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ルーン魔術師と建国祭・10

 俺はソファで休んでいた。目覚めたばかりだというのに、身体はすごくだるかった。今日一日は、正直何もしたくない。


――コンコン。


 と扉がノックされたのは、そんなことを考えていた時だった。


「どうぞ」


「おはよう、ヴァン」


 入ってきたのは、クラーラ様だった。


「クラーラ様……」


 クラーラ様が何も言わずに、俺の隣に座った。静かな波のような、穏やかな呼吸が聞こえる。それに合わせて、クラーラ様の胸が上下する。


「本当に、お兄様に勝ったのね」


「みたい、ですね」


「ふふっ。残念。もう少しで、あなたを手に入れられたのに」


 クラーラ様は意地悪そうに笑った。

 俺の昨日の試合は、彼女に届いただろうか。

 どちらにせよ、俺はちゃんと言葉で伝えないといけないと思った。


「クラーラ様。やればなんでもできるなんて、綺麗ごとを俺は言うつもりはないです。俺にだって、出来ないことはあるし。例えば、魔法を使おうと思っても俺には出来ない。でも、クラーラ様は、その手できっと自由を掴める。君にとって、それは出来ないことじゃないんだ」


「どうして、そう思うの?」


「だって、今まで、あなたは努力をしてきたから。たとえそれが、恐怖からくる努力でも。それは誰にでも出来ることじゃない。あなたには恐怖に押しつぶされないだけの強さがある」


「でも、わたしは、押しつぶされたわ。押しつぶされて、あの夜。あなたに、あんな泣き言を言ってしまった」


「いいじゃないですか」


「え?」


「泣き言を言うことが、押しつぶされたことにはなりませんよ。言えばいいじゃないですか。泣き言を。俺で良ければ、これからも聞きます。そしたら、また助けますから」


「困っている人を助けるのがルーン魔術師?」


「はい。困っている人を助けるのがルーン魔術師です。……って、説得力ないですよね。俺、記憶もあやふやなくらい、ボロボロになっちゃったし」


「ううん。そんなこと、そんなことないわ。今までわたしが出会った人の中で、あなたが一番かっこよかったわ」


 ぽろぽろと、大粒の涙がクラーラ様の瞳から零れ落ちる。クラーラ様は、俺の胸に顔をうずめた。突然のことにびっくりしたけど、引きはがす気にはなれなかった。

 胸の中で、嗚咽交じりの声が響く。


「ありがとう。……。あなたの、おかげで、わたしは、助かった。本当に、ありがとう、ヴァン」


 それからしばらくして、泣き止んだクラーラ様が顔を上げる。その瞳は赤く腫れあがっていた。


「ねえ、ヴァン?」


「どうしましたか?」


「好き」


「はっ!?」


 思考が固まる。え? 今なんて言われた?


「初めて人を好きになったわ」


「え、えっと……。あの、それは。あれですよね、友達としてって奴ですよね?」


 慌ててそういう。そうに決まってるのだ。落ち着け、俺。

 だけど、クラーラ様は俺の心をかき乱すみたいに首を横に振る。まっすぐに俺を見て、真面目な顔で彼女は言った。


「ううん。異性として、好き」


「えっ? あ、ああ……、えっと」


 俺は声にならない声を上げるしかなかった。真正面から、そんなことを言われるとは思わなかった。何が正解なんだ? 誰か、教えてくれ。

 だが、頼るあてはここにない。結局、石造みたいに固まるしかできなかった。それを見て取ったのか、クラーラ様は笑った。それはやっぱり、どこか意地悪めいた笑顔だった。


「婚約者の話は、あなたが剣術大会に勝ったから無くなっちゃったけど、いつか、あなたもわたしのことを好きにさせて見せるわ」


「は、はい……」


「そしたら、今度こそ、結婚しましょ。わたしたち」


「い、いやあ……。あの、えっと、どう、なんでしょうか?」


 か、顔が熱い。意味のある言葉が出てこない。視線をどこに向ければいいかわからない。そんなとき。助け船が来たかのように、扉がノックされた。


「ヴァン。いらっしゃいますか?」


 アリシアの声だ。クラーラ様は猫みたいに目を細めて、立ち上がって扉を開けに向かう。クラーラ様がアリシアを出迎えるとアリシアは驚いていた。


「お、お姉さまっ! いらしてたんですか?」


「ええ。ちょっとヴァンに話が有ってね。大丈夫、何もしてないわ」


「そ、そう、ですか」


 釈然としない風なアリシアだ。クラーラ様はそんなのは気にせず、俺に向かって小さく手を振った。


「じゃあね、ヴァン」


「は、はい。また」


 入れ替わるように、アリシアが入ってきた。アリシアは建国祭で制服にも使っていたローブを羽織っていた。やっぱり、俺より似合ってるなあ、とそんな風に眺める。


「あの、隣に座ってもいいでしょうか?」とアリシアが訊く。


 俺は頷いた。


「うん。いいよ」


 アリシアが俺の隣に座る。


「本当に何もされませんでした?」とアリシアが訊く。


「う、うん。大丈夫だよ」と俺は言った。


 顔はまだ熱い。もしかして、赤くなっているだろうか。アリシアが不思議そうに俺の顔を覗き込んでくる。

 俺は慌てて話題を変える。


「剣術大会、応援してくれてありがとう」


「い、いえ。わたしは、なにも」


「ううん。俺がもう立てないって思った時、アリシアの声が聞こえたんだ。顔をあげたら、闘技場が優しい光に包まれてた。それで、立ち上がる力を貰えたんだ」


「力になれたのなら、とてもうれしいです」


 ふぁ、とあくびがもれた。


「お疲れですか?」とアリシアが訊く。


 まだ、身体には気怠さがはびこっていた。俺は頷く。


「うん、ちょっと」


「……。大変でしたね。建国祭」


「……ああ。大変だった」


「でも、楽しかったです」


「……うん。……楽しかった」


 急激に、眠気が襲ってくる。あらがいようのない眠気だ。俺の身体から、力が抜けていく。


「ありがとう、ヴァン」


「うん……。どう、いたしまして」


 瞼が閉じる。アリシアが俺に寄り掛かってくる。いや、逆かもしれない。俺がアリシアに寄り掛かっているのかも。でも、今は、それを確認する程の体力はなかった。俺はただ心地のいい安寧に、身を任せる。


 ラズバード王国の王宮に借りている、俺の部屋。今ここには、俺が自分の手でつかみ取った自由が、確かに存在していた。

ここまで、お読みいただきありがとうございます。

ここで、一区切りとさせてください。

続きに関しましては、出来るだけ早く書ければいいな、と思っております。

もしかしたら、また長くお待たせしてしまうかもしれませんが、ご容赦ください。

それでは、読者の皆様、繰り返しになりますが、お読みいただき本当にありがとうございました。

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