└侵入許可証
「…おい。ほっといて良いのか?」
テーブルを囲む三人。イアンはと言えば、その傍らで捨て置かれたように床に倒れている。
一火が残りの二人に声を掛けるものの、カレンは興奮冷めやらぬといった様子だ。
「いーんですよ! 自業自得です!」
「その内起きると思うからぁ、たぶんだいじょーぶだよぉ」
「何で『思う』やら『多分』やら曖昧なんだよ…」
一火の言葉を笑顔でスルーして、ルビエは無邪気な子供のように小首を傾げた。
「そういえばイチビおにーちゃん、『魔界侵入許可証』持ってないよねぇ?」
「…色々と突っ込みたい所があるんだが、とりあえず聞く。なんだそれ」
ルビエの発した単語に、一火だけではなくカレンも疑問符を浮かべる。
「カレンちゃんにはあんまり関係ないかもぉ」と前置きしてからルビエは説明を始めた。
「えぇっとねぇ、簡単に言えば一般の天使さんが魔界を出入りするのに必要なものなんだぁ。厳密に言えば絶対必要ってわけじゃないんだけどねぇ」
「?? …どういうことだ?」
一般天使が魔界に出入りするのに許可証がいるだなんて一火は緒印から聞かされていなかったし、それも別に絶対必要なわけでもない、ということはつまり?
全く分かっていない一火やカレンに、ルビエは細かい説明を加える。
「この魔界ですんごくゆーめいな…天界<そっち>で言うプリンスさまみたいな人がねぇ、大の天使嫌いなんだよぉ。だから個人的に天使が魔界に来るのを嫌がってるの」
「プリンス様…あいつみたいなヤツが魔界にもいんのかよ」
冥界で出会った『プリンス様』…もとい、物臭な天使長を思い出し、一火はげんなりとした声を上げる。
「何言ってるんですか!」
途端、非難の目で見てくるのはカレンだ。
「あなた、プリンス様にお目に掛かれたことがどんなに素晴らしいことか分かっていないんですか!?」
「いや、だってあいつ何かムカつくしッ」
語尾が不自然に上がる。それは仕方がなかった。
…目の前でボキボキと拳を鳴らされたら、恐ろしくなるのは人情というものだろう。
「ねぇねぇ。話続けていーいー?」
珍しく助け舟を出してくれたルビエに心底安堵して一火は即座に頷いた。カレンはそんな彼を不満そうに見つめていたが、間もなくルビエに頷きを返す。
「それでねぇ。その人は魔界でいろぉんな人に愛されてるアイドルさんだけど、一般の天使さんが魔界を出入りすることを禁止できる立場ではないんだよぉ。
でもアイドルさんは天使さんに来て欲しくない。この前は『天使の白い翼見るとイライラして全部ちぎってやりたくなる』とか言ってたしねぇ。
…そんなわけで出来たのが、『魔界侵入許可証』なんだぁ」
つまりは天使嫌いの悪魔が、仕方なく魔界に『侵入』しても(百歩どころか千歩譲って)良いだろうという、譲歩と妥協と一握りの慈悲で作られたものらしい。
「…んな面倒なもんがあるのかよ…」
説明を聞いた一火は思わず呟く。しかしよく考えてみれば、最初にルビエが言っていた通り絶対必要というわけではない、一介の悪魔が個人的な感情で作り出したものだ。
それに気付いた一火は次いで安堵の息を吐く。
が、しかしそんな彼の考えを見透かしたかのようにルビエが爆弾を投下してきた。
「そうだねぇ…そろそろ来る頃だと思うよぉ〜」
――ルビエの言葉に、一火は時が止まったような錯覚を覚える。
「はっ? お、お前、どういう意味」
慌てて聞けば、ルビエは何を言っているのだと言わんばかりの表情で。
「ふつーに考えてわかるでしょお? アイドルさんは大人気なんだから、ファンだっていっぱいいるの。
だからイチビおにーちゃんのことだって誰かがチクってるに決まってるじゃあん」
「た、確かに…そうですね」
納得したように頷いたカレンは、珍しく心配そうな顔で一火を見つめる。が、混乱している一火は全く気付かない。
「おい…っ、それってヤバイじゃねぇか! そいつは大の天使嫌いなんだろ!? お前らはいいとして、俺に対して何言い出すか…っ!」
「だいじょうぶだよぉ、言い出すってレベルじゃないと思うからぁ。さっき言ったでしょお? 『天使の翼見ると全部ちぎってやりたくなる』って」
「お前それはフォローのつもりか違うよなぁ!? 絶対この状況楽しんでるよなッ?!」
思わずルビエの肩を掴み、ぐらぐらと揺らす。しかし、特にルビエは動じた様子もなく笑顔のままだ。
――その時だった。
『ちゃ〜らら〜たらら〜りーら〜』
「!?」
部屋の外から何かが…聴こえる。笛のような、うるさい程に耳に響き渡る音と、若々しい男女の明朗な歌声…と思しき声。
『ちゃらららん、らんら〜』
「な、なんですかこの…声?」
「これは…」
なぜだろう。一火はこの笛の音と似たような音を、以前聞いたことがあったような気がした。
カレンが戸惑いルビエは笑顔、そして一火が思考している間も、それらは段々と近付き、大きくなってくる。
『ちゃ〜らんら〜…ラァアアアアアアッ!!』
どうやら歌(?)はクライマックスに差し掛かっていたらしく、調和していた男女の歌声が天を突き抜けるように高く延び、笛の音もそれに伴って延びていく。
「…はっ!」
その時、一火は思い出す。この笛に似た音色。
遠い日に聞いたことのある、これは。
「チャ●メラ…ッ!!」
思わずガタリと立ち上がる一火に、カレンは「はぁっ?」と不可解さを露わにしていた。が、やはり一火本人は気が付かず、高く延びたのを最後に止んだ音色と歌声に気分を高揚させる。
――バァンッ!!
「きゃあっ?!」
しかし、そんな気分も次の瞬間、勢い良く開け放たれた扉の音に驚愕した事で萎えてしまう。
中にいる者への気遣いなど知ったものかと言わんばかりの、容赦のない音に思わずカレンは悲鳴を上げた。
一火も部屋に続々と入って来る若い男女の集団に目を見開く。
「ぐえっ」
その時、入口前に倒れていたイアンが漏れなく踏みつけられていたが誰も気にする様子はない。まあ大丈夫だろう恐らくは。
集団は八人。男女それぞれ四人ずつの悪魔だ。
彼等は入って来たかと思えば、扉を囲むように部屋の隅に等間隔で並ぶ。誰もが背筋を伸ばし、鋭い目で開いたままの扉に目を向けていた。
「ジェシカちゃあん。久しぶりぃ」
のんきなルビエの声が響く。それに応えるように、部屋にひとりの女性悪魔がカツカツと靴音を響かせて入って来て――…入口前で立ち止まる。
イアンを踏みつけている状態だが女性は気が付いていないようだ。
女性は長い黒髪を掻き上げ、高らかな声で言った。
「――わたくしの魔界でのさばる天使風情を、どう粛清してしまおうかしら?」
端正な顔から出る言葉は丁寧だが、その語調は非常に物騒であった…。