ルーン魔術師と剣術大会・5
建国祭の最終日がやってくる。
ディアンとの最後の特訓を終えた俺は、剣術大会の会場、闘技場で決勝の開始を待っていた。決勝戦の時間が近づくにつれて、会場がだんだんとざわめき立つのが分かる。人の声や熱気が、選手用の待合場所に居ても伝わってくる。
ローブにルーン道具ではなく、防具に長剣を持った俺は静かに時を待っていた。
そして、もう間もなくという時刻になって、会場の熱気は最高潮に達していた。
「ヴァン。調子はどうだ?」
やってきたのはディアンだ。
「おかげさまで調子はいいよ。今朝はありがとう」
「ああ、それはいいが。本当に最後の特訓があれでよかったのか?」
「うん。変な特訓に付き合わせてごめんね」
「いや、絶対に負けられないって気持ちが伝わってきたよ。お前の覚悟が分かった。俺からは何も言わねえよ。その上で、伝えないといけないことがあるんだが」
「なに?」
「アリシア様からの伝言だ。応援しています。頑張ってください、とのことだ」
アリシアは剣術大会の関係者ではないから、選手用の待合場所には入ってこれない。こうやって伝言で応援を伝えられたのはかえって良かったかもしれない。面として言われていたら、俺が考えていることがバレて止められていたかもしれないから。
「それでは、ただいまより剣術大会、決勝戦をとり行います。ヴァン・ホーリエン、入場!」
司会の声が響く。そして、俺が試合場に入ってくるのを待つ観客の声も。
「じゃあ、行ってくるよ」
「ああ。行ってこい」とディアンが言った。
*
――ワァアアアアアアアアアアア!
試合場に入った俺は観客の洪水のような声援に迎えられる。観客席は、人でいっぱいだった。そんな観客席だが、来賓用にスペースが広く開けられている場所がある。ちらりと目をやる。俺のほうからでは確認できなかったが、アリシアとクラーラ様もきっとそこに居るだろう。
「続きまして、アレクシス・ラズバード殿下、入場!」
――ワァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!
俺の時よりも、二倍三倍と大きな声援が押し寄せる。びりびりと闘技場ごと揺らすような歓声だ。俺の身体の内側まで振動が伝わってくる。流石に、王子様というだけあってすさまじい人気だ。
白い騎士服に、長剣を携えたアレクシス様が、ゆっくりと入場してくる。声援にこたえるように何度か観客席にも軽く手を振っていた。そのたびに、声援は増す。
ようやくその声援が静まったのは、俺と向き合って十秒ほど経ってからだった。
会場が静まり、アレクシス様が口を開いた。
「いい試合にしよう」
「……よろしくお願いします」
距離を取り、お互いに剣を構える。会場の緊張は高まる。俺は深く息を吐いた。緊張してい訳じゃない。これは、これからやってくるだろう死闘に備えての覚悟のため息だった。
司会が叫んだ。
「改めて、勝利条件の確認を! 急所への寸止め、相手が戦えなくなる、相手の武器を落とす、相手に降参を宣言させる。このどれかを満たせば、勝利とします! いいですねっ!」
俺とアレクシス様はうなずいた。
「はじめっ!」
歓声が押し寄せる。同時に、アレクシス様も俺に向かって駆けだしてくる。最初は、真っ向からのアレクシス様の攻撃を何度も俺が防ぐ形になった。反撃の隙は見つからない。ただの攻撃でも、アレクシス様の動きのキレはディアンを上回っている。金属が激しく打ち合う音が鼓膜を揺さぶる。気が付けば、観客の声援は耳に入ってきていなかった。
「どうしたっ! 受け続けるだけかっ?」
アレクシス様が煽ってくるが乗ってはだめだ。剣の実力差は明らか。下手に反撃をしようとすれば、間違いなくその隙を突かれる。今は耐える。それが最善だ。
「乗ってこないか。冷静だな」
「剣で勝てないんです。考えることくらい、させてください」
「ふっ」
と、アレクシス様が笑う。
「では、考える暇が無い攻撃はどうするっ? 【神速剣】!」
剣技スキルによる攻撃。見えても、身体が反応できなければどうしようもない。よけきれない攻撃がくる。
ディアン。特訓の成果を見せるよ。
俺は息を吸って、攻撃に備える。俺は剣を胸のあたりに少し高く構える。
アレクシス様の連撃がくる。頭への初撃を防ぐ。続けざまに、首を狙った攻撃も弾き防いだ。流れる動作で、アレクシス様の攻撃が横腹目掛けて飛んでくる。ゴッ、と身体の芯まで響くような重い打撃が身体を揺らす。
「カハッ――」
痛みに、肺から空気がもれる。続く、攻撃が足を撃つ。下半身にも防具をつけているが、なお痛い。鈍い痛みに歯を食いしばる。それでも、俺は五撃目に胸を狙ってきたのを見逃さない。俺はそれをはじきあげた。
そして、反撃の一撃をアレクシス様の喉に向かって突く。
だが、アレクシス様にバックステップで避けられる。距離を取ったアレクシス様は不快そうに顔をゆがめて俺を見ていた。まるで罪人にでも向ける冷たい目のようだった。その冷たさは、いつもの冷たさじゃない。もっと侮蔑に満ちた瞳だった。
「ヴァン。貴様……」
「俺の作戦に、気付きましたか?」
痛みで声が震えそうになる。
俺が今朝、ディアンと行った特訓。それは、急所への一撃だけを防ぐ特訓だ。それは難しいことではなかった。師匠に教わった攻撃を受ける方法を、急所への一撃だけに絞ればいい。それだけに絞れば、アレクシス様の【神速剣】にも対応できた。代償は、それ以外のところの攻撃は素通しすることだ。
だが、急所への一撃を防ぎ続ける限り、『この戦い』では負けない。それはこの勝負に勝つうえで何よりも大事なことだ。
「ああ、ここが戦場ならすでに死んでいる、褒められない作戦だ」
「それは言わない約束でしょう? 戦場なら、俺には他に戦う術がある」
アレクシス様は一度目をつぶった。それから、ゆっくりと、瞼を開く。
「そうだな。いいだろう。では、勝負だ、ヴァン! お前の反撃が決まるか、それとも、その前にお前が立てなくなるか。試してやる」
俺は深く息を吐いて、深く吸う。さあ、ここからだ。
*
昨夜、ヴァンはお兄様に勝つと言った。わたしの婚約者にも、アリシアの婚約者にもならないために、と。
そして、わたしが、救ってくれるの? と聞いたとき、こうも言った。
「困っている人を助けるのが、ルーン魔術師です」と。
もちろん、はじめからこの勝負は見に来るつもりだった。だけど、昨夜のことがあって、絶対に見なきゃいけないと思った。
ヴァン、あなたはどうやって兄に勝つの? そして、どうやって、わたしを救ってくれるの?
わたしは、その答えが知りたかった。
観客席で見ていて、ヴァンの作戦はすぐに分かった。
急所への寸止めだけを避けて、試合時間を長引かせる。そして、どこかで一発逆転の反撃を撃つ。
確かに、普通に戦うよりかはずっと可能性がある作戦だけど。
二人がまた激突する。
お兄様は、色んな箇所へと攻撃を打ち込んでいく。ヴァンは急所への攻撃は防いでいるが、やはり、足や胴への攻撃は無視して受けている。
あれだって、相当痛いはず。そのうち、そのダメージも蓄積されて、まともに剣が振れなくなるはず。
ヴァンが反撃をするも、お兄様は危なげなく避ける。それもそうだ。狙いが分かっているんだからお兄様にとってそれは難しいことじゃない。
「ヴァン……」とわたしの隣で観戦しているアリシアが心配そうにその名前を呟く。
手をぎゅっと握りしめて、涙目で唇をかみしめるその姿は、まるでヴァンの痛みを彼女も感じてそれに耐えているようにも見える。
わたしは落胆していた。
これが、ヴァンの答えなのね。
またアレクシス様とヴァンが剣を打ち合う。何発かの攻撃をまたヴァンが受け、反撃するも避けられる。
諦めればいいのに。どうせ、勝てないんだから。痛いだけじゃない。そんなの。
だけど、どうしてだろう。わたしはその戦いから目を背けることが出来ずにいた。
*
痛みが全身を襲う。打たれているのは、胴と足だけだが、痛みは共鳴するように体全身に広がっている。
それでも、俺は剣を構えなおす。
「……ヴァン。もういい。降参しろ」
アレクシス様が言った。俺は即答する。
「出来ません」
「お前に勝ち目はない。これ以上、こんな無様な戦いを続けるというなら、俺は本気で、お前を倒すことにする。それでもいいんだな?」
ふっ、と俺は内心で笑う。
無様な戦いか。まあ、そりゃあそうだよな。今の俺のこの状況が、無様じゃなくて何なんだ。ルーン魔術が無ければ、こんなにも無力なんだな、と痛みに思い知らされる。でも、それが分かっていても、俺は今日、諦めるわけにはいかなかった。
俺はまっすぐにアレクシス様を見た。
「ちっ」と舌打ちをうち不快そうに目を細めるアレクシス様。
剣を構えて、走り寄ってくる。
「【神速剣】!」
急所への攻撃だけを防ぐ。それだけに必死になる。何度身体を打たれてもいい。勝負を終わらせなければ、チャンスはある。
痛みが何度も体を襲う。鉄の塊が、容赦なく俺の身体をぶん殴ってくる。さらに、頭を狙ってアレクシス様が剣を振る。俺はそれだけは弾き上げる。
そして、反撃の一撃を――。
――ゴッ。
鈍い音が、頭に響いた。世界が回る。平衡感覚を失う。いや、俺は倒れている。反撃するところを狙われて反撃されたんだ。それで、倒れて、地面を転がった。ふと、血の味を感じる。どうやら口の中を切ったみたいだった。
ハッ、とする。剣は? 剣を落としたら敗北だ。俺は自分の右手に意識を集める。そこには、重たい何かを握っている感触があった。良かった。剣は落としていない。
剣を杖にして、俺は立ち上がる。口から、血を吐き出す。
「まだ戦えます」
俺はそう言った。
「貴様……」
その時、アレクシス様が顔を上げた。目線を観客席の方にやり、ぐるりと見まわす。
俺も、その異変に気が付いた。歓声が無くなっている。でも、決して静かなわけじゃない。ざわめいているのだ。誰もが、俺たちの戦いに疑問を持っているんだ。
「これが狙いか?」
「え?」と俺は呟いた。
狙いか、と言われても、この状況は俺にとっても計算外だった。ただ、考えてみれば、こうなることは予想できたかもしれない。
「観客が、どれだけ俺に疑問を持とうとも、弱いものをいじめているように見られようとも、俺は降参せん」
剣を俺に向け、そう言い放つアレクシス様。俺は皮肉めいて笑って言った。
「そんなこと、期待していませんよ。……続けましょう」
そう俺はあくまで、勝ちに来たのだ。この男から、剣で勝ちをもぎ取りに来た。
*
「こうなるのも当然ね」
とわたしは呟いた。会場は冷めている。というより、何度打たれても諦めず反撃をするヴァンに勝利を譲ってやればいいじゃないか、という空気になってきている。
あんな姿を見せられたら当然だ。
それからも、二人の試合は続く。ヴァンの作戦は変わらない。急所を避け、反撃を狙う。お兄様も変わらない。攻撃の手を緩めることなく、打ち続ける。
また、ヴァンの横腹にお兄様の剣が撃ち込まれる。体勢を崩し、よろけたところに、腹への突きが入った。後ろに大きくのけぞり、倒れる。それでも、ヴァンは立ち上がる。
観客もだんだんと見ていられないという風になってくる。目を背け始めるものも多い。
「頑張って……」
そんなとき、私のとなりで、小さく呟く声が聞こえた。
アリシアだった。
ヴァンのあの姿に、一番心を痛めているのは、この子かもしれない。なにしろ、この国では、ヴァンに一番近しい人物だ。だけど、その瞳は、ヴァンの勝利を願って信じていた。
だけど、そんな願いは届かない。再び、お兄様がヴァンを剣で打ち、吹き飛ばした。ヴァンは試合場に倒れこんだ。数秒と、会場に静寂が流れる。
誰もが、これで決着だと、そう思った。もちろん、わたしも。
その時だった。
「ヴァンっ!」
アリシアが叫んだ。祈るように手を合わせて、必死にヴァンの勝利を願っていた。ふと、わたしは気付く。アリシアの手が、光ってる?
いや、見れば、アリシア自身がほのかに光を放っている。この光は……そうだ。アリシアのお店に使われていた、あの【発光】のルーンと同じような光だ。
次第に、闘技場の観客席の他の場所にも光が現れ始める。ぽつぽつと現れ始めたそれは、いつの間にか、会場を埋め尽くす。
アリシアがお店で売っていた【発光】のルーンだ。それを買った人たちが、アリシアの応援に続くように、ヴァンを応援しているんだ。こんなにも温かい光が、ヴァンを包んでいる。
その光景に、わたしは呟いた。
「頑張れ……」
ヴァンが負ければ、わたしはヴァンを婚約者にする。そうしたら、なんとしてでも自由にしてもらおうと思っていた。それでも、今、ヴァンに負けてほしくないと思った。だから、呟いた。
「頑張れ……」
*
まだ意識はあった。痛みの混濁の中に、かろうじて、俺は意識の糸を手放してはいなかった。だけど、立ち上がれそうにない。その時、アリシアの声が聞こえた気がした。
俺は顔を上げる。闘技場全体が、幻想的な暖かな光に包まれていた。これは……。【発光】のルーンか。でも、こんなにも強く光るものだっただろうか? 俺は一つの結論を導く。きっとアリシアの思いの強さが、この光景を実現させたのだろうと。俺は、それほど応援されているのだ。
これ以上、情けない姿を見せてられないぞ。立ち上がるんだ。
俺は、何とか立ち上がろうと、剣を床に突き立てる。
「立つなっ!」
闘技場に、アレクシス様の声が響いた。俺は膝立ちになりながら、彼を見た。彼はため息をついてから、言った。
「これを言うと、お前が本気で戦わないだろうと思って言わなかったが、俺はこの勝負の勝敗がどうあれ、お前がここに残ることを許可するつもりだった」
「そうなんですか」と俺は息絶え絶えに言った。
「ああ」
「それまた、どうして」
「お前が剣術大会に向けてディアンと特訓していたこと、お前の実力、アレルを退け、王都の復旧にも貢献したこと。俺は、お前を評価している。すでに、信頼たる人物だと思っていた。それを……失望させてくれるな」
そう言うアレクシス様は寂しそうに見えた。たぶん、さっき言ったのは本当のことなんだろう。
「だから、降参しろ。しないのなら、俺はお前がここに残ることを許さない」
「昨日。少し、考えました」と俺は言った。
アレクシス様は黙って、ゆっくりと俺に近づいてくる。
「自由ってどういうことなのかを」
クラーラ様は俺に助けを求めた。自由にさせてくれ、と。
その時、何か違うと思った。だから、クラーラ様を俺は抱きしめて支えてあげることは出来なかった。でも、その時、なぜ違うのか、その理由は分からなかった。
でも、ちょっと考えればわかった。誰かによってもたらされた自由なんてのは、自由じゃないんだ。
それは自分で、手に入れるものなんじゃないかって。
「俺は……。軟禁されていたグラン王国を出て、この国にたどり着きここに残ることを選んで、自由になったつもりでいた。だけど、アレクシス様が現れて、そうじゃないと分かった。レグルス国王様や、アレクシス様の気が変われば、そんな自由は消し飛ぶ」
アレクシス様が、目の前までたどり着く。その目は膝をつく俺をじっと見降ろしていた。
「だから、今日、俺は掴みに来たんだ。自分で、自由を掴みに来たっ! あなたに勝って、俺がここに居ることに、もう何も言わせない! あなたの許可がどうこうじゃない。俺は俺の意思でここに残るんだ!」
立ち上がる。アレクシス様が、剣を構えた。
「なら、受けて見せろ! 【神速剣】!」
高速の攻撃が、俺に襲い掛かる。やることは変わらない。急所への攻撃は防ぐ。後はいくら受けてもかまわない。胴に、足に、腹に、何度も攻撃が撃ち込まれる。俺は歯を食いしばって痛みに耐える。首に向かってアレクシス様が、突きを放ってくる。俺はそれを弾く。
そして、全力で反撃の剣を振る。
*
光に包まれる会場の中、ヴァンの剣が、ゆるゆると弧を描いて、お兄様に向かって振られる。それは、深いため息をつく暇があるほど、ゆっくりとした物だった。
だけど、不思議とそれを馬鹿にする気にはならなかった。
だって、誰もが、その剣がアレクシス様に届くと信じて疑わなかったから。
剣は、ぴたりとアレクシス様の首筋をとらえて止まった。
次の瞬間、歓声が湧き上がる。せき止めていた水が、自分を邪魔するものは無いと言わんばかりに流れ出すように歓声は止まらない。
自分で、自由を掴みに来た。
ヴァンの言葉が心に響く。
わたしはアリシアを見た。ヴァンが勝って泣いて喜んでいるアリシアを。顔が涙やら鼻水やらでぐちゃぐちゃになっていて、いつもの可愛さは見る目もない。
そんなアリシアを見て思う。ああ、そうか、アリシアも自分で自由をつかもうとしてるんだ。ヴァンに頼りきりじゃない。
ねえ、ヴァン。わたしも支えてくれる?
わたしが、自分で自由を掴むためなら。それまで、あなたは支えてくれるかしら?
自然と涙がこぼれた。




