ルーン魔術師と騒動の終息・3
ラズバード王都の復旧は、俺たちの思っているよりも早く進んだ。
かかった期間はなんとたったの三日。
今は、生活には関係がなく、そして被害も一番大きいということから修繕が後回しになっていた闘技場を直していて、それもどうやらもうすぐ終わりそうだった。
「そんな、まさかこんな早くに直ってしまうとは……」
「し、信じられん。神の所業だ……」
「夢を見てるんじゃないだろうな……」
最初、俺たちが復旧作業に携わることに難色を示していた貴族たちもその仕事ぶりを見に来て唖然としていた。
「これも全て、お前たちの働きのおかげだな」
とレグルス国王様が俺とアリシアに向かって言う。
なんだか、わざとらしい印象を受けたのは気のせいではない。レグルス国王様の言葉の真意はすぐに分かった。
貴族たちが、こちらを向くと、一斉にアリシアに頭を下げる。
「申し訳ございませんでした」
「アリシア様の言葉を信じれず、わたしたちはひどいことを」
彼らの中で、アリシアの評価は多少なりとも上がっただろうか。そうだと嬉しいな、と俺は思う。少しでも、アリシアの立場が改善されていくなら、それに越したことは無い。
「頭をあげてください」とアリシアは言った。「わたしは気にしておりません。それよりも、ラズバード王国の王族、そして貴族として、わたしたちがお礼を言うべき方がいるのではないでしょうか?」
ん?
気付くと、アリシアやレグルス国王様含め、その場にいた全員が俺のほうを向いている。
「ヴァン。ラズバード王国の代表として、俺が言わせてもらおう。尽力、大変感謝する。ありがとう」
全員が一斉に頭を下げる。
「あ、あの。えーっと……」
と困惑する。
他の貴族がいる手前、きっと固辞するのは、良くないのだろう。
俺は諦めて言う。
「あ、ありがたきお言葉。身に余る光栄でございます」
頭を上げたレグルス国王様は俺にだけ見えるように笑った。
楽しんでやがる……。
こうして、無事に闘技場の修繕も終わった。
*
闘技場の修繕が終わった日から一夜明けた。
建国祭は、明日から二日間、四日目、五日目と再開するらしい。
色んな事があったため、今日は、休日として割り当てられた。
俺も疲れを感じて自室で休んでいた。
ソファに座って、ぼーっと紅茶を飲んでいた。爽やかな香りのする紅茶で、疲れがすこし癒される気がする。この紅茶を淹れてくれたのはミラなので、きっとそういうところにも気配りされているんだろうと俺は一人、思っていた。
――コンコン。
と扉がノックされる。「どうぞ」、と招き入れると、入ってきたのはアレクシス様だった。思いもよらぬ来客に、俺は急いで立ち上がると、アレクシス様が手で制止する。
「いい。座っていてくれ」
「ありがとうございます」と俺は座りなおす。
それから迷いなくアレクシス様は俺の向かいに座った。
「魔族アレルを止めたこと、王都に召喚された魔物の討伐、王都の復旧、お前には世話になったな。俺からも、感謝を言わせてくれ。ありがとう」
「お役に立てて、なによりです」と俺は感謝の言葉を受け取る。固辞するよりこうしたほうがいくらか話は早い。「それで、そのことを言うためにここまで?」
俺の問いに、アレクシス様が姿勢を正す。まっすぐに俺を見て言った。
「剣術大会のことだ」
「もしかして中止、ですか?」
あんなことがあったのだ。中止でもおかしくはない。
だが、アレクシス様を見ていると、どうも中止ではなさそうな予感がした。
「いや、続行するんだが。……棄権者が出た。俺の次の相手と、お前の次の相手だ」
「そうなんですか? もしかして、ケガとか? だったら、俺が治しますが」
「いや、そうじゃない。もともとの予定からずれてしまったんだ。二人とも冒険者でな。他に依頼が入っていてそっちに行かないといけないという話だそうだ」
「そうなんですか」
と俺は胸をなでおろす。良かったよ、ケガとかじゃなくて。
突然、アレクシス様が笑う。
「ふふっ。お前は変な奴だな」
「そうですか?」
「ああ。普通、棄権者が出たら喜ぶだろう。それをケガか、と聞いてあまつさえ自分で治そうとするなんてな。あまり考えられん。特に、今のお前の立場からすれば、な」
「うーん……」
そうなのかなあ?
俺はアレクシス様が言っていることにあまりピンと来なかった。
「とりあえず、俺はその報告に来た。ということで、明日の準決勝はない。剣術大会は、明後日の決勝だけだ。それを伝えに来た」とアレクシス様が言う。
「わざわざありがとうございます。ということは、決勝はやっぱりアレクシス様、ということですね?」
「そうなるな。覚悟はしていたことだろ?」
「……ええ。まあ」
「お前も、辞退してもいいんだぞ」
その提案は、あまりにもばかばかしすぎて、少しだけ笑いが漏れた。
「いえ。行きます。明後日はよろしくお願いします」
「ああ。しっかり身体を休めておくんだな。疲れていました、なんて言い訳は聞きたくないからな」
「言い訳なんてするつもりはありませんよ」
アレクシス様は立ち上がり、部屋を出ていく。
「ふぅ」
と俺は姿勢を楽にしてソファに縋りなおした。紅茶を口に含むと、爽やかな香りが鼻から抜けていく。
「ヴァン!」
突然、扉が開き、驚く。
紅茶が気管に入ってむせる。
「ごほっ、ごほっ……」
むせながら扉の方を見ると入ってきたのはアリシアだった。
「大丈夫ですか、ヴァンっ?」
むせている俺の方に回って、アリシアが俺の背をさすってくれる。
「んっ、ちょっとむせただけだから。そんなに急いでどうしたの?」
「アレク兄さまが、こちらから出ていかれるのを見たので、その、何か変なことをされていないかと……」
「剣術大会のことを報せに来てくれたんだ」
「剣術大会のこと、ですか?」
アリシアは可愛らしく首を傾げる。それから、俺の隣に腰をおろした。あまりにも自然に隣に座ってきたその距離間の近さに、俺の胸が少し高鳴った。普段は意識しないが、アリシアはかわいい女の子だ。こんな風に隣に座られると、どうしても意識してしまう。
俺は出来るだけ平然を装って言った。
「うん。俺とアレクシス様の準決勝の相手が棄権したらしいんだ」
「そうなんですか。では、残すのはお二人の決勝ですか?」
「そうなるね。それで、明日は試合が無くなったから、アリシアのお店の手伝いに行くよ」
「あ……」とアリシアは気まずそうに声を漏らした。「それが、復旧作業でルーンを使っちゃって。商品がほとんど残っていないんです」
「あ、そっか。あの時、二人だと間に合わなくて、商品にするはずのルーンもどんどん使っちゃったもんね」
「はい……」
と、残念そうに俯いている。
「追加で作るの手伝おうか?」
「いえ。計算してみたんですけど。今から寝ずに作って、それが全部売れたとしても、お姉さまの売り上げには届きません。なので、復旧作業に使わなかったルーンを売り切って、終わりにしたいと思っています。わたしも、ちょっと疲れちゃいました」
「そうなんだ」
二人の差は、俺の予想より開いていたみたいだ。
俺も残念な気持ちになってくる。でも、俺がこんな気持ちになるくらいだから、アリシアはもっと悲しいだろう。クラーラ様との姉妹対決を、ただ勝ちたいというだけじゃなく、張り合えるんだ、という点でも楽しんでいた。中途半端な形に終わって、残念なのは当たり前だ。
何と声をかけていいか、俺は必死に言葉を探す。
「何も、変わりません」
と俺が茫漠な言葉の海から適切な言葉を探し当てる前にアリシアが言う。
「ヴァンはこれからもわたしにルーン魔術を教えてくれるし、わたしが負けたからってわたしは見捨てられる訳じゃない。ヴァンはこれからもずっと、大切に思ってくれている。そして、わたしもヴァンのことを大切に思っています。それは変わりません」
それは、建国祭初日に、俺が言ったことだ。
アリシアは、小さな顔を俺の肩に乗せる。そっとアリシアの体重が俺の体にかかる。
「何も、変わりません」
と再度つぶやく声は少し震えていた。
「でも、もう少し、このまま、もう少しだけ、このまま居させてください」
「うん」
と俺はアリシアだけに聞こえるように呟いた。
「頑張ったね、アリシア」
「……はい。頑張りました、ヴァン」
俺はしばらく、じっと前を見つめていた。