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夏の春  作者: Chiaki
第一章 一つ屋根の下
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ep.5 お掃除大作戦




 写真部に加入してから何日か経った。僕は相変わらず姉と二人暮らしをしていた。


 ちなみに姉の作る料理の上達度は至って平行線を歩いているというか、まったく上達していないというか。


 どうして料理が苦手を自称する人(または自称するまでもなく下手な人)って味見をしないのだろう。それって知らない土地で迷子になった時に道を聞いたり地図を見たりしないようなものではなかろうか。



 とまあそんなこんなで一見平穏な夏休みを過ごしている僕だった。いや、夏休み前と大分環境が変わったけどね。



 姉と二人で過ごす時間が増えた。

 写真部の活動に参加するようになった。


 そして、伊調さんのピアノの聴者になった。


 そのことについて伊調さんからは特に言及がない。つまりどうしてそんなことを僕に頼んだのかも分からないし、何を僕に求めているのかもわからない。


 僕は何も考えず、ただただ彼女の奏でる旋律に耳を澄ますだけだった。いや、むしろ何も考えさせてくれないというのが正しいか。彼女のピアノの音は僕に余分な思考をする隙間さえもくれなかった。


 僕はその儀式に夢中にならざるを得なかったのだ。


 もしかしたら、僕は伊調さんのことが好きなのかもしれない。

 そうなのだろうか。わからない。


 けれど、ピアノを弾く彼女の姿を見るのは好きだ。

 そこには僕の空白を埋めてくれる何かがあった。

 僕の求めている答えがある気がした。

 そして彼女の音は僕をどこか違う世界へ導いてくれるような不思議な感覚をもたらした。


 そういう風に思う相手のことを好きと言うのだろうか。

 僕は思った。


 やれやれ。


「ハルキ、ドア開けるよ」


 僕の部屋の扉を開けながらナツキが言う。


「確認しながら入ってくるな。ノックぐらいしてはどうだね」と僕は厳かな雰囲気を抱えるようにして言う。


「んー、善処します、弟殿」


「どの口が言う」


「この口でございます、弟殿」


「そうかそうか。がっはっは」


「そうでございます。がっはっは」



 この夏休みの変化その四、姉の扱いが上手くなった。ペースを合わせるのも大変だ。


「ところでさ、今日トウカちゃんの家行かない?」にんまりと口角を上げてナツキは言った。


「それはまた唐突な話だな」


「この前言ってたじゃん。ウチの家いつでも遊びにきいやーって。ぜひぜひお邪魔してやろうかと」


「ナツキが行ったら本当にお邪魔してしまうことになりそうだがな……」


「ん? どういうこと?」


「なんでもない。んじゃ電話いれてみるか」


 こんな具合でお昼過ぎにトウカさんの家へと姉弟揃って出向くことになった。


 ちなみに言うまでもないが電話の結果は二つ返事でオッケーだった。

 高校生になって初めて訪ねる女の子の家か……うむ。


 トウカさんの家は駅を挟んでこそいるが僕らの家にそこそこ近いマンションの一室だった。高校生ながらマンションで一人暮らしとはなかなかのブルジョワっぷりである。


 家を出る前にナツキが自転車の鍵を無くしたとか言ってバタバタ家中を駆けまわっていたが、結局見つからず案の定二人乗りでトウカハウスへと向かうことになった。ちなみに件の鍵は数時間後にナツキのカバンの中から見つかることになる。やれやれ。




          ♢♢♢




 マンションの部屋番号は聞いていたので僕たちはその部屋の前に難なくたどり着き、呼び鈴を鳴らした。十四階建てで外装がとても綺麗なマンションだったので、僕はもちろんナツキも初めて来たそうなので驚きを隠せなかった。まるでなかなか良さ気なホテルじゃないか。


「ごめん、ちょっと待ってなー」


 インターホンを介さないトウカさんの大きな声が中から聞こえる。ドタバタという音と共に。

 チェーンと鍵を外す音がして、トウカさんがちょっとだけドアを開けて姿を覗かせた。高校指定の上下赤ジャージだった。いつもは後頭部で纏められている長い髪の毛は背中に下ろされている。それはそれで似合っていて可愛いと思った僕だったが、この時から既に不穏な空気は漂っていたのだ。


「ちゃうねん、今部屋めっちゃ汚いねん……あんまり気にせんとってなあ」


 なぜか声のトーンが通常の三割減のトウカさんに僕は返す。


「あ、大丈夫ですよ。お邪魔します」


「お邪魔しまーす」


 僕に続いてナツキも挨拶し、二人揃って靴を脱いで入る。


「うっ」

「えっ」


 姉弟のリアクションがハモる。

 そこには恐ろしい光景が広がっていた。


 脱ぎ散らかされた服。

 袋が括られて積まれたコンビニ弁当の空き容器と思しきもの。

 キッチンのシンクに山盛りになった皿やコップ。


 我々姉弟は顔を見合わせた。


(どうしようハルキ。私の部屋より汚い)


(そりゃあ僕が片付けているからな……って違う)


(私だって最近は自分で綺麗にしてるもん)


(良い傾向だ。つか現実から目を逸らすな)


(私、「部屋汚いけどあがって」って言われて本当に汚いと思ったの初めてだよ)


(安心しろ、僕もだ)


 ひそひそ声で話す僕たちのことを心配そうな目をしてトウカさんが聞いた。


「ごめんなあ、片付いてないやろ……? これでもちょっとは整理したんやけど……」


「「マジで!?」」


「あうう……」


 そうしてもう一度ナツキと顔を見合わせた後、ゆっくりと頷き合い、部屋の片付け作業が始まった。




          ♢♢♢




「ほんまゴメン!!」


 机を囲んで座るナツキと僕に頭を下げているのは家主、トウカさんだ。


 すっかり晩御飯時となった頃、ようやく部屋は人の住めるものとなった。これは少し大げさだが。


「やっぱり一人やと気抜けてしもてな……なんにせよ今日ナツキちゃんとハルキくんが来てくれて助かったわ」


「まあ酷い有り様でしたからね」


「やんなあ……」


 深く肩を落とすトウカさん。少し可愛いと思ってしまった自分がいた。


「お礼に今日は晩御飯振る舞うわ!」


「いや、トウカちゃんは座ってていいよ。今日のごはん当番私だし、私がご馳走するね」


「ごはん当番?」膝から立ち上がるナツキに、不思議そうな顔でトウカさんが聞く。そしてその質問には僕が答えた。


「ああ、今うちの家事はローテーションなんですよ」


「そっかハルキくんとこ今親御さん出張行ってるねんな」


「ええ。失礼かもですけどトウカさんはどうして一人暮らししているんですか?」


「あたし? あたしはどうしてもこっちの高校通いたいってゆったら親がこのマンションあてがってくれたんよ。んでわざわざ関西出てきたってわけ」


「へえ、すごい話ですね」

 

 僕は素直に関心した。あれだけ部屋を散らかしていたとは言っても既に自立への一歩を踏み出している彼女がなんだか輝かしく見えた。


「すごないすごない。あたしなんか長女やのにほったらかしにされてるもん。弟の方が手塩にかけられて育てられててな」


「あ、弟さんがいらっしゃるんですか」


「うん! まあ、身内のことをこんな風に言うのもあれやけど、自慢の弟やねん!」

 

 自慢の弟、か。僕は綺麗になったキッチンにいる姉を横目に思った。

 ナツキは僕をどういう風に思っているんだろう。

 

 部屋の片づけをしてくれて、炊事洗濯をしてくれる出来の良い召使いぐらいにしか思っていないかもしれない。

 

「ハルキくん?」と考え事をしていた僕にトウカさんが聞く。


「あ、ああすみません。ぼーっとしてました」


「ほんまごめんなあ、今日はこんなんに付き合わせて……二人には借りができてもうたな」


「借りだなんてそんな」


「ううん、いつかこの恩は返させてもらうから! あ、ごはんできたみたいやで!」


 おまたせと言ってナツキが運んできたものは僕がいつか作った際に教えてあげたカルボナーラだった。

 三人揃って手を合わせていただきますをする。号令はトウカさんだった。

 

 ムードもクソもないが箸で一口。ふむ……麺の茹で加減が微妙だな。ちょっと堅いしパサつきがある。しかしソースが悪くないから食えなくはないな。


「むっちゃ美味しい! ナツキちゃんすごいやん、やっぱり料理できたんや!」


「ふふん、まあ当然よ」


 すごく嬉しそうに無い胸を張って鼻を鳴らすナツキ。確かに今日のは及第点に程近い出来だ。できれば自宅でもこのクオリティが毎晩出てくれるとありがたい。どうして外ではトンデモな失敗をしないのだろう。


 まったく要領がいいやつめ。 

 



          ♢♢♢




かくして我々姉弟は宴もたけなわ、ほどほどの時間に帰宅することとなった。


「今日はありがとうな! またナツキちゃんとハルキくんちにも行くからその時はなんかご馳走するわ!」


「ぜひお願いします。ではまた部室で」と僕はマンションの上の方から手を振るトウカさんに、言葉を返す。


「うん! んじゃ、またなー!」


「トウカちゃんまたねー!」


「ナツキちゃんもありがとうねー、晩御飯美味しかったよ!」




「なんだかんだ楽しかったね」


 帰りに二人乗りの自転車の後ろでナツキが言った。


「んー、そうだな。トウカさんの部屋てっきり女の子らしいもんかと思ってたらそうでもなかったのが意外だったが」


「それは私も思ったよ。でも他人に料理振る舞うのって初めてだったけどあれだけ喜んでもらえたら嬉しいなあ。ね、ハルキはどうだった? 私のカルボナーラ」


「まあまあだったかな」


「おお、てことはなかなかってことだね!」


「勝手に曲解すな」


「えへへ」


 夏の夜を行く一台の自転車。そこにある二つの影。たまにはタイヤの空気入れてあげなくちゃな。そんなことを思いながら僕は少し重いペダルを回した。




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