ルーン魔術師とトロール?
トロール。
成人男性の三倍から四倍ほどの巨体を持つ人型の魔物だ。
厚い皮膚や強靭な筋力を持ち、ギルドの定めている強さとしてはCランク。
これは、大体Bランク冒険者がパーティを組んで一体を安全に倒せるくらいの強さだという。
「ただのCランクの魔物の群れっつうんなら俺一人で何とかするんだがな」
トロールの群れが出現したという場所へと向かう馬車の中、Aランク冒険者であるグレイは同乗者である俺たちにそう言った。
「トロールだと、何か問題があるんですか?」
俺がそう聞くと、腕を組んで彼は話し始める。
「まず、でかいっつうのはそれだけでめんどくせえ。しかも人のなりをしてやがるから、弱点が全部上のほうにある。心臓、頭、首、腹にしたって、俺の頭より上にある。攻撃が急所に届きにくいんだ。一掃するのは無理だ」
なるほど。それは倒すのが大変そうだ。ちゃんと逃げる選択肢も頭に入れておかないとね。
「それにしても……」
グレイは、俺の横に目を向ける。そこには、静かに座っているアリシアがいた。
今回、アリシアをどうするかで、いろいろ話し合ったのだが、人が多くいる街より、冒険者と御者しかいない討伐隊についてきてもらった方が彼女の身のためという結論になり、ついてきてもらうことになったのだ。
「ついてきて大丈夫なのか?」
グレイの言葉に、アリシアは体を跳ねさせる。
「だ、大丈夫です」
アリシアはそういうが、少しだけ緊張した面持ちだ。
馬車にグレイが乗り込んでからずっとこの調子だったので、どっちかっていうとグレイに緊張しているようだけど。
それから、グレイは俺に顔を向ける。
多分、俺にも本当に大丈夫なのか聞きたいのだろう。
「一応、何かあった時の策は用意しています」
アリシアがついてくるにあたって、彼女のためにいくつかのルーンを紙に書いて持たせてある。
使い方も教えたし、何かあった時、俺かディアンが来るまでの時間は稼げるはずだ。
「また策、か。お前の策には俺もやられてるからな。バカにはできねえな。それで、もう一つ聞きたいんだが」
今度はディアンのほうに目を向けていた。
「ディアンのその顔はなんだ? 寝てるときにいたずらでもされたのか?」
グレイの視線の先、ディアンの額にはインクで模様が描かれている。
もちろん、俺のルーンだ。
「これはいたずらではない。ヴァンがルーンを書いてくれたんだ。何でも身体能力を強化してくれるらしい」
ディアンが俺に代わって説明してくれる。その顔が少しだけ誇らしげに見えるのは気のせいだろうか。気のせいだね。
俺がディアンに書いたのは【反射強化】、【筋力強化】、【体力強化】だ。
ずっとぼっちだったし、戦いとは無縁だったから、こういった人を強化するルーンは久々に書いたが、ちゃんと体が覚えていた。
書き始めてみたら、するすると筆が進んだのだ。
ただ、いたずらのように見えるのは仕方ない。
【反射強化】は額に書くのが一番効果があるらしいのだ。ちなみに、【筋力強化】は背、【体力強化】は胸が一番効果があるらしい。もちろん俺はちゃんと人に使ったことは無いのでこればかりは師匠談だ。
時代遅れの俺のルーンがどれほどの効果があるかはわからないけど。ディアンにもちゃんと気休め程度であることは言っておいてある。
「人体にルーンを書いて強化? へー、ルーン魔術にはそんなんもあんのか。それ、俺にも書いてくれねえか?」
「へ? もちろんいいけど……。気休め程度ですよ?」
ペンとインクはルーン魔術師の必須道具だ。昨日、ようやく街でそろえることができ、今もちゃんと持ってる。やっぱりこれがあるとないとじゃ安心感が違うね。
「それでもいいぜ。っと、馬車の中じゃかけねえか。揺れて手元が狂うもんな……。ん、そう言えば、馬車が揺れないな。でも、止まってるわけでもないし……」
「あぁ。それは、馬車に【耐震】のルーンを書かせてもらったんです。俺、これがないとすぐ酔っちゃうんで。って、あれ? どうしました?」
なぜか茫然と俺を見るグレイ。
どうしたんだろう。と思っていると、小さく笑った。
この人、笑うんだ。って思ったのは内緒だ。
「いや、なんでもできるんだなって思ってよ」
「そんなことはありませんよ。さて、ルーンを書きましょうか。ディアンと同じルーンを書きますね。上着を脱いでもらってもいいですか?」
ルーンを書き終えて、到着を待っていると、外の景色が流れていく速度が落ちる。
それから、ゆっくりと馬車が止まった。
「これ以上はいけねえな。あんたらが負けた時に逃げないといけないって考えたらここが精いっぱいだ」
「あれがトロール……」
馬車を降りて、少し遠くに見えるトロールを見てアリシアが呟いた。
緑がくすんだような色をした大きな塊。
それが十数体はいるように見えた。
かなり多いな。
そして、後ろからも続々と馬車が到着する。
「おっしゃ! お前ら行くぞ!」「気を抜くなよ!」「報酬は活躍した奴から分けていくからな!」
互いが互いの士気を高めあいながら、冒険者たちが下りてくる。
こういう関係っていいなぁ。なんだかうらやましい。
「ヴァン。あとは魔力を流すだけでいいのか?」
グレイとディアンが俺に聞いてくる。
「はい。もう俺の手からは離れているので。あとは二人がいいタイミングで使ってもらえばいいですよ」
「そうか。では行くかディアン」
「あぁグレイ」
そうして、二人のルーンが光る。
さっそく使ったようだ。
「「―――――――!」」
二人の顔つきが変わる。
二人は顔を見合わせて、確認するように、拳を握ったり、太ももを上げてみたり、跳んでみたり、と、体を動かしている。
「ディ、ディアン? グレイ?」
あ、あれ。もしかして、ミスったかな?
いや、でもルーンは発動してるし。うーん?
「あの、大丈夫?」
「「あぁ。行ってくる」」
そして、二人は猛スピードで駆けていった。
「な、なんだあの二人は!」「グレイさんと、あの例の新人だ!」
それを見たほかの冒険者からも声が上がる。
そして、遠くで、グレイが跳んだのが見えた。それは高く、高く、トロールの顔の高さまでに到達していた。
大きな血しぶきが上がる。
―――ドゴォォォォォンンン……。
そんな地鳴りのような音と共に、一体のトロールが倒れた。
ディアンのほうも、振り下ろしてきたトロールの巨大な腕を剣の一振りで斬り飛ばしていた。
うわぁ。もしかして、俺ってからかわれてたのかな。グレイさんの動きが全然昨日と違うし、ディアンもめちゃくちゃ強いじゃないか。
そこからは、暴虐の限りだった。
跳んで、斬って、突いて、その攻撃の嵐は、どっちが化け物なのか分かったもんじゃないほどに、恐ろしかった。
次々にトロールが倒れていく。
「あ、あの。ヴァン?」
俺はといえば、その光景をアリシアに見せないようにと、アリシアの目をふさぐので手いっぱいだ。ってか、向こうはもう大丈夫でしょ。
さんざん脅すような真似をして、最初からそれだけ強いって言ってくれればいいのに。
「ごめんね。アリシア。もう少しだけ我慢して」
「いえ! わたしはずっとこのままでも……。な、なんでもありません! 我慢します!」
それから、結局二人の戦闘に割って入れるほどの度胸がある冒険者もおらず、二人でトロールを倒し切ってしまった。
冒険者も、御者の人たちも、ぽかん、と二人が帰ってくるのをじっと見ていた。
結局、俺が用意していた策は無駄になってしまったけど、まぁいいか。トロールを倒すのが目的だったわけだしね。