01:日常
***
"スペリオール"とは、特殊な能力を使える者のことである。
この能力は"殊力"と呼ばれ、スペリオール達はこの不思議な力を持って、この世に産まれた。とある研究者のデータでは、この殊力が様々な能力の源———つまりエネルギーとなっているため、これを有していないと力が使えないという結果がでている。
また、殊力は摂取ができる代物でもないため、産まれた時に殊力を持たぬ者は普通の人間として育ち、死ぬ。
スペリオールは三十パーセント以下という低い確率で誕生し、しかもその内の半分は殊力があっても弱質で、あってないようなものだ。一般人と、あまり変わらない。
特化した殊力を持ち、尚且つまともに殊力を自由自在に使いこなすことが出来るのは、ほんの一握りだと言われている。
つまり、スペリオールと一般人が共存しているとはいえ、その割合は圧倒的な違いがあるのだ。
そして、その大きな割合に含まれる非スペリオールの少年が、検挙率が高いと評判な国〈オネスト国〉の首都である〈ライフ〉にも居た———……。
***
「始業式から遅刻とか洒落になんねぇ! あ、母さん、天気予報見てくんない? 昨日お天気のお姉さんが雨とか言ってた気するんだけど」
首都〈ライフ〉にて。花が綺麗に手入れされた庭をもつ一軒家から、少年の声が轟いた。同時にバタバタと床を踏む足音が響く。 朝から外に漏れるほどの爆音でだいぶ五月蝿いが、これは日々繰り返される日常だった。近所の人々は怒るどころか「今日も平和だ」と頬を緩めている。
「言ってないよ! 晴れだよ晴れ、快晴! アンタお姉さんしか見てないから、まともに予報聞いてないんでしょうっ」
この家の付近は都会の割には草木が多く、風が鳴くと爽快な香りがし、あちこちに花弁のカーテンがかかる土地だ。だからこそ、親子の声が尚更響く。
しかし一国の首都であることに違いはないため、少し歩けば大きなビルが建ち、トレンドの店が並んでいた。
「ざけんな超ちゃんと聞いてるわ! オレにいかがわしいレッテルつけんじゃねえ……って、時間やばいやばい! んじゃ、行ってきますっ」
「はいはい、いってらっしゃい。意地でも遅刻はするんじゃないわよ、"一彩"」
ガチャリと玄関の扉を開き、ミサイルの如く飛び出す男子高校生の名は、猫暮一彩。
パステルピンクのふわふわ髪に、海色の瞳をもつ少年。猫のように気分屋で、常にその時の感情に従って約十六年間生きている。
『しっぼの向くまま』、これが彼の座右の銘だ。
今日から高校二年生になる一彩は、比較的校則の緩い高校に通い、ワイシャツの上には自前の赤いパーカーを羽織っている。その派手な上着と、元気すぎる性格は人の目を引き、気づけば近所では有名な少年になっていた。
「あら、一彩くんじゃないの。今日から学校始まるのかい?」
「おはようおばちゃん! そうだよ、春休みは昨日までなんだ。今度また帰りにパン買いにくるね、んじゃねっ」
「ありがとう。走って怪我しないよう、気をつけて行ってらっしゃい」
パン屋を経営している五十代の女性はにこやかに手を振り、一彩は学校に向かって一層走るスピードを早くする。有難いことに、高校は徒歩で行ける距離にあり、走れば十分もかからない。
それなのになぜ遅刻常習犯なのかは、近いほど油断する人間だからだろう。
———今日は大丈夫だ、間に合うっ!
小さく見えた門を眼力だけで破壊する勢いで睨み付け、ただただ真っ直ぐ足を動かす。どんと構えた門だけを見て、走る。走る。ひたすらに。
しかし、その不注意のせいで彼は面倒なものに巻き込まれることになる。
「いって……!」
そう苦痛の声を上げたのは、一彩ではなく右斜め後ろにいる男だった。男は地面に倒れるように座り込み、大げさに腕を擦っている。
丸坊主に派手なサングラスをし、警察が見たら職務質問をしそうな若い男だ。一彩は目的地しか見ていなかったから気づかなかったが、半径五メートル以内には近づかない方がよさそうな相手だった。現に、回りの通行人は男を避けるように歩いている。
本能的に逃げろとサイレンが鳴るが、あまりに痛々しい声を発するため、一彩は声をかけた。
「えと……大丈夫っすか? すいませんオレ、真正面しか見てなくて……」
男は眉間に深いしわを寄せ、反射で一彩の身体がビクリと引きつる。目の前には恐ろしい顔が迫り、ぶわっと噴き出た汗が頬を伝った。
「テメェのせいだ」
「……へ?」
「テメェがちゃんと周り見ねえで走ってんから、俺にぶつかったんだよ! どうすんだ、腕の骨折れちまったぞ、ぁあ? 慰謝料払ってもらわねーといけねえな、こりゃ」
「……」
「いいか? 骨折したんだよ骨折。それがどんだけ大変なことかガキでも解んだろ? 謝らなくていいから金よこしな」
「あー……」
———こいつ、当たり屋か。
登校中に思わぬ事態になった一彩は、制服の首元を掴まれながら逃亡策を考える。学力は学年三位の実力があり、頭の回転は早いほうだ。恐怖がなくなったわけではないが、あまりに雑なカツアゲに、だいぶ心臓の鼓動のペースは戻っていた。
数秒後、閃いたように手をポンと叩き、スマートフォンをポケットから取り出した。その赤い機器に付いている猫のキーホルダーがぶらぶらと揺れる。
若い男は「一体何をする気だ」とサングラスの下で目を細めた。少年は鋭い視線に構わず、その携帯を耳に近づける。
「あ、もしもし、おまわりさんですか? いや実はですね、オレがお兄さんにぶつかって骨折させちゃったみたいなんですよね。え、そんな馬鹿みたいな話あるわけない? そいつは当たり屋だ? や、でも本人めっちゃ痛がってて……。なになに、今すぐ来てくれるんですか? あー解りました待ってます! ではっ」
一彩はわざとらしく溜め息をつき、携帯を元あった場所へ戻した。しかし実際は電話などしておらず、客は男のみの一人芝居だ。丸坊主の青年を見ると口を金魚のようにパクパクし、声を震わせる。
「お前……サツに電話したのか……?」
「おう! すぐ警察が来るらしいから、ちょっと待ってて!」
見るからに動揺した男の声に、少年は実に子供らしく頷いた。それを見た男は、カチン、と固まりながら大量の冷や汗を流し始める。滝そのものだ。
そして、偶然遠くで聞こえたパトカーの音を合図に、当たり屋は全力で逃走した。
一彩は呆れたような苦笑いをこぼす。
「ったく、朝からやめてくれよな。……さーってと、一段落したしオレも早く行」
キーンコーンカーンコーン———……。
台詞が終わる前に、一彩の運命は決まった。学校の鐘が鳴り、遅刻決定である。
信じられない現実に唖然と静止するが、何度時計を確認してもホームルームの時間を指していた。チャイムが間違っているのではないかという最後の希望も無惨に朽ちる。
「———っくそぉおおお!!」
時間を戻す殊力があったら良かった。と心から思ったのは言うまでもない。だが一彩はどこにでもいる一般人。時間を巻き戻すどころか、ほんの少しの殊力も持っていないのだ。
———もしオレがスペリオールだったら、どんな殊力を持っていたんだろう。
そんな疑問を抱いたのは初めてではなかったが、勿論答えは誰も知らない。
水が操れたのか。
飛ぶことができたのか。
はたまた、透明人間になれたのか。
開き直った一彩はのんびりと歩きながら幼児のような空想を描き、それから一人でクスリと笑う。
そんな晴々しい少年とは正反対で、丸坊主の男はにこりともせず唇を噛んでいた。
「あのガキ……気に食わねえ!」
男はトレードマークのサングラスを壁に投げつける。粉砕する音が路地裏で響いた。
怒気を露にし、今にも全身から湯気が出てきそうだ。
「———覚えてろよ」
***
―continue―