閑話・ルーン魔術師と散髪
時は数日前に戻る。
それは、ゼフさんとの決着がついた次の日のことだった。
「うぅ……。まだ体がだるいなあ」
一晩寝ても、全然身体は回復してなかった。
疲れというよりかは、失った血液の方が影響が大きいだろう。
ずっと貧血気味って感じだ。
「おはようございますヴァン」
「ん、ああミラ。おはようございます」
目の前に居たのはミラだった。
いつからいたのだろうか?
ミラは心配そうに俺の顔を見上げていた。
「少し疲れていますか? 昨日は大変だったと聞いていますが」
「う、うん。ちょっとね」
「本当に、ありがとうございました。あなたのおかげでアリシア様も、それから国王様も無事で……。何と言えばいいのか……。それに比べて、わたしといったら、あの男にずっと騙されて、そしてアリシア様の身を危険にさらすなんて愚行。恥ずかしいばかりです」
「そんない思いつめないで。過ぎたことを気にしてもしょうがないんじゃないかな。あ、それよりさ、今アリシアは?」
俺は周囲を見渡すがアリシアの姿は近くにない。
「今はディアンがついています。はっ! もしや、ディアンも魔族? これは、早く戻らないと」
「い、いや、それはないんじゃないかな。ディアンも魔族ならそれこそアリシアを狙うチャンスはいっぱいあっただろうし」
「そ、そうですね。すみません早とちりをして」
「あ、あはははは……」
俺は笑うしかできなかった。
アリシアのことになるとやっぱりちょっと深読みしすぎるようだ。
こんなミラさんまで騙していたんだからゼフさんはやっぱり大した物だよ。
そんなミラさんがじーっと俺の顔を見ていることに気が付いた。
まじまじと見つめられるので、ちょっとドキッとする。
「み、ミラ? どうしたの?」
「いえ……。前髪、ご自分で切られたのですか?」
「え?」
そう言われて、俺は前髪をつまむ。
確かに結構短くなってる。
ああ、そっか。
ガルマの【ウィンドカッター】を真正面から避けた時に前髪を持っていかれたんだ。
「いやあ、これは昨日ガルマにやられちゃってね」
「あ、あの七英雄にですかっ? 怪我は無かったのですか?」
「う、うん。怪我は大丈夫」
「そうですか。あの、よければわたしが髪を整えましょうか? 前髪に合わせて、横と後ろも切りませんか?」
「あー……。そうだね……。でも、ミラも忙しいんじゃない?」
俺がそう言うと、ミラさんは俺に迫る勢いでこう言った。
「そんなまさかっ! アリシア様に、国王様、そして、国をお救いになったヴァンの髪を整えるのですよっ? それより大事な仕事なんてありませんっ! ぜひ、わたしにやらせてください!」
え、えぇ……。
どういう理屈何だろうか……。
さっぱりわからなかったけど、こんな勢いで来られて俺はそれ以上断ることが出来なかった。多分、断っても引き下がってはくれないんだろうし……。
「じゃ、じゃあ、お願いしようかな」
「はい! では、こちらに」
言われてついていく。
着いたのは、ガルマと戦った森に続く王宮の裏庭だった。
「では、少しお待ちください」
「う、うん」
待っていると、ミラさんはすぐに何人かのメイドを連れて帰ってきた。
椅子と机、それから鏡に、ハサミ。
そんな準備があっという間に整えられていく。
「みなさんありがとうございます。では、仕事に戻ってください」
ミラさんが他のメイドにそう言うと、彼女らは小走りに駆けていった。
うーん、やっぱり忙しいんじゃないだろうか?
「ヴァンはそこに」
ミラさんがそう言うので、俺は椅子に座る。
「あの、ミラ? やっぱり忙しいんじゃ」
「いえ、これより大事な仕事は無いと言ったでしょう? 大人しく切られてください」
ちゃきり、とミラさんがハサミを鳴らす。
ひぃ。これ以上言うと、なんか別の所も切られてしまいそうだ。
俺は椅子の上で大人しくしておくことにした。
「それでは、どういう風にしましょうか?」
「え、ええと。任せるよ。俺は、あんまりそういうことに詳しくないし」
「では、わたしの好きな風にしていいですか?」
「うん。お願いします」
「わかりました。それでは、失礼します」
そう言って、ミラさんがハサミを入れていく。
チャキチャキ、とリズムのいい音が刻まれていく。
ミラさんは結構なれているような手つきだった。
その心地のいい音と、俺の身体のだるさも相まって、だんだんと瞼が重くなってきた。
少し、少し目をつぶるだけ。
俺は目をつぶる。
心地のいい風が流れる中、俺の意識は暗闇に沈んでいった。
*
「……ン。ヴァン?」
「ん……。あ、ご、ごめん。寝ちゃってた!」
「構いませんよ。どうぞ、鏡です。どうですか?」
ミラさんから鏡を手渡されて自分の顔を見る。
かなりさっぱりとしていて、正直これが自分なのかって思うくらいだ。
ミラの腕は本当によかったらしい。
「うん。すっごいいいよ。ありがとう」
「ふふ。気に入っていただけたようでわたしも嬉しいです。では行きましょうか。ヴァンもアリシア様にお会いください」
「うん。そうするよ」
昨日のこともあるし、一度アリシアにはあっておいた方がいいだろうとも思っていたのだ。
そうしてミラさんについていってアリシアに会うと、アリシアは少しだけ俺の髪型を見て何か考えている様子だった。
もしかして、似合わなかっただろうか?
俺はいいと思ったんだけどなあ。
ミラさんが、アリシアの横で、ちいさく「ふふっ」と笑った。