後輩は第二ボタンの紐を切る
初投稿です。恋愛系を書くのは初めてなので、至らぬ点が多々あると思いますが、ご了承ください。
誤字脱字報告よろしくお願いします。
感動で時の流れが遅くなるとか、切なさで涙が止まらなくなる、なんてことはなかった。
卒業式はあっさりと終わった。
終わった後はいったん教室に戻らされて、珍しく身なりを整えているキョウカさんから三分程度の軽い話、というか愚痴を聞かされた。
内容は「飲み会には気を付けろ」というものだった。
もはや卒業関係ない。
いや、もしかすると、このクラス内で、この後に飲み会に行く奴がいることを見越した話なのかしれないけれど。
その飲み会に、婚期の話をする奴はいないと思うんだ、先生。
どんな時でも、キョウカさんはキョウカさんだった。
話(愚痴)が終わると、すぐに解散になった。
キョウカさんの最後の言葉は「青春を忘れるなよ」だった。
数分前まで飲み会の愚痴を言っていた人にしては、先生らしい、良い締めだと思った。終わりよければすべて良しというやつだろう。
俺は、学ランの胸ポケットに刺さった造花を崩さないよう、そっと斜めがけバッグを背負い、教室を後にした。
*
「先輩」
廊下を歩いていると、背後から声がかかる。
俺が振り向くと、そこには部活の後輩女子がいた。
後輩は、そのサイドテールにした亜麻色の髪を揺らしながら、俺に近づいてきた。
「どうしたんです? ぼーっと歩いて」
後輩は俺の前に立って、そう尋ねてきた。
「いや……」
俺は少し言葉が詰まる。
そんなに、ぼーっとしてただろうか?
少し考えて、その理由を理解した。
「なんだろ、あっけないなって思ってさ」
「あっけない、ですか?」後輩が首を傾げる。
「なんかこう、心に来るものがないんだよね。卒業したって感じがしない」
「あぁ、なるほど」後輩は視線を後ろを向ける。「先輩って、ああいう風にはしゃげる友達居ないですもんね」
後輩の視線の先には、俺と同じく無事卒業を迎えられた奴らが身を寄せ合って、ついさっき手に入れた卒業証書を入れた筒を携帯に向かって見せつけていた。
「そう言われると、急に虚しくなるな」
「なんか、ごめんなさい」後輩の憐れみの視線が痛い。
「友達を作らない俺が悪いし、謝る必要はないよ」俺は、肩に背負った斜めがけバッグの位置を直して、「まぁ、それじゃ。俺は適当に卒業式の看板でも撮って帰るよ。二年間だが、世話になったな。ありがとう」
「いえ。もしよければ、看板とのツーショット撮るの手伝いますよ?」
「いいのか? なら、お言葉に甘えよう」
「あ、だったら、ちょっと待っててください。荷物取ってきますので」
後輩はそう言って、早足で近くの階段を登っていった。
「別に、急がなくていいぞー」
俺がそう声をかけると、
「分かりましたー」
と、返ってきた。ただし、微かに聞こえてくる足音の速度が遅くなる様子はない。
俺はすぐ横の壁に寄りかかり、近くではしゃいでいる連中をぼーっと眺める。
その表情は様々だった。
笑っている人もいれば、泣いている人もいた。逆に、俺みたいに、特別な表情を浮かべることなく去っていく人もいる。
俺は、名前すら知らない彼らが、この三年間をどう過ごしてきたかは知らない。けれど、その表情が生まれる相応の理由があることだけは、同じ場所で三年間過ごしてきたからか、なんとなく理解できる。
「そこで何をしている?」
ふと、声がかけられる。
声の方向を向くと、そこには、いつものTシャツスキニーパンツ姿のキョウカさんがいた。前々から知ってはいた事だが、本当にキョウカさんは畏まった服が苦手らしい。
「特には。人を待ってるんですよ」
「お前のことだ。また幸原だろ?」
「いや、なんで分かるんですか?」
幸原とは後輩のことで、幸原 桜が彼女の名前だ。
「分かるも何も、ぼっちのお前が幸原以外とまともに会話しているところを見たことがないからな」
キョウカさんは、ハハハッと笑った。
確かに、ぼっちの俺は後輩ぐらいしか話し相手は居なかったが、そんなことを本人に面と向かって言えるのは、キョウカさんくらいだと思う。
「まぁ、大学ではちゃんと話相手を作るんだな」
「出来ればそうすることにします」
「頑張りたまえよ、少年。でも、幸原のこともちゃんと大切にしてあげるんだぞ?」
「いや、”でも”ってなんですか?」
「付き合ってるんじゃないのか?」
「別に、付き合ってませんよ?」
「え?」
「え?」
…………。
……。
「ふーん、まだ付き合ってなかったのかぁ」
キョウカさんが、ニヤニヤと笑みを浮かべた。
ついさっきまで、例の飲み会の愚痴を言っていた人とは思えない、見事なニヤニヤっぷりだ。やってて悲しくならないのだろうか。
「教師がニヤニヤ顔で言うことじゃないですよ」
「いやいや。こんな日くらい、別に良いじゃないか。お前もどうだ? 良い機会だし、後でガツン! と告白してみろ、少年。どうせだし、思い出の一つや二つ作ってから帰りなよ!」
キョウカさんは、ノリの良い親戚のお姉さんみたいなテンションで、俺の肩をバンバンと叩く。痛い。
「告白……か」俺は、ぼそっと呟く。
「お? やる気になったか?」
「不安と勇気の天秤がブレ過ぎて、ぼっちの俺には、やろうという決心が付きません」
「そうか」
キョウカさんは、ズボンのポケットに片手を突っ込み、
「頑張れよ、少年。あたしは用があるんだ」
「随分と唐突ですね。別れって感じがしないんですが」
「これくらいあっさりしてた方が、いつか再会した時に気まずい思いをせずに済むだろ?」
「確かにそうですね」
こんな時でも、キョウカさんは、次に会った時のことを考えている。本人は、気楽で在りたいからと言っているが、多分、それだけが理由じゃないと思う。
「それじゃ、また後で」
その一言だけ言って、キョウカさんは去って行った。いつも通りの、けれど別れというには違和感しかない言い回しだった。
……俺と後輩しか来ていない部室に、顧問としていつも律儀に顔を出してたあの日と、まったく変わらない。まるで明日会うかのような、そんな気楽さだった。
「……あの人らしいな」
たぶん、キョウカさんは人との別れに敏感なんだと思う。
*
キョウカさんが去ってからすぐ、後輩が戻ってきた。その肩には、斜めがけカバンがぶら下がっていた。
「遅くなってすみません、先輩」
「別に構わないよ。それより、早く行こう」
「そうですね。すぐに混んじゃいそうですし」
俺たちは、横に並んで階段を降りる。こうして並ぶと、後輩が、頭一つ分小さいことが分かる。
まだみんな教室の近くにいるのか、階段の近くはあまり人がいない。特にそれらしい会話もなく、階段を降りてゆく。
告白、すべきなんだろうか。分からない。けれど、誰にするかは決まっていた。台本も出来ていた。ただ、「好きです」の四文字を吐き出す勇気が生まれない。
……いつだって、後輩とする会話は心地が良かった。
何故かは分からない。馬が合っていたのかもしれないし、はたまた後輩が話し上手なだけなのかもしれない。
そんな心地良さとも今日で最後になるのだと思うと、もっと居たいと勇気が湧いてくる。けれど、その分、フラレるのではないかという不安が募っていく。俺、こんなに人に飢えてたっけな。
気付いたら、下駄箱の蓋を閉じて、靴を履き替えてきた。俺は頭を振り、勇気と不安のパラメーターを白紙に戻す。今は、考えるのをやめよう。
俺は後輩にカメラーー正確にはデジカメだがーーを預けると、校舎を出て、校門前に立てかけられている看板のところまで移動する。
意外なことに、看板の目の前に列はなかった。
まぁ、今さっき解散したばかりだから、当然といえば当然なのかもしれない。
俺は、看板の横に立ち、後輩の方に目を向ける。後輩はカメラを構え、カメラを持っていない方の手を振った。
「撮りますよー……はい、チーズ」
「もう一回撮りまーす……はい、チーズ」
「最後、ちゃんと笑顔でー…………はい、チーズ」
……。
気付いたときには、終わっていた。
「はい、終わりです」
そう言って俺の側まで近付いてきた後輩は、俺のカメラを返してくれた。
俺たちが撮っている間に、周囲に数人ほど待機がしていた人が居たので、とりあえず看板前から離れた。少し歩いて、通行の邪魔にならない場所まで移動する。
「私なりに上手く撮ったつもりですが、おかしかったらすみません」後輩が恥ずかしそうに頬を掻きながら言った。
「いや、撮ってくれただけでもありがたいよ。ありがとう」
「いえいえ、私からの些細な感謝の気持ちですから」
「感謝、か」
おそらく、二年間部活でお世話になったから、という意味だろう。その気持ちだけでも、俺としては嬉しかった。
……そういえば、俺はこいつに何かを返せていただろうか。いつも迷惑ばかりかけていた気がする。
「……俺からも、お前になにかお礼しなきゃな」
俺は、そんなことを口にしていた。言ってから、それが後輩と一緒にいられる口実であることに気付いた。完全に無意識だった。
「え、いいんですか?」
後輩が、俺の目を見ながら尋ねてきた。
「お前が嫌じゃなければな」
俺は答える。
お礼しないと気がすまない、くらい言うべきだっただろうかと思ったが、
「いえ、ありがたく頂戴します」
と後輩が言ったから、杞憂になった。内心ほっとした。
「それじゃあ、何がいいか考えてくれ」
「じゃあ、そうですね……」
後輩は悩むことなく、自分の制服のポケットに片手を突っ込み、俺に近づいて、そっと折りたたみハサミを取り出した。
「それじゃあ、これを頂戴しようと思います」
後輩は小さく笑みをこぼす。
後輩の折りたたみハサミは、俺が着ている学ランの中へと入り、ボタンを止めていた紐を切った。まるで、そうしようと、前々から決めていたかのように。
そして、紐という境界線を失ったボタンは、後輩の手の中へと収まった。
「……え?」
第二ボタンだった。
俺は、その光景に目を見張る。
「先輩」
後輩はその顔を赤く染め、俺を見上げて、たった一言ーー
「大好きです」
ーーと言った。
一言。たった一言。けれど、その一言が、俺の心臓の鼓動を急激に早める。全身が熱くなっていくのを感じる。
…………告白、だよな?
俺は後輩を見つめる。後輩は、顔を赤く染めたまま、全身を震わせながら、俺をじっと見つめていた。その瞳に、からかいの表情は感じられない。おそらく、本気の告白。
酷く、現実離れした感覚。耳から、風の音が聞こえなくなった。返事をしようにも、息が上手く吸えない。俺の五感は今、後輩の好意によって狂わされていた。
……俺は。
……いや、先に告白されちまったから、ここは、俺も、か。
「俺も、お前のことが大好きだ。……俺の、俺だけの彼女になってほしい」
少し不格好な声で、そう返す。口が渇いてしょうがない。後輩に、この声はどう聞こえたのだろうか。口と言葉が乖離しているかもしれない恐怖に駆られる。けれど、それは杞憂だった。
「……ぇ、あ……、う、嬉しいです」
後輩は、まるで何かの糸が切れたかのように、勢いよく俺の胸元に身体を預けてきた。俺は、それを優しく抱き寄せる。後輩の温もりが、より一層伝わってくる。
「……先輩」後輩は顔を上げ、俺を見つめる。「私のこと、桜と呼んでくれませんか?」
「あ、あぁ……」俺は深呼吸して、「さ……、桜……」
「はい、先輩」
「……桜」
「はい……んっ」
俺は、後輩ーー桜と唇を重ねる。桜は一瞬、目を見開いたが、すぐに目を閉じた。口に味わったことのない味が広がるのを感じる。
どこかで聞いたことがある。ファーストキスは、とても美味ーー、
ーーパシャリ。
突然鳴り響いたシャッター音に、俺達は咄嗟に身体を放す。シャッター音の方を見ると、カメラーーこっちは結構本格的なやつだーーを構えているキョウカさんが居た。
「さっきぶりだな、芳野少年」
キョウカさんはカメラを顔の前から下ろす。ニヤニヤ顔が表れた。ちょっと殴りたくなった。
「すまんね。シャッターチャンスかと思って、つい切っちまった」
「京香先生……デリカシーないですよ」
桜がジト目でキョウカさんを見つめる。キョウカさんは、悪びれた様子もなくハハハッと笑った。
「まぁ、ついでと言っちゃなんだが、もう一枚、撮られてくれないか? 今度はあそこで」
キョウカさんは、親指で背後をクイッと示す。桜はその意図を理解したのか、「良いですね」と言って、俺の手をとった。
「行きましょう、先輩」
俺は、桜に引っ張られながら、目的の場所まで歩く。偶然にも、そこまで待つことはなかったが、生徒二人と教師一人(場違いな格好)という、違和感しかない組み合わせに、結構な人がこちらに視線を向けた。視線が痛かった。
「良い思い出ができて良かったな」
背後に立つキョウカさんが、そう言った。どちらかといえば、「できた」というよりも、「できてた」の方が正しいのだけれど。嫌な思い出ではないので、言わないことにする。
「よかったですね、先輩」
横で、桜がかわいく微笑む。
桜が彼女になってくれて俺は幸せ者だ、ありがとう。……と、ここで言うのは、後ろにいるキョウカさんの心の傷がえぐれそうなので、
「あぁ。本当に良かった」
とだけ言った。桜への感謝は後で伝えよう。
順番が回ってくると、たキョウカさんは中腰になって、手を振り合図をする。俺と桜は、校門前の看板を挟んで並ぶように立ち、カメラに視線を向ける。
「それじゃあ、撮るぞー」
……。
「はい、チーズ!」
パシャリ。
なぜだろうか。
シャッターが閉じて開くまでの一瞬が、妙に長く感じた。たった数十分前の時、桜に撮ってもらった時とは雲泥の差だった。
「もう一回! はい、チーズ!」
パシャリ。
……あぁ。
俺はぼーっとしてたのか。
この瞬間という幸せを噛み締めているんだな。あの時は過ぎ去る時を傍観していたけれど、今は違う。俺は、満足しているんだ。
「先輩」
俺の隣で、桜が呟く。
「卒業、おめでとうございます」
「最後! 死ぬくらい笑え! はい、チーズ!」
パシャリ。
ーーありがとう。