第二話『管理番号107』
シゴロウは金属製の重厚な扉前に立ち、電子端末にIDカードをかざした。そしてランプが赤から緑に変わったところで、備え付けのテンキーにパスワードを打ち込んでいった。
『パスワード認証完了。次はカメラによる網膜認証をお願いします』
研究所の管理AIの電子音声が響き、端末の上部にある金属蓋が開いた。そこから覗くカメラに目を近づけ一分、ようやくすべての認証が終了した。
ゆっくりと開いた扉は三重構造となっており、先に続く通路内には消毒用の風が強く吹いている。シゴロウは淡々と道の先を目指した。
厳重な管理の先にある区画は、この研究所でも数名しか入れない『禁域』だ。
中にあるのは門外不出の遺伝子データだったり、特異なゾンビ化をした研究資料だったり様々だ。シゴロウの目的は後者の方で、それらは禁域の一番奥の部屋で管理されている。
この区画の部屋は全体的に薄暗いが、これは明るいとゾンビの行動が活性化するという性質のためだ。
ほぼ不死の存在であるゾンビにも休眠は必要なようで、基本的に夜は活動が鈍くなると判明している。
「まぁ、例外もあるがな」
シゴロウの真正面に伸びる通路には、博物館の展示スペースのように強化ガラスが並んでいる。その中は眩い光で照らされていて、中には人とも獣とも言いようがない怪物がジッと息を潜めていた。
そいつはゾンビよろしく皮膚が土気色で、ところどころがただれたケロイド状になっている。手足は蜘蛛のように長く、目は退化していて一見すると見つけられないほど小さい。
管理番号68と呼ばれるこの生物は、完全なる夜行性という特徴を持っている。昼は蹴られようが撃たれようが動かず、昼夜のサイクルで仮死状態と覚醒を繰り返している。
昼に休む反動か夜の凶暴性は異常で、凄まじい敏捷性と鋭利な爪や牙で獲物を正確に仕留める。当初は兵器としての利用が期待されたが、あまりにも知性が低いのでボツになった。
(……だがまぁ、こいつは管理が容易でかわいい方だ)
他にも多数の実験生物がおり、それらはすべて番号で管理されている。
番号は一から百十一まで現時点存在するが、改造生物の総数はそれよりずっと少ない。というのも一から四十九番は危険度の低い『セーフ』であり、五十番から九十九番まではそこそこ危険な『アラート』と大雑把に分類分けされているだけだからだ。
そして百より後は危険度の高い『デンジャー』と定義されている。総数は十一体と少ないが、どれも恐ろしい力を有している本物の怪物ばかりだ。
ちなみにただゾンビ化しただけの存在はギリギリ『セーフ』に位置する。人を襲うゾンビにセーフも何もない気がするが、上の判断でそう定義づけされたのだから仕方がない。
(対処方さえ知れば、ひ弱な俺でさえどうにか出来るのだから妥当ではあるか)
ただしそれもゾンビが一体か二体程度の時に限る。もし人が多い場所で突然ゾンビパンデミックが起きたら、その脅威は『デンジャー』すらも凌駕する。
色々と考え事をしている内に、シゴロウは目的の部屋に到着した。
禁域の最奥に位置するその場所は『デンジャー』たちの保管庫だ。今シゴロウの目の前にある扉には『107』と番号が刻印されている。
『……確認しました。シゴロウ様、どうかお気をつけて』
改めて管理AIに身分確認を取り、シゴロウは中へと入っていった。
入ってすぐ目につくのは、何重もの鉄格子と分厚い強化ガラスだ。闇に包まれた部屋奥からは備え付けのスピーカーを通し、獣の唸り声のような威嚇が響いている。
すぐにAIに指示を出して仕切りを解除させ、シゴロウは臆することなく前へ進んだ。唸り声の主は身構え、今にも飛び掛かってきそうな殺気を放っている。
「数時間ぶりだな、管理番号107」
しかしシゴロウの声が聞こえた瞬間、警戒の音はパタリと止んだ。
代わりに聞こえてきたのは獣が甘えるような高い声で、鎖を引きずり走って近寄ってきたのは、ポンチョのような白布を着た小学生ぐらいの背丈の少女だった。
「―――シゴ! シゴロ!」
カチャカチャと口にはめられたマズルガードを動かし、少女は凄まじい跳躍でシゴロウの顔面へと抱き着いてきた。
その少女の肌は血の気が完全に失せた青白さで、体温は驚くほど低い。瞳孔は常に開き切っていて髪は老婆のように白く、笑顔と共に見える八重歯は牙のように鋭い。
管理番号107と呼ばれた少女の正体は、ゾンビ研究の過程で生まれた改造人間だ。知性こそ三歳児程度しかないが、その身体能力は人を軽く凌駕している。
生み出した者がシゴロウだと分かっているのか、107はシゴロウにしか懐かない。
以前別の者が友好関係を結ぼうとしたが、失敗して腕に牙を突き立てられて物言わぬゾンビへと変わってしまったという事件がある。
シゴロウしかまともに観察できぬという理由で、107についての管理を任せられていた。厄介払い的な意味もあるのだろうが、それはシゴロウにとって都合が良かった。
抱き着いている107を何とか引き剥がし、シゴロウは面と向かって診察を始めた。
「……107、体調は良好か?」
「がぁ!」
「ふむ、悪くないようだな。念のため体温を……っと、抱き着いてきたらまともに測れんだろうが……まったく」
「がぁ! がぁおぅ!」
懐かれているのは悪い気がせず、シゴロウは他者に見せぬ微笑みで107の頭を撫でた。
(……俺がいなくなったら、こいつはどうなるんだろうな)
異動は決まってしまったことで、それ自体は大人として受け入れるべきだ。だが後任の者が107に酷い仕打ちをしない保証はなく、シゴロウは気が気じゃない思いだった。
(大丈夫、107はこれからの研究に必要だ。処分されるはずはないし、最低限の扱いはしてもらえるはずだ)
そう心に言い聞かせつつも、シゴロウは不安だった。
離れた場所で知るならともかく、実際に107が酷いことをされている場面に出くわしたら、正気を失ってしまいそうな予感がシゴロウにはあった。
「俺は今日限りだが、お前は元気にするんだぞ」
「?」
「ふっ、言っても分からんか。まぁ今日はたっぷり時間を作ったし、遊べるだけ遊んでやるとするか」
「がっ! がうがう!」
自作した猫じゃらしもどきで遊ぶ107を眺め、シゴロウはずっとこんな時間を過ごせればいいのにと切に願った。