中国の思惑
―同日 CST:PM12:20(JST:PM13:20)
中華人民共和国首都北京 中南海共産党本部国家主席執務室―
「……そろそろかな」
私は室内の時計を見ながら言った。
そろそろ彼からの報告が来るはずだった。
このとき、我が国、中華人民共和国は存亡の危機に陥っていた。
4年前、2016年中期に起きた我が国製品の不買運動以来、経済がうまく循環せず国家運営が難しくなった。
株価も大暴落し、我が国の経済的な信頼は地に落ちたも同然だった。
挙句の果てには台湾やチベットといったいくつかの領土の切り離しも行なったが、それも空振りだった。
おかげで軍の整備にも待ったがかけられとにかく経済回復に躍起になった。
他のことには目もくれなかった。
そうでもしないとまずいことがあったのだ。
「(……早くしないとそろそろ反政府デモがくる……)」
我々の立場が危なかった。
この経済危機で失業者は国内にあふれかえっており、ここ北京でも、いくつかの目立たない場所は荒れ放題である。
これが地方に行けばスラム街がいたるところに混在している。
そこでは日夜金品強奪系の犯罪や強盗が多発し、治安が数年前とは比べ物にならないほど悪くなってしまった。
国民は生活できない。経済は回らない。治安悪化は収まらない……。
もう国として、かつての状態を戻すことは困難に近かった。
……だから、
私は、一つの賭けに出たのだ。
そのとき、執務室のドアがなった。
ノックの音だ。すぐに声が室内に響く。
「主席閣下。私です。例の報告を」
来たか。時間通りだ。
私はすぐに答えた。
「入れ」
そういうと、「失礼します」の一言とともに一人の男が入ってきた。
我が国人民解放軍のオリーブドラフの軍服を身にまとったその男は、その人民解放軍内でも重要ポストに位置する総参謀長である『林蜂木』上将であった。
私が政権について以来ずっと腹心として私のそばについてきていた。
そのため、私としても信頼度は高かった。
実際、参謀長としての能力も高い。
「例の報告を持ってきました」
「来たか……。首尾はどうかね?」
そういうと彼は持っていたかばんから一枚の大きな封筒を取り出した。
それの封を切り、中身を取り出すとそこは一つの紙の束。
例の報告に関する資料であろう。
それを私に渡しながら彼は言った。
「何とか大まかな作戦や各方面への投入戦力の策定、そして戦術方針までは決定いたしました。後は、主席閣下が直々にご希望なされる修正点を挙げていただければ直ちに検討に入ります」
私は中身を軽く見ながら、その報告を聞いた。
手渡された資料の中身には、先ほど彼が言った内容が大まかな内容として長々と書かれていた。
「……念のため聞くが、」
「はっ」
「……核の使用は入れていないな? 私はしっかり君に伝えたはずだが」
「はい。もちろん、主席閣下の申し出どおり、核の使用は想定しておりません」
「よし。……あれの使用は最後の最後まで極力控えるんだ。でないと、それこそ我々は世界から孤立しかねない」
核は今回は使わないつもりだった。
初期から使うのはもちろん論外だ。
後々我が軍が侵攻するのに思いっきり支障をきたす。
誰だって核が落ちた場所になど行きたくない。
確かに敵軍兵力は壊滅するだろうが、それと同時に我々が狙っている貴重な財産まで失ってしまう。
それに、我が軍兵士だって侵攻しなくなるどころか、放射能云々の関係で他の区域にまで及ぶかもしれないなどの噂が広まり始めたら士気が駄々下がりになる可能性がある。
戦術的にも、戦略的にも全く意味はないのだ。
ゆえに、核の使用は私としては最後の最後までするつもりはなかった。
だが、もし状況によってはまず脅しで使うかもしれない。……あくまで脅しだ。
その後本当に使うかはそのときの状況に左右されるから今この段階では一概には言えない。
さらにパラパラとめくっていき、あるページでとめてそれを少し見た後、彼に確認がてら聞いた。
「……やはり黒龍江の就役は間に合わんか」
「はい。そもそも数日前に進水して間もない艤装もされていない空母を出すことなど不可能です。あれはまだ母港にて艤装作業中で、とても作戦発揮のXデーには間に合いそうには……」
「そうか……」
ここで言った黒龍江とは、我が国で新たに建造した085型通常動力型正規空母2番艦『黒龍江』のことである。
排水量4万8,000トン近くあり、我が国最大のスキージャンプ方式の通常動力型空母として〝数年前に就役するはずだった〟。
しかし、経済危機の影響で建造にまわす予算がなくなり、建造が開始が遅れに遅れた。
そのため、今年の数日前にやっと進水したにとどまり、さすがに艤装すらすんでいない空母を出すわけにも行かないということで、残念ながら今回の作戦には出すことは出来なくなったのである。
……となると、
「……今回作戦に投入する空母機動艦隊は『遼寧機動艦隊』と『施琅機動艦隊』の2個艦隊だけということか……」
「はい。そうなります」
「ふむ……」
この2つの機動艦隊は我が人民解放軍海軍の主力艦隊だ。
『遼寧機動艦隊』は、正規空母『遼寧』を旗艦とした大規模機動艦隊であり、東海艦隊所属である。
元々は遼寧は練習空母として運用するつもりだったが、今回この黒龍江の就役遅延の影響により、作戦に間に合わないことを見越して事前に正規空母に急遽昇格させ、母港も青島から東海艦隊母港である寧波に移し、正式に東海艦隊旗艦に置いた。
『施琅機動艦隊』は、正規空母『施琅』を旗艦としたこれまた大規模な機動艦隊であり、こちらは南の南海艦隊所属である。
正規空母『施琅』はつい最近就役したばかりの085型の1番艦空母である。
“施琅”は、清初期時代の我が国の軍人であり、台湾方面の鄭氏政権攻略などに貢献した、優秀な軍人である。
まさに、空母の名前にぴったりだった。
今は南海艦隊の湛江を母港にしている。
「これらをどの方面に使う?」
「『遼寧機動艦隊』を日本方面に、『施琅機動艦隊』を台湾、及び東南アジア方面に向けます」
「『遼寧機動艦隊』は日本に貼り付けか……」
「はい。向こうはアメリカもついています。一個だけでも貼り付けておかねば」
「うむ。いいだろう」
日本は自らの海軍力はもとより、アメリカもついている。
下手に戦力に空きを見せるわけには行かない。
「詳しくはそちらを見ていただければと」
「うむ。わかった」
「あと……」
「?」
少し彼の表情が曇った。
「……何度もお聞きして申し訳ありませんが、本当にこれでよろしいのですね? もう後戻りは出来ませんよ?」
「……」
私は手を止めてうつむいた。
今まで何度となく聞かれたことだ。
そして、そのたびに頭を悩ませた。
「……わかっている。これのリスクを承知していないなんていうバカなことはいわん。これのリスク、いや、危険性がどれほどのものかは痛いほど理解しているつもりだ」
「……」
「……だが、我々にはもう後がないのだ。どっちにしろこのままでは国が死ぬ。なら、どちらかまだ可能性があるほうにかけるのが人間なのだ。……こうするしかないのだ。わかってくれ」
「……」
彼はうつむいたままだった。
彼だって、本当はしたくないのだ。
自分も人のことは言えんが、昔とは大違いだ。
それこそ、昔はいろいろたてつけては領土拡大に意欲的だった。
特に南沙諸島や尖閣諸島は重要事項だった。
どちらも地理的にも戦略的にも、そして、尖閣に限っては資源的にも重要な場所だったのだ。
それゆえに、我が国はのどから手が出るほどほしかった。
なので、日本相手には自らの手足を縛った憲法や国内にいる左翼集団をいろいろ使っては妨害してきた。
だが、今はもう違う。
それどころではない。そんなことにかまっている暇はないのだ。
国内事情の問題が多すぎたのだ。それを解決するのに多くの努力や時間を費やした。
だが、結果は全く変わらなかった。
むしろ、長期化したせいで問題が悪化した。
それはさっき言ったとおりのことだ。
国内にも不満はたまっている。今にも爆発しそうだ。
そして、経済も回らない。それゆえ我が国の信頼は失墜し、国自体が生き残れるか瀬戸際の戦いに放り込まれている状態なのは、これまたさっき言ったとおりだった。
もう我々には後がないのだ。
それを打開するためには……、
「……近隣国の技術や資源を獲得できれば、まだ我々にもチャンスはある。特に日本や台湾は重要だ。せめてこの二つは成功させねばならない。どれだけ低く見積もっても台湾は確実に落とさねばならないのだ」
「……承知しております主席閣下」
近隣国の資源や技術を獲得し、我が国の技術として取り込みそれを経済回復の根幹とする。
特に日本や、最近では他国から譲り受けた台湾が保有している科学技術力は魅力的だ。
そして東南アジア方面の豊富な資源もほしかった。
だから、これらを獲得し、我が国の資材としてふんだんに使う。
これしか、我が国が生き残る方法はなかった。
……しかし、
「……だが、この作戦は失敗する確率も大きい。どの結果になるかは、君達人民解放軍に掛かっている。それを重々承知してもらいたい」
「はっ、もちろんであります」
「うむ。……ああ、それと、」
「?」
「……この後のあれはあと何時間だ?」
「あと30分ほどで領空に侵入する予定です」
「よし。……あれが侵略の口実になる。そして他国に戦争時の我が国の正当性の判断に揺さぶりをかけるのだ」
「はっ。我が軍のパイロットがしっかりとその任務を成し遂げることでしょう」
「うむ。とにかく、向こうに所定の処理をさせれば良いのだ。そうすれば後はラクだ。……頼むぞ」
「はっ、お任せを」
「うむ。……では、報告は確かに受け取った。退いてかまわない」
「はっ、では、失礼します」
「ああ、すまない」
そういうと、彼は見事な敬礼をして私の敬礼の返答を受けるとこの部屋を出て行った。
パタンッというドアの閉まる音とともに、私はまた手元の資料に目を移しつつ考えた。
「(……わかっている。これのリスクがとてつもなく高いのはわかっているし、そもそも成功確立もとてつもなく低いのもわかる。……だが、我々に残された手段はないのだ)」
自然と資料を握っている右手の握る力が強くなる。
資料の手が持っている部分がグシャッという音とともに少しつぶれる。
我々はもう後には退けない状況にある。
こうでもしなければ、何もしなくても我が国は存亡の希望すらなくなるのである。
他国の力を借りねばならなかった。
横暴といわれても何を言われてもかまわない。これしか方法がなかったのだ。
……私も変わったものだ。
こういうのを考えるたびに、隣国に対して「申し訳ない」という気持ちでいっぱいになってしまう。
昔ならむしろざまあみろとか心の中で歓喜していたに違いない。
……人間という生き物であるな、私も。
人間も変化する生き物だ。私も変化するということか。
……なにはともあれ、もう後には戻れない。
ここまできたからには、やるしかないのだ。
中途半端ではない。やるからには徹底的にやらねばならない。
そうでもしなければ、あのような〝強敵〟に勝つことは出来ないだろう。
私は、一切の妥協はしない。
すべては、我が国の存亡のためなのだ。
隣国には申し訳ないが、我が国の存亡のためなのだ。
何度でも言う。こうするしかももう方法がないのだ。
「……さて、」
「……資料を見て訂正点を探すか……」
私は再び資料を読みふけった…………




