反目
「止めて下さい」
綾子は運転席の生天目に小さな声で呟いた。端に車を止めると生天目はルームミラーで綾子の様子を見詰めた。
「いかがされました?」
通りのベンチに太一を見付け、見知らぬ女性と笑う姿に胸が締め付けられた。摩姫羅の美しさは何故か現世とはかけ離れている様に感じられ、不思議な感覚に包まれる。同時に初めての感覚に綾子は戸惑う、チクリと刺す様な胸の痛みに思わず胸を押さえた。
だが、その原因なんて綾子には分かるはずもなかった。
「凄まじい”気”……しかも二つ」
隣の席の少女が呟く。巫女の様な柔装束の水干、その顔には純白の面があり、白い二本の角に半開きの大きな一つ目、小さく結んだ深紅の口、面から零れる琥珀色の髪が緩やかなウエーブを描いていた。
「反目、仇名す者ですか?」
運転席から生天目が鋭い視線を送る、少し俯いたまま反目が答えた。
「いいえ、邪気は感じません」
「そうですか」
生天目は大きく息を吐いた。
「出して下さい」
綾子は俯いたまま、やっと呟いた。反目と生天目の会話も上の空で聞いていたし、もうモヤモヤした気分には耐えられそうになかったから。
「へぇ、あんな式を使う者がいるとはね」
遠ざかる綾子の車に摩姫羅が気付き、ポカンとした太一が呟く。
「式?」
「式神だよ、陰陽師や霊力の高い者だけに操れる妖怪の一種」
上目遣いの蒐羅が答える。
「どこに?」
「胸の招杜羅が光ってるだろ? 段々離れてるけど」
摩姫羅が言う通り確かに勾玉がほんのり光り、その光は徐々に小さくなっていた。そして、微かな温かさが玉を通じて感じられた。
「あっ、ほんと」
「別に邪気は感じなかったから問題無い。それより太一、あれは何だ?」
今度はクレープを食べている人を見付け、摩姫羅は嬉しそうに笑った。
「オイラ、今度はあれがいい!」
千切れそうに尻尾を振って、蒐羅はクレープ屋に走って行った。
「待てよ蒐羅!」
慌てて摩姫羅が追う、太一も微笑んで付いて行った。
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「どうしたのこれ?」
アパートに戻ると、豪勢な食事の支度と式部の様子に太一は驚いた。式部は長い髪を頭の後ろで括り、普通の着物を着ていた。用意された食事は、懐石料理みたいに所狭しとテーブルに並ぶ。
「あい、ワラワが作りました」
「作ったって、材料は? お金は?」
「買い物に行った。全く、摩姫羅や蒐羅だけでなく姫様まで」
唖然とする太一に、付き合わされたであろう臥召羅が大きな溜息を付いた。買い物にって、臥召羅がどうやってという疑問が覆い被さるが、何だかどうでもよくなった。
「へぇ、姫様が料理ねぇ」
腕組みした摩姫羅が、ニヤリと笑った。
「なんか意外みたいな口ぶりだな」
「若い頃の姫様なんてね、アタシ等も手を焼いたもんさ。素行は悪く超が付くお転婆だったんだよ」
「これ、摩姫羅」
赤くなった式部が、コホンと咳をした。
「お主が他人を素行が悪いなどと言えるとは」
起き上がった臥召羅が、溜息混じりに目を細めた。
「何だと! 久しぶりにやるか臥召羅!」
摩姫羅がメラメラと目を燃やす。
「まぁまぁ、それより食べようよ」
なんとか摩姫羅を宥め、席に着かせた太一は改めて料理の豪華さに驚く。その味は太一には薄く感じたが、素材本来の味が染み渡り、体に吸収されるのが食べながらでも分かる程だった。
「なんか、本当の日本人の食べ物って感じ」
「素材を生かし古来の調味料を使っただけです、それより台所のなんと便利なものか。あそこを回すだけで火が起こり、そこを捻ると水が出る」
「水は混ぜ物が多い、我が浄化したがな」
嬉しそうな式部に臥召羅が付け加える、なんとなく台所を見た太一は目がテンになった。 それは爆撃の後の様に材料や鍋が転がり、後片づけを考えて溜息が出た。
作って貰った料理、大勢での食事は太一を幸せな時間に包んだ。摩姫羅の外で見た事の自慢話し、蒐羅と臥召羅の愚痴、まとめ役の太一のツッコミ、そんな様子を式部が穏やかに見守って和やかに食事は進んだ。
「いいよね、大勢の食事は」
「どうしたの太一、急に」
ふいにしんみりとする太一に、不思議そうに摩姫羅が覗き込む。
「父さんと母さんは二人とも施設で育ったんだ、だから親戚もいない」
「施設?」
式部が首を傾げる。
「親のいない子供たちの面倒を見る所さ」
「そうですか」
明るい声の太一に反して、式部は少し声を落とす。
「一昨年、その両親も交通事故で死んで、俺、一人ぼっちになっちゃったから」
「事故って、あの鉄で出来た乗り物?」
珍しく沈んだ声の摩姫羅が、そっと太一を見た。
「なんかさ、今までの人生がさ、とても幸せだったから、ひとりぼっちになって、不安しか無くて、他人が羨ましくて、何か俺、とても卑屈になってた」
途切れながら話す太一の声は、少し震えていた。
「太一殿、人は残念ですが平等ではありません。平等なのは゛死 ゛だけです。自分を精いっぱい生きる、それが出来るか出来ないかで人生の善し悪しは決まります」
「ばあちゃん……」
穏やかな式部の声は、太一の心に染み渡る。
「そうだね。下を向いてちゃ、せっかくの人生台無しだもんね」
背中を押された気がした。考え方を変えるだけで、こんなにも気が楽になり明日が楽しみになるってことが、今更ながら分かった様に思えた。
「終わりがあるから、一瞬一瞬が輝くんだよ」
摩姫羅は吐き捨てるみたいに言う。
「我らは永遠、その輝きは薄い」
「そうだね。千年の時は長いけど、とても短かった」
臥召羅も蒐羅も声のトーンは低かった。
「太一殿のおかげで、ワラワはとても楽しいです」
「久しぶりに楽しめそうだ」
笑顔の式部に、摩姫羅が嬉しそうな顔で言葉を被せた。蒐羅も臥召羅も微笑み、黙って頷いた。
「俺の方こそ、何かワクワクするよ」
太一も笑顔で答える。正直、怪畏などの怖さは胸の中に存在したが、式部達の笑顔にそんなモノはどうでもいいと、良い意味でのドキドキで未来に放り投げた。