ルーン魔術師と弟子の努力の成果
午後になり、俺がアリシアの部屋でルーン魔術を教えていた時の事だった。
コンコン、とノックの音が鳴る。
「わたしよ」
扉の奥からクラーラ様の声。
国王様との話が終わって来たのだろうか。
「わたしが出ます」
そう言って、ミラさんが扉を開ける。
「ごきげんようミラ。入れてくれるかしら?」
「申し訳ございませんクラーラ様。アリシア様は勉強中でございます。一度お引き取りください。伝言がございましたらお受けしますが」
「いいじゃない別に」
「申し訳ございません。なりません」
ひえぇ……。
ピリピリとした空気が、すぐそこから伝わってくる。
「ミラ。そこをどきなさい。クラーラ様のご命令だ」
ミラさんのでも、クラーラ様のものでもない女性の声が聞こえてきた。
「カタリナ。わたしはアリシア様の従者です。アリシア様の事を一番に考えて行動するのが私の勤めです」
ちらりと見ると、長い金の髪が見えた。それと、巨大な剣。
あの時、謁見の間でクラーラ様の隣で片膝をついていた人だ。
「カタリナ。口を挟まないで」
「申し訳ありません。クラーラ様」
きっと彼女はクラーラ様の従者なのだろう。
何となくだがそれは分かった。
「ねえ、どうしてもだめ? 本当に邪魔はしないわ。わたしとしても、ヴァンという人物がどんな人なのかを見ておきたいの。結婚とか、そういう話じゃなくてね」
「いいですよ」
声がしたのは俺の隣からだった。
アリシアがそう言ったのだ。
俺はただただ驚いていた。
「アリシア様……」
ミラさんも振り返ってびっくりしている。
「邪魔をしないのでしたら、問題ありません。どうせ、引き下がらないのでしょう? クラーラお姉さま」
「ええ。引き下がるつもりは無いわ」
「はぁ……。ミラ。入ってもらってください」
「……。分かりました。どうぞお入りください」
ミラさんが二人を招き入れる。
「さっきぶりですね。マイダーリン」
軽く手を振りながら、入ってくるクラーラ様。
結婚したつもりは無かったのだが、クラーラ様の中では俺はすでにダーリンらしい。はた迷惑な話である。
そのまま、クラーラ様は我が物顔で、アリシアのベッドに腰をかける。
カタリナと呼ばれていた彼女は、クラーラ様の隣に立ち、腕を組んでいた。
口を真一文字に結び、なぜか俺を睨んでいる。もう何なんだ一体……。
「はあ」
と、ため息をついたのはアリシアだ。
「ごめんなさいヴァン。こんな状況ですけど、続きを教えていただいてよろしいでしょうか」
「う、うん。そうしようか」
俺も半ば現実逃避気味に、アリシアにルーン魔術を教えることに集中することにした。
「えっと、じゃあ、気を取り直して、新しいルーンも勉強しましょうか」
「新しいルーンですか!」
アリシアが目を輝かせる。
やっぱり、新しいものを覚えるときって楽しいよね。
俺もそうだった。どんなに酷い環境で修行してた時も、師匠が新しいことを教えてくれる時は、いつも楽しかった。
だから、クラーラ様の圧を感じるこんな状況でも、アリシアが楽しそうなのがちゃんと分かる。
「ふぅん」
後ろから、そんな声が聞こえてくる。
いや、気にしない気にしない。
「それで、なんのルーンですか?」
「ああ、えっとね、自分の身を守るための基本的なルーンだよ。【光盾】のルーン。明るい場所ならどこでも使えるルーンだ」
「あ、確か、冒険者ギルドで戦った時に使ってたルーンですよね」
それは俺たちがカフラの街に言った時の話だ。
冒険者のグレイさんにトロール退治についていく許可をもらうために一戦交えた事がある。確かに、そこでも使っていた。
本当に、よく覚えてるなあ。
「こういうルーンで、ちょっと複雑なんだけど……」
俺はひとつルーンを描く。
アリシアは張り付くように俺の手元を見ていた。
「な、なるほど。確かに、今までに比べて複雑ですね」
俺が描き終えたルーンを見てアリシアがそんな感想を漏らす。
「じゃあ、とりあえず描いてみようか」
「はい!」
アリシアがペンを取る。
紙にペンを走らせて、ひとまずルーンを完成させる。
初めてにしてはなかなかいいように見えた。
ルーンを描くのは、文字を書いたり、絵を描いたりと一緒で、基本がついてくれば、初めて描くルーンでもそこそこ綺麗にかける。
つまり、初めて描く【光盾】のルーンをそこそこ綺麗に描けているのは、アリシアに基本が身についてきた証拠だった。
なんだか感慨深いものがある。
「それで、それがどうなるの?」
そう言ったのは、ベッドに座るクラーラ様だった。
足を組んで、膝に肘をおいて、頬杖をつきながらこっちを見ていた。
「えーっと、まあ、とりあえず俺のを使ってみようか」
そう言って、俺は自分が描いたルーンに魔力を込める。
紙が輝き、そこから、光の盾が出現した。
「これは……。これがルーン魔術? こんなの初めて見た……」
クラーラ様が呟く。
そう言えば、ガルマも、俺のルーン魔術は古代ルーン魔術だ、なんて言ってたっけ。
まあ、今はどうでもいいか。
「このルーンはこんな風に、光の壁を作るんだ。硬さは、練習次第でかなり硬くなる。魔法が飛んできたり、敵の攻撃を少しの間防いだりできる。ただ……」
と、説明している間に、光の盾は消えてしまう。
「こんな風に、効果時間が短い。発動するタイミングが重要になってくるルーンだ」
アリシアが頷く。
「じゃあ、アリシアもやってみようか」
「アリシアにできるかしら?」
クラーラ様が挑発するようにそう言う。
アリシアは自分で描いたルーンを持ち、深呼吸をしていた。
「クラーラ様」
俺はその間に、クラーラ様に声をかける。
これだけは言わないといけないことがある。
「何?」
「ルーン魔術は、ルーンさえ完成させていたら、誰でも使えます」
「ふぅん」
「それに」
アリシアが、ルーンに魔力を込める。
紙が輝く。
「……うそ」
クラーラ様が呟いた。
アリシアの前には、光り輝く盾が出現していたのだ。
「アリシアは、ルーンをちゃんと完成させられます。それだけの努力をこれまでしてきましたから」
「で、できましたっ!」
アリシアが満面の笑みを浮かべる。
「はい。よく出来てます」
クラーラ様は、盾が消えるまでの数秒間。目の前の光景が信じられないみたいに、ただ茫然としていた。