表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

バウムクーヘン

作者: ツキオカヒコホ

池原のぞみは、食後のデザートをプリンにするかバウムクーヘンにするかで悩んでいた。


友人の月野春彦の住む、小さなベッドタウン。その駅前の居酒屋で、池原のぞみはタブレット型のタッチパネルを手に、もう30秒も固まったままだ。


店は「自家製」を推しているらしく、プリンもバウムクーヘンも、その旨がメニューに書いてある。店長こだわり本場の味、だそうだ。「決まった?」と月野春彦が聞くと、池原のぞみは少し間を置いて「決まった!」と返事をした。「デザートはいらない」






「私ね、考えて考えて、それで良い結果が出たことなんて一度もないの」と池原のぞみは話し始めた。「卒業旅行でドイツに行ったの。女4人で。それでね、ツアーパックってあるじゃない?私あれがどうしても嫌だったのね」


聞けば池原のぞみ御一行は、開放的なヨーロッパの地でタイムスケジュール通りに動くなんてごめんだ、というワイルドな理由から、旅行会社のツアーパックを頼らず、自力でツアープランを組み立てていたらしい。




「2日目にケルン大聖堂に行ったの。そしたらそこに、同い年くらいの日本人グループがいて。…異国の地で日本人に会うとすごく親近感が湧くのよね。こんなところで何してるのあなた達、って。それで意気投合して、ちょっとだけ一緒に回っていたの」


「うんうん」月野春彦はビールに口をつける。「それで?」


「それでね、あ、お刺身、食べちゃっていいからね」池原のぞみは話し続ける。「その中に、ものすごくカッコいい人がいたの。こんな男性が現実にいて許されるのか、っていうくらいのね。で、話を聞いたら同じ大学の4年生だったの」


「へぇ!」月野春彦は身を乗り出す。「そんな偶然があるのか」


「ね!すごいよね」池原のぞみの目が輝いている。「でもね、そこはヨーロッパで、しかもケルン大聖堂を出たら別行動でしょう。あぁ、もう二度と会えないかも、って思ったの」


池原のぞみの勢いは止まらない。


「だから私勇気を出して…LINEを聞いたの」






「帰国してからすぐに連絡を取った。最初は毎日LINEしていたんだけど、夏くらいからかな…ものすごく返信が遅くなったのね。既読がつくのが1週間後、返信が来るのが、そのさらに1週間後。…1ヶ月に2往復しかできないのよ。信じられる?」


「それはなかなかハードだ」月野春彦は相槌を打つ。「忙しい人なのかな?社会人一年目の夏は、いろいろあるだろうし」


「そうかもしれない。」池原のぞみはうつむき加減で返してくる。「彼、仕事の時間帯が私と正反対らしいし」




沈黙が流れた。月野春彦は言葉を探す。「でもさ、素敵だなあそういうの」


「そういうの、って?」


「異国の地で出会った人に一目惚れして、今でもずっと好きなんでしょう?ドラマみたいだ」


「ドラマだったら、とっくに結ばれてるけどね」


池原のぞみは苦笑いを浮かべた。「最近は、こう思うようにしてるの」


「なに?」


「ツアーパックを頼めばよかった、って」


「と、言うと?」


「パックを頼んでいたら、あのタイミングでケルン大聖堂には行かなかったはずでしょう?そしたらあの人と出会わなくて済んだの」


池原のぞみは今にも泣き出しそうだ。




「プランを考えて考えて、その結果がこれよ。普通にパックを頼んでいれば、こんな苦しい思い、しなくて済んだの」






「思い出したら悲しくなってきた」池原のぞみは少し笑って、タッチパネルを月野春彦に差し出した。「やっぱりデザート食べたい。月野、選んでよ」


「プリンかバウムクーヘン?」


「そう。どっちがいいと思う?」


「そうだなあ」月野春彦は考えている。「バウムクーヘンって、ドイツが発祥だよね?」


「あぁ…そうね」池原のぞみはニヤリと笑う。悪いことを思いついた子供のような顔をしていた。




ふたりは顔を合わせて笑った。「いっそ思い出ごと、綺麗サッパリ食べちゃおうか」






タッチパネルを操作して、2人分のバウムクーヘンを注文する。「自家製バウムクーヘン、楽しみだな」と池原のぞみは言った。「知ってた?ドイツではあまり、バウムクーヘンは食べないのよ」


「へぇ」月野春彦は素直に驚いている。池原のぞみは補足説明を入れた。「伝統菓子でね、日常的には食べないのよ。ケルン大聖堂の近くのケーキ屋でたまたま食べたけど、あれはびっくりするくらい美味しかったなぁ…」


池原のぞみはうっとりとした表情を浮かべている。






ほどなくして、若い女性店員が2人分のバウムクーヘンを持ってきた。名札には「研修中」と書いてある。


出てきたのは、見事なバウムクーヘンだった。ツヤツヤで、みっしりしていて、見るからに美味しそうだ。女性店員は「おまたせしました」と言って去るかと思いきや、あのう、と声をかけてくる。


「店長からお客様に伝言がありまして…その、私には何のことか分からないんですけど」


「はあ…」月野春彦は何事かと身を乗り出す。池原のぞみは、店員とバウムクーヘンとを交互に見つめている。




「『あっちのより美味いぜ』と店長が…。その、あっちってどっちですか?向かいのケーキ屋さん?」




女性店員は、困った顔で2人を見ている。月野春彦は正面に座る池原のぞみを見た。しばらく口を覆った後で、池原のぞみは目に涙を浮かべて「異国のケーキ屋さんですよ」と笑っている。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ