第三十二話『第二のパンデミック』
七階層で資料探しをしていたシゴロウと副リーダーは、壁越しに薄っすら響いた女性の悲鳴に顔を見合わせた。
「……聞こえたか?」
「聞こえましたね。声の方向的に、広間の方だと思います」
嫌な予感がし、最低限の資料だけ持って二人は部屋を出た。そして辺りを見渡すと、遠くの通路からフラフラと歩き寄ってくる人影が見えた。
「――あの! そちらの方で何かありましたか?」
副リーダーが呼びかけると、人影はぐるりと身体を振り向かせた。その人物の白衣には血がこびりついていて、目は虚ろに揺れて口からは大量の唾液が漏れていた。
「だっ、だずケ……」
噛まれて時間が浅いのか、相手には人としての意識があった。だが近寄ってくるほどに言動は支離滅裂になり、最後には奇声を発してシゴロウたちへと走り寄ってきた。
「ひっ!?」
突然の事態に副リーダーは固まり、逃げることもできずその場に立ち尽くしてしまう。
シゴロウは反射で動き、向かってきたゾンビに持っていたバッグを投げた。そして怯んで動けなくなった隙を狙い、一気に通路を駆けて片足蹴りをお見舞いした。
「ちっ、やはり107のようにはいかんか」
さすがに武器が無ければ殺すことはできず、ゾンビは床に倒れてすぐ起き上がろうとしていた。シゴロウはバッグを回収してゾンビから離れ、呆然とした様子の副リーダーを助け起こした。
「……一つ質問するが、隔壁が破られた可能性はあると思うか?」
「いっいえ、恐らく無いかと。もし隔壁が壊れる危険があれば、すぐに警戒音が七階層全域に鳴るよう備えていたのだ。ですから、これはたぶん……」
「寄生者の仕業か。元から誰かに憑りついていたのか、対策前に通気口や排水溝から入ってきたといったところか」
ゾンビから逃げつつ状況を整理し、シゴロウは冷静に次の行動を指示した。
「いいか、お前は急いで野乃に状況を説明しろ。生き残りを集めて六階層に移る必要があるとな」
「わっ、分かりました」
「それと俺が預けた武器はどこにある? あれがないと、ゾンビ共を相手するのは手間だ」
話している間にも、曲がり角からは二体ゾンビが姿を現した。感染してから時間が経っていないので動きは鈍く、何とか隙をついて別の通路に逃げ込むことができた。
「シゴロウさんの武器は私の部屋で保管しています。六階層の階段近くなので、ついでに寄りましょう」
「了解した。他の生存者も可能な限り集めなくてはな」
大声で呼びかけたいところだったが、下手にゾンビを集中させるとシゴロウすら危険となる。苦肉の策で通路の途中にあった警報ボタンを押し、出会った者を可能な限り救うことにした。
「――護衛はしてやるから、絶対にゾンビにやられるなよ」
「はい!」
「良い返事だ、それでは行くぞ!」
それからシゴロウたちは安全な道を探して六階層の入り口を目指した。
途中途中で部屋の扉をノックし、中に隠れていた者も連れ出していった。他にもゾンビに追われていた者たちを回収していき、無事な研究員は六人集まった。
それぞれ協力して通路に机や棚によるバリケードを築き、見逃していた者が逃げて来れるまでの時間を稼いだ。一人二人と感染の様子の無い者たちが集まり、全員で力を合わせてゾンビと戦った。
他に生存者がいないかバリケード越しに呼びかけていると、通路の一方向から憎むべき相手である主任がドタドタ走ってくるのが見えた。
「たっ、頼む! 私もそこにいれてくれ!!」
背後にゾンビが二体ほど続き、研究員たちは急いでバリケードをどかして中に入れた。
主任の手には拳銃があり、シゴロウは受け取ろうとした。だが主任は拳銃を庇うように抱き込み、「これは私のだ!」と意味の分からない言葉を叫んで拒否した。
「……こいつ! 今がどんな状況だか本当に理解しているのか!!」
「うっ、うるさい黙れ! そもそもこの状況を作り出したのは貴様のはずだ!! ここに残った者たちも、こいつのせいで殺されてしまうぞ、早く捕まえろ!!」
支離滅裂に主任はわめくが、誰もシゴロウを拘束しようとはしなかった。
「あー、シゴロウさんよ。今はゾンビの方を何とかしないか?」
「……お前はこいつの話を信じないのか?」
「どっちが正しいのか分からねぇけど、俺は皆のために動いてくれる人を信じる。一緒に力を合わせて、この窮地を乗り切ってやろうぜ」
そう言ってくれたのは、頭をスポーツ刈りにした青年だ。彼の言葉に他の者も頷き、未だに騒ぐ主任を無視してそれぞれ持ち場についてゾンビと戦った。
「――シゴロウさん! 副リーダーに頼まれていた物、持ってきました!」
その声と共に眼鏡をかけた三つ編みおさげの女性研究員が現れ、シゴロウが使っていたサブマシンガンを持ってきた。その隣には別の研究員がおり、手にはショットガンが構えられていた。
「こっちはオレが使います。いいですか?」
「ふっ、頼もしい限りだな。では行くぞ!」
シゴロウはショットガンを持ったガタイの良い研究員と協力し、向かってくるゾンビに弾を撃ち込んでいった。
かつての同僚が倒れていくのに誰もが辛い顔をするが、研究員としての覚悟もあり女性であっても泣き言は言わなかった。そして主任を除いた全員で力を合わせて時間を稼いでいると、後ろの方から副リーダーの声が聞こえてきた。
「心苦しいですが、救助はここで打ち切ります! 独りずつ感染チェックを行いますので、大丈夫な者から順次上がってください!」
「――朗報だな。もう少しだけ持ちこたえるぞ!」
「おぉ!!」
研究員たちの指揮が上がり、ここが正念場だと戦った。背後では我先にと主任が声を上げていたが、今は相手にしている余裕がなく無視した。
もし寄生者に寄生されている者がいても、簡易的なチェックでは特定できない。その懸念は誰もが抱いていたが、今は生き残るのを優先して上に登っていった。
そうして一人また一人と七階層からいなくなり、最後にはシゴロウと二人の研究員が残された。もはやゾンビの勢いを止められず、感染チェックは後にして六階層に逃げ込んだ。
「――閉めます!!」
副リーダーが叫び、七階層側の隔壁を封鎖した。ゾンビは扉の隙間に挟まることなく、勢いのまま分厚い扉に突っ込んでうるさく音を鳴らした。
「……はぁはぁ。だりぃ……、でも何とか乗り切ってやったぜ」
「いやぁ、運動不足で疲れました。シゴロウさんは息も切れてなくて大したものです。さすがは十階層から上がってきただけはありますね」
「まぁ……な。それより、六階層側も閉める必要があるからさっさと上がるぞ」
最前線で戦っていたおかげか、三人の間には自然と連帯感のようなものが生まれていた。スポーツ刈りの青年がニッと笑い手を向けたのを見て、シゴロウは苦笑しつつパンと手を叩き合わせた。
バリケード前にいた者たちが全員登ってくるのを見て、先に退避していた者たちも安堵を浮かべる。だが温かな空気の中で独り、主任は顔を俯かせてブツブツと呟いていた。
「今こそ……今こそやらねば。私が……こいつらをこロス」
主任はゆっくりと拳銃を持ち上げ、照準をシゴロウ含む研究員集団に向けた。




