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夏の春  作者: Chiaki
第三章 合宿
15/21

ep.13 温泉 ~Boys Side~




 真っ白な湯気が立つ室内。ツンと鼻をさす硫黄の香り。いつも浸かっている風呂より少し熱い温泉。


 僕たちは旅館に着くと、部屋に持ってきた荷物を置き、一日の移動の疲れを癒すための時間を過ごすこととなった。


 というわけで僕はシュウジ兄と大浴場に来ていた。旅館は半ば貸し切り状態で、二人っきりでの利用となる。


 浴槽の脇にある大きな窓からはすっかり暗くなった旅館の外がぼんやりと見える。背後ではシュウジ兄がシャンプーで頭を洗っているところだった。


「ずいぶん贅沢な合宿だな」と彼が呟くように言った。


「そうですね。旅行にでも来た気分です」


 僕は頭に乗せた白い手拭がずり落ちないように調整する。これこそ温泉の醍醐味だ。


「湯加減はどうだ? 気持ちいいか?」


「はい、ちょっと熱いぐらいですけど」


「そのぐらいがちょうど良い」ふっとシュウジ兄は笑いながら言った。


「シュウジ兄って体から洗うタイプなんですね」と僕が聞く。頭がシャンプーにまみれた彼の体を見る。普段は服に隠れて見えない体は細いながらもなかなか鍛えられて締まっていた。


「ああ。小さい頃からの習慣でな。おかしいか?」


「いえ。そういうのって人によって違うので不思議だな、と」


「そうか」


 彼はシャワーのノズルを捻り、短く切られた髪が纏った泡を洗い流す。そして股間に置いていた手拭を僕と同じように頭に乗せてから軽く掛け湯をし、浴槽に浸かった。


「ふう。確かにちょっと熱いな」


 彼が思いっきり腕を伸ばして縁に掛ける感じは何となく様になっているように思えた。


「あいつらもそろそろ風呂に入っている頃だろうな」と壁を見つめながらシュウジ兄が言う。


「露天なら覗けたかもしれませんね」


「馬鹿、誰が覗くか」


「確かに。トウカさんや伊調さんならともかくナツキの裸なんて見慣れているんでね」


「なんだ、意味深に聞こえるなあ」ニヤリと笑うシュウジ兄。


 それに弁解するように僕は答えた。


「違いますよ、あいつ、風呂上りに平気で裸で出てくるんです。服持っていくの忘れたって」


「ふうん……」


 そこで会話が一度途切れる。とても静かだった。たまに隣の女湯であろう壁の向こうからカタカタと物音が聞こえるが。


「まったく。羨ましいよ」シュウジ兄が独りごちる。


「え? ナツキの裸が見れることが、ですか? なかなか貧相ですよ」


「ちげえよ馬鹿。お前ら姉弟仲良いなってことだ」


「ああ、なるほど。そうでもないですけどね」はっと軽く笑って僕は答える。


「お前が中学生の頃はナツキから全然話聞かなくて、どうしたんだって思ってたけど、最近は昔に戻ったみたいに『ハルキがあーだこーだ』って言ってるよ。顔を合わせる度にな」


 浴室の天井を眺めながらシュウジ兄は少し嬉しそうに言った。


「そうですか……」と僕も天井を見る。それは知らない天井だった。


「ハルキは少し変わったな。お前、昔は泣き虫でその度ナツキが『誰がハルキを泣かせたの!』って飛び出してきてさ」


「シュウジ兄。昔の話はやめましょう。恥ずかしいです」僕は唇を尖らせる。


「確かに恥ずかしいな。小学生の時の夏祭りでお前が迷子になった時とか、お前ビービー泣きまくってたもんな」


 夏祭り。懐かしい。小学生の頃はナツキとよく行ったものだ。地域の神社付近で結構な数の屋台が出ていて、花火大会も並行して行われるのだ。


「お前ら手繋いで歩いてたのに、急にハルキが迷子になったってナツキが喚くもんだからさ。あの時は俺も焦ったよ」


 昔を懐かしむようにシュウジ兄は遠い目で言った。


「結局階段の上の境内でお前がうずくまってたの見つけて、ほっとしたよ。すっげえ探し回ったんだぞ」


「すみません……って昔の話はよしましょうよ! そ、そういえば土産屋で言ってたあの話って結局なんだったんですか?」


 僕はここに着く前に彼が話を切り出しそびれていたことを思い出して、半ば話題を逸らすように言った。


 するとシュウジ兄はふいを突かれたような顔になる。「ああ、あれか」


「伊調カナデのことだよ」と彼は少し口が重そうに言う。


「伊調さん……?」


「ナツキの様子が最近おかしいことには気づいていたか?」とシュウジ兄が僕に問う。


「ええ……まあ」


「何かあったんだろ?」


 僕は迷った。この前音楽室であったこと、そして伊調さんの家に行った時のことを話すべきか。


「伊調カナデ。あいつは只者じゃない。あまり近づくと良いことはない。そういう風に思うがな」


 それを聞いて僕は自分でも気づかないまま大きな声をあげていた。「そんなことはない!」


「え、ああ……。びっくりした」とシュウジ兄は驚いた顔で言った。


「……伊調さんは別に悪い人ではないと思います」


 僕は俯いて、浴槽に張られたお湯を見つめた。


「それはお前の中での話だろ」


 そんな僕に彼は前髪を小さく搔きながら言う。


「僕には……わかりません。何が善いのか、何が悪いのかとか」


「俺にも、わからん。ただ、善悪の問題はさておき、これだけは言えるんじゃないか――」




――自分が正しいことと思うことが正しい。


 シュウジ兄は僕を見ずにポツリと言った。


「本当に正しいことって何ですかね」と僕は改めて聞く。


 その問いに彼は少し間を置いて「さあ? 自分で考えろってこった」と投げやりな調子で言った。


「ハルキ……。そろそろのぼせてこないか?」


 僕はそう言われて自分の指が長湯でふやけていることに気づく。


「そうですね。あがりましょう」


 僕は浸かっていた湯から体を抜く。体の周りにパシャリと小さな波紋が浮かんだ。


「シュウジ兄ってなんか変わりましたね」僕は何気なくそう言った。



「そうだな。ハルキの方が変わった気もする」僕の股間を凝視しながらシュウジ兄は神妙な顔をした。


「そっちじゃないです!」


 僕は両方の腕を思いっきり動かし、シュウジ兄に大波を浴びせた。




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