ルーン魔術師とゼフの企み
静かな謁見の間には、俺たちの呼吸音だけが響いていた。
急いでここまで来た俺の荒々しい呼吸。
アリシアの恐怖と緊張に震える吐息。
剣を構える国王様の苦悶に満ちる息遣い。
そして、手に持つ剣の切先を地面に向けて静観するゼフ。
くつくつと笑いだしたのはゼフだった。
「間に合った? そう言いましたか?」
「ああ。そう言った」
「では、こちらも言わせてもらいましょう。時間切れです」
「何を」
俺が一歩出ようとしたときだった。
「動くなっ!」
そう言って、ゼフは剣をアリシアに向けた。
俺とレグルス国王様の身体が固まる。
「動けば、殺します」
無表情でゼフはそう言う。
「さあ、国王様。時間は来ました。そろそろ決めていただかなければ。アリシアを取るか、この国を取るか。話し合いの時間は終わりですよ」
「本当に、アリシアに危害は加えないんだな?」
レグルス国王様が苦しそうにそう言った。
「ええ。もちろんです。わたしが別邸を用意しましょう。そこで二人静かに暮らしてもらいます。この国の実権をわたしに渡してもらってね」
「だ、ダメです! お父様っ! わたしなんかのために、国を捨ててはいけません! それに、お兄さまやお姉さまはどうするのですか!」
「あいつらには、力がある。きっとうまくやるだろう。それよりも、俺は……」
「お父様! ですから、力の持たないわたしを切るべきですっ! どうしてわたしを助けようとなさるのですか!」
「お、俺は……」
「国王様」
俺はそう口にしていた。
自分を捨てろと言うアリシアも、そして、娘のために国を捨てようとしている国王様も、これ以上俺は見ていられなかったのだ。
全員の目が俺を向く。
「ヴァン殿……」
「部外者が。黙って見ていなさい」
そういうゼフに、俺も言い返す。
「部外者でも、俺はルーン魔術師だ。困っている人を助けるルーン魔術師だ」
「だから? なんだというのですか。結局、あなたに出来ることは何もないのです」
「そうかもしれません。でも、準備はしてきました」
「準備?」
ゼフの顔がゆがむ。
俺はその顔から目線を外した。
そして、アリシアに目を向ける。
涙をいっぱいに湛える目でアリシアが俺を見ていた。
「アリシア。安心して。俺は、困ってる人を助けるルーン魔術師だ。君が困ってるなら、何度だって助ける」
「こまってるなら……」
アリシアが呟いた。
何かに、気が付いたように。
「ほほほほほ。そこから、何が出来るというのですか? あなたが何かしようとしても、わたしの剣がアリシアの心臓を貫く方が早いですよ」
ここから何ができるか。
そう。
ゼフの言う通り。何もできない。
準備をしていなければ、ルーン魔術師は何もできない。
でも、準備さえしてたら。
出来ることはある。
「さて、どうせ時間稼ぎのつもりなのでしょう。さあ! 国王様! ご決断を!」
ゼフが言い切ったそのとき。
アリシアの上着のポケットが光を放つ。
その輝きに、ゼフも国王様もアリシアを見ていた。
「これは……。まさか! させるものかァ! 【フレイム】!」
ゼフの手から炎の魔法が、アリシアのポケットへと放たれる。
「アリシア!」
国王様の声が響く。
それと同時に、
――バチンっ!
と、激しく金属の板を弾くような音が鳴り響いた。
「これは……」
ゼフが呟く。
その目の先には、アリシアのまわりを覆う光の壁で出来た箱のようなものが現れていた。
「【結界】のルーンです。一定時間、外と中を完全に隔離する光の壁を生みだします。発動中には、中からも攻撃できないとか、逃げることは出来ないから時間稼ぎにしかならないとか、その間に敵に囲まれてしまうとか、まあ、色々と欠点はあるルーンですが。今、この状況には適しています」
「……いつの間に、こんなものを」
「朝、アリシアと別れるときに、渡していました。ハンカチにルーンを描いて」
「そんな様子はアリシアからは見られませんでしたが……。わたしがアリシアを拘束した時、本当に怯えていた。こんな奥の手を持っている余裕なんて微塵も感じなかった」
「ええ。気付かれてはいけないと思い、ルーンのことは言いませんでしたから」
「先ほどのやりとりで、気付かせたということですか」
「そういうことです」
「気付かなかったらどうするつもりですか?」
確かに、もしアリシアが俺が隠したルーンに気付かなかったら、この窮地は脱せなかった。
だけど、
「気付きますよ」
俺には、確信があった。
「なぜ?」
だって。
「アリシアには、ルーン魔術師としての才能がありますから」
「ヴァン……」
アリシアが光の壁の奥から、また泣きそうな目で俺を見ていた。
ふぅ。とゼフは大きくため息をついた。
「そうですか……。もう一つ、もしもあなたが来る前に、わたしがアリシアを殺していたら、どうするつもりだったんですか」
「それはないと、分かってました」
「理由を聞いても?」
「ゼフは、国王様がアリシアを愛していることを知っているから」
「えっ……。お父様が、わたしを」
アリシアが驚いたように目を見開いていた。
自分は死んでもいい存在だとまで言っていたアリシアからしてみれば、信じられない事実だろう。
「あなたは、いえ、あなただけが、アリシアの存在がレグルス国王様にとっての弱点になると知っていた。きっと、グラン王国でアリシアを襲わせたのも、ゼフですよね」
少しの静寂の後、ゼフは肩を揺らし始めた。
「ふふ。ふふふふ。ふふふふふふ。ええ。そうです。そうですよ。なるほど。よく気付きますね。いやはや、こう、なんと言いますか。上手くいかないものですね。この国に入り込み、宰相という地位につき、怪しまれないように実務はこなしてきました。いつか、この国を傀儡にするときに、内政がボロボロでも困りますからね」
ゼフが言う。
「だが、レグルス国王も、前国王も、全く付け入る隙が無かった。新たに生まれる子供もすぐに頭角をあらわし、そして、実力主義のこの国では大切に守られてきた。わたしは機会を待つしかなかった。アリシアは、そんな中で生まれた、唯一のレグルス国王の弱点でした。実力がないために、護衛もごく少数しかつきませんでした。狙うには好都合だと思いましたよ」
「ゼフ……。お前は……。ずっと企んでいたのか」
国王様が言う。その声色には、明らかに落胆の色があった。
「ええ。そうですよ。ですが、機会が無かった。そして、ようやく都合のいい時期がやってきたのです。国王様はアリシア以外の子供を、経験を積ませるために他の領土へと送った。王城はようやく手薄になりました。アリシアを人質に取り、あなたを脅すなら今しかない、とグラン王国に出向いたアリシアを襲わせました。そこで現れたのが、ヴァン。あなただ。本当に、困らされましたよ。いえ、今も困らされていますがね。ああ、わたしも助けていただけませんか? 困っている人を助けるのがルーン魔術師なのでしょう?」
「人を困らせるために困っている人は助けませんよ」
「ふっ。それは残念だ。では、わたしも諦めなければなりませんね」
「投降してくれるってこと?」
「ふ、ふふふ。違いますよ。わたしが諦めるのは、この国の実権を握ることだ!」
その瞬間、悪寒が俺を襲った。
その異様な雰囲気に気付いたのか、レグルス国王様も険しい表情を一層険しくする。
ゼフの身体から、力があふれ出してくるのを感じる。
「ゼフ……。あなたは……」
そして、徐々に姿が代わる。
肌は毒々しい紫色に、頭からは黒い角が生え、背からは黒い翼が伸びる。
その姿は、
「魔族……」
「ふぅ……。ヴァン。ここまで、気付いてましたか?」
「流石に、気付けないよ」




