ep.3 予感
とまあトウカさんに半ば流される形で崖っぷちにいた写真部への入部を決めてしまった僕だった。
決して部活という口実でトウカさんのナイスバディ―を拝みたいという不純かつ不埒な理由ではない。これはいかに高校生活を充実したものにするかという建設的な思考の末に至ったのだ。
しかし夏服ってやっぱり良いな。高校生の内に気づけてよかった。
ゴホン、閑話休題。
というか写真部ってどういう活動をしているのだろう。そんなことも知らずに入部してしまうのは早計だったか。否、夏服は良きかな。これがいわゆる反語である。
「シュウジ兄。写真部って何するの」窓際で一人佇むシュウジ兄に向かって僕は聞いた。
「……さあ?」
元部長の肩書きを履歴書に書かせたくない人ナンバーワン的な発言をする人だった。
「写真部はねえ、アイス食べるところだよハルキ」
と、これはアイスキャンディーを片手にしたマイシスター。三年生は壊滅だった。
「あんたら三年間何してきたんや……。まあ、活動内容についてはこの現部長たるトウカ様が追々説明するわ! とりあえずハルキくんには早速やってもらいたいことが一個あんねんな」と腕を組んで大きくふんぞり返るトウカさん。
「やってもらいたいこと……?」と僕は聞き返した。
「そう、新入部員の確保や!」
トウカさんは部室棟中に響き渡るような澄んだ、大きな声で言った。
「新入部員ですか」
「せや。三年のポンコツ共が卒業したら部員はさっきも言った通り枯渇状態、ハルキくんとウチの二人だけになってまうのよ」
その彼女の言葉にムッと口を尖らせてシュウジ兄が口を挟む。
「ポンコツとはなんだ、トウカ。確かに部員が足りていないのは事実だ。春には例年通りきちんと新入生の勧誘は行ったんだがな」
「他の部活と違ってって言うか文化系の部活全般に言えることやけど、部活紹介ってハルキくん春にオリエンテーションの一環でやったやろ? ああいう場所でのアピールが難しいねんな、根本的に活動内容が地味やし」
部活紹介とは、例年行われているらしい行事のことだ。そこでは学校に存在するすべての部活が出し物のようなことを織り交ぜながら紹介と勧誘を同時に行う。
確かにその時の記憶に残っているのは体育館の壇上でユニフォームを着て素振りしていた野球部や、球が飛び交う鋭いラリーを繰り広げた卓球部、一年前は全くの初心者だったが見事シュートを実演してみせたバスケ部の女の子など運動部ばかりだ。
「だからあの時俺はナツキと夫婦漫才をやろうと言ったんだ」
「写真部全く関係ないやんか!」
むしろこの二人で漫才やった方が良さそうだ。ナツキの頓珍漢っぷりは観客が引くぞ。今もシュウジ兄の横で、窓の外を見て黄昏ながらアイス食ってるし。
「まあそんなこんなでなかなか部員が集まらんってわけ。そこでハルキくんの出番。同じ一年生なら誰が帰宅部かもわかると思うし」
「トウカさんの周りに帰宅部の人はいないんですか?」と僕は聞いた。
「それやったら話が早いんやけど大体みんな運動部入ってんねんな……文化部の子もおるけど兼部ってウチの学校原則禁止やし……」面目ないとばかりにうなだれるトウカさん。
なるほど、八方塞がりってわけか。帰宅部だったとしても二年で今更部活に入ろうっていう人もなかなかいないだろうし。
「わかりました。アテはないですけどとりあえず探してみましょう」
そう僕は言ってしまっていた。なんとなく彼女がかわいそうに思えただけで、決して気に入ってもらおうとかそういうのではない。
「ほんまに!?」彼女は目を輝かせて僕の両手をぎゅっと握った。近い。ナツキとはまた違った良い匂いがする
「って言っても今は夏休みなんで難しいですけどね。僕も今日、学校へ来ること自体ナツキが言い出さなかったらなかったことですし」
ん? と僕に自分の名前が呼ばれてナツキがこちらを振り向く。
「ハルキ家にいたらゲームばっかしてるんだもん」となぜか少しむくれて彼女は言った。
「夏休みなんてそんなもんだろ」
「お姉ちゃんは心配なのです……弟がこのまま家を出なくなってしまうのではないかと……」
はあ、とナツキは溜め息をついた。
まずいな、僕が引きこもり予備軍であることがみんなにバレてしまう。そんな優雅な帰宅部生活も今日で終わってしまったけどな。
「とにかく早い内にどんな手を使ってもいいからなんとか部員を一人確保してほしいんや! あと一人おればなんとかなる! 頼むで!」握ったままの手を離さず、むしろ力をより強めてトウカさんは僕に言った。
そう言われてもですね。僕そんなに友達いないんだけど。大丈夫かな。こういう時、姉のように社交的な性格だったらなあなんて思ってみたりもする。
やれやれ。
♢♢♢
そんなこんなで今日のところは解散となった。
僕はナツキを校門のところへと先に行かせて自転車置き場に向かった。
普段授業が行われている校舎を通った方が回り道をせずに済む。あんまり待たせるとナツキがうるさいのでさっさと行かなくちゃだ。まったくズボラなくせにこういう時はしっかり文句を言うんだからな。
しかし。そんな僕の急ぎ足を止める者がいた。
『者』、というより『音』と言った方が正しいのかもしれない。
それは音楽室からだった。
誰もいないはずの日が落ちかけた寂しげな廊下。けれどもそこへ静かに調和するみたくピアノの音色が佇んでいた。
僕は教室のドアについたガラスから中を覗き込んだ。
そこには髪の長い少女が一人ぼっちでピアノを弾いている光景があった。
その動きはシステマティックで、洗練されていて、それとは別に怒りが込められたような激しさがあった。
それなのに音色は歪みのない綺麗なものだった。
ふいに少女が手を止めてこちらを見た。僕が何かしたわけではない。
正面から見るとその顔は見覚えがあった。
同じクラスの……伊調。イチョウさん。苗字しか覚えていない。普段話しているところを見たことがない。ただ、授業中に指名された時にとてもか細い声で話している声は頭に浮かぶ。
伊調さんはこちらを黙ってずっと見続けていた。まるで僕を非難するかのように。どうしてそういう風に感じるのだろう。
ただ、なぜかわからないけど、悪い気はしないのだ。
「ごめんね、邪魔しちゃったかな」ドアをゆっくり開けて僕は伊調さんに話しかけていた。
その問いに彼女はゆっくりと首を振った。
「そっか」と僕はにこりと笑いかける。そしてまた彼女に質問をする。
「ピアノ、上手いんだね」
何を言っているんだろう、僕は。
「たまに弾きにくるの」か細い声で伊調さんは言った。
僕は驚いた。初めて彼女の声を聴いたような気分になったからだ。透き通った声だった。
「僕のことは知ってるよね」
その僕の問い掛けに、言葉を出さず伊調さんは頷く。
「伊調さん」
「なに?」
「よかったら写真部に入らない?」
僕は、何を言っているんだろう。
彼女は不思議そうに僕を見つめて、やがて僕に聞いた。「写真?」
「うん、部員が足りてないんだ」
「私、写真のこと何もわからない」
「僕も一緒だよ。さっき入ったばかりなんだ」
「そうなんだ」
沈黙。間が生まれる。
「いいよ、入っても」
「え?」
僕は彼女の言葉に思わず二度見してしまっていた。
「写真部」と彼女は短く告げる。
「いいの?」僕は彼女のことをまじまじと見ながら聞くと、また伊調さんは首を縦に振った。
「その代わり、お願いがあるの」
お願い。僕は彼女の方へ一歩進む。
「私のピアノを聞いてほしいの」少し眉を潜めて真剣な面持ちで彼女は僕に言った。
「それってどういうこと? 確かに君のピアノは素敵だと思うけど「お願い」
僕の言葉を遮り、見つめるその眼差しに気圧されるようにいつの間にか頷いていた。
「ありがとう」少しだけ笑みを浮かべて伊調さんは言った。
「じゃあ、明日の同じ時間にまたここで」
そう言い残して彼女は、僕の横を通り抜けて教室を後にした。
僕はその時感じた。
彼女からナツキと同じ匂いがする。
僕は誰もいない音楽室で一人立ち尽くしていた。
♢♢♢
「遅いよハルキ!」
校門前にはぷんぷんと怒り心頭のナツキさんがいらっしゃった。
「あんまり遅すぎて私、おばあちゃんになってしまうかと思ったよ! というか先に帰ったんじゃないかって見に行ったのに自転車はあるし……ハルキ?」
僕は何かを口にしようと思ったけど、言葉が出てこない。
「どうしたの?」
不安そうにナツキが僕を見る。
「い、いや、なんでもないよ。そうそう、写真部の部員一人確保したから」
「ええ!?」
そう、なんでもない。なんでも。
やれやれ。