ゼフとの決着
魔族。
それは古くから人間と対立する存在。
歴史を読み解いても、この二つの種族が過去協力していたことは無い。
それは主に、魔族の性質に由来する。
魔族の持つ角は、魔力の生成器でありそれゆえに、角を持たない人間よりも多くの魔力を生成出来る。
そして、その多すぎる魔力の影響が、紫色の体色、黒色の翼、そして、強い渇望として現れる。
つまり、魔力が一種の興奮剤として魔族には常に働いており、魔族は常に何かを強く求めている。
土地であったり、食欲であったり、名誉であったり、血であったり、女であったり。色々な物を欲しているらしい。
そして、彼らはその発散の方向を人間へと向けているのだ。
内乱で自滅しないためにとも、他種族からの略奪がより強い快楽を生むからとも言われている。
とにかく、太古より魔族は魔力を多く持つために生まれる欲望を人間に向けている。
だから、人間と魔族との間に争いは耐えない。
そして、そんな魔族の中で特に強い者だけが使える秘技が存在する。
それが……。
「『人化』出来るほどの魔族がこんなところに一人でいるなんて普通思わないよ」
俺がそう言うと、ゼフは嫌そうに眉をひそめた。
「人化というのは止めてもらいたいですね。そう言われると、まるでわたしたちが人間ごときになりたいみたいではないですか」
「違うのか?」
アリシアの安全が確保された今、堂々とゼフと戦えるようになったレグルス国王様が剣を構えながら、煽るようにそう言った。
ゼフは不快そうに眉間にしわを寄せる。
「違いますよ。あの姿は、わたしたち魔族が、自分の力を完全にコントロールできるようになった証なのです。人間の姿かたちになるのは副産物に過ぎません。まあ、その副産物のおかげで、わたしがここまで入り込めたことは認めますがね」
ゼフはそう言って肩をすくめた。
それから、ゆっくりと剣を構える。
「さて、おしゃべりはこの辺にしておきましょうか。ヴァンも焦る様子はありませんし、きっとこの【結界】のルーンはかなりの間持続するんでしょうね」
なるほど。
よくしゃべるとは思っていたが、それで俺の反応も窺っていたのか。
「そうだね。一日は持つかな。それか、中のアリシアが自分の手でルーンを壊すか」
「分かりました。では、やはりこの国の実権を握るのは難しそうだ。せめて、あなたたち二人の首を手土産に、魔族領へと帰ることにしましょうか」
ふわり、とゼフの翼がはためいた。
次の瞬間。
強く地面を蹴る音が響いた。まるで大砲を撃ったみたいな音だ。音の衝撃に、身体の芯が揺れるのを感じた次の瞬間。ゼフの剣が俺の顔の目の前にあった。
咄嗟に首を傾ける。剣が頬をかすめ、焼けるような痛みが這う。
そのままゼフは剣を横に振ろうとした。
「なっ!」
だが、ゼフの顔が驚きに満ちる。
俺は距離を詰め、ゼフの腕をつかんでいた。
「初撃には驚いたけど、カイザーやリッカよりも遅いよ!」
「チッ! ガキがァ!」
視界の端でゼフの膝が上がるのが見えた。
身体をひねり避ける。だが、それと同時に、ゼフが腕を引く。
さすがに、それでもゼフの腕をつかんでいられるような筋力は俺には無かった。
腕の自由を取り返したゼフが、再度俺に剣を振るおうとしていた。
その背後。
化け物がいた。
いや、一瞬そう見えるほどの男、レグルス・ラズバードがすさまじい殺気を放って剣を振りかぶっていた。
ゼフもその殺気に気づき、俺のことなんて忘れてしまったかのように振り返る。
「【剛破斬】!」
「【魔硬斬】!」
互いに、剣の威力を強化するのだろうスキルを使用しての一撃が交わる。
グワァン、と空間ごと揺らしたような強烈な金属音が響いた。
ゼフとレグルスが剣を交える。それだけで、一瞬時間が止まった。
「俺を無視か! ゼフ、お前が俺の強さを知らないわけないよなぁ!」
盛り上がる筋肉と、強大な魔力をまとうレグルスがそう言った。
「ふっ。ルーンが無ければどうしようもない雑魚から始末しようと思っていましたが、あれだけ受けられるとは……。仕方ありません。レグルス。あなたから始末しましょう」
「やれるものならやってみろ!」
俺は咄嗟に身を引いた。
距離を取らないと、レグルスの邪魔になりそうだ。
二人が剣を打ち合う。激しい音が謁見の間に何度もこだまする。
二人の実力はかなり拮抗しているように見えた。
だが、少しだけゼフが有利そうだ。レグルスが負けるのは時間の問題かもしれない。
なにか、一歩だけでも、レグルスが有利になる何かがあれば。
俺は、息を吐いた。
確かに、俺はこの場では力になれない。
ゼフの言う通り、ルーンが無ければ、ちょっと攻撃を受けられるだけのどうしようもない雑魚だ。
ルーンがないなら描けばいい。
描く道具は?
ペンが無い?
紙が無い?
インクが無い?
そんなこと、関係無い。
俺は、右手の親指の腹を口元に当てた。
ペンなんて、指先でもいい。
紙なんて、地面でいい。
インクは、ここにある。
ガリッ。
俺は皮膚を噛みちぎった。
痛みと共に、親指の腹からじわじわとにじみ出てくる。
この方法は嫌いだ。
まず、痛い。
それから、血でルーンを上手く描くのは、相当の出血量が無いと難しい。
指の腹を噛みちぎった程度の傷では、インクで書くみたいにするするかけるはずもない。
だから、どうしても時間がかかる。
敵がいる前では、今みたいに誰かが押さえつけてくれるこんな状態でもなければ、血を使ったルーンは描けない。
俺は親指を絞るみたいに握る。
じわりと浮かび上がる血が真っ赤な球を指先に作る。
それを俺は謁見の間の地面に垂らした。
ごめんなさい。汚してしまって。
俺は丁寧に、指を滑らしていく。
インクとは違って、やっぱり描き辛すぎる。
その間も、耳をつんざくような剣と剣とのぶつかり合いによって生じた音が聞こえてくる。
「くっ! がぁあ!」
国王様の悲痛な声。
だけど、今の俺にそっちを向く余裕は無かった。
あと、少し。あと少しだ。
親指を絞る。
そして、ルーンが完成したその時。
「何をしている! ルーン魔術師イイィィィィィィィィイイイイイイイッ!」
ドンっ!
という強烈な地面を蹴る音。
俺の前に、ゼフが走ってきていた。
そして、強い痛み、いや、もう痛みなのかもわからない感覚が腹を貫く。
下を見ると、ゼフの剣が俺の腹を貫いていた。
「ハッ! 殺った!」
ゼフの喜びに満ちた声。
でも、
「ダメだよ。素人がルーン魔術師に近づいちゃ」
「っ! きさ、まっ!」
俺は腹に剣を突き刺したゼフの腕をつかんだ。
痛みに、力が抜けそうになるけど、あと数秒。絶対に離すもんか。
「【魔封】のルーン、起動」
俺が描いた血のルーンが輝き、そこから無数の光の縄が伸びる。
「く、きさま! はなせ! な、なんだこの光は!」
光がゼフに巻きついていく。
それと同時に、角が引っ込み始め、翼も薄れていく。そして、体色も人間の物へと近づいている。
「な、これは、わたしの、わたしのちからが……。いったい、なにをした!」
「師匠が、教えてくれた、対魔族用のルーン。【魔封】のルーン。まぞく、のまりょ、く、をかんぜんにおさえこむるーん、だ」
欠点は、射程が短いことと魔族以外に効果がないこと。
だけど、それだけに魔族には効果絶大だ。
ゼフの手から力が抜ける。
完全に戦う前の姿に戻ったゼフは、地面に倒れこんだ。
「お前から殺しておくべきだったな」
「ヴァン殿のあの身のこなし。そうは言っても簡単には殺せなかっただろう。ヴァン殿に意識を向けながら、お前は俺の攻撃を全て躱せたか? お前が俺に意識を向けていたからこそヴァン殿は入ってこれなかったが、ヴァン殿に意識を向けている隙を俺は付けるぞ。ゼフよ」
「ふふふ。そう、ですか。では、どうしようと負けていたということですね。いやはや、相手が悪い……。だが、ヴァン。その傷。どうしますか? わたしの感触で言えば致命傷ですよ」
ゼフが最後に勝ち誇ったように言った。
だから、俺も勝ち誇って言ってやった。
「だい、じょうぶ、ですよ。【ちゆ】の、るーんで、なおり、ます。こくおうさま、けんを、ぬいてください」
「わ、わかった!」
国王様が腹の剣を抜いてくれる。
激痛が走る。それに意識を持っていかれそうになるけど、俺はなんとか耐えていた。
ぼやける視界の中、俺は自分の腹から血を掬う。
そして、自分に【治癒】のルーンを。
って、あ、あれ……。
てが、ふるえて、うまくかけないや。
それに、すごくさむい。
何とか描き終わったと思ったルーンは、発動しなかった。
多分、ちゃんと描けてないんだ。
しまった……。
ここ、までか。
でも、最後に、アリシアも、レグルス国王様も、この国も救えたんだ。
上出来だろ? 師匠。
目を閉じようとしたとき、俺の手をあたたかくて、柔らかい何かが包んだ。
「ヴァン!」
目を開けると、そこにはアリシアが居た。
きっと、戦いが終わったと分かり、自分で【結界】のルーンを破壊したのだ。
アリシアは血でぬれた俺の手を、自分の手が汚れることなんて意にも介さず握ってくれていた。
「ありしあ……」
「このルーンですね! これをヴァンに描けばいいんですね!」
俺が答えるよりも早く、アリシアは俺の血を掬って、俺の身体を指先でなぞる。
描けるだろうか?
きっと、俺の描いたルーンはぐちゃぐちゃだ。
原型はあるかもしれない。だけど、そこから効果が出るほどまで、復元できるだろうか。
いや、信じよう。
この子の才能と努力を。
俺が教えてきたことを。
俺は目をつぶって待った。目を開けるのも、もう辛かったんだ。
十秒ほどして、アリシアの指が止まる。
「お願いッ……!」
アリシアの祈るような声。
そして、ルーンに魔力が込められたのが分かった。
暖かい、そんな感覚が身体を包み込む。
痛みが薄れていく。
死んだのか?
いや、俺は呼吸をしていた。心地のいい呼吸を。
身体に力が戻ってくる。
ゆっくりと、俺は目を開けた。
「ヴァン……」
顔をぐしゃぐしゃにしたアリシアがそこにはいた。
俺は腹に手を当てる。傷はふさがっていた。
ああ。アリシアを安心させてあげないと。
俺はこういった。
「ありがとう。アリシア。助かったよ」
「ヴァン!」
飛びついてくるアリシア。
支えきれなくて後ろに倒れる俺。
出血が多かったのだろう。少しだけぼーっとする。
でも、泣きじゃくるアリシアの重みを俺はこの身体でしっかり感じ取っていた。