小さなルーン魔術師・1
「いらっしゃいませー! ルーン魔術をぜひ見ていってください! 生活に役立つような道具をたくさん取り揃えています!」
賑わう大広場には、アリシアの声が元気よく響いていた。
正直、あのいつもわたしやアレク兄さまの後ろに隠れているような引っ込み思案のあの子が、こんなに大声で呼び込みが出来るとは思ってもいなかった。
いや。思ってもいなかったというなら、わたしが王宮に帰ってからのアリシアの行動のほとんどが初めて見る、思ってもいなかったことだ。
「クラーラ様。どうかされましたか?」
わたしの手伝いをしてくれている店員の女の子(王宮のメイドを連れてきた)が、ぼうっとしていたわたしにそう言ってくれる。わたしは笑顔で答えた。
「ええ。大丈夫よ。ちょっと、アリシアの方を見ていたの」
「アリシア様でございますか。よく、頑張ってらっしゃいますよね」
「ええ。本当にね。……。わたしたちも頑張らなきゃね。あの子に負けてられないわ」
「はい。クラーラ様」
「きゃああああああああああああああああああああああ!」
突然、悲鳴が上がる。
何事かと、あたりが静まり返った。何が起こったかはすぐに判明した。
「ま、魔物だ! 魔物が出たぞ!」
その一言に、その場にいた全員が慌てふためく。
「な、なんだって!」「騎士はなにをやってるんだ!」「んなことどういでもいい! とにかく早く逃げろ!」
大広場は一瞬にして荒れ狂う。誰もが我先にと逃げ出そうとして、魔物も危険だが、その人の流れ自体も混雑して危険なものに変わっている。
早く止めないと。
「全員! 落ち着きなさい!」
わたしは声を張るが、この騒ぎにかき消される。誰の耳にも入らない。
ふと近くを見ると、わたしと同じように警備の騎士たちも叫んでいた。
「落ち着いてください!」「走らないで!」「指示に従いなさい!」
だけど、やはり誰も聞く耳を持っていない。自分が逃げることでみんなが精いっぱいになっていて、その結果、人の流れが込み入ってしまっている。
どうすれば……。
わたしが動けないでいると、上空から風が突風が襲う。大きな影が、わたしたちに覆いかぶさる。わたしは、上を見上げた。
「グ、グリフォンだ! Bランクの魔物だぞ!」
誰かが叫ぶ。
上空には、グリフォンがわたしたちを見下ろしながら翼をはためかせ飛んでいた。誰を餌にしようか見定めるような瞳に、わたしはぞっとする。
「逃げろおおおおおおおおおおお!」
誰かが叫び、人の塊がグリフォンの陰を避けるように大急ぎで移動していく。
「う、うわぁ!」
誰かに押されたのか、それとも足をもつれさせたのか。
どちらかは分からないが、グリフォンの影の下で、子供が転んでいた。グリフォンは、その子供に狙いを定めたように、空中で体勢を変えて、跳びかかるように急降下する。
「あ、危ない!」
わたしは思わず跳びだした。
でも、間に合わない。グリフォンの方が、ずっと速かった。
子供は無残にも、グリフォンの爪の餌食になると、誰もがそう思った。
――ガキィンッ!
だけど、大広場に響いたのは、残酷な音でも、悲鳴でもなかった。
硬い何かが、硬い何かに弾かれるような音。グリフォンは腕を振り下ろしたような姿で固まっている。いや、よく見ると、そこには薄い光の壁がある。グリフォンの攻撃はその光の壁に阻まれたのだ。
わたしは目を疑った。
グリフォンと狙われていた子供との間に割り込んだ人物。
わたしと同じ桃色の長い髪が揺れている。身にまとった白いローブが、風にはためく。そんな彼女は、光の壁に鋭い爪を突き立てるグリフォンをまっすぐに見上げている。
「アリ、シア……」
彼女の名前を呟いたとき、光の壁が消え去った。
そこでわたしはハッとする。助けないと。
グリフォンが、今度はアリシアに向けて腕を振るう。
「【発火】!」
アリシアはローブの中から、何枚もの紙を取り出し投げつける。その全てが火の玉に姿を変えグリフォンに襲い掛かった。火の玉はグリフォンの身体にまとわりつく。
「ぐぎゃああああおおおおおおおおおおお!」
思いがけぬ反撃にグリフォンは地面に足をつけ、自らの身体についた火を消すように暴れながら後退する。
「今のうちに、逃げてくださいっ!」
アリシアが子供に言うと、子供は気が付いたように立ち上がり、逃げていく。
その子供と入れ替わるように、わたしは前に出た。
「アリシア。あなたも逃げなさい! 危ないわ」
この子も逃がしてあげないと、とわたしは思った。
せっかく、ルーン魔術という技術を身に着けたのだ。こんな所で危ない目にあわして、死んでしまったら……。報われない。
だけど、アリシアはちらりとわたしを見ると、またグリフォンに視線を戻した。逃げるつもりはないらしい。
わたしは、また叫ぶ。
「アリシア! 何をしてるのっ! 早く、早く逃げて!」
「困っている人が居たら助けるのが、ルーン魔術師です」
アリシアが言う。
「わたしが、ここで逃げたら……。もう、ヴァンにルーン魔術を教えてもらう資格はありません」
「アリシア……」
「だから、逃げません。お姉さま」
アリシアが顔だけで振り向く。
見えた横顔の瞳には、強い意志が宿っていた。
「わたしは、ルーン魔術師です! 困っている人を、助けるんです!」
アリシアが叫ぶ。
同時に、グリフォンも動き出した。地面を踏み鳴らし、アリシアに跳びかかる。
「【木縛】!」
アリシアがローブから木片を取り出す。ルーンが発動し、木片からグリフォンを捕らえようと枝が伸びる。
枝はグリフォンの身体に絡みついた。
だが。
枝が細い、ヴァンが使っていたのよりもずっと。
さっきの火の玉もそうだ。ヴァンが使うよりもずっと火の玉は小さかった。
アリシアもきっとその事が分かっている。彼女の表情は、嫌な物を嚙み潰した時みたいな苦々しいものだった。
「ギャアアアアアアアアアオオオオオオオオオオオウ!」
グリフォンはあっという間に拘束を力づくでほどく。
わたしは腰の細剣を抜いて、グリフォンに向かって走り出す。
「お姉さま!?」
「【強刺突】!」
刺突の威力を高めるスキルを使いグリフォンに繰り出す。グリフォンは身体をよじらせる。細剣は、グリフォンの身体にかすり、小さい傷を作る。
すかさず下がり、わたしはグリフォンの反撃を避けた。
わたしはアリシアの横に並ぶ。
「アリシア」
「お姉さま。わたしは」
「ええ、分かってるわ。逃げないんでしょ」
「……はい」
アリシアが強く頷いた。
「だったら、さっさとこいつを倒しましょう。何が起こってるかわからないけど、きっと他の所でも助けがいるはずだわ」
「お姉さま……」
「隙を作ってちょうだい、アリシア。わたしなら、とどめを刺せるわ」
「無理はなさらないでください」
「ふふっ。まさか、アリシアにそんなことを言われるとはね。その言葉、そっくりそのまま返すわ」
「ギャアアアオオオオオオオオオオオオオオオウウウ!」
グリフォンが吠える。
「来るわよ、アリシア!」
「はい! お姉さま!」