└いつもいつも、懲りない人
――ジェシカは、一火やカレンの件を(かなりの誇張と脚色を加えつつ)浪に伝えた。
ジェシカとしては、一般天使である一火の『自分に対する、節度や身分を弁えない言動』を、天使長の監督不行き届きだと文句をつけていたのだが――……。
「そうすか。……で?」
「……は?」
「それを僕に言われましても、何も言う事が無いのですが」
「なっ……なんですってぇ……!」
真顔(普段からだが)で困惑の意を告げられ、ジェシカは何を言っているのだと息巻く。
「一般天使を監督することも、天使長の役目でしょう!? 貴方、自分の仕事まで忘れたんですのっ!?」
「一般天使の指導・監督は、僕じゃなく泉さんの役割なんすけど」
「ハッ……!」
「そうでしたわ」と言い掛けて、ジェシカはしかしすんでのところで踏みとどまった。自分の失態を認めるような台詞を、この男に聞かれるのだけは避けたかったのだ。……もうなんか色々と手遅れな気はするが。
「そもそも本来、魔界への天使の出入りは自由ですので天使長の出る幕はありませんし。貴方がたは貴方がたで、勝手にやってて下さい」
「うぅ……ぐぐッ……!」
正論で返され、ぐうの音も出ないジェシカはせめてもの抵抗か、鋭い目つきで浪を睨みつけて怒りを示した。もちろん、そんな事をしたところで浪が何かを感じる事もないと理解した上でだが。はいそうですかと素直に帰るなど、ジェシカのプライドが許さなかったのだ。
「あなたという男は、どうしていつもいつもそうやっ……きゃあっ!」
だが、そう言いながら前へ踏み出したその時。ジェシカは足元にあった瓦礫に躓いてしまった。瓦礫が散らばった床に顔面をぶつけてしまうと反射的に目を瞑る、と。
「はぁー……そうやって毎回のように躓くなら、あれこれ壊さなければいいのに」
気が付けば、溜め息混じりの声が頭上から聞こえて。同時に、人の体温がすぐ近くに感じられたジェシカは顔を上げる。
すぐ間近にいたのは――もちろんの事ながら、浪であった。浪は転びかけたジェシカを抱き寄せるかたちで、彼女を助けたのだ。
「……! な、な、何をするんですの腐れ天使長の分際で!」
「何って、随分な言い草ですね。貴方、いつもいつも僕の目の前で転ぶじゃないですか。その度に怪我を魔法で治すのも面倒だったので、転ぶ前に助けただけですよ」
顔を真っ赤にしたジェシカが慌てて離れながら騒ぐと、浪はやはり無表情のまま抑揚のない声でそれに正論で答える。
『いつもやっている事』について文句を言おうとしたジェシカは、図らずも浪にそれを指摘されてしまった。
「! ……〜っ! もう、もういいですわ! 今日はこの辺りで勘弁して差し上げます! ――覚えてなさい、天使長っ!」
浪の言葉に、しばらくジェシカは口をぱくぱくさせていたが。やがて捨て台詞を叫びながら去って行った。
……今度は転ばないようにか、わざわざ翼を動かして飛びながら。
「…………はあ。面倒臭い」
ジェシカの退場を無言で見届けた浪は、大きな溜め息を吐きながら、破壊された部屋を直す為に魔法を行使したのであった――……。
翌日。
「いいですわねッ、今回の侵入試験におけるルールはふたつ!
ひとつは空を飛ばないこと! ふたつは魔法を使わないことですわ! 自分の身体能力だけで、襲いかかる試練を乗り越えてみせなさい!」
かなり意気込んだ様子のジェシカが、魔界辺境にある森の入口にて侵入試験の説明を始める。
眼前に広がる森林は鬱蒼としていて、まさしく一寸先は闇といった状態だ。時刻は朝だが、魔界は常に月が照らす暗闇の世界。よって、かなり不気味な雰囲気が周囲に漂っているのを一火達は肌で感じた。
「……うぅ……」
「おい、大丈夫か?」
「……お、恐らくは……」
ジェシカの解説の最中、一火は小さく声を漏らすカレンに話しかける。非常に頼りない台詞を吐くカレンの顔色は、その言葉以上に不安感を煽った。
「いいですわね! ここから森を抜けた所にある血の池前がゴール地点ですわ! そこに一時間以内に辿り着ければ、わたくしは貴方がたの魔界への侵入を許可します!」
「本当に認めてくれるんだな? オレ達が無事にゴール出来たら、侵入許可証ってのをくれるんだよな」
「まあ無理だとは思いますわ。ですが、ええ。万が一にも有り得ませんし天文学的確率ですがもしもゴール出来たならば、わたくしは侵入許可証を差し上げましょう!」
「言ったな……! 見てやがれ、ぜってぇお前の鼻を明かしてやるからな!」
周囲にいたジェシカの取り巻きが一火の暴言にざわめき出す。が、当然ながら一火はそんなの知った事ではない。頭はこのムカつく悪魔への報復でいっぱいだった。
「……おい、本当に大丈夫かよ?」
「ううううるさいですね! べっべべ別に暗いところが怖いとかじゃないですよっ!」
「……駄目じゃん」
これから二人でこの森に入って行かなくてはならないというのに。声どころか身体をも震わせるカレンに、一火はかなり不安になった。