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持てる全てを差し出して

挿絵(By みてみん)


――傍観者の話。








 俺は瀬下アトム。この名前は本名だ。

 これでも要領はいい方で、頭も悪くないと思っているし、勘も鋭い。顔もなかなかハンサムだし、足も速いし、仕事もできる。言っておくが収入はあるほうだし、加えて性格も良くて粋なジョークまでこなせるとなれば、こんなチャーミングな男を世の女性がほっとくはずがない。

 それがどうだろう……未婚、彼女無し。

 一人コンビニで買い込んだ買い物袋を提げて深夜帰る虚しさよ。俺の食料事情を説明するのに、コンビニと松屋と王将さえあれば事足りる。引っ越しする際、半径50m圏内にこれらの店があるかを条件にした程だ。なんでだ……勝ち組のはずの俺の人生、どんどん曇ってゆく。帰っても仕事がある。せめてもの救いは今日がジャンプ発売日だと言うことか。ルフィは裏切らないからな……。



 水曜日の昼下がり。モニタを眺めながら、インスタントコーヒーを啜る。

 電磁波で目が腐りそうなわりには大きな動きも大した発見もない。追跡システムが追うのは二十八人。それぞれのメール送受信の記録や通話の履歴、携帯電話のアプリ起動回数なんかも逐一通知される。別のモニタでは標的の行動範囲内にある防犯カメラのリストと、そこから引っ張ってきた映像が出ていた。代わり映えのしない、地味で退屈な体力の浪費。これらの監視は五人一組のチームで行われ、シフト制で交代に行われる。標的はいずれも政府要人であり、重要な機密や案件を抱えた人物たちだ。情報管理は我々の管轄になることは標的も重々承知の上だが、監視は二十四時間全ての行動にまで及ぶことまでは知らない。そうでもなければこんな人権に関わるようなことは許されないであろうし、標的にも必要以上の警戒をされてしまう。イリーガル(非合法)な接触がないかを見張り、盗聴盗撮が行われていないかも含めて摘発するのがウチの仕事になる。一方で署内でプロジェクトが立ち上がれば、監視を続けながらも人員を駆り出される。圧倒的な人員不足。しかし、業務が業務な故に、簡単には人を入れることができない実情もある。悪事は隠しておけないのが世の常ではあるが、存在自体が隠されているこの部署も、国家機関としての一応の役割がある。簡単には外部には漏れるわけにはいかず、実に閉鎖的な環境にあった。どんなに過労を訴えてもいっこうに改善される見込みは無さそうだ。




「また散らかしてる」


 部屋に入ってくるなり、悠人は怪訝な表情を浮かべる。文句は言うが絶対に片付けたりしないのを俺は知っている。


「ちょっと今日は残業な」

「いいよ、別に」


 まるで自分の家かのように、悠人はキッチンに入って水を入れたヤカンに火をかけ始めた。


「俺も」

「はいはい」


 インスタントコーヒーを淹れるつもりだろうと便乗するが、それも悠人はわかっていたようだ。


「なにこれ、カップ出払ってるじゃん」

「そうだったか?」

「コーヒーお椀でいい?」

「いいわけあるかロック過ぎるだろ」


 仕方なくこういう時用の紙コップを出した。一息つけたら洗い物だな。


「これ」


 分厚い8cmドッチファイルを2冊、乱雑に資料が入ったままに悠人に出した。


「成果書類?」

「こっち日報、これ手帳」


 紙の束を悠人の前に積み上げる。書類作成を任せるための事前の準備は万全だ。


「これまだ継続してるんだよね」

「いくつかの標的はうつったけどな」


 物分かりのいい悠人は書類を覗いただけで大体を察した。




 情報とは、予知となる。あるいは標となる。その価値にこの国が投資し設立されたのが俺の仕事だ。情報を収集し読み取りや解析を進め然るべき機関へ卸すことや、情報の公開や漏洩に関与し操作することも職務にあたる。つまり、現政府にとってもっとも都合の良い情報を整えるという、ある意味ではヤクザな仕事だ。アメリカのCIAやFBIを思い浮かべてもらえれば間違いない。なんだかわからないが秘密裏に動いている、そういうことだ。特別公務員という肩書きになっているが、それには特殊な権限が付与されているからに他ならない。必要であれば法に抵触するようなことも許可される。とは言っても、現在は戦争中でもなく明確な敵国も無い。同盟国への協力や国内で暗躍している諜報員への妨害が主な活動だ。

 今、要人の監視の他に請け負っているのは、チーム内の潜入者の摘発。直属の上司から勅命を受けているが、そもそも潜入者が本当にいるかどうかもわからない中での勘検だ。常に有用に情報を扱うために、他組織に出し抜かれてはならない。その為に何の後ろだてもツテもない生え抜きの俺が、チームの中でも極秘で動いている。おかげさまで忙しくしており、出世コースも同期より頭一個抜き出た形だ。職務に不満が無いわけではないが、結局俺は仕事が好きなのかも知れない。リスクと隣り合わせの位置に居て、俺はまだ仕事で結果を出すことに貪欲だ。彼女の代わりに野心に慰められて俺は奮い立っている。


 かく言う俺も、いくら優秀だとはいえできることには限度がある。そこで雇ったのが、悠人だ。

 悠人を拾ったのは、三年ほど前。その時は確か今屋と言ったが、今は間宮と名字が変わってる。当時俺が探っていた情報屋が出入りしていた家に住んでいた女の息子だ。数奇な生い立ちにあり、子供が育つには劣悪な環境にあったと断じねば嘘になる。本人は何も語らないが、おそらく過酷な扱いも受けただろう。あの日の悠人の眼は死人のように濁っていた。

それから今に至るまでを語るには、かなり長くなる。紆余曲折、斯々然々を経て、俺たちは思ってたよりずっと長い付き合いとなった。

 悠人は頭が良すぎるくらいで、常に冷静であり、機転も利く。記憶力も良く、まあイケメンだ。身長も俺より高いし、物腰も人好きのする柔らかさがあり、ムカつくことにモテるらしい。話してみれば悪い奴でもないし、年相応の顔も覗かせる。だけど、悠人の奥底には形容しがたい闇がある。それは随分和らいだが、以前はうすら寒い淀んだ空気を纏っていた。あんな子供がどうしてあれほど冷たい眼ができるというのか。

 多少の同情はあった。それから使えるという算段も。でも、何より俺は、悠人をこのまま捨てておけなかった。それはやっぱり独り善がりの同情で、自分勝手な算段なのかもしれない。だとしても、悠人が少しでも今までと違うように生きられたなら、俺が悠人と会った意味があっただろう。


 悠人に仕事を手伝わせてから、随分楽になった。書類の書き方は一通り、現場の下見や尾行の仕方なんかも教えた。悠人の仕事ぶりは早くて的確であり、更に俺の想定より一段上の成果をもたらす。あまりに仕事ができるものだから、かなり深いところまで悠人には手を入れてもらってる。以前軽くない怪我までさせているので一応悪いとは思っているのだが、悠人本人は何とも思ってないようで、割りの良いバイトくらいのノリで仕事を続けている。

 ふいに、机が震える。低く唸るような音と共に、携帯電話が光ってる。


「……電話」


 何コール目になっても携帯電話を取ろうとしない俺に、悠人が声をかけてくる。勿論電話には気付いていて、取る気が無いだけだ。


「イーサンだろ。お前取れよ」


 携帯電話を取って、悠人へ投げた。


「仮にも上司からの電話なのに、いいの?」

「手ェ離せないって言っとけ」


 悠人は渋々電話を取った。


「……こんにちは。……はい、悠人です。瀬下さんは今手が離せなくて…ええ、うんこです。長い戦いみたいで」


 おまっ!とつい声を出しそうになる。そこまでウソ言わなくていいわ!


「ははは、そうですね。今度からそう呼んで下さい。多分ちゃんと返事しますよ」


 ちらりと悠人が俺を見る。なんだかわからないが悪口を言われてるようだ。腹立つ!


「はい、わりと。忙しいみたいですね。……伝えておきますよ。え?それはどうかな。考えておきますけど」


 普通に会話してる。仕事の用件じゃなかったのか。


「わかりました。戦いから戻ったらかけ直させます。ええ、じゃあまた」


 通話は短く終わり、悠人は携帯電話を俺に投げ返した。


「かけ直せってさ」

「お前な……うんこはないだろうんこは」


 眉間にしわを寄せてぶつくさ言っても、悠人は悪びれた様子もない。


「イーサンが言い出したんだよ。『ドウセウンコデスネー』って」


 くそ、なんかモノマネ上手いなこいつ……イーサンの言いそうなニュアンスを的確に表現してる。

 このイーサンというのは、俺の直属の上司にあたる。見た目は典型的なアメリカ人で、日本語ペラペラなのにテレビみたいなカタコトで話し、それでいて日本の機密を取り扱う機関の上位にいるというわけのわからない人だ。その砕けた態度からはなかなか読み取れないが、俺から見ても恐ろしく頭がキレるし人間の機微を熟知している。俺は俺で好き勝手にやらせてもらってるが、それを含めてイーサンは上手くコントロールしている。まあ少し俺に仕事を詰め込みすぎではないかと思うが、まだしばらくは役に立ってやってもいい。そう思わせる人物だ。


「イーサン、上機嫌だったろ」

「ん?まあ、そうだね。チームに入れ、って勧誘されたけど」


 イーサンには、非正規で手伝わせている悠人のことは報告してある。悠人の存在が内部でバレてもおおごとだ。万が一の時のためにイーサンにだけ話は通している。何があっても自己責任のつもりで悠人を使っているけれど、イーサンは話がわかるやつで助かっている。悠人の働きぶりをイーサンはかなり気に入っているようで、たまに会わせると熱烈なベーゼをかましている。


「そうだな、入れば?そろそろ就活近いだろ」


 俺はイーサンにわりと賛成だ。このまま悠人が俺の下にいると、これ以上無いくらいありがたい。


「えー?公務員は確かに狙ってるけど、ここはなあ……」


 書類を整理しながらも、悠人は不服そうに言う。


「公務員狙ってんの?じゃ、何でうちが不服なんだよ」


 いつもは自分の仕事に不満たらたらではあるが、拒絶されればちょっとムッとする。言っておくが、他の官僚やらに比べれば、リスクを負ってる分うちは待遇がだいぶ良い。


「仕事ばっかりとか絶対に嫌なんだよね。できるだけ家に居たいし」

「家?」

「結婚したら、家庭優先にしたいってこと」

「…………」


 思いがけない回答に絶句する。結婚?こいつ、俺より7才も年下なのに結婚した時のこと想定してやがる……!


「本当は家で仕事出来る小説家とか漫画家とかになりたいくらいなんだけどさすがにそれは無理だし。公務員なら安定してるから、定時で上がれるようなとこならそこがいいかなって」


 ノートパソコンから目線を外さず言う悠人が憎い。なんなんだ、こいつ。モテるらしいのに保守的なこと言い出しやがって!


「それってあれか?例の亜子ちゃんか?」


 ずっと悠人から散々聞き出していた片想いの話。その亜子ちゃんという女の子に悠人は相当惚れているようだ。ニヤリと笑った悠人は、コーヒーを啜った。


「うん。もちろん、結婚するのに亜子以外は考えられないから」


 こいつは数年越しで最近ついに初恋を実らせたらしい。今はさりげなくのろけられたと考えた方が正しいのだろうか。怒るべきか?いや、ここでカリカリし始めたら余裕のない男じゃないか。ここは紳士らしく対応しなければ。


「今は恋が楽しい時期かも知れないが、男と女の間には暗くて深い穴がだな……」

「無理して羨ましくないフリしなくていいよ?」

「んなっ!?羨ましくなんかないわ!バーカバーカ!!」


 勝ち誇ったような悠人が憎らしくて、俺はすぐ応戦してしまった。




 夜はとっぷり暮れて、あたりはすっかり暗くなった。


「メシでも食いに行くか」


 とか言っても松屋か王将だけど、そろそろメシを詰め込みたい腹具合だ。


「…………うん、ちょっと待って」


 ノートパソコンに打ち込みながら、悠人は書類を確かめて画面と見合わせる。


「あとどれくらいで終わりそうだ?」

「今、申請書が終わるところ。あとはまあ今月分の領収書切っとこうかなって。帰ったら報告書にチェック入れて」

「やーさすが悠人さん」


 なんとも手際の良いことで。俺が受け持ってた分の監視レポートの下地を作ってもらえればかなり楽になる。それに併せて領収書をまとめておいてもらえると万々歳だ。




「……ん、じゃあ出よう」


 数分後、ベランダでタバコを吸ってると、悠人がキリよくなったようだ。


「何食いたい?」

「いや、別に。なんでも」


 いつ聞いてもそうだ。悠人はあまり食に興味が無いようで、具体的に食べたいものなど答えたことが無い。


「じゃ、王将な。俺、天津丼」

「うん」


 勝手に決めても悠人は全く気にしないくらいだ。悠人は適当に頷いて立ち上がった。


「あのさ、今回の案件」

「んあ?」


 財布をカウンターから取ると、急に悠人が話し掛けてくる。


「どうして大学教授とか、他にも官僚じゃないのが混ざってんの?」


 仕事のことをこんな風に尋ねられるなんて最近はあまり無かったことで、少し面食らった。

 機密にはそれぞれランクがつけられていて、今の俺のチームは最高ランクの機密関係しか取り扱わない。その特性上から、継続的に民間人を見張るなんてことは滅多になかった。


「アポカリュプスって知ってるか?」

「アポカリュプス……?黙示録のこと?宗教が関係してるの?」


 さすがに、悠人も博識だ。


「β素粒子の測量法の発見から完全再生可能エネルギーの研究が各国で行われてた時代、その極意を学者達はアポカリュプスと呼んだ。まるで神からもたらされた世界の秘密のように神秘的だった、っていう話だが、科学も行き着けば神秘主義に帰るってことかも知れんな」

「でも今は、完全再生可能エネルギーの研究って頓挫してるんでしょ?」


 一言二言で終わる話ではなかったので、近くにあったスツールに腰掛ける。


「実用化が難しいらしくてな。でも、当時は画期的なエネルギーの研究だった。今、世界中天然ガス巡っていがみ合ってるの見ればわかるだろ?」


 いずれ来ると言われていたエネルギー資源の争奪。石油や石炭を食い潰した今、エネルギーは天然ガスを使った火力発電と原子力発電に依存している。天然ガスもまた有限であるし、原発は廃棄物問題が未だに残っており重大な事故も世界各地で起きている。リスクの無いあらゆるクリーンエネルギーが試されてきたが、火力や原発には及ばない。完全に再利用ができるエネルギーというものがあれば、それは人類の希望だ。β素粒子の可能性と希望に燃えて世界中で研究プロジェクトが立ち上がったのが三十年ほど前。


「当時抜き出た日本の研究を保護するために警察の情報監理局でチームが作られた。まあ結局プロジェクトは頓挫し、エネルギー問題の焦点は素粒子からズレた。今も研究自体は続いてるが、厳戒体制は解かれてうちに引き継がれた、ってわけだ」


 わりと詳しく話してやると、悠人は真剣に聞いていた。


「その研究、まだSクラスの機密にあたるの?実用の見込み無いんでしょ?」


 悪くない質問だ。俺も標的を聞かされた時に同じ質問をイーサンにした。


「使い勝手が悪くてもβ素粒子の有用性は証明されてる。それとこの大学教授、天才らしくてな」

「天才?」

「途中でプロジェクトを抜けたらしいが、研究者の中で最も有能だったそうだ」


 俺にもその辺の事情はわからなかったが、例え同じ枠組みにいても思惑は違う。政府、官公庁、行政法人、研究者たち、それぞれがそれぞれの利益を違うところへ見出だしている。書類だけでは語れない複雑な事情もあるだろう。


「……他のも関係者?」


 悠人の言う“他”とは、最近ある組から破門されたヤクザとも呼べない中年の男や、他数名の一般人だ。


「まだ教授を嗅ぎ回ってるやつららしい。どこかから何かを吹き込まれてるのは間違いないが、取り敢えず監視対象だ」

「ふーん……」


 腕を組んだ悠人は一通り聞きたいことは聞き終えたらしい。


「メシ行く?」

「うん……」


 質問が途切れたので念のため確認するが、頷く割には何かを考え込んでいる。今回のケースは稀で、いつも通りの仕事内容では無いが、良くも悪くも仕事に立ち入らない悠人には珍しく色々質問された。何が気になったのか、何のためだったのか、今度おりを見て確かめてみようと心にとめておく。今は何よりメシだ、天津丼が俺を呼んでいる。


「…………使えるものは使わないとな」


 ぽつりと呟いた悠人の言葉の意味を俺が知ることは無かった。

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