ルーン魔術師と建国祭・5
建国祭の初日が終わった。
夕日に照らされる中、俺はアリシアと共に王宮へと戻る。
ミラや店の手伝いをしてくれていた人たちは後片付けをすると言って残った。
もちろん、俺もアリシアも手伝うと言ったのだが、ミラに、『お二人がお体を壊してしまったら元も子もないのですから先に戻っておやすみください』と叱られてしまった。
「つ、疲れました……」
歩きながらアリシアが言う。
今日はずっと立ちっぱなしだったし、それにアリシアには慣れないことだっただろうし、疲れるのも当然だろう。
「お疲れ様。建国祭はどうだった?」
「物を売ることがこんなに難しいことだとは思いませんでした」
アリシアが言う。
「それに、お姉さまにも大きく負けていますし……」
今日の二人の結果は、クラーラ様の圧勝と言ってもいいだろう。
その結果を受けてアリシアの表情には陰りがあった。
結果も大事だと思うが、俺が聞きたかったのはそっちじゃなかった。
俺は言う。
「それで、楽しかった?」
隣を歩くアリシアと目が合う。アリシアは目を輝かせて言った。
「はい、楽しかったです!」
良かった。
俺が一番聞きたかった言葉だと思う。
彼女に教えたルーン魔術が、アリシア自身のためになるなら、アリシアが勝とうが負けようが何の文句もないのだ。
「明日も楽しくなるといいね」
「はいっ! ……あっ」
その時、短い悲鳴をアリシアが漏らした。その場に座り込んで、顔を歪めている。俺も慌ててしゃがむ。
「大丈夫っ?」
アリシアはこくりと、静かに頷くが、とても大丈夫そうには見えない。
よく見ると右足のふくらはぎを抑えていた。
「ちょっと見せてみて」
と、俺はアリシアの右足を見る。
「あ、あの、本当に大丈夫ですので」
そう言って立ち上がろうとした。
「いっ……」
だけど、立ち上がる前に、やっぱり座り込む。
「アリシア」と、俺は名前を呼んだ。
それから、少しの戸惑いがあったがアリシアは観念したように、俺に足を見せた。
「うぅ。は、恥ずかしい……」
小声で呟くアリシア。そんなことを言ってる場合じゃないだろうに。
見ると、手で押さえていたところが痙攣している。おそらくつったのだろう。
俺はペンと紙を取り出し、【治癒】のルーンを書く。それをアリシアのふくらはぎにはり、発動する。
「どう?」
「な、治りました……」
それから立とうとするアリシアを俺は慌てて止めた。
「あ、立たないで」
「え?」
「【治癒】のルーンで治るのは、傷と痛みだけだ。つったのは疲労が原因だろうから、無理して動かないほうがいい」
「うぅ。そう、ですか。分かりました」
大人しくいうことを聞いてくれるアリシア。
さて、どうしたものか。
今つっているのが治っても、アリシアの体力は限界に近そうだ。無理させると、悪化させかねない。明日からのこともあるし……。
仕方ないか、と俺はアリシアに背を向けてしゃがむ。
「アリシア。俺が背負っていくよ」
「え?」
「あ。えっと、それが嫌なら、ミラたちが来るまで待つっていう手もあるけど」
王宮までの帰り道だから、しばらくすればミラたちも通りがかるだろうし。いつになるかはよくわからないけど。
「あ、あの。その……。い、いやじゃ……。ないんですけど……。あの、少し待ってもらってもいいですか?」
「ん? いいけど……」
と、俺はしばらくその姿勢のままで待つ。
後ろからアリシアの細い腕が回される。そのまま、抱き着くみたいにアリシアは俺の胸のあたりで両腕をぎゅっと交差させる。
温かい体温が俺を包んで、アリシアが体重を掛けてくるのが分かる。俺はアリシアを背負って立ち上がった。
「重くないですか?」
不安そうに言うアリシアの吐息が耳にかかる。
すこしくすっぐたさを感じながらも俺はこたえる。
「大丈夫だよ」
そもそもアリシアはスタイルが良いと思う。そんなに体重のことを気にしなくてもいいんじゃないだろうか?
俺の言葉に安心したのか、アリシアはほっと息を吐く。
「うまくいってよかったです」
「うまく?」
「はい。【軽量】のルーンを自分に使ったんです。その……。ヴァンに負担を掛けたくありませんでしたので……」
さっきの間は、ルーンを書いていたのか。
俺は背中で安心しきったアリシアの気配を感じながら、それと同時に、しっかりと、彼女『本来』の体重を感じていた。
というのも、【軽量】のルーンは人には効果が無いのだ。
言おうか言うまいか……。
いや、この場合、黙っておくほうが正解な気もする……。
頭の中で、どうするべきか何度も考える。
考えた末に俺は、やっぱり言おうと決めた。
アリシアが効果を間違ったまま覚えてしまってもよくないし、正しておくべきだろうと思ったのだ。
「あ、アリシア……」
「すぅー……」
気付けば、肩にはアリシアの小さな顔がのっかっていた。瞼は、閉ざされていた。まるで、綺麗な宝石を守っている箱のように。
その寝顔全体が、どことなく幸せそうに感じるのは、俺の思い上がりだろうか。
背中には、呼吸により規則正しく膨らんだりしぼんだりする胸の感触と暖かな体温を感じる。
俺は、黙って前を向いた。
ルーンのことは、また今度教えてあげればいいだろう。
「今度……か」
俺はあとどれくらいのことをアリシアに教えてあげられるだろうか。
『うん。俺はこれからもアリシアにルーン魔術を教えるし、アリシアが負けたからってアリシアを見捨てる訳じゃない。これからもずっと、大切に思ってる。それは変わらないんだ。だから、ね。楽しもう』
今朝、アリシアを元気づけるために言った言葉を思い出す。
これは嘘じゃない。
アリシアが負けても、俺とアリシアの関係は変わらないだろう。
じゃあ、俺が剣術大会で負けたら?
俺はアリシアかクラーラ様二人のどちらかと婚約を結ぶことで、この国に残ることになる。
でも、やっぱりそんなのは間違ってる。二人に迷惑を掛けるべきじゃないと思う。
俺は正直、負けたら大人しく引き下がろうとも思ってたんだ。
そして、剣術大会に参加してきたアレクシス様。最初から剣術大会で優勝するのは難しいと思っていたけど、より困難なことになった。
俺は負けた時のことを考えずにはいられなかった。
アリシアとクラーラ様の二人に迷惑をかけてまでここに残るか。
それとも、ここから出ていくか。
あるいは、レグルス国王様にでも泣きつくという方法もあるだろうか……。
夕日が、俺の思考を焼き尽くすようにじりじりと輝いているように見えた。
俺が焦ることを、世界が望んでいるかのようにさえ思えた。
いや、このことで考えるのはもうやめよう。焦っても仕方ない。とりあえずやれるだけやるしかないのだ。
俺はそう割り切って、アリシアを背に、帰路を歩いた。