ルーン魔術師とラズバード王国のもてなし
ゼフさんに広々とした王宮内を案内されつつ一つの部屋の前にたどり着く。
「それではヴァン殿。こちらの部屋をご自由にお使いください」
しわの入った顔でやわらかく笑顔をつくってそういうが、彼なりの方便だろう。
俺の軟禁生活はまたここから始まるのだ。
机とソファだけが置かれた狭い部屋で、日夜ルーンを書くだけの生活がまた始まるのだ。
「どうかされましたかな?」
「いえ、昔のことを思い出したら少し悲しくなって……」そして、これからあの生活に戻ると思うと、もっとだ。
「そういえば、グラン王国の王宮では軟禁をされていたと仰っておられましたな。王宮を案内しているうちに思い出されてしまいましたかな?」
「まぁ、そんなところです」
「ほほほほ。いつかその心の傷がいえるといいですな」
ゼフさんは笑いながら、そんなことを言う。
むしろこれからまた増えそうなんですが。
「すみません。遅くなりました」
俺がうなだれていると、背のほうから聞き覚えのある可愛らしい声が聞こえてきた。
振り向くと、栗色のショートカットを揺らしてメイドさんが小走りに近づいてきていた。
「あ、えーっと、チルカさん、だっけ」
俺の目と記憶に間違いがなければ、その子は俺がレグルス様に謁見する前に、案内してくれていた子だった。
そして、記憶に間違いがなかったことは、チルカがぱぁ、と顔を輝かせて笑ったことですぐに分かった。
「名前、憶えていてくれたんですね! うれしいです!」
そこまで喜ばなくても、と思うが、口には出さなかった。
それにしても、遅くなりました、とはどういうことだろうか。
何か用があってきたということか?
「チルカ」
ゼフさんが子供に注意するように彼女の名前を呼ぶと、チルカは、はっとして笑顔を引っ込める。
それから慇懃にスカートの裾を少し持ち上げて、頭を下げる。
「申し訳ございませんヴァン様。わたくしが、ヴァン様のお世話役になりましたチルカと申します。何かありましたら、わたくしにお申し付けください。部屋の前で待機してますので、お気軽にどうぞ」
部屋の前で待機。
なるほど。つまりは監視役というわけだろう。
グラン王国でもそうだったし不思議な話ではない。
兵士だったのがメイドさんに変わっただけだ。
ということは、やはり俺の自由はまたなくなるのだろう。
あぁ、どうしてこうなってしまったのか。
「それでは、ヴァン殿。わしはこれで」
そう言って、ゼフさんは立ち去っていく。
「ヴァン様。お部屋へどうぞ」
チルカが部屋の扉を開き促してくれる。
「えっ」
部屋を見た俺は、思わずそう声を漏らしていた。
ベッドを兼用するソファと机だけが置かれた寒々しい小さな部屋。
それが、俺の想像していたいつもの部屋だったのだが。
まず広さに驚いた。前の四、五倍ほどはある。
そして、大きなベッドに、ソファ。もちろん兼用じゃない。別々にある。
机、クローゼット、小棚、サイドテーブル。それに、床にだって見るだけでふかふかだと分かる絨毯が敷いてある。
「えっと、これは……。チルカの部屋かな?」
「い、いえ。ヴァン様のために用意させていただいたお部屋ですが……」
あまりの衝撃に現実逃避をしてしまっていたらしい。チルカが困った表情でおどおどし始める。
「申し訳ございません! もしかして、何か足りないものがございましたか!」
「いやいやいやいや! そんなことないよ。ごめんね。ちょっと驚いちゃって。十分すぎるくらいだよ! っていうか、本当にここが俺の部屋でいいの?」
もっと、身分の高い人が寝泊まりをするような場所に見える。俺には明らかに不相応だ。
だけど、チルカは可愛らしく笑って言った。
「はい。どうぞ、おくつろぎください。それでは、わたくしは部屋の前で待機していますので、何か御用があれば、仰ってくださいね」
そう言ってチルカは俺一人をこの豪勢な部屋に置き去りにして、部屋を出ていった。
俺は、ここが自分の部屋だということに、まだ驚き、そして、しばらくの間、部屋の広さに落ち着くまでソファの上で縮こまっていた。
俺の驚きはまだ続いた。
夕飯ができた、とチルカが俺を部屋まで呼びに来たのだ。
そう、運ばれてくるのではない。
前までは、適当な食事が運ばれてきていたので驚いた。
それから、部屋を出るときにもやはり手枷は要らないらしい。
いつもの癖で、両腕をチルカの前に差し出したら、これまた驚かれたし、俺もそれに驚いていた。
チルカに案内されるままについていき、部屋に入ると、そこで待っていたのはレグルス様だった。
夕飯はまさかのレグルス様たちと会食をすることになったのだ。
アリシア、それと、レグルス様の奥様も同席していた。
周囲には監視なのだろうか、ミラとディアンをはじめ、数名の兵士とメイドさんが居た。
正直、緊張でどんな話をしたのかほとんど覚えていない。
記憶の断片に残っているのは、アリシアが母親似であることと、『滝に行きたい』とか『城下に出たい』とかアリシアが言ってその場にいた多くの人を驚かせていたことぐらいだ。
食事の味なんてものはまるで分らなかった。
ただ、まぶしいくらいの料理が次々に運ばれてきていたのは、かろうじて覚えていた。
それからも、チルカが、「お疲れではありませんか?」「紅茶などいかがでしょうか」「湯浴みの準備ができております」「お着換え手伝いましょうか?」
などと奇妙なほどに気を配って来るので、紅茶を飲んだり、着替えの手伝いを断ったりしているうちに日は落ちて、窓の外から見える景色は星明りが薄く照らすだけの暗闇になった。
極めつけには、
「あ、あの。国王陛下から、求められれば、その……。夜伽を、と命じられたのですが……」
とチルカが、真っ赤な顔をして言うものだから、
「いえぇ! い、いや、夜伽なんて! 駄目だよそんなこと!」
命じられたからってやることじゃないだろう!
もっと自分を大事にしないと。
慌てて断ると、
「で、ですよね! わたしなんかじゃ……。申し訳ございません!」と、勢いよく謝られ、「それでは、おやすみなさいませ」と言って、全力ダッシュしていった。
一体なんだっていうんだ……。
っていうか、監視はいいのか?
チルカの代わりは誰も来そうになかった。
こっちでは一日中監視はしないのかな?
グラン王国では兵士がかわりがわりに監視していたのだ。
この国大丈夫かな?
などと不安に思いつつ、監視が居ないからと言って、何をするわけでもなく、俺はベッドに入った。
それから、十数分。
薄くまどろんでいたところだった。
だが、それでも俺は意識を無理やりに起こした。
俺は扉の先に、人の気配を感じていた。




