を危険と叫び、関係者であるシゴロウを指差して「殺せ!」とわめき続けていた。野乃は呆れた様子でため息をつき、聞き分けのない子どもに言い聞かせるように言った。
「……確かにあなたが言う通り、107は危険かもしれない。ただそれ以前に質問するよ。何故あなたは最初に、107ではなく私のかわいい部下を狙おうとしたのかな」
「そっ、それは! 手元が……手元が狂っただけだ! 私は最初から、107だけを狙っていたんだ!」
「…………手元が狂っただって?」
主任の言い訳を聞いた瞬間、野乃は珍しく怒りを顔に浮かばせて叫んだ。
「――そんな馬鹿な理由で、私の部下が殺されてたまるか!! 少しでも詫びの気持ちがあるなら、みっともなくわめくのを今すぐやめるがいい!!」
普段の声量からはまったく予想できない怒声に、主任だけでなく六階層にいる者すべてが黙った。
「さて、ようやく落ち着いて話ができるね。シゴロウ君の意見を聞きたいんだけど……どうかな?」
野乃は一瞬で元の雰囲気に戻り、主任の行動に関して意見を求めた。シゴロウは気圧されて止まっていた意識を戻し、状況証拠を合わせて最も想定される答えを口にした。
「……そいつは俺たちに銃を向け、ためらわず発砲した。七階層でのパンデミックも考慮すると、恐らく寄生者に操られている可能性が高い」
「きっ寄生者だと!? ふざけるな!! もし操られているとしたら、それは下層から来たばかりの貴様に決まっている!!」
シゴロウの指摘に主任はまたわめくが、今度は誰も相手にしなかった。
主任が寄生されているのは確定的だったが、現状で明確な証拠はなかった。身体を拘束しても寄生者は容易く逃げ出すので、確実に発見して始末したいとシゴロウと野乃は考えた。
「寄生者用の検査装置あっただろう? あれはどこにある?」
「残念ながら上の五階層だよ。ただあそこは実験用のゾンビが山ほど徘徊しててね。とてもじゃないが取りに行ける状態じゃない」
検査装置が使えないとなれば、寄生者が憑りついているか確かめる方法はない。何かいい案がないか考えたところで、シゴロウは以前に寄生者の担当者とした会話を思い出した。
「野乃、ここは俺に預けろ」
「いいよ、装置もなく何をする気なのか興味深いね」
「ふっ、ろくな結果にならなくても笑うなよ」
そう言って歩き出し、シゴロウは主任と向き合った。主任はまるで罪状を言い渡される罪人のように後ずさり、近くの壁にドンと背中を押し当てた。
「――『主任』よ、一つ質問だ。お前はパンデミック発生の直前、十階層で研究員を集めて何をしていた?」
「なっ、何を言っている」
「いいから、答えろ。『主任』よ、お前はあの時何をしていた?」
シゴロウの有無を言わさぬ言葉により、主任は107の冷凍処分のことを話した。
「だっ、だがあれは第二研究所からの意向もあったからだ! 私は何も悪くないぞ!」
「なるほど、確かにそうだな。俺もあれに関して今恨みつらみを言う気はないから安心しろ」
「……なっ、何?」
予想と違う反応だったからか主任は困惑していた。シゴロウはここからが本題だと気を引き締め、主任へと当たり障りの無い質問を十ほど重ねていった。
「――『主任』よ、お前は今朝何を食べた? 時間が掛かってもいい、内容を正確に言ってみろ」
返答はおおよそ合っていたが、一つだけ献立から抜けている物があった。下層に運ばれる食事は全員同じで、内容は一定周期で固定となっている。
品目は決して多くなく、飽きるほど食べるので忘れることはまずない。念のためもう一度聞いたが、やはり献立は一つ欠けた状態だった。
「――『主任』よ、一ヵ月以内に九階層の配属となった者がいただろう? その名を答えてみよ」
配属となったのは桜花の兄で、就任に関する書類は主任が書いたものだ。管理職という立場である以上たった四文字の名を忘れることはないはずだが、主任は最後まで『神東秋葉』の名を言えなかった。
すべての質問の内、正確に答えを言えなかったのは六つだった。その内の三つは覚えていなければおかしいもので、何度聞いても主任は答えられなかった。
寄生者は憑りついた者を人間のまま操ることができるが、脳をいじるせいもあって寄生された者は徐々に記憶を失っていく。今の主任の状態はまさにそれで、シゴロウは確信を得つつも決め手となる質問をした。
「――では『主任』よ、これが最後の質問だ。お前は……何という『名』だ?」
「……は?」
「分かるだろう、『主任』よ。自分の名なのだぞ? さぁ、言ってみるがいい」
シゴロウの問いかけに、主任は迷わず答えた。
「――そんなもの、『主任』に決まっておるだろう!」
何度も『主任』と呼びかけたことで、寄生者は本来の名を『主任』と認識していた。こんな状況で冗談を言うはずもなく、主任が寄生者に憑りつかれているのは確定となった。
「…………あ、あれ? 主任……ちが、……あぁレ?」
主任自身が今の発言をおかしいと考えるが、何度頭を抱えても思い出すことはなかった。少しするとガクガク身体を痙攣させ、糸が切れた操り人形のようにガクリと顔を俯かせた。
「あ、あぁ……。あ――ガファロベァ」
突然奇声を発したかと思うと、主任の背中がボコンと盛り上がった。そして肉を裂いて現れたのは、人と虫の複合実験で生まれた改造キメラ『寄生者』だ。
「ギッギッギッ」
寄生者は肢体の半分を主任に残したまま、こびりついた体液を振るった。そして胎児ほどの頭を左右に向け、次の宿主を品定めするように目をぎょろりと動かした。




