第二話。紫気(むらさき)による銀色の変光。
どうしたことだろう。感覚がある。
いや、違う。感覚が……戻ってきた。
戻ってきてしまった。
「まったく。生気吸収嫌いもここまで来ると一種の才能だな」
すぐ近くで声がして、わたしは思わず目を開けた。
「なんで……」
わけがわからない。
今のわたしの視界には、あの少年の疲れたような顔しか映らない。映せないほど近くにいる。
この間合い。まるで……。
「あんた。一週間以上『食事』してなかっただろ」
「……そう、だったかな?」
やれやれ、と溜息を吐かれてしまった。
思い返してみる。
……そういえば。わたしはこの少年を探すことにばかり意識をやっていた。
どうやら。そのせいで『食事』を忘れてしまってたらしい。
「これほど生存本能がない生き物も、珍しいんじゃないかな?」
表情そのまま、少年は疲れたような声を吐き出した。
「わたしは……」
知らず、顔を背けていた。こうもはっきりと言いきられてしまうと、たとえ新年でも言うことを躊躇する。
「ここにいたのがぼくでよかったよ。ぼくじゃなかったら救急車呼ばれてめんどうなことになってたからね」
「……え? どういうこと?」
はぁと溜息をつく少年は、わたしから体を離した。
「あんた。なんで生き返ったのか、本気でわからないのか?」
「……はい」
頷くしかない。
「うつぶせに倒れたあんたをひっくり返して。で、顔を覗き込んだらあんたの本能が行動を開始した。これでわかるか?」
物わかりの悪い子供に、しかたなく言い聞かせるような。そんな口調。
『食事』をぜんぜんとらないわたしに、そんなことではすぐに干からびて死んでしまいますよ、と母がこんな調子で何度も言っていたから 目の前の少年の心はわかる。
ーーでも。
「あなた。なんて……」
いやだった。こんな奴の生気を受け取るなんて。
しかも、勝手に。それもわたしが自分からやった、ですって?
「引きはがすの大変だったよ。ぼくじゃなかったらカラッカラのミイラになってたところだ」
……なによその顔。なんであきれ返った顔してるのよ?
「ほっといてくれればよかったのに」
半身を起こしながら呟いたわたしに、また少年は心底呆れた息を吐いた。
「死にたがってるようには見えなかったけどな。あんたの吸いっぷりは」
「……いいえ」
首を横に振って、はっきりと否定する。
「そりゃ理性の話。それなら聞くけど。あんた、なんで今まで生きてた?」
嗜めるように言われて、すぐに言葉が返せない。
「無意識な意志で、生きることを望んでたみたい、わたし」
そう、たった今。すっきりした自分の身体を感じて自覚した。
「だから言ったろ? 本能って」
よくできました、とでも言うような偉そうな頷きを一つしながら、少年はそう言う。
「うん。やっぱり美人だ」
続けていう少年は、なにに満足したのかまた頷いた。その表情は噛み殺したような微笑。
「さて。じゃ、いきましょうか?」
さっと立ち上がって少年は言う。
「どこにつれていくつもりですか? やはり、母の下ですか?」
わたしも立ち上がって、そう尋ねる。
ですます調なのは、人間に混ざって生活するために得た処世術。人間って言う生き物は、言葉一つで印象を変えてしまう物。だからなるべく、波風の立たないような口調でいようと思ったのだ。
この生活をし出して少しして、案外わたしは寂しがりなんだなって、気付くことになったのよね。
口調一つで印象がかわってしまうのはわたしもそうで。人と違う存在であっても 知性と言う物を持つ生命体は、おのずと似通うのかもしれない、なんて考えたこともあった。
「お察しの通り、ぼくはネクロパ。あなたのお母さんに頼まれたんだ。連れてきてほしいって」
「やっぱり……」
思わず口にしていた。
やっぱりそうなのだ。サキュバスらしからぬ生き方であるわたしを、異端者として捌くつもりなんだ、お母様は。
つい今さっきまでは、それでいいと思ってた。この体の定めから解放されるなら、わたしは消えてもかまわないと。
ーーでも。自覚させられて。そして思いがかわった。かわってしまった。
……生きていたい、と。
「見逃しては……くれませんか?」
尋ねていた。頭で考えるよりも早く。
「駄目だね。せっかく見つけて、それにあなたの側からもぼくを探してたみたいだし。こんなチャンスはそうないと思うから」
無慈悲な通告に、わたしは言葉を詰まらせた。
ーー死にたがってたわたしが、消滅を望んでこの少年を、
名もなにも知らない少年を求めていたなんて。言えるはずが、なかった。
今さっき。本当にほんのわずかに前に。突然、まったく逆の方向に思考回路が切り替わったのだから。
「そう。です、か……」
顔が少し冷たくなった気がする。これはたしか……人で言うと血の気が引くって言うんだったかな?
「そう絶望しないでよ。きっと、悪いことにはならないからさ」
屈託のない微笑みが、断頭台への導き手のそれに思えてしかたない。
ーーでも。したがうしかない。今の自分の、この一瞬にしてかわった思考のことをうまく説明できないから。
苦笑いが溢れた。気絶する前のわたしと、今のわたし。自分のことをうまく説明できないなんて……まるで別人みたい。
「それは……どうして、あなたがそれを?」
懐から少年が取り出した物を見て、わたしは驚いて声を揚げた。
掌に収まるほどの、でも宝飾品にしては大きな黒い水晶のあしらわれたペンダント。今そこには、城と呼ぶのが最も適した建物が、水晶の多角を無視するように一つの形だけを示している。
分かり易く言い換えれば、水晶の中にその城があるような、そんな不自然な映り方。
「移動時間の短縮のために借りてるんだ。この転移の宝珠をね」
転移の宝珠。それは異形の間でも希少な物。一定の場所への瞬間移動を可能にする魔法の品。
「母から、ですね。その綺麗な黒い宝石、母が首から下げてるのを覚えてます」
「ご名答。ってことで」
行こう、そう言うのと同時に。わたしは少年にギュっと手を握られた。
「え、あ。えっと」
手を握られたこと。これから処刑されてしまうこと。本当にこの少年は軽薄だな。いろんなことが一瞬にして頭の中をぐるぐるし始めて、うまく言葉が出てこない。
「美しき黒の棺に守られし果てなる地」
でも、少年はわたしの気持ちなんてお構いなしに、その水晶の力を行使するであろう言葉を詠唱み始めてしまった。
「まってください。まだ、心の準備が。覚悟がっ」
「我その蓋に手を書ける愚者なり」
相変わらずわたしを無視したまま、少年の詠唱は続いてしまっている。
淡く青く光を放ち始めた宝珠。その青い光が回転を始めた。
「眠りし高位なる汝」
生き物のさがなのかしら。こうしてぐるぐる回る物って、自然と目を 意識を吸い寄せる。
わたしの魅了なんかより、遥かに意識を釘付けにする。ただ、ぐるぐる回ってるだけなのに。
ーーなんか。悔しいな。
「我が手を首肯するならば」
……っ、いけない。とめなきゃっ!
「この身を招き入れた前」
突然回転速度を上げた青の光。
「っ!」
青の光は、回転の勢いをそのまま力にでもしたように、激しい光となってわたしの視界を覆い尽くした。
わたしが行動に移るよりも前に、詠唱は完了してしまったみたい。
ーーなんて強引な少年なの。やっぱりこいつ、女の子に好かれないタイプだわ。