式神
「それは本当ですか? 家里……」
呟いた納言は、手にした盃を飲みほした。若さを保ったままの姿で、長い黒髪が濡れた艶を放っていたが、その鋭い眼が異様な光を放つ。十二単の裾を翻すと、目前に座る者達を見据える。
「阿閦衆以外にも、我らを狩る力は確かに存在します」
家里と呼ばれた若い男が、低い声で答えた。黒い品のいいスーツだが、その顔色は死人の様に青白い。
「強い結界が張られているとの報告があり、周囲を取り囲む様に指示を出しておりましたが、全て狩られました」
年配の男は強装束の束帯を身にまとい、平安時代の貴族のようにも見えるが黒い顔は人ではなく人形みたいに見える。
「道真、誰ですか? その者は……」
納言は口元だけで笑うと、年配の男に問う。
「我が確認致して参ります」
道真が答える前に、端で男が立ち上がる。狩衣をまとった屈強な顔立ちだが、その目は死人のように光が無かった。
「雪長、任せます」
「御意」
納言が許可を出すと、雪長は奥の暗闇に消えた。
「阿弥陀衆、宝生衆は自らの境界を守る事に終始しています。不空成就衆は抵抗を続けていますが、その勢力は微々たるものです」
今度は女が口を開く。漆黒のスーツが体の線を強調し、ウェーブの掛った金色の髪が顔を隠して、表情は伺えない。
「小春。他は、そなたに任せます」
「承知しました」
立ち上がった小春も暗闇に消えた。
「もしやとは思いますが……」
遠くを見詰めた納言の表情は、喜んでいるのか悲しんでいるのか判断は難しかった。
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日が登り午前中の空気が温まる頃、太一と綾子は気分転換に外に出掛けた。綾子と並んで歩く道は、太一にとって見慣れている風景さえ新鮮に感じさせた。胸の不安や焦りも、綾子の横顔が中和する。
胸のドキドキの訳を綾子は考えながら歩く。周囲の音さえ自分の鼓動に掻き消されているみたいに感じる。楽しい? 嬉しい? 恥ずかしい? 数々の質問も頭の中でカラ回りするだけだった。
二人は少し俯いて、表参道を歩いていた。少し後方にはブッチョ面の摩姫羅と、なんとなく嬉しそうな反目が続く。道行く人には反目は見えない、怒りながら歩く摩姫羅に人々は驚きの視線を送っていた。
「知ってたのか? 綾子が太一を好きってさ」
横の反目に摩姫羅が小さな声で聞くと、反目はニコリとした。
「いいえ。でも綾子様、とても嬉しそうです」
「何か、面白くねぇな!」
太一達に聞こえる様に、摩姫羅は大声を上げる。
「どうした摩姫羅?」
「太一ぃ~、あいす食べに行こうぜぇ」
振り向いた太一に、摩姫羅はまとわり付く。
「今日は天気悪いし、寒いぞ」
「寒くない! 食べたい!」
困った顔の太一が言い聞かせるが、摩姫羅は駄々をこねる。
「お店の中なら、寒くありませんよ」
「いい、外で食べる」
微笑みを向ける綾子に、摩姫羅はプンとソッポを向いた。
「参ったな」
太一は反目に苦笑いすると、反目も小さく首を傾げた。店の前では大盛りのアイスに摩姫羅が満面の笑顔で騒ぐが、反目は少し俯いて離れて立っていた。
「はーちゃん、どれがいい?」
「私は……」
笑顔の太一が聞いても、反目は小さな声で言葉を濁す。
「反目は式です、今まで私達とはこういうことは……」
綾子も同じ様に戸惑ってるみたいだった。
「そうか……はーちゃん、イチゴ味とチョコ味、バニラとバナナ味、俺の大好きな組み合わせなんだけど」
太一は自分の好みで注文し、反目に手渡す。受け取った反目は、俯いたまま動こうとしなかった。
「美味しいよ」
笑顔の太一見た反目は、そっと面をずらし小さな口でアイスを舐めた。面から覗く反目の素顔は、光さえ屈折させる様な美少女だった。
「どう、美味しい?」
「……はい」
反目は頬を染め小さく頷いた。その様子を見ていた綾子は、胸のモヤモヤに気付く、確かに反目と一緒に何かを食べるなんて初めてだが、太一の笑顔が見えない糸みたいに心に絡み付いた。
何より”式”である反目の、まるで少女の様な様子は、綾子の常識を内側から崩壊させる……だだ、その感じを決して不快に思えない事が、更に綾子を混乱させた。
”式”は道具であり、それ以下でも以上でもない……そんな事を脳裏で考える綾子は、太一の笑顔を、正面から見れなかった。




