ルーン魔術師と野宿
アリシアとディアンに護衛の依頼を受けて二日目の夜だった。
「明日の昼には、カフラにつくだろう」
ディアンがそう言って焚火の前に腰を下ろした。
カフラというのは街の名前だ。
王都ほど大きい街ではないが、それなりに大きい街らしい。もちろん、俺が行くのは初めてだ。
「食い物と、あと服も買い換えないとな」
「服?」
確かに買い換えないよりはいいと思うけど、食料と並んで優先するほどには思えなかった。
「あぁ。何者かに狙われていると分かった以上、この服で移動し続けるのもな」
なるほど。
確かに二人の服は汚れてはいるが、上等なつくりをしていることは簡単に分かる。
特にアリシアの服なんて、やんごとなきって言葉がぴったりなくらいに、細部までこっている。
このまま移動するとなると目立つのは必至だろう。
「それにしても、ルーン魔術師は何でもできるんだな。簡単に火も起こせるなんて。魔法師が泣くんじゃねえか?」
「あはは。何でもはできませんよ。火を起こせるといっても、ルーン魔術では、何もないところからは火を起こせません。燃えるものに【発火】のルーンを刻んでようやく炎を出せます。魔法師はその身一つでいろいろできますけど、ルーン魔術師はちゃんとした準備をしていないと実力を発揮できませんから」
「そうなのか。さて、そろそろ休もうか。昨日は俺が先に休ませてもらったからな。今日は先に休んでくれ」
俺とディアンは見張り番を交代でやることにして、昨日は俺が先に見張りをしたのだ。
だから、今日はディアンが先にかって出てくれた。
「じゃあ、そうさせてもらいます」
「姫様。姫様も、もうそろそろお休みになられたほうがいいでしょう」
ディアンが声をかけた先では、アリシアが地面を見つめてうーん、うーんとうなっていた。
「い、いえ。もう少しだけ……」
アリシアが見つめる先には、彼女が書いた【発芽】のルーンが刻まれていて、その上にちょこん、と本当に小さく芽が出ている。
俺が彼女に教えた最初のルーンだ。
効果は、植物の芽が出るだけというもの。初歩中の初歩で、特殊な環境じゃなかったらどこでも練習できる。俺が師匠に初めて教えてもらったのも【発芽】だった。
ちなみに、ディアンにも教えたのだが、彼が書いたルーンは発動すらしなかった。
結局、「俺はおとなしく剣の腕を磨くよ」といってあきらめてしまった。
アリシアが発動できたのは才能もあると思うが、何が何でもできるようになってやるという思いの強さだろう。
まるで、十年前、俺が初めてルーン魔術を教えてもらった時のような集中力をしているのだ。でも、
「アリシア。ディアンの言う通り、そろそろ休みましょう」
明日も移動しないといけないのだ。
「うぅ……。わかりました。明日も教えてくださいねヴァン」
「はい。任せてください」
そう言って、俺は横になる。
アリシアは立ち上がると、こっちまで歩いてきて、俺にくっつくように丸くなった。
「あ、アリシアっ!? な、なにをしてるの!」
「何って? 休むところですが」
「い、いや。これはさすがに――」
「だって、ここが一番安心できます」
満面の笑みで彼女はそう言った。
「安心できるって言っても」
これはどう考えてもまずくないか? いや、まずい。
何もする気はないけど、これにはディアンも――
「確かに。いい考えです姫様」
もう知らない。
アリシアが俺にしてくることでディアンに頼るのはやめよう。
決めた。今、決めた。
ディアンが頼りにならないと分かった今、俺が自分でいうしかない。
「アリシア。ディアンはああ言ってるけど、俺はやめたほうがいいと――」
「すぅ……」
すでに寝息を立てていた。
「ヴァン。静かに、姫様が起きてしまいます」
ディアンは小声でそんなことを言ってくる。
何を言ってるんだこいつは。
俺はそーっと移動しようとする。
「ヴァンさん」
だけど、ディアンが小声で、でも、今度は少しだけ真剣な声で、俺の名前を呼んだ。
「姫様は、魔力が少なく、そのせいで、王宮でも少し冷たい扱いを受けていました。と、言っても王族ですからそれほどひどいものではなかったのですが、アリシア王女のお兄様やお姉さまは優秀な方で、あの方たちと比べると、その冷遇は浮き彫りになるほどでした」
急に何の話だろう。
「それを、姫様も、感じ取ったのです。それから、ふさぎこみがちになり、笑うこともなくなりました。俺は、うれしいです。久しぶりに、姫様のあんな笑顔を見ることができて。この二日間、姫様は本当に楽しそうにしていました。ありがとうございます。ヴァンさん。これも全てあなたのおかげです」
アリシアに、そんなことがあったのか。
膝元で、気持ちよさそうに寝息を立てている彼女を見て、俺は少し感傷的になっていた。
うん?
でも、
「今あんまり関係なくない? アリシアがこんなに近くで寝るのはいいの?」
ディアンはニッと笑い、いつもの声のトーンに戻った。
「大丈夫だ。ヴァンは変なことをする人間じゃないと俺はこの二日で分かった。それなら姫様のしたいようにやらせてあげたい。それに、」
「それに?」
「ヴァンならいいんじゃないか?」
いいわけあるか。こいつを近衛騎士隊長にしたやつは何かミスってるんじゃないか?
それから、離れようとしたが、ディアンが懇願してくるので、仕方なくアリシアの近くで睡眠をとった。
アリシアの寝息が気になってドキドキしていたのは最初だけで、いつの間にか俺もねむっていたらしい。
ディアンにそっと起こされ、見張りをしながら、朝を迎えた。
それから、歩いて、太陽がちょうど真上に来た頃。
俺たちは無事にカフラに到着した。