驚愕の動き
―8月28日(金) PM21:20 日本国首都東京 首相官邸地下危機管理センター―
「……なんとか近いうちに奪還できそうだな」
私は目の前のテーブルから立体映像として表示されている戦況図をみてそう言った。
台湾援護から5日目の夜。
台湾での反撃は順調に進んでいた。
すでに台中市・彰化県を奪還。その先の雲林県、嘉義県も奪還するという大反撃が行われていた。
日本側はもとより、台湾側も日本の援軍に士気が向上しまくっているようで、すべての戦力を投入した一大攻勢をかけまくっていた。
今は台南市を南下し、敵の台湾方面総司令部がある最終拠点である高雄市に突入しようというところであったが、そこで敵の鉄壁とも言える防衛戦闘に巻き込まれ、こちらも少なくない被害を受けたことにより、一時進軍を止めていた。
だが、それでも結構早い段階での奪還と台湾たなりつつあり、中々好調であるとは言える。
この鉄壁な防備も、いったん戦力を整えた航空戦力をフル動員させれば、少なくとも突破口は開けるだろう。
台湾奪還の日は近い。
私の質問に答えた新海国防大臣も確信したように言った。
「はい。一時的に高雄市の前で足止めを喰らいましたか、すぐに突破できる見込みです。今、突破のための戦力増強と最前線の各種偵察につとめています」
「うむ。それはあとどれくらいでできる?」
「遅くても今夜中に終わります。明日の朝にでも行動を再開できる予定で、各部隊にもそれに合わせて次の行動に移るよう指示しております」
「よし……、準備は着々と整いつつあるな」
すべての準備は整いつつあった。
こちらの送れる戦力をすべて送った甲斐があったというものだ。
台湾さえ奪還てきれば、それはすなわち中国の海洋戦力の影響力がほぼ無くなることを意味する。
というのも、中国にとっても台湾を落とすということは、それは台湾方面の中国沿岸の制海権を敵に渡すことになる。
今は我々も台湾支援に回らねばならないので手を出すことはできないが、もしここがとられれば敵からの攻撃を許すことになる。
ましてやすでに東海艦隊管轄の沖縄方面はすでに艦隊壊滅にともない総力をあげての防衛が精一杯だというのに、台湾方面の中国沿岸までやられたらもういくら中国といえどそれ以上の戦争継続は不可能であった。
台湾を取られるかそうでないか、それによって中国のこのあとの命運は決することに繋がるのだ。
そうなると、今東南アジアから向かっている『施琅機動艦隊』もでてこざるを得ないだろうし、台湾が奪い返されるときは、その『施琅機動艦隊』も壊滅しているころであろう。
台湾が奪還されるときは、そのときはすでに中国軍も主力の海洋戦力がほぼ全部消えることを意味するのだ。
だからこそ、中国はここで日台連合軍の進攻を食い止め、『施琅機動艦隊』にすべてを託すことにしたのだ。
これを抑えるかそうでないか、それによって台湾の命運が決するといってもいい。
「……当面の問題はこの『施琅機動艦隊』と、陸の壁だが……」
それには同じくこの場に赴いていた杉内統合参謀本部長が言った。
「『施琅機動艦隊』はまだかかりそうです。早くても明日の夜になるかと」
「……向こうはどれだけここにくるのにてこずってるんだ? それほど長くない距離のはずだが」
「むしろ近いですよ。……まあ、アメリカの第3艦隊もこれの迎撃に加わりましたから、それを撒くのにてこずってるのでしょうね」
「第3艦隊ね……」
アメリカの第3艦隊。少し前からここに来て全面援護を開始しているが、やはり一番の悩みどころか。
いくら中国最強の『施琅機動艦隊』とはいえ、これを相手取りつつ、さらに東南アジアの各国連合艦隊にもお相手するとなると、相当めんどくさいことになるしな。
やはり時間がかかるか。それはそれでありがたい。
こっちも、何の邪魔も入らずに高雄市奪還に努めれるというものだ。
「仮にきても、そのころは大分戦力が削られていることでしょう。現に、今どんどんと戦力が削がれていっているようですし、残りは我々だけでも十分相手取れます。
「ふむ。まあ、海軍はいいとして、では中国沿岸の空軍基地から飛んで来る航空部隊は?」
「今米軍巡潜がこれらの沿岸主要基地にトマホークで攻撃を仕掛けているようです。夜間ですし、それが行なわれれば、敵の沿岸からの攻撃自体は喰い止める事ができるかと」
「米軍巡潜……、例の改オハイオ級か」
元々戦略ミサイル原潜だったオハイオ級のうち4隻を、弾道ミサイル搭載・発射能力を取っ払った変わりに、巡航ミサイルを大量に搭載できるように改造したタイプで、それを『改オハイオ級』という。
略称は“SSGN(Submersible Ship Guided missile Nuclear powered)”であり、一応巡航ミサイル原子力潜水艦といっているが、その性質上別名“原子力特殊潜水艦”とも呼ばれている。
それがこの台湾沖に出張ってきていたか。
どれだけきたかわからんが、そこから大量の巡航ミサイルを放たれれば、敵とてそう簡単にしのぐことはないだろう。
少なからず被害が出ることは確実だ。
「はい。しかも、わざわざこのタイミングを選んだのにも理由がありまして」
「ほう、理由とな?」
確かに、トマホーク撃つくらいならさっさと早い段階で撃てばいいのにとは思っていたが、それには理由がちゃんとあるのか。
てっきり出し惜しみでもしてたのかと思っていたが。
それには、新海国防大臣が答えてくれた。
「敵戦力が沿岸に集まるのを待っていたんです。今回の戦況の急速な悪化に伴い、戦力保管のために内陸にある空軍基地から大量の航空戦力を沿岸に移しまくっていたのですが、それがあらかた終わるのを待ってたんです。そこを……」
「……なるほど。敵の戦力が一気に集まったところを、一気にたたくということか」
「そういうことです」
「ふむ……、なるほどな」
確かに、そのほうが効率的ではあるな。
敵が沿岸に集中してきてくれるならありがたいことだ。
一々複数回相手する必要もないし、そのほうが時間も弾薬も節約できる。その上でより多くの戦力をそぐことができる。
まあ、米軍も考えるもんだ。
……だがまあ、
「……それなら最初っから滑走路なり格納庫なりを破壊して使えなくしたほうがいいんじゃないか? それなら航空戦力は生き残るが、その家である空軍基地は使えなくなる」
「まあ、それはそうなんですが……、結局、航空戦力自体を削がないと内陸から飛んでこられますし、いくら航続距離の関係で戦闘行動がいくらか限定されるとはいえ、いるのといないのでは幾分も違うのでしょう」
「内陸からねぇ……。飛んでこれるのか?」
「できないことはないかと」
「ふむ……」
「それに、早い段階で破壊してはまた修復の時間を与えます。終わり時が見えないときにやっても、もし長期化したときにまた復活されては困るとか」
「……最後の最後までもったいぶったということか」
まったく、入念なご判断なことで。
でも結果これならまあ別にいいか……。
「……となると、当面の問題は陸の壁か」
「ですね。これに関しては航空支援を万全にさせますが、少し撃破に時間がかかるでしょう」
「ふむ……」
やはり最前線に兵力を集中させられると少し厄介だな……。
こっちとて大量に兵力があるわけでもないし、どうにかして他の空・海からの支援攻撃をうまく使いつつ突破口をこじ開けるしかないか……。
「……まるであれですね」
「?」
すると、ふと口をあけたのは同じくこの場にいた山内外務大臣だった。
あごに右手を軽く添えながらいった。
「……この人間の壁、まるでかつての古代ローマ時代の第二次ポエニ戦争『ザマの戦い』で大スキピオが採った重装歩兵の壁ですね」
「はは……、あれか」
なんともマニアックなことを言う。
第二次ポエニ戦争とは、古代ローマ時代に生起した戦争の一つであり、共和政ローマとカルタゴの間で起こった戦争。なお、これは名前のとおり2回目で、計3回ほど行なわれた。
その中でのこのザマの戦いは、両陣営の名称がぶつかりあい、かつこの第二次ポエニ戦争の趨勢を決した戦いでもある。
ここで行なわれた共和政ローマ軍陣営指揮官『大スキピオ』が採ったこの戦術に似てるといったのだろう。
あれはまず重装歩兵という文字通り重装備で固めた歩兵を中央の前面に配置し、そこに当時最強を誇っていた戦象をまずわざと突撃させた後、突入直前にサッと抜け道を作りそこの中に戦象を突っ込ませた。
これは大スキピオが戦象の“強いのは直進突撃のみで小回りが利かず急停止も出来ない”という戦象特有の習性をを熟知したことを使っての戦術で、結果その戦象は方向転換しようと止まって向きを変えるそのいったん動きが止まったその隙に、後ろに控えていた軽装歩兵の投槍や鉦による猛攻撃を浴び、これを無力化することに成功。
主力の戦象がやられたハンニバル率いるカルタゴ軍がその後奮戦するも、結局共和政ローマ軍に敗れることになり、結果的には最初に戦象を討ち取った大スキピオの作戦勝ちという形になった。
……この、重装歩兵が中国軍の最前線の壁と似てる、といいたいのか。
まあ、あながちわからんでもないな。
「……ずいぶんとマニアックなところを想像したもんだな」
思わず仲山副首相がそういった。
彼も少しフッと息を軽く吐いていった。
「別に、これくらいでしたら今時の世界史でもならいますよ」
「世界史ねぇ……。俺はあんまりそういうのに詳しくないんでな。首相は知っていらしたので?」
「うん? ……うん、まあ、知ってはいたね。詳しいわけではないが」
まあ、単に偶然覚えていただけに過ぎんがな。
……しかし、自分で言うのもなんだがなんとも微妙なところを覚えていたものである。
なぜに覚えていたのか。別にインパクトある内容でもなければ別段興味を引くようなことでもなかった気がするのだが。
「……だが、となると私たちはこれに突っ込んで見事に罠にはまることになるのかな?」
そう少し顔をニヤッとさせつつ言ったのは仲山副首相である。
それにも山内外務大臣がフッと軽く笑って答えた。
「まさか、今ここにいる味方は戦象みたいに突撃バカじゃないんです。それに、空と海からの支援もありますし、罠にはまる前にまず敵が思わず後ろに下がるでしょう」
「だろうな。……まあ、でも敵側はある意味、いや、ある意味でなくてもその重装歩兵とやらよりは重装備だろうがな」
「そりゃあもちろん。……でも、それはこっちも同じ」
「ああ。……なに、突破口さえ開けば後はこんな壁、勝手に崩れてくれるだろ」
そう目の前の立体投影された戦況図を見ながら腕組をして右手をあごに軽く添えつつ言った。
まあ、壁とはいえ少しでも突破口である抜け道が出来ればそこからどうとでも展開できる。
前面にとにかく戦力を集中させているということは、その後ろは防備が薄いはずだ。
とにかく今の前線で押さえ込む気だろう。だが、それが結果的に吉と出るか凶とでるか。
それは、まあぶっちゃけ我々しだいか。
「……ちなみに、この場合の戦象って誰になるんでしょうね? やっぱり主力の台湾軍ですか?」
「ん?」
ふと新海国防大臣が言った。
誰が戦象か、つまり、一番の攻略の鍵になるのは誰か、ということか。
……まあ、それはもちろん、
「……この場合、誰が、というか“全員”がそうであろう。誰一人として無駄はいない。陸海空、全員が息が合わないと突破口を開くことは出来ないしな」
「なるほど……。でも、やっぱり一番動いてもらうのは……」
「……そうなると、やっぱり陸軍だな。最終的には彼らが動いてくれなければどうにも出来ない」
突破口自体を開くのは彼等の役目だ。
空と海からでは限界があるしな。彼らにはやはりがんばってもらうほかはあるまい。
「一応確認するが、作戦はそのまま固定だな?」
「はい、作戦に変更はありません。日程は先の理由で少し遅れましたが、日程自体は後で状況に応じてどうとでも変更できますので、作戦自体に影響はありません」
「うむ。空挺団の準備は?」
「すでに澎湖諸島にC-2を送り込み、そちらに移送を開始しています。時が経てば、すぐにでもこの司令部に」
「うむ。……彼らには休む時間を与えてやりたいものだが、そうもいかんか」
作戦自体は至極単純なもので、陸の部隊が例の高雄市北方のお隣台中市との境界線周辺の最前線で、南下しつつ敵の戦力を最大限ひきつけた後、防備が手薄になった隙にその司令部に大量の空挺部隊を降下させる。
市街地の中心になるが、一番はこれしかない。
ピンポイントでそこに降下させる。それも、もてる大量の空挺戦力を。
長引かせないためには司令部をいち早く確保する必要がある。そのためにはこれのほうが一番だろう。
少し彼らには無理をさせるが、とにかくがんばってもらうしかない。
そうなれば、後はこっちのものだ。
司令部さえ陥落すれば、台湾での戦闘は終わる。
この戦況だし、降伏勧告をすれば向こうもすぐに飲んでくれることだろう。
私は戦況図を見つつそう確信し、さらに指示を出した。
「……よし、いいだろう。とにかく、この作戦も迅速さが鍵を握る。とりあえず徹夜でこの明日の朝から始まる高雄市の進攻準備に……」
……だが、そのときであった。
「……ッ! 総理! 大変です!」
「ッ!? ど、どうしたのだね!?」
いきなりこの危機管理センターで情報収集をしていた幹部がそう叫びつつ私の元に急いできた。
顔は汗を少しかいており、相当尋常でない情報が来たことを私は悟った。
その右手には一枚のメモをもっていた。小さく白い紙である。
「い、今中国の共産党に潜入中のJSAスパイからの緊急報告で、ケースZレベルでの内容が……」
「なに、ケースZ?」
ケースZとは、その報告内容の重要度を示すもので、A~Zにとてつもなく細かく分けられるのだが、Zは一番重要度が高い部類に入る。
それと判断されるレベルの報告とはいったいなんだ? 何が起きたというのだね?
「とにかく、このメモを……。後、後で暗号化された音声データも転送されてきます。それはまだ中身を解析中で少し時間が……」
「わかった。とにかくまずはそのメモをよこせ」
そういってその幹部が持っていたメモを受け取ると、そこにはただ一言だけ書かれていた。
報告としては全然詳しいものではなく、あたかも急いで送った感が満載だった。
「……ッ! こ、これは……ッ!!」
だが、私はその内容に思わず戦慄した。
それの内容を、にわかに信じることが出来なかった。
だが、JSAがわざわざうその情報を送ってくるとは思えない。
「こ、これは間違いないのか!?」
「間違いありません。JSAからケースZでわざわざうそを教えることはないですし……」
「ッ……! そ、そんな……」
やはり、思ったとおり確実な、事実の情報であった。
私は思わず力が抜けたように足を一瞬フラッとさせつつ、両手をテーブルの上において前のめりにがっくりとうなだれた。
「くそ……ッ、あいつらめ……ッ!!」
そして、私は同時に激しい怒りを覚えた。
思わず、右手に持っていたメモをグシャッと握りつぶしつつ、両手にこぶしを作った。その握力も、自分で言うのもなんだがあんまりの怒りに思わず強くなる。
周りも、私の怒りに気づいたらしい。
先に口を開いたのは仲山副首相であった。
「そ、総理? いったい、何の報告が来たというのです?」
「……自分で見てみるがいい」
そういって仲山副首相の顔の前に右手を伸ばし、メモを渡した。
彼はそれを受け取り、グシャッとつぶれたメモを開くと、その中身の簡単な一言だけの文面の内容に即座に顔面蒼白となった。
「こ、これは……、そんな……ッ!」
「……」
彼も、にわかに信じることが出来ないようであった。
そして、思わず軽くパニックになって言った。
「あ、ありえません! これを使えば中国は世界から……!!」
「わかっている。……だが、これは事実だ。JSAが間違った情報を送るはずがない」
「し、しかしそれでも……!」
「認めたまえ仲山副首相。これは……、紛れもない事実だ」
「ッ……!!」
仲山副首相は右手に持っていた、すっかりくしゃくしゃになったメモをポロッと落とし、そのまま目の前のテーブルに両手をついて前のめりにうなだれる。
「い、いったいどんな報告が?」
新海国防大臣が思わず聞いた。
周りも、その内容を聞きたそうに私のほうを見ていた。
……だが、さっきの仲山副首相の言葉で、大体を察しているだろう。
現に、その顔は暗い。
……私は、そんな彼等の半信半疑の疑問を、正解だと思わせる一言を発した。
「……あいつらは……、中国は……、今、」
「……とんでもない過ちを犯そうとしている……ッ!!」
私はそのメモの報告内容に思わず怒りでテーブルに乗せていた両手の拳が震えた…………
<ちょっとした世界史補足解説>
・第二次ポエニ戦争
紀元前219年~紀元前201年に共和政ローマとカルタゴの間で行なわれた戦争で、これは名前どおり2回目。
カルタゴの名将“ハンニバル・バルカ”が猛威を振るった戦争でもあり、イタリア半島を制圧し、ローマに大きな損害と恐怖を与えたことから、別名『ハンニバル戦争』とも名づけられた。
初期ではカルタゴがイタリア半島を制圧するなどして優勢を保っていたものの、後からローマの猛反撃に会い、カルタゴに逆侵攻を受ける。
カルタゴ内ザマで、ハンニバル引き入るカルタゴ軍と大スキピオ引き入るローマ軍との間で最終決戦を行い、本文にあったような戦闘経過の後、ローマ軍が勝利し、ハンニバルの無敗神話がここに崩れることとなった。
結果、カルタゴはこの戦争で海外領土と軍事力を大きく失う結果となる。
・ザマの戦い
カルタゴ“ザマ”で行なわれた第二次ポエニ戦争の最終決戦。両国の名将がぶつかり合った戦いでもある。
前段階で、ローマ軍がそのときカルタゴと連合を組んでいたヌミディア軍の王シファックスを捕虜に捉え、自国の保護下にあったマシニッサを後継の王につかせるという策略によって、このヌミディアとの和平条約を結ぶことに成功。ヌミディア軍を一気に自分達の味方に引き入れたことによって、カルタゴは若干の戦力的低下を余儀なくされた。
ここまでの過程で何度か行なわれた和平交渉もすべて決裂に終わり、両者はザマで決戦の火蓋を落とした。
その後の経過は本文にもあるとおりで、結果的にはスキピオ引き入るローマ軍が勝利し、すっかり意気消沈したカルタゴは再び和平を申し込み、スキピオから提示された要求をすべて呑むという形で幕を下ろした。
その後の経過は先の説明どおりであり、この戦いでカルタゴは地中海での軍事的影響力をほぼ完全に失い、共和政ローマの地中海での覇権は確立された。
・ハンニバル・バルカ
カルタゴ軍の将軍であり、第一次ポエニ戦争時の将軍だったハミルカル・バカルの息子(長男)。名前のハンニバルは“バアル(嵐と慈雨の神)の恵み”、バルカは“雷光”という意味を持つ。
第二次ポエニ戦争を始めた人物とされ、その高い戦術能力はかの敵のローマでも史上最大の敵として後世に語り継がれているほど有名。今現代でも各国での軍事研究の参考にまでされており、戦術家としての評価は非常に高い。
数々の戦いで勝利を収めるも、ザマの戦いでスキピオに敗北を喫する。
その後はカルタゴ再建に身を投じ、カルタゴが抱えていたこの戦争での賠償金の返済をすばやく完遂させるなど、政治家としても高い能力を発揮し支持をえることになった。
しかしそれのおかげでローマでの反カルタゴ勢力に追われることになり、シリアや、その後はビテュニア王国にまで亡命するも最後はそこで自ら自殺し命を絶った。
・大スキピオ
共和政ローマの元老院議員の政治家にして軍人。本名は“プブリウス・コルネリウス・スキピオ・アフリカヌス・マイヨル”というとんでもなく長ったらしい名前で、大スキピオというのは妻の甥で義理の孫に当たる“スキピオ・アエミリアヌス”と区別するために付けられた、いわばあだ名。
第二次ポエニ戦争の後期から活躍し、ザマの戦いでは当時最強といわれていたハンニバルを討ち破るなど、その名声を世に知らしめることになった。現代での評価も中々高く、彼の攻勢・防御をたくみに使った包囲殲滅戦は現代でも有効とされ、今現代の世界各国の陸軍士官学校の教材にこの包囲殲滅戦がその戦いでの勝利国が使った戦術として必ず出てくるという。
戦争終結後はローマに帰り熱烈な歓迎を受け、“アフリカヌス”の称号を得るなど厚い待遇を受けた。
中には終身執政官など高い役所ないしポストにつくよう提案されたが、彼はそれらの提案をすべて拒否している。
そこからはしばらくは普通に政治家としての生涯を送っていたが、あるとき不適切な金銭を受領していたという告発に元老院でぶち切れて以降、度々疑惑を持ちかけられては彼の立場も危うくなって行った。
最終的には彼はローマを飛び出し、カンパニア地方のリテルヌムというところで生活して以降二度とローマに戻らず、最後もその地で自らの生涯を閉じた。
死因は今も不明で、彼の死に関する謎はそれなりに多い。
ちなみに、奇しくもこの彼の死と同時期に、ライバルでザマの戦いで互いに戦火を交えあったハンニバルも先に言ったビテュニアという地で自害を遂げている。




