諾子
真夜中、今日も蒐羅は怪畏を狩りに出て行く。
「摩姫羅、一緒に来てよ」
「今日はやだ、キツイもん」
寝転んでいた摩姫羅は背中を向けた。
「昨日より数が増えてる、狩るのに手間取るとまずいよ」
困った顔の蒐羅は、だらりと尻尾を下げた。
「しょうがないね、貸しだよ」
嫌々ながらも摩姫羅は出て行った。
「どうしてまずいの?」
にこやかに見送る式部に、太一が深刻な顔で聞いた。
「数が増えたまま時間が経つと、来るのです」
「何が?」
「大きな怪畏が……」
「それって、まずいの?」
「摩姫羅達とて手間取る怪畏もいます、そうすればこの街は……」
式部の神妙な顔は太一の背筋を凍らせ、臥召羅の呟きは事の重大さを示す。
「多少効力は落ちるが、結界は術式を変え張り直した。もう集まるはずはないのだが、昨日より増えるとは……」
「他に原因があるのかもしれませんね。臥召羅、調べを」
「御意」
臥召羅は直ぐに消えた、太一の顔は血の気が失せる。取りあえずテレビを付け、気分を落ち着かせようとした太一に、式部が声を掛ける。
「稀に群れることがあるのですが、怪畏は本来個別を好みます。長く怪畏を見てきましたが、こんなことは初めてです」
「やっぱり、今の世の中のせいなのかな」
「分かりません。ですが、臥召羅が調べています」
始めて見る暗い式部の顔に太一の心は揺れる。しかし、それは一瞬で式部は笑顔で太一を見詰めた。
「ご心配なく、太一殿。大丈夫ですよ」
「うん……」
穏やかな式部の声は、温かく太一を包み込んだ。
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夜更け、針葉樹に囲まれ都会には不似合いな大きな和風の屋敷。その広い床の間で凛とした品のいい老婆が、綾子と向き合っていた。
「何者かが怪畏と戦っています。綾子さん、心当たりは?」
老婆の澄んだ声が広い床の間に響く。
「いえ」
俯いたまま綾子は消えそうな声で答え、老婆は綾子のやや後方に座る反目を穏やかな目で見る。
「反目」
「昨日、強い気に触れました。我ら式とは比べるべきもありません」
「ほう、それは……」
「例えるならば神将」
「そうですか」
老婆は優しく微笑んだ後、綾子の様子に小さく首を傾げた。
「どうしました? 綾子さん。心ここにあらずという感じですね」
「すみません」
頭を下げた綾子の額を、サラサラの髪が覆う。
「残念ですが、アルバイトは辞めて頂くしかありませんね。少しでも普通の世界に触れていたいという、あなたの気持は分かります。ですが未曾有の事態が迫っています……分かって頂けますか?」
「…………はい」
長い沈黙の後、綾子は消えそうな声で返事した。
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次の日の夜、臥召羅が詳細を報告した。
「群れる怪畏の動きに命令系統が存在しています」
「それは確かですか?」
「信じ難いことですが」
「命令を下している者は分かりましたか?」
臥召羅の深刻な声に、落ち着いた声の式部が尋ねる。
「恐らくは、諾子殿かと……」
「困りましたね」
「誰なの? それって」
名前を聞いてもピンとこない太一が怪訝な顔をする。
「ワラワと、同世代を生きた者です……少なからず、因縁があります」
歯切れの悪い式部の言葉、その顔は疲れ切った様にも見える。。
「そうなんだ……」
「なんだい太一、そんな顔して」
心配そうに摩姫羅が覗き込む、太一にとって昼間の事件の方が胸に食い込んでいた。綾子がバイトを辞めたと、仲間から聞かされ頭の中が空っぽになっていたのだ。臥召羅の報告は続いたが、何も頭に入って来ない。
今までの綾子の仕草や声、車に乗り込む姿などがフラッシュバックの様に脳裏を駆け巡るだけで長い溜息が部屋の中に伸び、それに式部の溜息が輪唱となって重なる。
「なぁによぉ~、姫様まで」
摩姫羅が二人の溜息に呆れ声を出す、それまで黙って聞いていた蒐羅がスックと立ち上がり外へ向かう。
「行くよ、摩姫羅」
「またぁ」
面倒そうに摩姫羅が付いて行く、太一と式部はまだ溜息を付いていた。