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└見捨てたりしない


「安心しなさい。わたくしとて鬼畜ではありません。スタートは二人同時ですが、ゴールに関しては一人でも問題ないとします。つまり、相手を見捨ててさっさと先に行ってもいいというわけですわ」


「……! 見捨てるなんて事しねーよ!」


その物言い、わざわざ『相手を見捨てて』などという言い方が気に入らず、一火は思わずそう返した。その強い語気に、カレンは驚いた顔で一火を見つめた。


「ふんっ、そんな甘ったるいことを言っていられるのも今の内ですわ。わたくしの侵入試験を舐めていたことを、貴方はすぐに後悔するでしょう」


「言ってろ!」


一火とジェシカの視線が、一瞬かち合い。すぐに、お互い離した。それぞれの瞳に宿るのは、やはり敵意だろう。


「イチビ君、カレン。えっと、……頑張ってね」


「生きて帰ってきてねぇ、ふたりともぉ」


「は、はい……」


「あ、当たり前だろ!」


普段通りの調子で言っているが、内容がかなり物騒なルビエの言葉に一火は僅かに声を震わせる。……ジェシカのようなタイプよりも、ルビエのように笑顔で毒を吐くタイプが苦手だと、このとき一火は知った。



「そうそう、わたくしが見ていないからといって、ルールを無視したりしないことですわ。ルールを破ったら最期……試験を失敗するよりも辛い、地獄の責め苦が待っていますわよ?」


ありがたい忠告だと言わんばかりに、ジェシカは妖しく笑って。取り巻きのひとりに、ちらりと視線を向ける。

その取り巻きが頷いたのを確認してから、その場に響き渡る程の大声を上げた。



「では、行きますわよ――はじめ!」


ジェシカの合図に従って、取り巻きのひとりが笛を鳴らす。天まで届きそうな高い音が辺りに響き渡った。


「行くぞ!」


「は、はい……!」


未だ顔色が優れないカレンを心配する気持ちは有ったが、ここでずっと止まっているわけにもいかないと一火はカレンを勢いづけようと大きな声を出した。

カレンはその声に従って、小走りで一火の後をついていく。


――ふたりは、そうして森の中へと足を踏み入れたのだった――。




「……あ、あの……一火さん……」


それから暫くは、不気味な程に何も起こらず。一火達は順調に歩を進めていた。

しかし、歩いても歩いても景色の変わらない森の中。加えてこの暗さでは、時間感覚が全く掴めない。

タイムリミットが一時間と定められている以上、油断は禁物だ。


「なんだよ?」


進める内に進んでおこうと考えていた為か、一火とカレンの距離は一火が思っていた以上に開いていた。

カレンが近くに来るまで待とうと、一火が立ち止まった時。カレンはとても弱々しい声で呟いた。


「……本気なんですか」


「は? 何がだよ」


「さっき、ジェシカさんに言ったことです。……見捨てたり、しないって」


それを聞いた一火は、心外だとばかりに口を尖らせて。


「何だよお前、オレに見捨てられるとか思ってんのかよ!」


「……だって、そうでしょう普通」


強く言い返した一火は、しかしカレンの声色の覇気が無い事に眉を顰める。達観したような物言いで、けれどどこか空虚感のする言葉。

一火は、カレンの雰囲気が昨日プールで話した時とダブるのを心の中で感じていた。


「私、暗いところは苦手ですし……現に今、遅れを取ってます。


――あなたにとって、私は足手まといじゃないですか」


別にふたりでゴールする必要はないのだから、置いて行かれても当たり前だと考えていると、カレンは言葉を結んだ。


「……」


一火はそんなカレンを見据えて、むっとした表情のまま押し黙る。カレンの言っている事が、非常に不満な内容だったからだ。


「……別に、今すぐにでも置いて行ってくれて構いませんよ。恨んだりもしませんから、安心して下さい」


さも自分は客観的に物事を見ていると言いたげな言葉が、一火にはかなり苛立つ発言だった。


「……お前さ。昨日も言ったけど、何でそんなにネガティブ目線なんだよ」


上から目線で人を馬鹿にする発言をしたかと思えば、ふとした瞬間に暗い表情を見せてきて。

一火からすれば、カレンのそれらの言動は不可解極まりなかったのだ。


「ネガティブな事を言う癖に、その内容はいかにも良い事ですって顔してんのも気に入らねーし。人にあれこれする前に、まずは自分の気持ちを言えよ!」


――口にする内、カレンに対して感じていた違和感はこれだと、一火は気が付いた。


内容を理性的に見せつつも、全く自分の意思が見られない、覇気のない表情。自分の考えを喋っていると見せかけた、主観に欠けた言葉。――それはある種の『矛盾』、だろうか。


一火にとって、そんなカレンの言動は非常に不可解かつ気に入らなかった。いつも何かに怯えているかのような態度が、むかついたのだ。




「…………」


一火の発言に、カレンは俯く。そうして唇をぎゅっと噛み締めたかと思うと、勢い良く顔を上げて。



「なにが……何が分かるんですか! 私となんの関わりもない、出会ってたったの数日のあなたに! 私の、なにが分かるって言うんですかっ?!」


――その声の響きは、最後の方は悲鳴に近かった。

突然ヒステリックになったカレンに、一火は複雑な気分になる。


「……何だよ、わかんねーから言ってんだろ」


確かに、なにも分かってはいない。さっき口にした事は、この数日にあったやり取りを加味して、一火がひとりで考えていた事だ。それはカレンにとっては恐ろしく心外かつ筋違いの文句だったかもしれない。


だが、一火は謝る気はなかった。カレンの意思はどうあれ、彼女と接した中で自分が考えた事は、自分にとっては紛れもない真実だったから。それは譲れなかった。



――けれど。次にカレンが発した叫びは、一火の心に大きな衝撃を与えた。



「私だって、――分からないんですよぉッ!!」


「……!!」


まるで心臓を直接、金槌かなにかで打ちつけられたような、そんな感覚がした。



「そんな風に聞かれたって、私だって『私』が分からないんです! 自分がなんなのか、どんな性格なのか! なぜ、暗い方へ暗い方へ物事を考えているのか!


私自身、自分のことがなにも分からないんだから、――しょうがないじゃないですかッ!!」


恐らく、カレン自身ずっと悩んでいた事だったのだろう。――それは、悲痛な訴えだった。

カレンの語調は激しく、しかし擦り切れてしまいそうな程に儚い印象を、一火に感じさせる。


(そうだ……こいつは、オレとは違うんだ)


一火は思い出した。天使として転生し、前世の記憶をある程度はっきり記憶している自分と、カレンの境遇は全く違うのだという事を。


カレンは、自分の名前以外の事を思い出せないのだ。その名前も、本来なんという字で書くのかも分からないという状態。唯一思い出せた事も、水に対するトラウマで。


自分自身の事が何も分からなくて、歯痒くて、辛かったのかもしれなかった。



「私だって、ほんとうは……っ」


何も言えないでいる一火に、カレンがそう続けた時。――遠くから、なにかが聞こえて来た。ゴゴゴゴゴ、と大地を揺るがすような、不安感を煽る轟音。


「な、なんだっ?」


一火達は音のする方を見る。そこは自分達が歩いて来た方角だ。しかし、繁った森林と暗闇が、一火達の視界をかなり狭めていて。音がだんだんと近付いてきても、全くなにが起きているのか掴めなかった。


「な……何だか、嫌な予感がしませんか……?」


「……ああ……オレもだ……」


一火とカレンは、蒼白になった顔を見合わせる。……そして、どちらからともなく頷き合い。



――……一斉に走り出した。



「ひぃやあぁぁあああ!?」


「や、やっぱ何か来たぁーっ!」


ふたりが駆け出したのとほぼ同時に、近付いてきていたものがその姿を現した。


「こっ、古典的すぎるだろー!」


周囲の木々をなぎ倒しながら、物凄い勢いで転がって来るそれは、人など余裕で潰してしまいそうな大きさの――いかにもな大岩だった。


「もっ……もういやぁあああ! 何で私がこんな目にー!」


一火とカレンは悲鳴を上げながら走る。――その結果、普段よりスタミナが切れやすくなっていたとしても。文句を言っていなければ、やってられなかったのである。



「い、いつまで追ってくんだよぉおお!」


ある程度は誰かが通れるように道がつくられてはいるものの、元々ここは森の中。走りにくい地で、巨大な大岩と追いかけっこするなど無謀である。


いったいどのくらいの時間まで走っていたのかは定かではないが、次第に一火は体力の消耗を感じていた。――このままでは、まずい。


「はぁっ……はあ……」


「お、おい! もっと頑張れよっ!」


カレンの体力も限界に近いようで、その息遣いは一火よりも荒い。

一火は激励するように叫びながら必死に考えた。自分達が、この大岩から逃れる方法はないかと。


「……あぁくっそー! なんも思いつかねー!」


だが、必死に走っている状態で頭などまともに働いてくれない。一火は苛立ちから大声を上げた。



――と。



「……ん!?」


多少開けた所に出た一火は訝しげに目を細める。大きな鉄板のようなものが、そこには立っていた。……しかもご丁寧に『よくがんばりました。これでいわからみをまもってね』、と書かれた看板も一緒に。


「くっそ……!」


一火は歯を食いしばる。あのムカつく悪魔のいいように、行動が制限されているのが癪だったのだ。――だが、仕方がない。



「……おい、お前っ!」


その時、振り返った一火は目を見開いた。……カレンが、足を止めていたのだ。

完全に限界を迎えたのか、呼吸は乱れ地面に両手をついていた。――そこへ、大岩が迫っている。


「……くそ! 世話かけさせんなよっ……!」


一火は急いでカレンの元へ向かい、彼女の手を取ると強引に引っ張った。


「えっ、あ……!?」


驚き目を見張るカレンの声には応えず、一火は全速力で走り、鉄板の後ろへと辿り着いた。


一火達をさんざん追いかけ回した大岩は、鉄板に激突し砕け散る。……ようやく、安息の時間が訪れたようだ。



「……はぁー……はっ……」


何とか一息ついたと、一火達は心の底から安堵した。手を繋いだ状態のまま、一火は膝をつき、カレンはその場に座り込む。



――すると。




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