02:刀剣のスペリオール
***
「あー、お疲れ自分。これでやっと帰れるぜ。担任が生活指導の先生だと、説教時間長くてたまんねーな」
午後三時。
始業式は午前中で終わるため、同級生達は既に帰宅している。しかし一彩は遅刻が原因で放課後に教師に呼びだされ、今だ校舎の中に留まっていた。面倒事に巻き込まれたから遅れた、と言い訳をしても、先生はまるで聞く耳をもたず、延々と怒られた。
やっとのことで指導から解放されたが、疲労の色が少年の顔に滲み出ている。
「まったく反省文どんだけ書かせれば気が済むんだよ、指いてぇ……。だいたい、あの当たり屋さえいなければこんなことにはならなかったのに……」
ぶつぶつと文句を呟きながら、鞄を取りに自分のクラスへ向かう。誰もいない廊下はいつも以上に長く感じられたが、一分ほどで二年二組と記されている自分の新しいクラスに辿り着いた。
あくびをしながら、ガラリと閉まっていたドアを開ける。
登校初日なだけあり、まだ綺麗な教室だが、きっとこれからクラスメイト達の物が溢れ、体育祭などの賞状も増え、徐々にクラスの色が付くのだろう。
「こんな時間だし、さすがに誰もいないか」
予想通り教室に人影はなく、しーんと静まり返っていた。つまらない一彩は自分の机にかかっていた鞄を肩にかけ、さっさと帰ろうと扉に向かおうとする。が。
ふと机に雑誌が置いてあることに気がついた。表紙は大人気双子アイドルの二人が飾っている。
———そういや帰りのホームルームの時、雑誌面白いから貸してやんよって、あいつ言ってたな。
去年から同じクラスの友人の顔を思い出しながら、その雑誌を手に取る。ファッションやらインタビューやらは適当に眺めていたが、しばらくパラパラとページをめくると、一つの記事に興味が湧いた。
そこには大きな見出しで『突撃! 殊警の毎日!』と書かれている。
「殊警、かあ。やっぱかっけえな。スペリオールである事が絶対条件だから、オレはどうやってもなれないけど」
殊力専門警察、通称"殊警"。
この集団は"一警"(いっけい)と呼ばれる一般警察とは別物で、スペリオールが関わる事件を専門とする警察組織だ。さまざまな特殊能力をもつスペリオールが相手では、通常の一警では手が負えない。そのため、殊警の人間もスペリオールでなけらばならなかった。
時には激しい戦闘も勃発するため、警察ではなく軍だという声も多いのも現実だ。しかし一彩は殊警に対し、憧れにも似た感情を抱いていた。
「この殊警の黒パーカー、超格好いい! 給料も桁違いだし……。けど、その代わりほんと危険な仕事だよな」
殊警の証である黒のパーカーを見つめながら、彼等の壮絶な仕事を想像し目を伏せる。
「さーてさて……。一般人の一彩くんは暇だし、久々に"秘密の展望台"にでも行くか」
目的地が決まった少年は雑誌を置き、足早に学校を出た。
外はまだ明るい。小学生の子供もまだ遊んでいる時間だ。道は多くの人が行き交い、賑やかな声が飛び交っている。
だが、その活気がぱたりと途絶えた所があった。そこは緑が深く、細い坂が続いているだけだ。花は咲いているが周りには店もなく、当然そのような場所に人はいない。
それでも一彩は、此処がお気に入りだった。
「相変わらず静寂だなぁ。だからこそ、いいんだけどね。この坂の上に絶景が広がってるのを知ってるのは、今だオレだけ……って、ん?」
制服のまま坂を駆け上がっている途中、一彩は違和感を覚えた。なぜなら、上から激しい風音のようなものが一瞬聞こえたからだ。不信に思い、耳を澄ませて様子を伺う。
———ビュンッ、ビュンッ。
やはり勘違いではなく、確かに音はしていた。
———てことは、誰かがいる?
今までこの秘密の場所で、誰かと遭遇したことは一度もなかった。気になって仕方のない少年は、考えるより自分の眼で真実を確かめようと決める。まるでプレゼントの中身を開ける時のように、海色の瞳がわくわくと輝いていた。
「よし、一気に行きますか! もしかして運命の出会い的な?なんつってー」
ふざけながら軽快に一歩一歩進む。
頂上までもうすぐだ。左右は木、花、蝶。そして前に進んだ所には———。
「はじめまして、誰かいるの……おおおお!?」
「ぎゃぁぁああ!?」
広いとはいえないその空間で、一彩が視界に入れたもの。それは、崖から落ちないように設置された柵の向こうに広がる絶景。ではなく。
"鋭利な刀"を握り、素振りをする少女の姿だった。
少女は突然現れた一彩に驚きを隠せないらしく、お世辞にも女性らしいと言えない悲鳴をあげ、ぱちぱちと瞬きをする。
「落ち着けオレ。えと、これは、夢だ。つかありえんだろ。刀だぜ、刀を持った女の子だぜ、うん、夢だ覚めろ」
混乱し、自分で頬をつねるが痛い思いをしただけだった。これが真実なんだと身をもって知らされる。
そして恐る恐る、もう一度少女の方に視線をずらすが、変わらず刀は存在した。
一彩は近くの木にすがり付くようにし、黙って頭を抱える。
「び、びっくりした……。あの、ここら辺に住む方ですか? あたし昨日田舎から一人で上京してきて、色々と聞きたいことがあるんですけど」
「君よりオレの方がびっくりしてる自信あるわ! てかちょっ、ま、待った待った待った待てーい! そんな物騒な物片手に近寄んなあ!」
「へ? あ、すいません! 身体の一部みたいなもんで、いつも仕舞うの忘れちゃうのよねー」
そう言って、彼女は長い刀を"消した"。
比喩ではなく、言葉通りの意味で、確かに在ったものが一瞬のうちに消除されたのだ。
一彩の口が唖然と開く。
「なっ……。そんなことができるなんて、君ってもしや……」
「あたしは月輪熊夜斬。今年17歳になるから、貴方と同い年くらいかな?」
「いやそこじゃなくて、君ってもしかしてもしなくても……スペリオール?」
普通の人間には、物を消すことなんて不可能。それ以前に刀などという危険物を持ち歩かない。
夜斬は「あぁ」と小さく納得し、にこりと微笑んだ。刃と同じ銀色の瞳が美しく、顔も整った少女だ。
「うん、あたしは"刀剣のスペリオール"。刀の出し入れは自由自在で、殊力で作られてるものだから普通の刀より頑丈だよ」
「ほおお……っ。は、初めて見た、スペリオール! え、てか殊力を使いこなせるスペリオールは少ないんだろ? てことは夜斬ってめっちゃレアな奴じゃん!」
「そんなことないよ、あたしなんかまだまだ……。というか、いきなり呼び捨てなのね!? まあいいんだけどさ。———都会にも面白い人っているんだなあ」
夜斬は初対面にも関わらず突っ込みを入れた後、柵から首都〈ライフ〉を見渡した。サイドに結ばれた淡い水色のお団子頭の影が、地面にうつる。
つられるように一彩も近づき、夜斬の隣で木製の柵に手を添えた。暇潰しをするためによく来る所だが、今まで自分以外の人と一緒に眺望した記憶はない。
———あれ?ここからの景色って、こんな小さかったっけ?
不意に少年がそう感じたのは、二人で世界を共有できたからかもしれない。一人ではあまりに世界は大きすぎるのだ。
不思議な感覚で居心地の良い一彩へ、少女は問いかけた。
「えーと、まだ名前聞いてなかったんだけど……。教えてもらってもいいかな?」
「あぁ、忘れてた。一彩だよ、猫暮一彩。歳同じだし、クンとかサンとかいらないから」
「……そりゃ、なんの承諾もなしに、あたしのこと呼び捨てだったものね……」
「え? ごめん聞こえなかった。なんて言った?」
「ふふっ、なんでもない」
———随分と自由気ままな男の子に、巡り会ったな。
都会は無関心で冷たい人間が生活しているのかと思っていた夜斬は、安心感に胸を撫で下ろす。
スペリオールだろうと、彼女はまだ高校生。両親が近くにいない現実に、ずっと緊張の糸が途切れないでいた。
「そういや、最初オレに何か聞こうとしてなかったっけ?」
凶器を握っていた少女を目の前にし返事をしそこねていたが、一彩は質問をされていたことを思い出す。
「わ、そうだった。実はあたし……」
そこまで言って夜斬は突如、坂のある後ろを向いた。
なにやら少女の様子がおかしい。
「———あのさ一彩くん、じゃない、一彩。……"あの人達"、知り合いじゃないよね?」
「へ、どの人達?」
夜斬の指差す方を見ると、四人の人相の悪い男が仁王立ちをし、先頭には見覚えのある丸刈りの男性。
途端に、一彩の口角がぴくりと引きつった。声のトーンも下がる。
「げ……。グラサンないけど、あいつ朝の当たり屋じゃん。というか、なんか……ピーンチ?」
―continue―