沖縄本島解放
―PM16:40 沖縄県金武町市街地内 中国陸軍沖縄方面臨時司令部
第1軍集団第1機械化師団仮設司令部―
「……本土に、降伏する旨の内容を伝達しました。今頃主席閣下の目に届いてるころかと思います」
副指揮官こと臨時司令部副司令官は私に報告した。
敵の反撃が始まって2日目。
我々は、大いに追い詰められていた。
敵軍は西部から主要都市を乗り越えて電撃的に攻め込み、うるま市北部の山間部の前まで攻めてきた。
その先に中々思うようにいけないのは、その先は山間部ゆえ侵攻ルートが限られており、そこで先頭から順に撃破されつつあったからだ。
我々もここを通るのには苦戦したが、それでも航空支援のおかげで突破できたエリアだ。
だが、今回はその立場が逆になりつつある。いや、考えてみればそれより悪い状況だ。
敵はそこから攻めて来ているだけではない。逆の東方mから、宜野座から残存部隊が総戦力を結集させ一大攻勢をかけてきており、いわば挟み撃ちにされている状態だった。
我々とは違ってこの山間部の侵攻に慣れているため、ある意味我々よりここを突破するのが早いだろう。
だから、元の司令部陥落する前に俺に直々に臨時司令官に急遽任命された私は、決断した。
これ以上の戦闘は、無意味な、そして無益な殺傷を繰り返すだけである。
だから……、
俺は、現時刻を持って、敵に全面降伏する。
その知らせは、今頃共産党司令部にも届いているはずだ。
あの、人殺し司令部にな。
「そうか……。わかった」
「しかし……、本当によろしかったのですか? 本部からのそのような命令もない。向こうから来ているのは“徹底抗戦しての時間稼ぎ”の一点張りですよ?」
「私が徹底的な現場主義者なのを知っているだろう? 本部の意向など知ったことではない。向こうの考える戦争と、我々が考える戦争は違うのだ」
向こうがやっている戦争はあくまでテーブルの上だけだ。
こっちは、本物の銃を構えて、本物の戦車を走らせて、本物の大砲をぶちまけてるんだ。
そして、ヘリとかも乗る。
対して、向こうはそれらすらただ単にテーブル上で、ないし頭の中での想像でしかない。
現場の雰囲気や状況を、何もわかっちゃいないんだ。
……ああ、そうだ。結局はその上からの情報共有や、大まかな指示等がないと俺たちは動けない。
だが、結局最終的に判断を下すのは、現場の俺たち兵士なのだ。
頭の中でしか戦争できない、そんな奴らに、一々口出しされる筋合いはこれっぽっちもない。
「……この戦況で、むしろなぜ潔く降伏の道を考えない? もう主導権は敵に渡った。航空支援も、海からの支援も一切ない、まさに孤立無援というのにこれほどふさわしい状況はないだろう。対して、向こうは陸海空すべて万全だ。まるで……、初期の俺たちのようにな」
「しかし……、それらはすべて、敵に破壊された」
「そうだ。……だから俺はこんな作戦乗り気じゃなかったんだ。共産党は日本の実力を甘く見ている。たかが数年前から海軍力に力を入れて最強と勘違いしている我が国と、古の時代から海洋国として少しずつ経験・実力・実績を積み重ねてきた、大きく質の高い海軍戦力を持つ日本……。どっちが勝るかなんて、赤子でもわかる」
そして、その勘違いをした結果がこれだ。
どうだ? どこが最強だ? どこがアジアに敵無しだ?
共産党からの宣伝というなのプロパガンダも全然当てにならんということだ。
結局は、自分達の力の鼓舞、そして現実を見ずに判断した自分達の過大評価でしかない。
我が国は、昔から全然変わっちゃいないし、学んでもいない。
「現在交戦中の部隊には宣言は出したか?」
「一応、部下に連絡を取らせました」
「……念のため聞くが、司令官の名は使っているな?」
「ええ……、でも、いくら許可を得ていたとはいえ、勝手にこのような場面で……」
「いや、いいんだ……。あいつは、こうなることを知っていたから俺にわざわざ臨時司令官を託し、そして自分の名前を使ってもいいといったんだ」
「? どういうことですか?」
「どういうことって……、あいつと俺は同期だぞ? 考えることなんて、嫌でもわかる」
訓練学校時代から、あいつとはいつも一緒にそれぞれの指揮をとっていた。
あいつのほうが成績が上だったこともあって、今回沖縄方面の司令官に任命されたし、俺もその傘下の部隊の一つの指揮官になった。
だが、この戦況になったとき、あいつは悟ったはずだ。
戦況の先見の目が鋭いあいつが、これを悟らないはずがない。
“もう、勢いはとめられない。我が軍は敗北する”……、と。
そして、いざ司令部陥落が時間の問題になると、あいつは私に直接無線をかけた。
『いいか? もうこの司令部は持たない。俺も死ぬ。だから、所定の事項どおりお前たちの部隊に、指揮権を委任する』
「お、俺たちにか? だが、司令部がもうって……」
『何度も言わせるな。もう、あいつらをとめることは出来ない……。お前、一時司令官志望だったよな? 能力も高かったはずだ』
「ああ……、だが、こんな性格とやり方なんでな」
『徹底的な現場主義か……。だが、今回ばかりは、それが一番なんだ。あいつらは強い。そのとき、適切な判断をできるのは、現場判断に長けてる、お前だけだ』
「……わかった。我が部隊に、指揮権が移動。これより、俺が指揮を執る」
『ああ、まかせた。……いいか、いざとなったら俺の名前を使ってもかまわん。俺の死はまだ各部隊に知らせるな』
「いいのか? お前の名前を使って?」
『かまわない。……とにかく、敵の、あいつらの攻勢の勢いは、おそらく留まることを知らないだろう。だから、お前には……』
『現場として、“適切な判断”をしてくれ。現場の戦況の目に長けてるお前の判断なら、俺も文句は言わない。いいか、“適切な判断”だ』
……適切な判断。
だから、ここでその判断を下させてもらった。
あいつも、おそらく俺のことをよく知っているはずだ。どんな行動をとるかもな。
俺が、こうやって時期をみて降伏することも、あいつは見抜いていたんだ。
適切な判断、この言葉が、あいつにとって何を意味していたのかは、同じ同期ならよくわかった。
“俺の名前を使ってもかまわない。無理なら俺の名前を使って降伏しろ”
……おそらく、あいつはこういいたかったんだろう。
あいつとの無線は、あの最後の声とともに切れた。
切れる一瞬、何らかの爆発音と、そして幾多もの銃声が響いたのが聞こえた。
たぶん、殺られたんだろう。
……あんまり、日本やアメリカといった国を快く思ってなくて少し自信過剰な面はあった。
だが、その“罵声”は、そっちだけでなく共産党にも向いていた。
俺に、暇さえあればよく不満をこぼしていた。今の軍事は甘すぎるだの、また共産党のデマが始まっただの。
中には、この作戦が決まったとき“いくら小日本とはいえ今攻めても巻き返されるだろ”とかいっていた。
あいつもあいつなりに、正確に戦況分析はしているやつだったんだ。
だから、俺と同じ立場だった。
だが、命令とあらば本気でやるのもあいつだ。もちろん、俺もだがな。
しかし、そうやって上の命令どおり戦った結果がこれだ。
俺たちの戦いはまったくの無駄だったじゃないか。
ここまでで一体どれだけの血が流れたというんだ……。
「結局……、共産党は中越戦争からなんも学んじゃいない。力だけで押しても、結局は意味ないってことを、なんも学んじゃいないんだ」
「……名目上は勝ってましたよね、あれ」
「名目上とはいうが、だが、あれは戦術的にはベトナムのほうに軍配が上がっているし、両国とも勝利を宣言しているから名目もクソもない。それに、お前はあの戦争に参加してないからよくはわからんだろうが、あれが勝利といえるのか? 被害想定はそれぞれで違う、即行で終わると思ったら向こうはゲリラ戦法を駆使してたくみに俺たちを翻弄した。……あの時、俺は新兵として、初めて戦場に出た。まだ入ったばかりの、そして、歳も20にもなっていない未成年の新米だ。それで……、たくさんの血を見たんだ」
あのときから、俺は徹底的な現場主義になった。
あのベトナム軍の巧みなゲリラ戦法は、心から敵としてすばらしいと思った。
確かに物量では圧倒的だ。だが、少ないなら少ないなりに様々な戦術で、戦略で、我々を翻弄した。
どれだけ俺も振り回されただろうか。
だが、それに対する上の指示は雑以外の何者でもなかった。
その結果、とんでもない被害が出た。
俺の仲間が、大量に死んだ。
仲間の死を見た。この間近でだ。
そして、それを省みない上の連中……。
ああ、そうだろう。上から見たら兵士の一人や二人の命、なんとも思ってないはずだ。それは察してやる。
だが、ここまでされてなお侵攻させる意味がわからん。
だから、ここは現場の判断をさせていただく。
現場の指揮官としての、“適切な判断”をな。
「俺はもうあんなのはごめんなんだ……、わかってくれ」
「……我々の処分は避けられませんね。最悪、銃殺も視野に入れなければなりません」
「最初から覚悟の上だ。やれるもんならしてみろ。あんな奴らの下に立つくらいなら、自分から死でやるわ」
「……あなたらしいですね。しかし、現場判断とはいえ、ここまで降伏にこだわるのはなぜ……?」
「むしろ、なんで継戦にこだわる? 面子のためか? こんなあっさり追い返されたのが悔しくてその面子を守るためか? それともプライドが許さないのか? ……その結果、国が、人間の命が大量に失われたら面子もプライドもクソもない」
「……」
「……かつての『司馬遷』も、史記の中でこういっている。『吾嘗三戦三走。鮑叔不似我為怯。知我有老母也。公子糾敗、召忽死之、吾幽囚受辱。鮑叔不似我為無恥。知我不羞小節而恥巧名不顕于天下也』……とな」
「……有名な、『管包之交』の一部ですね」
「そうだ。俺が言いたいことは、彼が書いたこの文にすべて書かれている」
かつて中国が漢を名乗っていた時代の有名な歴史家である『司馬遷』。
中国王朝の二十四史の一つであり、彼が書いた書物である『史記』の一節『管包之交』。
春秋時代、後に斉の有力な政治家となる管仲夷吾と、その彼を陰から最大限支えた鮑叔牙との固い絆を描いたものである。
その一部には、さっき言ったように書かれていた。
『私は以前、戦場で何度となく戦い、そのたびに逃げてきた。だが、鮑叔はそんな私のことを臆病だとしなかった。私に、年老いた母がいることを知っていたからだ。(桓公の兄である)公子糾が敗れたとき、(その守り役である)召忽は公子糾に殉じて死んでいったが、私は捕えられて牢獄に入れられて屈辱を味わった。だが、鮑叔はそんな私のことを恥知らずだとはしなかった。私は小さな節義を守らないことを恥とせず、功績や名誉が天下に知れ渡らないことを恥とすることを知っていたからである』
このような意味となる。
これが意味すること、そして、俺が言いたいこと、それは……、
『とにかく生きろ。目の前のプライドや死による美学より、もっと未来ことを考え、そして未来に役立つことをし、語り継げ。それが、今現代の自分達に課せられた、いわば使命である』
少々意味を延長線上で捉えている部分もあるが、結局は極限まで深く考えればそういうことだ。
このまま無駄死にするより、彼、管仲夷吾のように生きることを優先して生きたい。
それのほうが、我が国の未来にも繋がる。
このまま継戦して、かつての中越戦争みたいに無駄死にをする奴らが増えるくらいなら、いっそここで戦いを終わらせて、そのまま中国で活躍してくれたほうが、彼らにとっても、国にとってもはるかに利益に繋がる。
「……もう、死んで償ったり、なすべきことをなす時代は終わったんだ。今は、とにかく前線で戦っている若い連中には生きていってもらいたい。今の時代、若い連中の力ってのは結構重要なものだからな」
「……司令官は?」
「俺は60を過ぎてた追いぼれだぞ?」
「……パッと見、相当若いように見えますがね」
「それはお前だけだ。……で、向こうからの返答はないのか?」
「さっき来てましたけど、ゴミ箱に捨ててきました」
「え?」
「……だって、あんな紙くず、もうゴミ同然ですよね?」
「……」
……ハハハ、仮にも共産党本部からの直々の入電文を、ゴミと称したか。
彼らしい。この部隊の指揮官となって以来、彼はいわば私の右腕とも言える存在で、彼のこともよく知っているつもりだったが、まさか相手など問答無用でジョークを飛ばすほど話がわかるやつだったとはな。
まあ、仮に中身見たってどうせそのまま継戦せよの一点張りの内容だろう。
確かに、今の俺たちのとっては見る価値もないゴミ同然だな。
それに、今頃言ってきたってもう遅い。
そう来ることは予測済み。実は本部に報告する前にすでに全部隊に降伏宣言を出しておいた。
もう、今さらとめることなど不可能だ。あそこから指示を出したって、現場指揮である俺が、俺たちが指示を出さないと行動をしないのでな。
……仮に本部から継戦勧告を出しても、もう指示に従う部隊は、沖縄には、もういない。
「……これで、ここでの戦いも終わりですか」
「ああ。……たった7日だったがな」
「長い7日間でしたよ……、どれだけ死に物狂いで戦ってきたことか」
「ああ……、俺もだ」
「だけど……、もう、僕達も限界ですしね」
「ああ……。だから、もう終わりにしよう」
俺はそういって、目の前にいる、彼を初めとする臨時司令部幹部全員を見つめた。
狭いテントの中、そして、外の日が暮れかけ、中が少し暗くなり、テーブルにおいていたランタンの火が軽く火照るなか、私は周りを見ていった。
「……皆、これまで、よく戦ってくれた。7日間という短くも長い戦いではあったが、この戦いで、諸君がした最大限の努力に、私は敬意を表したい」
いったん一呼吸おいて、さらに私はいう。
「……だが、もう敵の、いや、“日本”の進軍はとめられない。我々に、それをとめることは出来ず、ここで流された血はすべて無駄な液体と化してしまった」
「無駄ではありません。すべて、我々の意思で流した、抵抗の血なのです」
一人の幹部が言った。
そのとおりだ。この血も、すべては我々の意思の元に流れた。
だが、それも、今となっては、ただの液体だ。
赤い、ただの液体なんだ。
「そうだ。お前のいっていることは間違っていない。すべて、俺たちの意思で流れた。……だが、それも今では、ただの意味のない戦闘で流された赤い液体であることも事実だ。……誠に、悔しいことではあるがな……」
「……司令官……」
「もうその呼び方はよしてくれ。俺はもう解任されたも同然なんだ。……とにかくだ」
さらに一呼吸をおいて、少し声のトーンを上げて、言い切るようにいった。
「……もう、終わりにしよう。これ以上の戦闘は、無益な血を流すだけだ。……私は、現臨時司令官として、ここに改めて宣言する」
「……我々の戦いは終わった。……沖縄戦は、これをもって終結とする」
そう、俺は人一倍力強く“宣言”した…………
<古代中国史解説>
・司馬遷
中国前漢時代の著名な歴史家。有名な『史記』を執筆した。
司馬氏のいいとこの家柄に恵まれ、小さいころから父より古典文学を教わり、董仲舒(前漢の学者で儒学の国教化に貢献)から『春秋公羊伝』(春秋時代の歴史に関する儒学的政治や倫理の捕捉書)を中心とする儒学を学んだ。
・史記
中国前漢の武帝の時代に、司馬遷によって書かれた歴史書であり、中国最初の通史(時代・地域等を問わない中国全体の統合的な歴史書)であり、二十四史のひとつである。
中国を中心として世界各国の歴史過程を記録したものであり、いわば中国視点で書いた最初の世界史である。
主に政治関連中心であるが、その中で起こった各諸侯での事件も、年表に結び付けて記録されている。
・二十四史
中国王朝に関連する24の正史(東アジアにおける主にその国の公式な歴史書)のことである。
伝説上の帝王「黄帝」から明滅亡までの歴史をつづっており、順番的に言えば司馬遷の史記はこれの一番最初に当たる。
・管鮑之交
史記の中に書かれているものであり、管仲と鮑叔牙の変わらぬ固い友情を描いている。
日本ではそこから故事成語として『管鮑の交わり』が出来ており、“互いに信頼しあった厚い友情・きわめて親密な関係”の意味を持つ。
いい例で言えば、それこそ日本と台湾はまさに管鮑の交わりなのではないだろうか。
・管仲夷吾
中国春秋時代の斉の政治家である。
時の君主である桓公に仕え、彼を覇者に押し上げる手助けをする。
幾多の戦乱などの大混乱の末敵国に捕えられるなどの苦労を味わうが、唯一無二の親友である鮑叔の強い推薦で無事政治家に上りつめた彼は、国民第一の富国強兵主義の政策を採り、一気に国民の人気を勝ち取ることに成功する。
・鮑叔牙
中国春秋時代の斉の政治家である。
古くから管仲と親交があった彼は、彼の政治家としての能力を見抜き、自分のポストを譲ってでも彼を宰相(桓公などの皇帝の補佐兼今で言う内閣総理大臣の役目)に置かせ、桓公の覇道を成功させるのに一役を買うことになった。
・小さな節義
作中の途中に出ていた『知我不羞小節而恥巧名不顕于天下也(私は小さな節義を守らないことを恥とせず、功績や名誉が天下に知れ渡らないことを恥とすることを知っていたからである)』の部分であるが、ここでの小さな節義とは小節のことであり、簡単には『召忽のように君主に続いて死んでいくという使命』のことである。つまり、鮑叔は管仲が君主に続いて死んだりせず、天下にその彼の功績や名誉といった有名な伝説を知らしめようとしたことを褒めた。




