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鏡色のデスティニー  作者: 真壁真菜
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鏡の中の紫式部

 人生で多くの場合、運命的な出会いには気付かない。後から振り返り”あの時……”と思うものだ。その場で気付いたとしたら、本当の運命に出会った瞬間なのかもしれない。



  眩しい煌きが水晶体に激突する。目を細め防御したにも係わらず、太一は網膜の奥に微かな痛みを覚えた。


 光の方向を反射的に探す。それは通りの反対側、骨董屋のショウウィンドウだった。普段なら気にも止めないはずだが、その光の根源のはずの太陽は厚い雲に覆われて、辺りは昼間なのに薄暗く不思議なシルエットで街を包んでいたからだ。


 太一の足は吸い込まれるみたいに骨董屋に向かう、それはまるで自分の意志とは違う見えない力に引かれる様に。


 骨董屋のウインドには古ぼけた銅鏡があり、直ぐに光の原因を把握出来た。しかし、その薄汚れた鏡面は光との因果を見付けられなかった。見上げた看板には『正直屋』の傾いた文字、太一は呟いて店に入って行った。


「いかにもって感じだな……」


 薄暗い店内はカビと埃の匂いが絡まり、その奥地にはビール瓶の底みたいなサングラスを掛けた店主らしき老人がいた。”暗いのにサングラスは必要ないでしょう”と、いう言葉を横に置いて、太一は直ぐに本題に入る。


「表の鏡なんですけど……」


 太一の言葉に被せる様に、キーの高い声で店主は言う。


「お目が高い、あの鏡は金属鏡で千年は経ってます。三種の神器に匹敵する品で、由緒正しい家の家宝として守られてきました」


 ”見たんか!” と、言う言葉を内ポケットに戻し、太一はその鏡が醸し出す雰囲気に包まれていた。その感覚は、表現するなら暖かいコタツみたいに頭寒足熱と言う感じだった。


 そして、なんだか優しい気分になった。それは、鏡面の後ろに彫られたスミレの花のせいかもしれない。そんな太一の気分なんて知ってか知らずか、店主はまたキーの高い声で言う。


「今日のこの時、4月7日にこの鏡を見に来たお客様にお売りしろと天命があったのです」


「天命……ね」


 呆れた様に太一は呟いた。


「そう、あれは菩薩か弁天かっ」


 店主は天を仰ぐ。本来なら、あまりにも昭和を越したベタな言い回しにウンザリする処だが、何故か太一の口からは意志とは関係なく言葉が出た。


「幾ら、ですか?」


「三万三千五百円」


 にこやかに店主は言う。”国宝級の割には、お求め易い値段だな”と、いう言葉を太一は脳裏で呟く。


「一万円」


 太一も微笑む。”いきなりかい”と、いう言葉を店主は脳裏で囁く。


「二万三千五百円」


 店主は苦笑いする。”何で半端なんだ”と、いう言葉を太一は脳裏で小さく呟く。


「七千円」


 太一はまた微笑む。”何で下がるねん”と、いう言葉を店主は脳裏で大きく叫ぶ。


「それじゃあ間を取って一万三千五百円」


 店主は更に苦笑いする。”どこが間やねん”と、いう言葉を太一は、また脳裏で小さく呟く。


「学生なんです。バイト代、八千円しか無いんですよ」


 太一は頭を掻く。”さっき一万って言ったやんけ”と、いう言葉を店主は脳裏で更に大きく叫ぶ。


「分かりました、八千五百円」


 仕方なさそうに店主は笑う。”五百円が好きだなぁ”と、いう言葉を太一は今度は口に出す。


「好きですね、五百円。まあ、頂きます」


 太一も笑った。


「ありがとうございます。でも、鏡面を拭いちゃダメですよ。それから、深夜零時の合わせ鏡は絶対にダメですからね。特に満月の夜は」


 不思議な事を店主は言った。しかし、その時はあまり深く考えなかった太一だった。


________________________



 アパートに戻ると、鏡をテレビの上に置いた。それは殺風景な太一の部屋に、まるで前から有ったみたいに自然と溶け込んだ。何でこんな物買ったんだろうという疑問も確かにあったが、不思議な満足感が太一を包んでいた。


 所々にある鏡面の曇りや汚れ、裏の彫刻には緑青と錆。普通なら気にしない性格のはずが、なんだか可哀そうに思えた太一は、その汚れを落とし始めた。店主の言葉も耳の奥に残っていたが、どうせ価値が下がるって位のものだろうと自分で完結した。


 幸い明日は授業もないしバイトは昼からだ。太一は一心不乱に磨き続ける、くすんでいた金属の地金が次第に輝きを取り戻す。


 歯ブラシや綿棒、楊枝や割りばしを駆使して太一は磨き続けた。その過程は太一に不思議な感覚を呼び起こす、それは自分の為じゃなく誰かの為の精一杯の行為。


 何故なら、やり終えた時の満足感が体の奥から湧き出していたから。


 鏡は美しさを取り戻していた。気付くと十一時を過ぎ、太一はテレビの上に鏡を置いて風呂に入り、簡単な食事をした。


 改めて鏡を覗き込む、写る自分の顔が穏やかなのに気付く。童顔でイケメンとは呼べないが、髪型を含め”平凡”という言葉しか連想出来ない自分の顔が、なんとなく違って見えた。


 大学も四年になり、就職も考えねばならず、焦る気持ちで笑顔なんて最近は忘れていた。将来に対する掴み所のない不安、そこから来る苛立ち。省みても、自分には余裕なんてなかった。


「ありがとう」


 太一は鏡に言った。これで何かが変わるわけでもないだろうが、ほんの少しの期待と、そしてまたほんの少しの未来が明るくなった様に感じた。


 鏡を手に取る、視線をずらすとデジタル時計は零時まで二分。その二分、太一はとても長く感じた。何時間、何日、感覚は違う世界となって太一を覆う。


 自分の意志とは関係なく太一は壁の吊り鏡の前に行く、そして手に持った鏡を合わせた。


 時間は午前零時、二つの鏡は無限の道で繋がる。すこしづつ角度を変える、道はヘビの様にゆっくりと蛇行する。太一の思考は奇麗だと呟き、道はうねり続ける。


 暫くの後、手に持つ鏡に小さな黒い点が見えた。目を凝らす、一瞬、錯覚と思えた画像が焦点を結ぶ。


「何だ?……」


 確かに何かが近付いていた。瞬間の胸の痛み、背筋の鳥肌、しかし恐怖という文字は太一には訪れなかった。ただ、胸の奥が熱くてドキドキした。数十秒後、点は人だと確認出来た、その刹那! 太陽の爆発みたいな光の洪水が太一を飲み込んだ。


______________________



 気付くと見慣れた天井があった、気を失っていた事を理解するのに時間が掛った。ゆっくり立ち上がると確かに気配を感じた、後ろに誰かいる。太一はそっと振り返る、そこには小さな老婆がいた。


 その服装は十二一重みたいな豪華な着物で気品を醸し出し、髪型や振る舞いは平安時代を連想させた。


 展開的には、また気絶しそうな所だが、そうならなかったのは老婆がとても優しく穏やかに笑っていたからかもしれない。


「……だっ、誰?」


 太一は声を震わせた。ついでに下半身も震わせ、声を裏返した。


「式部と申します」


 老婆の声は優しくて可愛かった。


「式部って……まさか、紫式部?」


「あい」


 式部は満面の笑顔で言う。


「何だ、何がどうなってる」


 太一は状況を理解出来なかった、紫式部と名乗る老婆が現実に目の前にいる。頬をツネったり、強く目を閉じ首を振っても式部は目前にいた。


「お名前は?」


 式部は笑顔で聞く。


「えっ、はい。加賀見太一です」


 何故か正座して答えた太一だった。


「良いお名前です。では太一殿、よろしくお願い致します」


 ペコリと式部は頭を下げる、つられて太一も頭を下げる。


「てっ、どういう事ですか?」


「御厄介になります」


 また式部はペコリと頭を下げた。


「そんな、困ります」


 太一は泣きそうになる。あらゆる問題が頭の中で高速演算され、即答なんて絶対無理だった。


「ワラワは行く充てがありません」


 悲しそうな式部の顔に、太一は胸の奥に痛みを覚えた。


「どこから来たんですか?」


 何故か太一の口からはそんな言葉が出た。それは悲しそうな式部の様子が、太一に強い言葉の意味を忘れさせたからかもしれない。


「あそこです」


 式部が指差す先には、例の鏡が落ちていた。


「まさか……あれから出てきたの?」


 信じられない事だが、太一の中で肯定している部分もあった。


「あい。太一殿は心を込めて磨いて下さいました、それでワラワは……」


 また俯く式部の声は次第に掠れ、小さな式部が更に小さく見えた。今の状況、目前の現実、そんなものが大勢で太一を囲む。でも頭の片隅で思った、そんなの、どうでもいいと。


「部屋、狭いよ。でもまあ、古いから一応二部屋あるし、ばあちゃんだからさ、和室のほうがいいかな」


 照れたのか、背中を向けて太一は途切れ途切れ呟く。前向きになるだでけで問題が解決する訳ではないが、解決の糸口には十分成り得た。


「有難う御座います」


 三つ指を付き、深々と礼をした式部だった。


「別にいいよ」


 呟く太一の今の心境は一言で言えば、嬉しいに近かった。祖父母のいない太一にとって、初めて接した”ばあちゃん”の感覚だったから。


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