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BetterSweetSamba.  作者: 雪本歩
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幸せについて本気出して考えてみた

 小さな頃はいろんなものに憧れた。テレビのスーパーヒーローに格好いい大泥棒。プロ野球選手やロック歌手。どんな未来も描けていて、その先に不安など何一つなかった。

 それが遠い昔、多分中学生くらいまで。

 高校に進学して、無難な大学に進学して、楽しいキャンパスライフを味わった。将来のことなんて何も考えていなかったけど、大人になればどうにかなると思い込んで。そんな風に考えていた一、二年ほど昔の自分を、とりあえず殴りに行きたい。


「鷹梨、お前就職活動とかしてんの?」


 桜舞い散る春の日頃。大学だというのにパリッとしたリクルートスーツ姿の山下に呼ばれた俺は、思わず目を剥いた。まだ三年に上がった春で、卒論の話だって出ていない。そこにもう、就職の話だ。


「えっ山下もう活動してんの? 大体、エントリー開始とかって夏からだろ?」


「昨今の就職状況とかさんざんニュースで騒がれてるだろ? 期間が短くなるからってんで、卒論とかに追われる前にOB訪問とか企業研究とか、始めてる奴は始めてるぜ。お互い理系じゃないし院にもいかないんだろ? 業界とかは決めてんの?」


 山下の相変わらずのマシンガントークを聞きながら、脳内はフルスロット。

 卒業は再来年の春。そもそも俺は、一ヶ月後の自分すら描けない。


「あっまぁ……ぼちぼち始めようかな」


「大手企業は書類締切も早いからなー。じゃ、俺これからハロワだから」


 いつもの暑苦しい体育会系の山下とは思えない爽やかな笑顔で別れを告げられて、いつものゆるいアメカジに身を包んだ俺の心に、言葉に言い表せない重みを感じた。

 小さな頃からどっちかっていうと苦労の多い境遇で、自然と先見をする子供時代を過ごした。世の中の動きを自分なりに解釈することがなぜにか好きで、そこから今後の世情を予想しつつ、自分のやりたいことを考えて生きてきた、つもりだった。


(端的に言ってしまえば、二十歳になっても俺は頭でっかちなガキから脱出してないのかもしれん)


 今日の授業を全部済ませ、まっすぐ小さなワンルームのアパートに帰る気にもなれず。いつもは素通りする通学途中の経路の中から適当な駅を選び、なんとなく下車した。一応東京都だというのに新宿や池袋みたいな繁華街と違う形で賑わう駅前を、高架上のホームから見下ろす。ごった返す人並みの中に、時折高校生らしき制服の姿が見えた。


(あの時代は俺にもあって、そもそも数年前なんだけど。あの頃は何考えて生きてたんだっけなぁ)


 イヤホンから流れるアップチューンの邦楽。電車内で下げていたボリュームを一気に上げて、外の音を遮断した。

 耳の鼓膜を振動し、脳内に響く明るい歌。昔からずっと好きで買っているロックグループが「幸せについて」を語る。当たり前だが、前向きな明るい曲で明るい歌詞だ。でも幸せについての答えは、どうやらこの人たちも見つけてはいないようだ。

 電子音を鳴らす改札も、人の声も雑踏も、全部聞かないようにした。たまにこうしていると、世界と自分を切り離しているような、ネットスラングだったかで言う「中二病」とやらに浸れる。正しい意味は知らないが、悩める青少年はいつだって子供みたいなもんじゃないだろうか。


(さて、どこ行こうかな……)


 実は初めて下りる街だったので、どこに何があるのかは全くわからない。改札を出たところに駅ビルの案内板が見えたので、とりあえずそこを眺める。

 女性向けの服屋が多い気がする、これはどこも一緒なんだなと思った。雑貨屋、喫茶店、CDショップと上から順番になぞっていってふっと、本屋の文字に手を止める。フロアの半分くらいを占めるそこそこ大きな本屋のようで、別に本を普段から読むほうではないのだが、なんとなく、そこに決めた。

 背より高い棚が立ち並ぶ。さすが駅ビル内だからということなのか、結構綺麗だ。どこに何があるとかはもちろんわかっていないが、適当に店内を見て回ることにする。漫画の新刊コーナーだけ立ち止まったが、特別物欲が動くほどのものはなかった。

 本の背表紙を流し見ながら、立ち読みする人を観察する。もちろん無遠慮にジロジロと見るようなことはしてない。まだ午後の三時くらいだというのにちらほらとビジネスマンのような出で立ちの人も居た。サラリーマンってこの時間は普通会社じゃねぇの? と内心驚いたが、外回り中の営業職というひとつの可能性に気づく。どっちにしろ勤務時間中にゴルフの本とか立ち読みすんなよ、とは思ったが。

 適当に店内を見て回っていたが、ある箇所で足が止まった。平積された本の飛び込むタイトルやあおり文句に、大音量で隅っこに押しやっていた心の重さが布に水を浸すような感じに、浸食してきた。


 ―――試験によく出る! SPI問題


 ―――有名キャリコン絶賛本、就職面接ではこうしろ etc.etc...


 白地に赤か黒のカチッとした書体で書かれたどれも似た感じのデザインの就職本。まだ五月の連休まで半月くらいあるっていうのに、今年度対応とか書かれている。その年号は紛れもなく、今年だ。

 渋い顔をしていたと思う。いくら何でもまだ早いだろ? と内心で呟いたが、あのムカつく爽やかな笑顔の山下が俺の脳内で同じ言葉を反復するもんだからつい、一冊手に取った。

 SPIなんて聞いたこともない単語のくせにSPI2とかっていうのもあるらしい。ページ内には計算式が並ぶ。一見数学かと思いきや、ちょっと違う。関数とか方程式とか、理系以外が毛嫌いしそうなものではなく、四則演算が中心のようだ。ただし、一個の式がずいぶん長い。

 試しに一、二問ほど暗算してみる。基本が三桁程度でかけ算とわり算もごっちゃに混ざっていて、だんだんと桁がわからなくなった。とりあえず答えのページを見てあっているかどうかを確認したが、そもそも答えを導き出せてない時点であっているかもわからない。

 SPIとSPI2ってなんだそれ、なんの進化系だよ。つーか俺の許可無く勝手に進化とかすんな、Bボタンは連打したぞ。

 結局、二桁程度の式が短いものしか解けなかった。暗算にだって限界はある。俺はそろばんを習っていたわけでもないし、自慢じゃないが計算は遅い方だ。「よくわかるSPI対策」という試験対策本も横にあったので手を伸ばす。このSPIというのが就職試験でどういう形式で出るのか、その辺りが載っているところを探して開き、衝撃を受けた。

 制限時間内にただひたすらに解いていくだけ。それもできうる限り一問でも多く、できるだけ正確に。他の例題を見ると四文字熟語の中抜けだとか書かれた言葉の反対語を書くとか、これはまだ良い。国語の範囲だ。並んでいる記号の規則性を読み解いて同じ規則性のものを選べとか、解けたところで何を判断するのかいまいち解りづらい問題もある。もちろん小学校どころかどこに通ってても習うことはないだろう。ほとんど謎解きパズルのようなもんだった。

 そもそも学生の勉強が将来役に立つかどうかなんてのは考えちゃいけないかもしれないけど、いざ企業に就くための最初の関門は、あまりにも意味不明だ。二十数年生きてきた知識よりも、その一瞬にだけ必要な知識を試されているようで、手に持った本の重みが増したような気がした。

 ようするにこれから、卒業後にちゃんと仕事に就くためにはこの問題集を買って勉強をしつつ、残っている単位分の大学授業と卒業論文を同時にこなしていかなければならないわけで。もちろんバイトだってある。貴重な学生時代の残り二年。夢とか希望なんて言葉よりも真っ先に出てきた「社会の現実」という言葉は、これっぽっちも明るくない。

 本棚の前で本を手に絶望していたら、店員らしきエプロンをした人が隣にしゃがみこんだ。いまだ外の音を遮断していた俺の耳に実際聞こえてはこなかったが、何か言われたような気がする。足元を見ると俺が退くのを待っているようだったのでほんの少し、横にずれた。平積み台の下が引き出しになっていることなんて知らなかった俺の前で、黒髪の店員はてきぱきと働く。


(本屋の社員って、月給どんくらいなんだろうな。バイトの時給は高くねぇし、生活できんだろうか)


 そんなことを考えながら少しぼんやりと店員を見ていた。作業が終わったのか棚を閉め、顔を上げた店員の顔を見て、ちょうど同じようなタイミングで店員と同じ顔をした。

 紺色のカーディガンに黒いエプロン姿の黒髪の青年。大体同じ背丈の店員は、小学校時代からの親友だった。


「アキ、何してんの」


 俺の問いにアキが何か答える。音楽プレイヤーから流れる音のせいで俺の耳に声は届かない。慌てて鞄を探ってプレイヤーを止め、イヤホンを外した。脳内が一気に静かになって、日常空間に引き戻される。


「……タカこそ、こんなところで何してるんです?」


「俺、大学の帰りで」


「いつもこの近辺にいるんですか?」


「いや、今日はたまたま」


「そうでしたか」


 互いに今は一人暮らしで家も知っていたが、バイト先まではさすがに把握していなかった。

 アキとは俺と違いどちらかというと口数も少なく大人しいタイプだったが、なんとなく馬が合って、長い付き合いになる。妙に丁寧な口調もやっぱり、相変わらず。


「アキ」


 まだバイトの時間内だからと仕事に戻ろうとしたアキを思わず呼び止めた。こいつだったらなんとなく、俺の的確な言葉として言い表せない気持ちをわかってくれるんじゃないかと、半ば甘えるような気持ちで思ってしまった。


「お前、バイト何時まで?」


「そうですね……あと一時間半くらいです」


「この後なんか用事あるか?」


「特には」


「じゃあ奢るから、ちょっと付き合え」


 ダメで元々だった。アキは地味に見えて少し整った顔をしているから、彼女がいてもおかしくはない。まぁ少し天然の気があるのは付き合ってみないとわからないもんだが、女子っていうのはそういうギャップに弱いとか聞いたことあるし。いやまぁ、だからなんだという話なんだが。

 ほんの少しの間が空く。


「……かまいませんよ、奢る必要もありませんが。どこに行くんです?」


「俺この辺り詳しくないから、適当に歩いて決める。携帯に連絡すりゃいいだろ?」


「わかりました。じゃあお願いします」


 OKをもらえるとは思わなかった。「それじゃあ後で」と少し笑って、アキは仕事に戻っていく。あまりにもあっさりとしすぎて、俺は何から話そうかも考えてなくて。とりあえず、手にしていた本を戻した。




 駅ビルから少し離れたところ。できれば落ち着いたところで話をした方がいいだろうと思って選んだチェーンの喫茶店で、しばらくぼんやりとアキが来るのを待った。相変わらずイヤホンから流す邦楽のポップチューンは今度は「涙など人知れず流せばいい」と言う。そんな男になれたら確かにカッコいいかもしれないけどなぁなんて思いながら、携帯をいじる。頼んだカフェオレはすでに飲みきってしまって、音の洪水を耳に入れながら意識して世界を遮断していた。

 ふっと人の気配に顔を上げるとアキが立っている。挨拶代わりに片手を上げてプレイヤーを止める。


「すみません、少し遅くなりました」


「いいって、呼び出したのこっちだし。何飲む? 俺もついでに買ってくる」


「じゃあアメリカンで」


「はいよ」


 空になったマグを返して新しいものを頼む。男ながら若干甘党な俺は少し悩んで、結局同じカフェオレを頼んだ。シュガースティックを二本とミルクポーションをひとつトレーに乗せて席に戻る。


「砂糖とかどうだったかわからんから一個ずつ持ってきた」


「あぁ、使わないので大丈夫でしたのに」


 そう言ってブラックのアメリカンが入ったカップを取り、アキが小さく笑う。何がおかしいんだと指摘をすると、俺が頼んだカフェオレを指差した。


「いえ、相変わらず甘党なんだなと思って」


「悪いかよ」


「いいじゃないですか、タカらしくて」


「どういう意味だそれ」


「好きに取ってください。で、何か用があったんじゃないんですか?」


 少し不思議そうにするアキの手前、どう言葉にしていいかわからず俺はほんの少し黙る。確かに聞きたいこととか喋りたい事はあるのだが、どう話せば上手く伝わるのか検討がつかない。話の根本になるだろう事柄だけは明確にせねばと、言葉尻を濁しながらも口を開いた。


「あー……お前、就職とかどうすんの? ほらなんか、もう三年でさ。そろそろ企業研究とか始めている奴いるし、お前は大学も学科も違うからどうすんのかなって、思って」


 不安や悩みをごまかす悪い癖が出る。アキもすでに就活に向けて動いているかもしれない。それをはっきりと言われた時、多分俺はショックを受ける。それに対するただの自己防衛のような、軽薄な笑みを浮かべた。

 アキは天然なわりにしっかりしていて、時々びっくりするほど的確な人のウィークポイントとを突いてくる。それは悪い意味ではない。本当に、俺という人間の扱いを心得ているという感じだ。


「まだ特には……タカはもう動いているんですか?」


 あっさりとした否定の言葉に、俺は内心で安堵の息をつく。俺だけじゃなかったというこの安心感は正直あまり良くはないだろうが、さっきまで俺を取り巻いていたモヤをほんの少し吹き飛ばしてくれた。


「いや俺もまだなんだけどさ。なんか、まだ大学も二年あって卒論だって決まってないのに、就職とか言われてもなって思ってさ」


「そうですね。将来のことを考えない事もないのですが……」


 俺の軽薄な笑みが一瞬硬くなった。


「将来のことを考えない事もない」ということは、アキなりに考えていて未来は描けているんだろうと、勝手な推測を行う。さっきも言ったがアキは天然に見えてしっかりしている。そうたぶん、俺よりも。


「できればこっちに居たいですしね。貯蓄とかはしてますし、まぁ、なるようになるかなと」


「卒業後どうしてたいとかとか、考えてるのか?」


 声が平常を装えていたか、正直定かじゃない。ごまかすように飲んでいたカフェオレは、気づかないうちに空になっていた。


「それとなくは」


 僅かに微笑むアキの顔を直視しできなかった。

 その跡何を話してどう帰ったのか覚えていないのだが、気がついたら俺は一人暮らしの狭いワンルームアパートに居て、電気も点けず夜を迎えていた。


(アキもやっぱり、考えてんだな)


 突きつけられた現実に、思考がぐるぐると回る。一足飛びのような速さでやってきた現実に立ち向かうために色々考えてみた。

 片親の一人っ子だから将来的に親を養わねばいけない、親の年金がどれくらいかなんてのは知らないが、育ててくれた恩を返すためにもという気持ちは僅かにある。そのためにはそれなりの月給がもらえる会社だろうが、社畜やブラック企業なんてものがある昨今、そんなところに入社してしまったら俺はどうなるんだろう、いやそもそも社会に出た時俺は何ができる? 俺は何をしたくて大学に進学したのか、結婚はするのか、どんな仕事がしたいのか。自分は何が好きで何が嫌いで、何を仕事にしたいのか。

 袋小路の迷路よろしくな思考を持て余し過ぎて、ふっと携帯を見たらすでに二二時を回っている。音楽を聞く気にもならないし、すっかり忘れた飯を買いに行く気力もない。そもそも食欲とはなんだっただろうかなんて、本当にバカらしいことを考え始め、どうしようもなく惨めになる。

 また時計を見る。二二時三〇分。

 帰ってきてから鞄もジャケットもそのままだった俺は、何も考えずに家を出た。

 電車に乗ってから気づいたのだが音楽プレイヤーだけは、部屋に置いてきていた。

 小綺麗なアパートのドアの前。すでに二三時を回っている。連絡もせず迷惑だろうとか何も考えずに伸ばしたインターホンの電子音。深夜の住宅街はあまりにも静か過ぎて、その音がやけに大きく聞こえる。日ごろから音楽を聞きながら歩き回っているせいか時間の感覚もわからず、すぐに焦れた俺は二回目の電子音を鳴らした。


『はい』


 くぐもった電子越しの声に、惨めな心が少し和らぐ。


「アキ、悪い。来た」


 カチャっと電話が切れる時みたいな音の後、驚きの顔をしたアキが玄関を開けた。寝る前だったのか部屋着にカーディガンを羽織った姿だったが、俺の酷い顔を見たせいか何の不満も言わずに上げてくれた。

 1Kと俺のところより広いなアキの部屋は質素だ。生活臭がないわけではないのだが、不便と感じないギリギリの物しかない感じがする。昔からの付き合いだからこそ思うのだが、アキらしい部屋だといつも思う。

 お互い気が置けない仲だからと、何も言わずにベッドに寄りかかる体制で座った。アキ以外誰も居ない空間に気が緩んで、思わず長いため息をついた。


「もう寝るところだったんですよ?」


「悪い」


「先に連絡をくれればよかったじゃないですか」


「悪い」


「カフェオレですよね?」


「……うん」


 泣いている子供を慰めるように俺の頭を少し撫でてから、アキがキッチンの方へ立つ。しばらくするとコーヒーの香ばしい香りがした。普通サイズのマグと少し大きめのマグを持って戻ってくると、何も言わずに俺の方に大きなマグを差し出す。

 俗に言う「弁当男子」の分類に入るほどアキは料理が好きで、大学入りたての頃は酒を持ち寄ってどちらかの家で飲み会をしていた。それのせいでお互いの家に食器の類は二セットある。それぞれが適当に揃えているうちに、そんな変なことになった。

 付き合いは長いし互いに気が置けない。その上俺の扱いを心得ている。だからこそ昼のことがあっても、自然とアキの家に足が向いていたんだと思う。

 湯気の立ち上るカフェオレのマグを受け取って一口飲んだ。俺好みの甘みが凝り固まっていただろう精神を和らげていく。店で飲んだカフェオレなんか比にならないくらい、俺を落ち着かせた。


「それで、どうしたんです?」


 俺は床で、アキはベッドに座っているために顔が向き合わない。そのせいか喫茶店の時とは違って―――まあ考えるのが面倒になったという俺の心理状況もあっただろうけど、とりあえず思いつく言葉をそのまま吐き出す。


「俺は、自分で思っていたよりもバカだった」


「何をいまさら。タカは昔からバカじゃないですか」


「えっ何、俺そんな風に思われてたの?」


「気づいてなかったんですか? タカは昔からバカみたいに素直で正直で、そのくせ他人のことばっかり考えるどうしようもない大バカ者ですよ?」


「それ褒めてんの、貶してんの」


「好きに取ってください」


 いつものようなやり取りに余裕ができたのか、俺は小さく笑った。春先でもまだ少し冷える夜道を日中と同じ薄いジャケットで歩いたせいか自分でも気づかないうちに冷えていたようで、体の端っこのほうにしみこんでいくように、体が暖まってきた。


「……ガキの頃ってさ」


 ほんの少し小さな力のない声で、俺は今日一日考えていたことを口に出す。


「大人になったら何にでもなれるし何でもできると思ってて、例えばマイケルみたいなスーパースターだとか、イチローのようなメジャーリーガーとか、なんでも想像できたじゃん。まぁ子供だし何も知らなかったってのはあるんだけど、未来っていうのはもっと明るくて楽しくて、青空みたいなもんだと思ってたんだよな」


 ぽつりぽつりと喋る俺の言葉にアキは相槌をうたない。ただ横でじっと俺の方を見ているその気配だけで、聞いてくれているのは判った。


「でも実際大きくなって、いつの頃からか覚えてねぇんだけど、何にも描けなくなってたなんて、今更気づいて。大学卒業して何がしたいとかどう生きようとか、彼女ができて結婚するとかそんな些細なことすら、想像できなくなって。今日さ、学校のダチがもう就活始めてて、みんなちゃんと将来のビジョンみたいなのがあるんだって知ったら、じゃあ俺は何がしたいんだって考えちゃって……想像しても真っ暗なんだよ、なんも見えてこない」


「そもそもタカは、結婚の前に彼女ができるんですか?」


「うるせぇな童貞。最近どうせまた女子力上がってんだろ」


「失礼な。童貞の部分はそっくりそのままお返しします」


「お前がそんなんだから高校の時、俺たち影で『デキてる』とか言われてたんだよ」


「……それは、初耳でした」


 高校受験の時、親の負担を考えて家から近い地元の公立高校を選んだ。その頃には学区なんてものはなくなってて、自分の意思で好きな公立高校を受験できたから、てっきりアキとは別れるものだと思っていた。

 入学式の日。同じ制服に身を包んだアキを見た時は二人してバカみたいに笑った。他にも同じ中学から進学した奴はいたが、アキほど一緒に居て楽な友人はいなくて、当たり前のようにいつも一緒だった。そのせいで一部の女子が含み笑いを浮かべた顔でこちらを見ていたのには、なんとなく気づいていた。


(そうか。こいつ天然だからそんな面倒なこと考えずに、俺と居たんだろうな)


 別に俺はホモじゃないが、アキのことは好きだ。噂程度で距離を置くような関係だとは思っていなくて、卒業するまでつるんでいた。それは今もそうだ、お互いまだ学生で、時間があるから時折遊べる。

 じゃあ、時間のない社会人になったら、こいつとはもう終わりなんだろうか。


「……難しいことはわかりませんが」


 しばらく二人して黙り込んでいたら、アキが首を傾げながら僅かに俺のほうに向き直る。


「今考えても仕方なくないですか? ちょっとだけ未来に備えていて、未来で困ったその時の気持ちと状況で考えればいいと思うんですが。だって、未来の自分がいくらお金を持ってて、何を着て何をしているかなんて、わかるわけないじゃないですか」


「不安じゃねぇの? それこそ何かあったらとかあるじゃん、去年は東北ででっかい地震もあったしさ」


「でも未来がわかったらタカは安心しますか? ドラえもんのタイムマシンって便利なように見えますけど、移動ができるってことは、未来は決まっててそれ以外変わりようがないんじゃないかって思うんですよ。全ては定められていたことなんて、タカだってイヤじゃないんです?」


「タイムパラドックスの概念はなし?」


「それだって分岐の先は決まっていると思いますね」


「なるほどな。じゃーあれだ、徳川の時代にでも行くか」


「タカは難しく考えすぎなんですよ。まぁそれが、タカらしいんですけどね」


 何か言い含めるような笑みを浮かべたアキの顔を、俺はようやく直視することができた。声変わりをする前から知っている親友の顔が、頼りになる「大人」のように見えた。


「あー、アキが女だったら俺、嫁にするんだけどな」


「仮に女だったとしてもゴメンですね。で、カフェオレのおかわりと帰りの電車は?」


「すでに終電は行ったな。なぁやっぱり、女子力高いって言われねぇ?」


「今すぐ追い出しましょうか?」


「スイマセンデシタ」


 昔から変わらない軽口の応酬に耐え切れず笑う。アキも同じように笑って、空になった二つのカップを手に立ち上がった。


「俺、卒業してもお前とバカ言ってる気がする。それだけは、思い描ける」


「別に社会人になったからと言ってバカできないわけではないでしょう? そもそも社会人になったくらいで、タカのバカは治りませんよ」


「お前の女子力も同じだ」


 袋小路の迷路に出口はいまだ見つからないが、少なくとも、どうやらその迷路の中で俺は一人ではないようだ。

 ただしお互い、地図は持ち合わせてないみたいだが。

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