ルーン魔術師とハンス・2
クラーラ様も部屋を出ていき、俺とアリシアとハンスの三人が残された。
「さて、とりあえず、聞きたいことは色々あるが……」
言いながらハンスの目線はアリシアを向く。
「どうしてお前はそんなにアリシア殿下と親密になってるんだ?」
「し、親密っ!?」とアリシアが驚く。
「親密って、ハンス。失礼じゃない? アリシアは王女様なんだよ?」
「……。普通、その王女様を敬称もなく呼ぶことは無いのだがな」
何か、小声でつぶやくハンスの言葉は俺の耳には届かなかった。
全く、俺はルーン魔術を教えているだけだ。
「あれ? そう言えば、ハンスはアリシアのことを知っていたの?」
アリシアのことを紹介される前に、ハンスはアリシアにちゃんと挨拶していた。それは彼女をアリシアと知らなければ出来ないことだろう。
「ああ。リューシア女王の即位式に顔を出していただいていたからな。覚えているよ」
「そっか。俺がグラン王国でアリシアに出会ったのも、アリシアが即位のお祝いに出向いたからだもんね。うーん、でも俺とアリシアは親密って訳じゃなくて――」
「ヴァ、ヴァンっ?」
「ど、どうしたのアリシア?」
なぜか泣き出しそうな顔で俺を見るアリシア。
「そ、そんな、親密じゃないなんて……」
「え? い、いや……。えーっと。ほ、ほら、俺とアリシアはうーん。そう、師弟関係っていうのかな? だから、親密っていうのとは、その違うんじゃないかな?」
「別に、親密でもいいだろ。師弟関係でも、親密になることくらいある」とハンスが言う。
「そうですよ、ヴァン!」
「うーん、じゃあ、そう、なの、かな?」
「それで、師弟関係と言ったがヴァンは何を教えてるんだ? 俺が知るに、お前はルーン魔術以外特に人に教えられるようなことは無かったと思うが」
失礼な。……まあ、そのとおりなんだけど、そんなにはっきり言うかね? 俺の心がズタボロになってしまう。
「そのルーン魔術を教えてるんだよ」
「ルーン魔術を? それは、ヴァンの、古代ルーン魔術を、ということか?」
ハンスの表情が変わったのが分かった。深刻な問題を目の前にしたみたいな、真剣な顔つきになる。
「そうだけど」
俺の言葉に、彼は左手で口元を覆って考えていた。視線は地面に落とされていたけど、もっとずっと下の方を見ているようにも思えた。やがて、その視線は役割を思い出したかのようにアリシアへと移される。
「アリシア殿下は、古代ルーン魔術を使えるのですか?」
「はい。使えます」
「……そう、ですか」
「どうかしたの?」と俺が訊く。
「俺は……。お前以外に、古代ルーン魔術を使える奴を知らない。これまで、色んな奴に試させた。だが、その誰もが使うことはできなかった」
「そうなんだ。そういえば、結局ディアンも使えなかったなあ。何でなの?」
「分からん。お前とアリシア殿下に、何か共通するところがあるのかもしれないが……」
「でしたら、魔力が少ないことではないでしょうか」とアリシアが言った。
だが、ハンスは首を横に振る
「いえ、魔力が少ない者にも試させたことがあります。ですが、やはりうまくいかなかった」とハンスはアリシアに丁寧に言う。
「そうなんですか」
アリシアが言った。
俺とアリシアに共通点?
考えていると、ハンスが言った。
「……。もし、どうしても気になるなら、クロノスさんに会いに行け」
「師匠に?」
「ああ。きっと彼なら知っているはずだ」
師匠なら知ってそうだ。なんだかそんな気がする。
「でも、会いに行くって言っても魔族領にいるってことしか知らないからなあ」
「俺が、クロノスさんがどこにいるか知っていると言ったらどうする?」
「知ってるのっ!?」
「例えばの話だ」
「……。まあ、それでもしばらくはここに居るよ」
それは俺の中で決まっていた一つの答えだった。
「そうか。とりあえず、アリシア殿下がルーン魔術を使えることは置いておこうか。何故使えるか、俺たちがそれを突き止めるすべはない。それより、王宮を離れてどうしていたのか聞かせてくれ。お前が王宮を出てから、どうなったのか。俺には少し興味がある」
「分かったよ」と俺は言った。
それから、俺がどうしていたのかを話した。
ハンスは興味深そうに話の一つ一つを聞いていた。時折、質問もされた。俺はまたそれにこたえる。合間に、アリシアが俺の活躍を話した。俺は少し恥ずかしくなるが、ハンスはそれもなんだか楽しそうに聞いていた。途中で、ミラが紅茶とお菓子を持ってきてくれた。俺たちは喉を紅茶で潤して、話を続けた。ミラの紹介もした。ハンスは相変わらず背筋を綺麗に伸ばした格好で聞いていた。全部聞き終えると、ようやく仕事が終わったみたいに背もたれにすがった。深い息を吐いていた。
「なかなか、大変みたいだったな」
「全くだよ」
「それに大した活躍じゃないか」
「はい! ぜひ後世に残したいくらいです」とアリシアが同調する。
「いいですね。どうですか? 私の商会を上げて、ヴァンの活躍譚でも本にして残しましょうか」
「そ、そんなことが出来るんですか?」
「もちろんです」
俺はそんな二人に言う。
「盛り上がってるとこと悪いんだけど、恥ずかしいからやめてくれない?」
「そ、そうですか……。ヴァンがそう言うなら」
そう言ってなかったら本当にするつもりだったのか?
妙にがっかりしているアリシアに、俺は一種の恐怖を感じる。
「それにしても、レグルス陛下からもすでに聞いていたが、国の中枢に魔族がいたとはな。それで成り立っていたのだと言うと、すこし驚きだ。さぞ、そのゼフとやらには個人的な野望があったのだろうな」
「……。そうだね」
「一応、気を付けておいた方がいい。他にも魔族はいるかもしれない。むしろ、いないと思う方が無理がある」
ハンスの忠告に俺は肯いた。
「さて」とハンスが立ち上がる。「今日はこれで俺も帰るとしよう」
「帰るって、グラン王国に?」
俺が言うと、ハンスは笑った。今日初めて笑ったように思えた。いや、もしかしたら俺はこの男が笑ったのを初めて目にしたのかもしれない。旧交を温めるとは言っていたが、俺の中では、なにかもっと不思議な感覚が湧き上がる。
「ははは。まさか。しばらくはラズバード王国にいる。ただ、部下は市井に待たせていてな」
「そうなんだ。ガルマは、確か部下を連れて来てたけど」
「そのガルマのせいでな。俺も、ここに入るのにいろいろと条件を出されている。武器、防具の所持の禁止。部下の立ち入りの禁止。決められた場所以外の立ち入りの禁止。……とかな。むしろそれくらいの処置でここに出入りさせてもらって助かるが」
「そ、そうなんだ。大変だね……」
「そう、大変なんだ。色んな会議で、王宮に来ることはまだ何度もあるだろう。その時にまた会おう」
部屋を出ていこうとするハンスを俺は慌てて引き留める。
「ちょ、ちょっと待って」
「なんだ?」
「聞きたいことがあって」
「ルーン魔術のことなら、本当に俺は詳しくは知らんぞ」
「そうじゃなくて、別の話でさ。建国祭のことで相談したくて」