第十七話『役割分担』
桜花の腕から滴る血に気づき、107は興奮して目を揺らした。衝動のまま飛び掛かろうとするが、相変わらず身体の消耗が酷くドサリと床に倒れてしまう。
「107、一旦マズルガードを外すぞ」
「がぅ、がぁ……があ!」
「ふっ、こんな状況だからとはいえ。デンジャーを素手で抑え込めるとはな」
暴れる107を押さえ、何とかマズルガードを外す。万が一にでも飛び掛かることがないように注意し、107に血を与えてくれと桜花に頼んだ。
「107ちゃん、口を開けて下さい」
「がー! がっ、あぅ……」
拘束が振りほどけないと分かったのか、107はガクリとうなだれ大人しく口を開いた。桜花はそこへ恐る恐る近寄り、手を107の口元に寄せた。
ポタポタと垂れる新鮮な血を、107は美味しそうに飲んでいた。目に見えて表情も回復していき、荒れていた息が次第に穏やかになっていった。
「美味しいですか、107ちゃん?」
「…………うぅがぅ」
元気になれば桜花に襲い掛かるかとも思ったが、107はじっとしてくれた。そして一定量飲み終えるとぷはっと息をついて満足げに目を細めた。
血を味わった余韻からか107はしばらくぼうっとしていた。その隙にマズルガードを再装着し、シゴロウは棚にあった包帯を持って桜花の方を向いた。
「ほら、腕を差し出せ。あの血の量を見るに、結構深くまで切ったのだろ?」
「そんなつもりはなかったんですけど、加減が分からなくてやっちゃいました……」
「まったく、何をする気か言えば適切にやってやったものを」
血の勢いは弱まっていたが、桜花の手首の辺りには赤く目立つ切り傷があった。シゴロウはそこへ慎重に包帯を巻いていき、申し訳なさからハァと息をついた。
「……この傷は残りそうだな。詳しく知らんが、女性がこういう傷をつけるのは良く見られないのだろう? 本当にすまなかったな」
「いいんです。二度も助けてもらったお返しと考えれば、この程度何てことありません」
「そうか、なら良いのだが」
そんな会話をしていると、急に107がすくっと立ち上がった。シゴロウと桜花はとっさに身構えるが、107は何もせずシゴロウの背中越しに桜花を見ていた。
「がーがう。がう、がうおぅ」
「えっと、何ですか?」
明らかに桜花へと話しかけていたが言葉の意味は分からない。「桜花に何か言いたいのか?」とシゴロウが聞くと、107はパッと表情を明るくした。
「おーか……、オーカ!」
「もしかして、私の名前覚えてくれたんですか?」
半信半疑な様子で桜花が聞くと、107は自信有り気に「がうっ!」と返事した。その光景を見てシゴロウは驚き、関心の眼差しで107と桜花を見た。
「……大したものだな。107が俺以外に懐くなどまずありえんのだが」
「えっと、私が107ちゃんに血をあげたからですかね?」
「……それはただのきっかけだな。恐らくだが、助けたいという桜花の気持ちに107が応えたといったところだろう。ただの推測でしかないがな」
今まで見たことがない107の変化に、シゴロウは心から喜んだ。
107の体調が回復し、シゴロウの頭痛もすっかり良くなった。まだ狼男が徘徊してくるまで時間はあり、シゴロウは簡単な作戦会議をすることに決めた。
議題となったのは目先の脅威である狼男で、目的はこの階層での撃破だった。
(標的と認識されてなければ、放置して暴れてもらうのが最善だったのだがな。しかし襲ってくるというのならば、嫌でも相手するしかあるまい)
色々有効そうな戦略を練っていると、桜花が手を上げて質問してきた。
「あの。徘徊時間が分かっているなら、戦わず逃げた方がいいんじゃないでしょうか?」
「駄目だな。あれを無視して先に進み、行き止まりで遭遇したら本当に終わりとなる。ざっと階層を走った感じ狼男以上の脅威がいなかったのも幸いだ。ここで確実に仕留める以外方法はない」
すでに上の階へ行ったのか、九階層に重装騎士や寄生者はいなかった。再びの遭遇に対する懸念もあるが、そうなった場合は運が無かったと諦める他ない。
「それに九階層を拠点にできれば選択肢も広がる。桜花を生存者と会わせ、人がいないタイミングで誘導してもらえば、誰とも会わずに脱出することも可能かもしれん」
「107ちゃんは改造ゾンビ……ですからね。もちろん、私も二人に協力するつもりです」
「どのような経緯で生存者と出会うかは分からんが、細心の注意を払って欲しい。頼んだぞ」
シゴロウの意思のこもった言葉に、桜花は迷わず頷いてくれた。
やる気になった桜花の膝の間には、107がゆったりと収まってくつろいでいる。ちょっと前まで威嚇していたのが嘘のようで、まるで姉妹のように仲良くしていた。
「オーカ、オーカ」
「何ですか、107ちゃん?」
「がーがぅ、がううおぅ」
桜花の包帯を見つめ、107は物欲しそうに口元へ指を当てていた。血が飲みたいというジェスチャーだが、しっかりと桜花の了承を待っているのが愛らしかった。
シゴロウだけでなく桜花も同じ感想を抱いたようで、口元をにこやかに緩めてギュッと107を抱きしめた。
「かっ、かわいいですね。107ちゃんみたいな子なら、ゾンビって言われても好きになっちゃいます」
「うむ、分かる。分かるが、間違っても爪で引っ掻かれたりするなよ?」
「え、引っ掻かれるとどうなるんですか?」
「傷が深ければゾンビになる。爪の間の手垢などが肉体に入れば、ゾンビ因子は瞬く間に身体に広がるから注意しろ」
ピシッと緊張して固まる桜花だが、107から離れたりはしなかった。
「……もし私がゾンビなる時は、どうせなら107ちゃんがいいです。ね、107ちゃん」
「がう?」
そんな会話をする二人を微笑ましく眺め、シゴロウは作戦会議を進めていった。そして一通り言い終えたところで、桜花がまた手を上げて質問してきた。
「シゴロウさん、私は事が終わるまで隠れていた方がいいですよね?」
「もちろんと言いたいところだが、その案は現実的ではないな。俺たちを敵と認識している狼男はともかく、通常のゾンビは匂いを嗅ぎつけて桜花を見つけ出すだろう」
言いながら血でにじんだ包帯を指差すと、桜花は困った顔で「どうしましょう」と聞いてきた。シゴロウはうむと頷き、用意した作戦に一つ加筆を加えることにした。
「……107に血を提供してもらって悪いが、桜花にはやって欲しいことがある」
「頑張ります。と言いたいところですけど、私に何かやれることがあるんでしょうか? 囮ぐらいならとも思いますけど、たぶんすぐ捕まっちゃいますよ?」
「ふっ、安心しろ。血を失って貧血になりそうな者を走らせる気はない。桜花にやって欲しいのは、特定の場所に待機して少しばかり手を動かしてもらうだけだ」
ほっと安堵する桜花だが、すぐに首をコテンと傾げた。隠れるわけではないのに特定の場所に待機するとはどういうことだろうか、という疑問が感じられた。
そんな桜花の内心をシゴロウは理解し、近寄って手でポンと肩を叩いた。
「作戦の説明通り、戦場は九階層の倉庫を予定している。だがそのまま戦っていては、音を聞きつけてゾンビどもが集まってくるだろう?」
「あー、そう……ですね。言いたいことは分かりますけど」
「もし戦闘中に入られたら、作戦は失敗してしまう。そこでこれの出番だ」
続けてシゴロウは、桜花の両手にある物を乗せた。それはここまで使用してきたメインウェポンのサブマシンガンで、桜花は二度三度目を瞬かせてポカンと顔を上げた。
少しすると意味を理解したのか、桜花は無言でプルプル震え出した。
シゴロウはその反応に頷き返し、優しく非情に必要な役目を告げる。それはリスクと引き換えに、自衛と援護を同時に行えるものだ。
「――桜花には、倉庫に向かってくるゾンビ共の処理をお願いしたい」




