ep.6 仮面
朝起きて寝巻のままポストを開けるところから、私の夏休みの一日は始まる。
今日は特に通知が来ていない。けれどポストの脇に回覧板が立てかけられていた。
「夏祭り……。もうそんな時期かあ」
挟まれてあった花火が大きくプリントされたチラシを見て私はしみじみと思った。
夏祭り。懐かしいね。子供の頃よくハルキと行ったな。その日は珍しく親が千円ずつお小遣いをくれたから二人で遊び倒した覚えがある。
遠い夏の日の思い出。なんてね。
そうだ今年は部活のみんなを誘って行こう。浴衣も着よう。可愛いやつ。お金は長年溜めたお年玉貯金を崩せばなんとかなるはずだ。
「よーし」
近い夏の日の予感。
後で、トウカちゃんに電話を掛けてみよう。こっちに出てきて流石に浴衣は持っていないだろうし一緒に買いに行きたいな。あとカナデちゃんは……どうだろう?
カナデちゃんは……まあ、いっか。
いや、でも……聞いてみるだけ聞いてみよう、今度。
♢♢♢
「唐突ですが、写真部は今年度から合宿を行うことになりました!」
部室に集まった面々は目を丸くしながら、宣誓したトウカちゃんを見つめた。普段リアクションが薄いカナデちゃんは先ほどからじっと自分の手のひらを見つめて我関せずと言った感じではあったが、その言葉に写真部の長へと視線を遣った。
「合宿? 聞いてねえぞトウカ」そこにシュウジが口を挟むが、当然といった顔でトウカちゃんが返す。
「そりゃあ言ってないもん。でも今年はまだあんたらが卒業するまでウチの部は実質五人やからな。予算の割り増しの打診をこないだしてみたんよ。ほんなら案外簡単に通ってもうてな? お陰であたしの財布は潤いっぱなしや!なっはっは!」
「それ横領って言うんですよ、トウカさん。知ってます?」
「冗談やって、ハルキくん……。ともかく、今年は合宿できるぐらいの予算があるってわけや! その代わり体育祭やら校内新聞やら仕事が盛りだくさんで秋は忙しくなりそうやし、夏の間に合宿しとこって魂胆や」
「にしてもなんで合宿なんだ……? 俺は受験勉強で忙しいんだが」
「アホシュウジ! 夏と言えば合宿! 合宿と言えば夏! 受験は冬やで! 最後の思い出作ろやないか!」
「夏は受験の天王山とも言うがな……」
「てなわけで諸君! 合宿は三日後や!」
「ええ!?」部員一同(若干三名)の息が珍しく合う。
外を照らす太陽にも負けず劣らずの輝きを含んだ笑みを浮かべるトウカだった。
合宿か。急な話だけど、楽しみだな。
♢♢♢
解散後。私は一度帰るフリをしてからある場所へと向かった。
音楽室だ。
弟とカナデちゃんの二人きりの空間。
私は籠の外から見ているだけの存在。
彼らの邪魔をしてはいけない。
これは多分ハルキにとって必要なことなんだ。
私は理由も分からないまま自分にそう言い聞かせた。
「入らないのか?」
音楽室の引き戸に背をつける格好で体育座りをした私に、ひっそりと声をかける者がいた。
「シュウジ……」私と同じように音楽室の様子をこっそりと窺っている長髪の男、幼馴染のシュウジだ。
「気になるんだろ?」
「うん。でも、入っちゃダメなの」自分がぎこちなく笑っているのがわかる。
「そうか」
そこで会話が途切れる。やがて中からはカナデちゃんが弾いていると思われるピアノの音色が漏れ聞こえてきた。
「どうして来たの?」扉の前で座る私の横に音を立てないように座り込んで、胡坐を掻くシュウジに尋ねる。
「最近のお前、なんか変だったからな」
「そっか」
「シュウジってさ」
「なんだ」
「好きな人いる?」
「いるよ」すっと呼吸してから小さな声でシュウジが言った。
ピアノで弾かれた曲は、さっきとは違うものになっていた。それはどこかで聞いたことのある旋律で、私の記憶の片隅を突く。
「意外」
「そりゃあ俺も人間だからな」
「その人のためなら何でもできる?」
「わからん。できる範囲なら何だってやるかもしれんしそうでもないかもしれん。俺は無力な人間だからな。人の為に何かをするには力が及ばない」
「でも結局行動はするんでしょ。そういう所私にそっくりだもん。考えるより前に体が動くとこ」
「幼馴染だけあって流石よく知っているな」
「うん、幼馴染だもんね」
「お前の考えていることぐらい手に取るようにわかるよ」
私はそのシュウジの言葉に小さく笑い、音楽室の中から見えない程度に伸びをし、立ち上がる。
「行こっか。シュウジ、今日買い物付き合ってよ。晩ごはん作るの私だから材料買いに行かなくちゃなんだ。荷物重くなるから持ってよね」
「はいよ。世話が焼けるぜ」
その会話の間、私はなぜか涙をこらえていた。
声、震えてなかったかな。
いつも通り笑えていたかな。
♢♢♢
買い物が終わった後シュウジはきちんと家まで荷物を運んでくれた。言ってもすぐそこなんだけどね、彼の自宅。
「ナツキ。あんまり無理すんなよ」
そう言ってバイバイも言わず彼は帰っていった。
シュウジはいつもそうだった。私が悲しいとき。私がつらいとき。私が嬉しいとき。いつも真っ先に気づいて声をかけてくれた。
私は罪悪感を覚えた。
彼のそんなところを心のどこかで利用しているのではないかと思う自分がいた。
今日も。もしかしたら私を慰めにシュウジが来てくれるのではないかと期待していなかったか?
汚いやつだなあ。私って。
そして、そんな風に思いながらも現実から目を逸らし、良い人間みたいな風に自分を繕っている私はもっと最悪だ。
ハルキ。早く帰ってきて。私が壊れてしまう前に。