ルーン魔術師とハンス・1
「ヴァン様! アリシア様もお戻りになったんですね?」
王宮に戻った俺たちを慌ただしく迎えてくれたのはチルカだった。
栗色の髪を彼女らしく元気に揺らして近寄ってくる。
「どうしたんですか、チルカ」とアリシアが言った。
「あの、それが、レグルス様がヴァンをお呼びになっていまして」
「俺を?」
首をかしげる。
「はい。なんでも、お客様が来られたと」
「お客さん? 俺に?」
再度首をかしげる。
誰だろう?
「はい。それで、ちょうどお呼びに参ろうとしていましたところ、お戻りになりましたので」
「そうなんだ。ありがとう、チルカ」
「いえ、そんな。わたしは命じられたことをやっているだけですので。それでは、ご案内しますので……」
と言いかけて、チルカは何かに気が付いたように、俺の身体を上から下に視線を動かし、それから右に回り込んだり左に回り込んだりした。それはまるで高価な置物に傷が入っていないか確かめるような動きだった。
俺はいたたまれなくなって訊いた。
「えっと、何をしてるの?」
「まさか、その格好で行くおつもりではありませんよね?」
俺は自分の服を見た。
あー……。なるほど。
さっきの模擬戦で俺の服はなかなかに汚れていた。
特に、煙幕を張るために使った【爆発】のルーンが良くなかったかもしれない。ところどころに煤がついている。
「で、でも、待たせるのは失礼なんじゃないかな」
「汚れた格好で行かれる方が失礼ですよ」
ごもっともである。
アリシアの方を見ると、彼女も静かに肯いた。
「それでは、まずはお召し物を交換致しましょう。それではこちらに」
有無を言わさぬような口調に、俺はたじたじとついて行くしかなかった。
*
着替え終わり、一品物のローブを手際よく洗濯に回されてしまった俺は、これまた手際よく形式ばった礼服をチルカに着させられた。お人形になった気分だ。
加えて、姿見鏡の前に立たされると、「礼服姿もかっこいいですよ!」などと興奮した様子で言われるので、お人形気分も増すというものである。
こんなかたっくるしい物を着るくらいなら汚れたローブの方がいいのだが(着心地的にも、安心感的にも)、それは俺の事情だ。相手に押し付けるわけには行かない。
着替え終わると、化粧室の外で待たせてしまっていたアリシアが迎えてくれる。
「似合っていますよ、ヴァン」
と、にこりと笑いながら自然に言うアリシア。
どうして、こう、この王宮の人はこんなにお世辞がうまいのだろう。本当に似合っていると俺も思ってしまうくらいの名役者ぞろいに内心苦笑する。
ただ、お世辞だがそう言われて答えないわけにもいかないので、俺も「ありがとう」と返す。
もう王宮の大体の場所は頭に入っているのだが、これもメイドの役割だ、と言い張るチルカに案内されるままに廊下を歩く。
隣を歩くアリシアがちらちらと俺のほうを見ているのに気付いた。
「どうしたの?」
「い、いえ。なんでもありません」
やっぱり礼服が似合っていないのだろう。きっと、この似合わなさが気になっているに違いない。
俺はこれ以上悲しくなるのも嫌なので、追及するのはやめた。
いつもの談話室まで案内された後、チルカは小さくお辞儀をして去って行くのを見送り、俺は扉をノックする。
「ヴァンです。俺にお客さんが来ていると聞いてきたのですが」
「入れ」
聞こえてきたのはレグルス国王の声だ。
俺は扉を開く。
そこには、レグルス国王とクラーラ様。
そして、もう一人。
そいつは、あまりにも綺麗すぎる姿勢で椅子に座っていた。俺のほうを振り返ると、彼はいつもそうするように、自然な動作で右手でメガネをあげた。
「久しぶりだな、ヴァン」
「ハンス……」
七英雄の一人、ハンス・ホード。
俺はその姿を見た瞬間に、思わず眉をまげてしまった。
困惑と、ある種の拒否反応が混ざりあう。
どうしてここに居るんだろう。も、もしかして、俺にまたバカみたいな量の仕事を振ってくるのだろうか?
俺は一歩後ずさる。
頭の中で、ぐるぐると過去の思い出がやってきては去っていく。
『ヴァン、この仕事を――』
『かかる費用は――』
『ヴァン、さっきの仕事だが――』
『この前の儲けは――』
『その仕事は――』
……。
同じようなことしか言ってないな、コイツ。
つまるところ、金と仕事なのだ。それ以外の話を聞いたことが無い。そもそもいつも忙しそうにしていて(人のことを言えた義理ではないが)聞く機会もなかった。
「一体、何でここに――」
言いかけた時、俺の前にアリシアが立つ。
「ヴァンにひどいことはさせません」
ハンスは立ち上がり、アリシアを見た。いや、アリシアよりも三十センチ以上背が高いハンスからは見下ろしたと言ったほうが正確か。
それから、俺のほうに目線を送り、軽く口角を上げた。嫌味な感じじゃない、やれやれ、と言った感じだ。
最後にもう一度、アリシアに顔を向けると、その場で跪いた。
「初めまして、アリシア殿下。私は、グラン王国で商会議長を任されております。ハンス・ホードでございます。本日は、先日、大変な迷惑をおかけしたガルマの件に関しまして、グラン王国の代表として謝罪に参りました次第でございます。ヴァンには、こちらからは一切の手だし、口だしはございません。アリシア殿下がご心配なされていますような、ことはありませんので、どうかご安心ください」
つらつらと、温度感の無い、ただ誠意だけは感じ取れる口調でそう言った。
アリシアは、「え? え?」っと困惑してる様子だ。俺のほうを振り返って上目遣いで、困っている様子は、親に放り出された小動物みたいで見ていてとても可愛らしかった。
「アリシア」とレグルス国王が言った。
「は、はい。お父様」
「二人が来るまでに、ハンス殿からは話を聞いた。正式に、書状もいただいた」
そう言ってレグルス国王が分厚い封筒を見せる。
「彼にここで何かする気は、本当にないようだ」
「信じてもいいのですか?」とアリシアが訊いた。
「俺は、なにもグラン王国と喧嘩がしたいわけではないからな。ちゃんとした謝罪があるなら受け入れる」
「……。わかりました」
しぶしぶと言った様子でアリシアは引き下がった。
「さて、ハンス殿。今日は、これでおしまいにして、細かい話は明日から大臣なども交えて進めよう。それでいいかな?」
「もちろんです。この度は、寛大なご対応をいただきありがとうございました」
「気にするな。さて、それでハンス殿はこれからどうするおつもりかな?」
「もしよろしければ、少しヴァンと話がしたいのですが、構いませんか?」
「それは、どういった類のものだ?」
「ご安心を。口だしとか、そういったことではありません。雑談です。旧交を温めようというだけです」
旧交?
俺たちとの間に温めるほどの旧交があっただろうか。
レグルス国王がこちらを向く。俺に答えを求めているようだった。
「えっと、まあ、雑談ということなら」
変なことをされるんじゃないというなら、俺には断る理由は特になかった。それに、俺にもハンスには用があったんだ。そこに旧交というものがあるかどうかは置いておいて。
レグルス国王が肯いて立ち上がる。隣で、綺麗な花のように静かに座っていたクラーラ様も立ち上がった。二人が部屋を出ていく。出ていくとき、クラーラ様が言った。
「アリシア、行きましょう」
きっと気を使ってくれているのだろう。
だけど、アリシアは立ち上がらない。
「わたしも、一緒に居てはいけませんか?」とアリシアが言った。
「構わないよ」と俺は言った。
「いいの、ヴァン? 久しぶりに会えた旧友なのでしょう? 二人きりの方が良いと思ったんだけれど」
クラーラ様が言う。
旧友ではないけどね。ただ、今はその話はどうでもいい。
「いや、アリシアにも居てほしいんだ。それにほら、ここまで何があったかを話すのに、アリシアもいると話しやすいし」
「そ」とクラーラ様は息を短く吐くみたいにそっけなく言った。「後で誰かにお茶でも用意させるわ。では、わたしはこれで」