第一話『虐げられたゾンビ研究者』
日本のとある地下に建造されたゾンビ研究所。パンデミック発生数十時間前に、一人の研究員がハゲ頭の上司『主任』からある通告を受けていた。
「……は? 本日付で異動……ですか?」
ポカンと言葉を返すのは、細身で髪がボサボサでくたびれた白衣を着た中年男性だ。常時寝不足で目の下にクマのある眼鏡姿の彼は、『桂田四五郎』という。
シゴロウの覇気の感じられない姿を見て、対面に座る主任はハァとため息をついた。
「……シゴロウ君、何故異動になったのか思い当たる節はあるだろう?」
「はぁ、なんかありましたっけ?」
口調的に降格処分的な意味合いの異動と察せられるが、シゴロウに思い当たる節は無かった。今日まで行った実験に不備はないし、報告も欠かしたことがない。
「…………普段の遅刻に急な早退、さらには連日の休日申請と来た。君が行っている素行のせいで、研究所全体の空気が悪くなっているのだよ」
「あー、それのことですか」
今主任が言ったシゴロウの行いは、疑いようもなく事実ばかりだ。だがシゴロウとて責任ある大人であり、休みには休みなりの理由があった。
面倒だなと深くため息をつき、シゴロウは仕方なく応えた。
「それは申し訳なく……まぁ思っております。ですが休みを貰っている分、俺は成果で答える主義なんで。無能な働き者十人と、だらけた有能一人どっちが必要かって話しです」
「そう言って屁理屈を……」
「――屁理屈かどうかは、感情論ではなく実績で判断いただけるはずです」
迷わずその言葉を突きつけた瞬間、主任はキレたのかハゲ頭に血管を浮き上がらせる。この男は管理職として本当に有能なのかと、シゴロウは疑問を抱くしかなかった。
世界唯一のゾンビ研究機関にて、シゴロウはいくつもの発見と成果を残してきた。
そのままでは生きた人間をゾンビにするだけの因子を一部解明改良し、微量ではあるが若返りと寿命の延長という効果を促す薬品の製造方法を確立させた実績がある。
日本の平均寿命は世界と比べても高水準だが、シゴロウの功績によってさらに伸びることが期待されている。すでに新薬の実験は成果を出し、一時は落ち込んだ高年齢層の寿命の引き上げにも成功していた。
まだ推測の段階ではあるが、シゴロウのおかげで若い世代の寿命は百を超えるというデータがあるほどだ。
当然シゴロウの政府や出資者たちからの評価は高く、功績に免じてある程度の行動を容認しろとお達しが出ていた。
もちろん、主任とてシゴロウの実力は理解している。だがそれは認めたくないもので、目の上のたんこぶともいうべき忌まわしい事実だった。
(……こんな奴を昇進させては、組織全体が腐り切ってしまう。研究所内にはもっとやる気に満ちた者だけがいるべきだ。それにこいつの実績だって、ただの偶然が重なっただけかもしれんだろうが!)
元々は体育会系だったこともあり、主任はシゴロウのような無気力人間が嫌いだ。そんな者が自分と同じ席に座る可能性は、できる限り排除したかった。
「……君にも言い分はあるだろうが、異動は決まったことだ。諦めたまえ」
「通知も無しに前日に口頭で言う、まともな大人のすることとは思えませんが」
「ふん、通知はひと月も前にしてある。あの書類でごちゃごちゃしている部屋の中を探せば、間違いなく見つかるはずだぞ」
その主任の言葉が嘘だとシゴロウは見抜いていた。
シゴロウは自分の管理するものならば、どこに何があるのか絶対に忘れない記憶力がある。全書類の文面すら言える彼にとって、この問答はあまりにも馬鹿らしかった。
仮に通知が実際にあったものだとして、それを一度しかしないというのはありえない。シゴロウが管理している研究はほぼ個人でやっているものだが、別の者に任せるとなれると引継ぎに最低一週間はかかる。
しかし明日にも異動となれば、もう何をやっても無駄だ。適当な指示を書類にまとめ、後は後任に丸投げするかしない。
(この老害は、ゾンビ研究がどれだけ危険か理解してないのか……?)
そこまで間抜けだとは思いたくなかったが、この状況ではそれも難しい。何故か主任は勝ち誇った笑みを浮かべていたが、何がそれほど嬉しいのか理解できなかった。
(……これ以上は、話すだけ時間の無駄だな)
もはや苛立ちもしない、ただただ虚しいだけだ。唯一救いだったのは、処分が文字通りの意味ではなく異動だったことだろうかとシゴロウは考えた。
「……まぁ、了解です。明日ですね」
藪をつついて蛇を出すことはない。時間という何物よりも価値のある存在を、無駄な説教ごときで浪費することなどあってはならないのだ。
「うむ、場所は新設された第二研究所だ。君という優秀な人材がいなくなることは、私も惜しいと思っている。まったく……まったく残念だよ」
「そういう茶番はどうでもいいですよ。一応確認しますが、『アレ』の管理はこっち任せでいいんですよね?」
眼鏡をカチャリと持ち上げ、シゴロウは主任に確認した。それに対して主任はニコリと口角を上げ、「もちろんだとも」と言って部屋を去っていくシゴロウを見送った。
主任とのつまらぬ会話を終え、シゴロウは研究所の最下層を目指して歩いていた。
最終日なのでとエレベーターを使わず徒歩を選んだが、それは失敗だったと後になって気づいた。道行く他の研究員の目が、あまりにも気持ち悪かったからだ。
「やだ……、あいつ何でこんなとこ歩いてるのかしら」
「きったねぇ身なりだよな。いくら実績あるからって、あんまりだよな」
「でも明日から異動らしいぜ、ざまぁみろだよな」
クスクスと笑みを漏らし、挑発するように研究員たちは言っていた。だがシゴロウは何も反応を示さず、黙って目的地へと歩き続けた。
(……他人を罵倒する暇があるのなら、少しは研究に活かせばいいではないか。凡人よりは使える頭が三人も集まって何を馬鹿なことをしている)
面と向かって文句を言いにくるほどの度量がある者ならば、シゴロウはその話に耳を傾けようと考えていた。だがそんな者は誰一人としていなかった。
結局のところ、誰もが体のいい犠牲を求めているだけのことなのだ。誰か一人に負の感情を向けていれば、全体のコミュニティは円滑に回る。
シゴロウが抜けた後にも、その理不尽な役職につくものは必ず出てくる。そうやって人類社会は周り、ここまで発展を遂げてきた歴史がある。本当に馬鹿馬鹿しい話だ。
(やはり癒しとなるのは……あの場所だけだな)
人間関係は嫌なことばかりだが、シゴロウは何だかんだ言ってこのゾンビ研究が好きだった。もし自分が死ぬのならゾンビになりたいと考えるほどだ。
そうしてシゴロウが到着した場所は、入場が厳重管理されている重厚な金属扉前だ。部屋の入口上部のプレートには『改造生物管理室』と書かれていた。