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ルーン魔術師の思い

 談話室に入ると、そこで待っていたのはレグルス国王様だけではなかった。

 レグルス国王と向かい合うように、ハンスが座っていた。何か会議でもしていたのだろうか。


「呼びつけて悪かったな、ヴァン」とレグルス国王様が言う。


「いえ、気にしないでください。こちらこそお待たせしてしまったようで」


 そう言うと、構わない、と言う風にレグルス国王様は首を振った。


「それで用というのはなんでしょうか?」


「本当に大したことではないのだがな、二人の様子はどうかと思ってな」


「アリシアとクラーラ様ですか?」


「ああ」とレグルス国王様が頷く。「楽しそうにやっているか?」


 俺は二人の姿を思い浮かべた。

 少し露出は多いと思うけど、可愛らしい制服を着て回って見せたクラーラ様。

 クラーラ様に勝とうと考えて、さっき俺にガラス玉にルーン魔術を使って飾りつけを見せてくれたアリシア。

 これは二人にとって勝負事なんだろうが、それでも辛そうな様子は見えない。

 確かに、レグルス国王様が言うように、楽しそうにやっているというのが正しいかもしれない。


 俺は答える。


「楽しそうにやっていますよ」


「そうか、それはよかった」


 レグルス国王様が柔和な笑顔を見せる。それはやはり父親としての笑顔なのだろう。


「俺からも一つ聞いていいですか?」


「ん? なんだ?」


「俺とアレクシス様のことですが、レグルス様がアレクシス様を止めることは出来たんじゃないですか?」


「どういうことだ?」


「ですから、アレクシス様が俺を認めなくても、あまり関係が無いというか。だって、俺がここに居ていいかどうかを最終的に決めるのは国王様ですよね? あなたが、いいと言えば、アリシアとクラーラ様が勝負をするようなこともなかったでしょうし。俺が剣技大会に出ることも多分なかったです」


「まあ、そうだな」


 少し楽し気に言う国王様に、俺は一つの確信を抱いた。


「もしかしなくても、楽しんでますよね?」


「はははははは! その通りだ、ヴァン。許せ。こうでもしなければ、アリシアとクラーラの姉妹喧嘩なんて見ることもなかっただろうし。それに、アレクシスがあれだけ感情的になっているのも珍しいことだ。もう少し楽しませてくれ」


 姉妹喧嘩、か。

 確かに、そう言われたらそうなのかもしれない。でも……。


「もう少し楽しませてくれって、そのせいで二人は俺と婚約を結んでまでここに引き留めようって話になってるんですよ?」


 それは父親としてどうなんだ?


「嫌か?」


「嫌、というか、そうまでしてもらうのは二人に申し訳ないというか――」


「そうではない」とレグルス国王様は口を挟んだ。「お前のことを聞きたい。二人のどちらかと婚約するのは、お前は嫌なのか? と聞いてるんだ」


 俺は少しだけ困惑していた。朝起きたら、全く身に覚えのないところに居たみたいな、そんな思考を空白に染める混乱が俺を襲った。

 だって、考えもしなかった。

 二人と婚約すること自体が嫌かどうかなんて。


 二人に申し訳ないとか、どうやったら二人に迷惑を掛けないようにできるだろうとか、そんなことばかり考えていたからだ。


 実際に、婚約することになったら、か。


 っていうか、父親の前で、「嫌か?」と聞かれて「嫌です」って言えるわけなくない?


 ふと我に返る。

 だけど、今、適した言葉も思い浮かばなかった。

 だから俺はとりあえず包み隠すことなく言った。


「きっと、光栄なことでしょう。俺の身に余るくらいに」


「ふっふっふ。まあ、それ以上の言葉は出てこんか」


 一体、何を考えているのやら。俺をいじめて楽しいか? と問いただしてやりたい。


「その件で、ヴァンに私も訊きたいことがありまして。よろしいでしょうか、陛下?」


 言ったのはハンスだ。


「構わん」


「ありがたきお言葉。ヴァン。お前は今、二人と婚約をしなくてもいいように剣技大会に出ようとしている。そうだな?」


「う、うん。まあ、自分の力でここに残るのに越したことは無いよね?」


「ああ、それはその通りだろう。だが、もしお前が負けた場合。お前は二人のうちのどちらかと、本当に婚約する気はあるのか?」


 ああ、そのことか。と俺は思った。

 同時に、ハンスはやっぱり目ざといなあ、と思わずにはいられなかった。


 誰にも言ってないけど、ずっと考えていたさ。そんなこと。

 だから、答えは出てるんだ。


「俺は、もし剣技大会で負けたらここを出ようと思う」


 ハンスはどこか納得したように腕を組んで、口を閉ざす。代わりにレグルス国王が口を開く。


「理由は……。聞くまでもないか」


「はい。アリシアとクラーラ様、二人のどちらが姉妹喧嘩に勝つとしても、俺が二人の経歴に傷をつけるわけにはいきません」


 だから、俺は実際に婚約を結ぶことなんて考えていなかったんだ。


「傷、か」


 レグルス国王様はその語感を舌の上で転がして確かめるみたいに、呟いた。


「いや、何も言うまい」とレグルス国王様は言う。「お前の考えを尊重しよう」


「ありがとうございます」


「礼を言いたいのはこちらの方だ。すまないな、時間を取らせて」


 レグルス国王様が言うと、ハンスが立ち上がった。衣服を綺麗に整えて、最後に右手でメガネを上げる。


「それでは、今日のところは私もこれで失礼します」


「うむ。ご苦労だった。グラン王国とは友好的になれそうで、俺も安心だ」


「ありがたきお言葉」


 どうやら、二人、というか、二国の関係は良くなるそうだ。詳しくは知らないけどね。

 俺たちは談話室を出る。


「じゃあな、ヴァン。建国祭は俺もアリシア殿下のお店に寄らせてもらおう。楽しみにしている」


 立ち去ろうとするハンスを俺は慌てて引き留める。

 俺はハンスにも用があるのだ。


「ちょっと待って、ハンス」


「どうした?」


「頼みごとがあるんだけど」


 少しの沈黙があった。ハンスが大事な書類に何か見落としが無いか確かめるような沈黙だった。それからハンスは慎重な口ぶりで言った。


「言ってみろ」


「その建国祭のことなんだけど」


 俺はハンスに一つの相談を持ちかけた。

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