ルーン魔術師と姉妹の勝負・3
建国祭に向けての盛り上がりは燃え上がる炎にまきをくべていくようにどんどんと高まっていく。
王宮から王都に降りると、特にその様子がよくわかる。
まず往来が増えた。馬車が外から王都にどんどんとやってくる。王都の中でも、人の動きが止まない。王都の西から東へ、北から南へ、あるいはその逆もある。とにかく人があっちからこっちに動き回っている。
馬車の音、会話、物を引きずる音、様々な音が飛び交う。それでいて空気はどこか浮ついていて、人々が祭りのことを楽しみにしているのがよくわかった。
まるで、王都が一つの生き物になったような、そんな不思議な一体感があった。俺もその一部なのだろうか、とふと考える。多分そうだろうと思うと、なぜかそれだけで楽しくなってくるのは、あまりにもこういうことに慣れていないからだろうか。
とにかく、俺自身、建国祭を楽しみにしていた。グラン王国にいたままでは、こんな感覚を味わうことは難しかったかもしれない。いや、それもあるが……。
俺は大広場に向かって王都を一緒に歩いているアリシアを見る。村娘を思わせるような目立たない衣服に、大きな帽子。髪も結んで、メガネを掛けている。いつもの華やかさは無いが、別の可愛らしさが内在している。
俺の視線に気づいたのか、アリシアが俺のほうを見る。左手で横の髪を左耳にかけるように持っていくと綺麗な形をした耳と白くて細い首筋が見えた。目線を少しそらすと、メガネの奥に見える暖かみを感じさせる綺麗な瞳と視線が合う。
アリシアは少し驚いたように目を見開いたが、それは一瞬で、次には目を細めて、唇で薄い弧を描いていた。
「どうかしましたか?」
「ううん、何も。ただ、建国祭が楽しみだなって」
「そうですね。わたしもです」
太陽もうらやむような笑顔で言うアリシアを見て、俺は思う。例えば俺が一人でこの国に来ていたとして、この建国祭を今のように楽しみに待てただろうか。
多分、剣技大会に出ようということもなかっただろうし、誰かを応援するということも無かっただろう。ただ、ぼんやりと王都を歩いて、祭りの熱に浮かされて、適当に時間を過ごしていたんじゃないだろうか。
そんな自分を少し想像してみると、それはすごく退屈なことのように思えてしまう。俺がこんなに建国祭を楽しみにできているのは、アリシアたちが居るからかもしれない。
全部がうまくいけば本当に良いのだが。都合のいい考えだろうか。
「ヴァン」とアリシアが俺を呼ぶ声が聞こえて、俺は思考の海から這い出る。
「なに、アリシア」
「大広場に着きましたよ」
随分とぼうっと歩いていたみたいだ。
見れば、俺の体はすでに大広場の入り口を前にしていた。恐ろしきかな考え事。
大広場の中は、もっと人の往来が激しかった。大きな荷物を運ぶ人や押し車が左から右へ、右から左へと流れていく。その流れには切れ目が無く、壁のようにも見えてしまう。
今から俺たちはこんなところに入っていくのか。
少しだけ億劫になっていると、アリシアから声がかかる。
「あの、手をつないでもいいでしょうか?」
「手を?」
アリシアはちらちらと視線を俺に向けたり外したりしている。はぐれてしまいそうで不安なのかもしれない。俺は迷わずに右手を差し出す。
「はぐれたら危ないし、そうしようか」
「……もうちょっと、意識してくれても……」
「どうしたの?」
「な、なんでもないです。えっと、じゃあ、では……」
なんだか恐る恐る俺の手を取るアリシア。危険物か何かだと思われているのだろうか? いや、アリシアから言ってくれて流石にそれはないか。……。ないよね?
アリシアと共に、人の流れの中へと足を踏み入れる。
出来るだけ人にぶつからないように、俺たちは身体を寄せる。
「こんな人だかりをどうにかできるルーンでもあるといいんだけどな」
と俺は冗談半分で言ってみる。
「な、無くて良かったです」
アリシアが何かつぶやくが、雑踏の音に流されて俺の耳までははっきりとした音が届かなかった。俺は少し腰を曲げて顔を寄せて聞き返す。
「ごめん! なんて言ったの?」
「ひゃっ! なななな、なんでもないです!」
「そう?」
俺は身体を起こす。まあ、なんでもないならいいか。
それから俺たちは無言で歩き、何事もなく目的地に到着する。
アリシアがお店を出店する区画だ。俺たちは、お店の様子を見に来ていたのだ。
見た限りでは、すでに設営はかなり進んでいて、少しホッとする。
「ヴァン!」
声の方を見ると、そこには一人の少年が立っていた。
孤児院のザロだ。
彼はいかにも少年らしい笑みを浮かべて誇らしげにそこにいた。
「どうよ? この店は。中々立派に出来てるとは思わないか?」
快活にいうザロの視線の先には、見事な露店が立っている。
「すごいです! ザロ、ありがとうございます」アリシアが言う。
「い、いえ、そんな! そ、その、アリシア、殿下のためなら!」とザロが姿勢を正して緊張した様子でいう。
今回、人手不足をどうしようかという話になった時に、孤児院を頼ってみてはどうかという意見がディアンからあった。孤児院の院長さんに相談したところ、むしろ進んで手伝わせてほしいと言ってくれて、年長者を人手として借りることが出来た。
俺たちの力にもなりたいし、この建国祭で仕事が貰えるというのは孤児院としてもありがたいことらしい。
それからミラがなんとか手配してくれた王宮の人が数人で、人手はギリギリだけど間に合った。
そして、ザロが緊張している理由だが、出店の手伝いを頼むに当たってアリシアと俺の立場を打ち明けないわけにはいかなかった。どちらにせよ、一緒に働くのだから、どうせバレるだろう。
それ以降、彼はずっと緊張しっぱなしのようだ。
そんなザロが口をすぼめてすねたように言う。
「ただ、あの隣の……」
とつまらなさそうにザロは隣の店を見る。
そこには、ザロたちが設営した店の二倍以上は大きな露店(露店というよりかは、もう小さなお店だ)が立っている。装飾も綺麗で整っていて、すでに多くの人の目を惹いて、人だかりを作っている。
そこにあったのはクラーラ様のお店だった。
「建国祭はよろしくお願いしまーす!」
ミニスカートに、胸元が少し開いた可愛らしい制服に身を包んだ店員さんの声が響く。彼女が声を上げると、人だかりからも声が上がる。
勝負はすでに始まっていることを、嫌でも実感せずにはいられなかった。
「あら、ヴァンじゃない」
聞き覚えのある声とともに人だかりが割れる。
人の谷が出来て、その奥には、クラーラ様がいた。姉妹ということもあってやはりアリシアとよく似ている。だけど、感じさせる印象はまるで違う。
アリシアにはどこか柔らかさのような物を感じるが、クラーラ様からは鋭さを感じるのだ。だけど、やはりそれも、魅惑的な鋭さだ。
人目を集める彼女は、まるで視線を空気と同じとでも思っているように、意にも介さずこちらに歩いてくる。
「どうかしら? この制服、王宮のメイド服を作っている仕立て屋にメイド服を改造させたの。可愛いでしょ?」
俺の前まで来たクラーラ様は制服の開いている胸元を強調するように少し前かがみになって、挑発的な笑みを浮かべる。
俺はすぐに目をそらす。少しドキリとしたのは内緒だ。いや、勘弁してほしい。
「あの男、一体何者なんだ?」「どこかの貴族様か?」「いや、クラーラ様にあれだけのアプローチをうけているんだ他国の王子様とかかもしれないぞ」
ほら。周りの人があらぬ疑いを掛けているじゃないですか。
だけど、クラーラ様は全く気にしていない。
「あの、王女様がこんなところでしていい格好ではないと思うのですが」と俺は言う。
「そんなことないわ。魅力を見せるのも仕事の一つよ」
ちらりと、クラーラ様の視線が俺の隣に移される。そこに居たのはアリシアだ。『あなたはどうなの? そんな地味な格好をして』そんなセリフが聞こえてきそうな視線だった。
それはアリシアにも伝わったのか、少し頬を膨らませ、「むむむ」とうなっている。
「で?」と視線を俺に戻したクラーラ様が言う。
「で?」真意が読み取れず俺は聞き返した。
「この格好よ。どうかしらって聞いてるの。可愛いとか、可愛いとか、可愛いとか。何も思わないの?」
「一択しか無いじゃないですか」
「当たり前じゃない」
自信に満ち溢れた様子で彼女は言う。右手を自分の胸に当て、左手でミニスカートを少し上げる。そのまま、周囲の人間に見せびらかすみたいにくるりと回る。
おおっ、と周囲から歓声が上がる。
それからクラーラ様は俺にウィンクをする。俺はまた不覚にもドキリとする。
「魅力的でしょ?」
まさにそのとおりだが、なんだか悔しいので素直に肯くのはやめておいた。それに下手な返事をしようものなら、周囲の人たちから恨みを買ってしまいそうだ。もう両手いっぱいに買っているのかもしれないけれど。
「あの、それで。どういう用があってここに?」
「強情ね。まあ、あなたにこの格好を見せたかったというのがここに居る大体の理由よ。それからついでに言いたいことがあって」
「ついでに?」
「ええ。このままじゃ、勝負にもならないわよってね」
それを言いに来るのが本来の目的じゃないのか? と疑わずにはいられない。
「じゃ、わたしも仕事に戻るわ。ごきげんよう」
そう言ってクラーラ様は自分のお店の方に戻っていく。
彼女が去って行ったのを見てザロが言う。
「でも、クラーラ様が言ったように、もうちょっと店の外観とか、どうにかしないと、本当に勝負にならないと思う……ます」
「……。そうですね。何か……。しないと」
そういうアリシアは落ち着きを取り戻しているようだった。むしろ、クラーラ様に刺激されてより集中した様子になっている。
人目につきすぎるのも良くないと思い、俺はアリシアの手を引いて、露店の中に誘導する。適当な椅子を見つけたので、そこに座らせた。
アリシアは、静かに思考を深めていった。深い井戸に、重石をゆっくりと沈めていくような慎重で落ち着いた思考に感じる。大広場の喧騒は、思考の深いところにいるアリシアにはもう届いていないようだった。
それから、アリシアの考えがまとまるまで、俺はザロと話したり、喧騒に身をゆだねたりしてみた。
アリシアと一緒に何か案を出そうとするのは簡単だ。だけど、時には一人で考えることも大事なのだ。ルーン魔術師としても。
アリシアは今、無意識にそれを始めている。それはルーン魔術を教えている身として邪魔をしてはならないように思えた。
昼過ぎに、ミラが露店に様子を見にやってくる。そこでようやく、アリシアは思考の深いところから上がってきた。俺たちは、露店をザロたちに任せて王宮に戻る。