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第十三話『闇から迫る殺意』

 顔を俯かせて考え事をしていると、桜花は質問するように手を控えめに上げた。

「あの、一ついいですか?」

「む、どうした?」

「恩に恩を重ねるようで恐縮なんですけど、そろそろここから脱出しませんか? 地上に出なければ、状況は悪くなる一方ですし」

 特に否定することもないので、シゴロウは桜花の提案に乗ることにした。


 部屋を出て行こうとしたところで、シゴロウは一つ重要なことを思い出した。

 今いる部屋は研究員用の仮眠室で、壁際にはロッカーがいくつも並んでいる。鍵が掛かってないか試してみると、右から三番目の扉が開いてくれた。

「目的の物は……よし、ほぼ揃っているな」

 シゴロウが取り出したのは、研究所で支給されている制服一式とスプレー缶だった。


「地上を目指すのならば、そのスプレーを満遍なく身体に吹きかけろ。それでゾンビから狙われる可能性は低くなる」

「え? 本当ですか?」

「髪や顔、それと服の中にも隙間なく使え。奴らは基本嗅覚で人間を探すから、匂いさえしなければ身を隠してやり過ごすこともできるようになる」


 その説明を聞き、桜花は慌ててスプレーを使い始めた。シゴロウは間違って下着などを見ぬよう背を向け、黙って上着の着替えを始めた。

 二人がそれぞれ用事を済ませてる間、107はむすっとした表情で座り込んでいた。その姿が可愛く、シゴロウはフッと笑みをこぼした。


「駄目だぞ、107。一応仲間となったのだから急に襲ったりするな。ちょうどいい機会だから、今回は我慢の練習としよう」

「がーあう、ぐぅごぅ……」

 凄く納得がいってなさそうだったが、107は何とか受け入れてくれた。そんなやり取りをしていると、スプレーを使い終えた桜花が二人をじっと見ていた。


「……む? 何か言いたげだな?」

「あっいえ、大したことじゃないんです。何だかシゴロウさんと107ちゃんって、親子みたいだなーって思っただけで」

「親子か……、まぁ悪い気はせんな」

 そう言い、シゴロウは新しい制服の上に白衣を羽織った。


 桜花は友好的な表情をし、不機嫌な107へと近づいた。だが一定距離以上接近すると、107はまた桜花へと牙を剥き出した。

 同行は許すが、仲良くする気はない。それが107の妥協点だと理解し、シゴロウは桜花に近づかぬよう注意した。


「……107ちゃんって、やっぱり扉前にいたゾンビとは違いますよね。知性的というか理性的というか、上手く説明できないですけど」

「うむ、そうだな。107は非常に稀な知性あるゾンビだ。俺限定ではあるが話を聞くし、簡単なことなら学習できる頭脳もある」

「……知性。それって、絶対凄いことですよね」

 

 シゴロウの説明を聞き、桜花は興味深そうに107を見つめた。すると107はキッと桜花を睨みつけ、逃げるようにしてシゴロウの背に跳び乗ってきた。

「……凄い跳躍力。これもゾンビ化のおかげなんでしょうか?」

「その認識で間違っていない。お前も経験しただろうが、ゾンビ化したものはそれ以前と比較して何倍もの筋力を手にする。代わりに知性は失ってしまうがな」

「………なるほど」


 桜花は明らかに関心を示し、話の続きを聞きたそうにしていた。兄もここで働いているなどと言っていたので、兄妹揃って研究者気質な性格なのかもしれない。

 シゴロウ本人としても知識を披露するのは楽しかったが、これ以上は止めることにした。無事外に出た時にうかつなことを言ってしまい、よくない連中に命を狙われたら夢見が悪そうだったからだ。


「……ゾンビの話はここまでにして、そっちの目的についても聞いておくか。兄を探していると言っていたが、何階にいるとか少しでも情報は無いのか?」

「それが、何も分からないんです。ただ連絡が取れなくなる前に、ようやく上のプロジェクトに参加できるって喜んでいたのは聞きました」

「上のプロジェクトか、となれば下層の可能性はありそうだ」


 もしかすれば、冷凍処分室にいたゾンビの中に桜花の兄もいたのかもしれない。

(顔を知らぬ桜花の兄よ。妹を助けたのだから、それで手打ちにしてもらうぞ)

 生きて避難しているのならば、兄妹の再会で話しは終わりだ。どうあがいてもシゴロウは追われる身になるので、二度と出会うことはない。だから事件の詳細を語る必要もないと決めた。


 仮眠室での用事を済ませ、シゴロウたちは通路へと戻った。拳銃を構えて辺りを警戒するが、幸運なことにゾンビの姿は見えなかった。

「……っ、これって死臭ですかね? 鼻に刺さるというか……凄い臭いです」

 桜花は鼻を手で押さえ、顔をしかめながら歩いていた。シゴロウはまったく気にならず、むしろ居心地が良い匂いとすら感じていた。


(…………今更だが、桜花に対して食人衝動らしきものは感じぬな)

 それはシゴロウにとって、自身の半ゾンビ化に対する懸念材料だった。だが時間が経っても精神が暴走するきざしはなく、ここからも問題なさそうだと安心した。

「えっと、どうしました?」

「いや、何でもない。ところで大した身なりだが、お前は東京からでも来たのか?」

 どうでもいい話をしつつ、シゴロウたちは九階層を慎重に進んで行った。


 そうして何体かのゾンビを退け、九階層の外周通路をしばらく歩いた時のことだった。二つに別れた道がどちらもシャッターで封鎖され、通路が行き止まりとなっていた。

「ふむ、ここを抜ければ八階層まですぐなのだがな」

 向かって右の通路からは、ゾンビたちの唸り声がうっすら聞こえていた。そちら側は九階層の奥に入ることとなるので、どうしても左の道を進みたいところだった。


(ロックは向こう側から掛かっているか、俺と107で力を合わせれば壊して先に進めるか?)

 階層間の隔壁と違い、通路を遮っているのはただのシャッターだ。銃を使って手を引っかける穴を開け、無理やりこじ開けるのは恐らく不可能ではない。


(不可能ではない……が、それでは音でゾンビ共を引き寄せてしまうな)

 残念だが桜花を連れている以上は無理な選択肢だ。一旦来た道を戻り、別のルートから八階層を目指すのが最善と判断した。


「二人とも、少し道を戻って――――っ!?」

 そう言って身をひるがえした瞬間、シゴロウの脳にバチリと電流が走った。慌てて辺りを警戒すると、進行方向ではない右側のシャッターから赤い光が伸びてくるのが見えた。


 光の行き先にあるのは、キョトンとした表情でシゴロウを見る桜花だった。


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