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異邦人――Alien――

異邦人――Alien――


よく言って鉄パイプ、悪く言えば哺乳瓶といったところだろう。私は、高校生の机に置かれるには違和感たっぷりなその代物をにらみつつ、ふうとため息をついた。

 ダサい。なんて面白みのないデザインなのだろう。これでは子供のおもちゃだ、いや、このこんな銃を手に取って喜ぶほど幼稚な地球人は居るまい。

 我が偉大なる星の優れた技術者が、こんな稚拙なデザインの兵器しか作れないとは。

いくらこの中に小型反陽子ジェネレータやプラズマ制御装置など、テクノロジーを無駄なく配置するためだとしても……いくらなんだってこの形は……

 私は、その銀色の輝きも下品な円筒形の代物を放り捨てると、傍らに置かれた黒光りする拳銃を握りしめ、そのずしりとくる重みの手応えに、しびれるように酔いしれた。

 コルト・ガバメント……世に出て一〇〇年以上も経った今もなお、世界中で正式採用されている、アメリカで生を受けた傑作銃だ。撃鉄で火薬式の鉛の銃弾を叩き、発射する。そんなシンプルな、あまりにも原始的な役割を果たすためだけに作られた鉄の塊だというのに、どうしてこうも心をくすぐるのだろう。

敵を真っ直ぐに捉える銃身、そっけないほどシンプルな引き金、手に吸い込まれるようなグリップの構造……機能に美を見いだすという地球人独特の感性が、そこに刺激されるからだろうと頭脳では冷静に分析しているのだが、それだけでは説明することの出来ない何処かが、モデルガンを撫でる末端器官からの刺激を受け興奮している。

「ああ……いいなあ」

 初めに湧いた疑問は、その言葉を誰が発したのか、という事だった。周囲を目視確認しても人の姿がないばかりか、身体内部に埋め込まれている各種のセンサーも反応していない……やがて、一人ごとを言っていたのだという事実を確認して、私はぞっとした。

(一人ごとなどという、思考を周囲にだらしなく漏らす低劣な行為を、私が!)

 そもそも、こんな拳銃の、それもただのレプリカに過ぎない物をにやにやと笑みを浮かべながら眺めているとは、どういうことか。これも、研究の一環とはいえ……いや、そんなふうに言い訳をして私はこんなおもちゃを楽しんでいる。

(楽しむ? 馬鹿な!)

 母なるドーリア、偉大なる我が星において、第四階層に地位を持つこの私がそんな無駄な感情を? 故郷に尽くすことが我々唯一の存在価値であり、至高の目的であるはずなのに?

 ふと、私は緑色に輝く母星の偉容を頭脳のスクリーンに思い描いた。全宇宙に君臨する、偉大なる我が星、母なる大地よ。私の分子の先,、ニュートリノひとつまで、あなたの為にある……早く任務を終わらせて、帰りたいものだ……

「敦! ゴハンよ!」

 母親の声に反応して、私は素早くドーリア式の哺乳瓶を素早く縮小し、人間の不完全かつ不合理な生態を示す奇妙な穴、へその中へと素早くしまい込んだ。母親というものは何の予告もなく部屋に入って来ることもあり、たえずセンナーを感知しておかねばならない危険な存在である……

「はーい、母さん!」

 その声に一ミリも無感情の冷たい響きが加わってないことに私は安堵する。演技は完璧そのものだ。

「またピストルなんか見てにやにやしているんでしょう!」

「そうだよ、悪い?」

 十五、六才ほどの人間が示す、育ての親から受ける庇護に不快感を覚え、自立できない自分に苛立った時の感情もしっかりと出ている。うむ、これでよい。

……それにしても、ピストル、か。なんと心に響かない、無粋な呼び方だろう。

「ピストルなんて言うな! ちゃんとコルト・ガバメントM1911っていう名前があって――」

 私は、自らの声を抑えるために手で口を塞がなければならなかった。

「オタクだねえ、アンタも」

 この通り、母親との円満な関係に僅かにほころびが生まれてしまう。家庭生活の項目に1・2%ほどの影響が生じてしまうだろう。

しかし、どうしてもこれだけは言わなくてはならない。

「オタクだって! 誰が!」

 いや、なんだってこんな事を口走る必要があるのか。

私は、自らの顎先を五十二度の角度でかすめるように叩き、意識を途絶えさせることに成功した。計算が正確なら、二十一秒後に意識を取り戻すはずだ……



「中二病乙、と言いたいところだがなあ」

 昼下がりの教室の隅で、私は母の手作り弁当の、ややたんぱく質に偏ったエネルギーを補給しつつ、我が「提供者」である神尾浩一と対話をしていた。

「中二病ってなんだ」

 浩一の、私をからかったように見つめる表情から六十二%の確率で悪口と推測できるため、私は顔を僅かに歪める。誰もいなければ提供者に対してこんな言葉遣いをする必要はないが、学校という他人の目に付く場所では普通の友人のように振る舞うことにしている。

「お前がそのまま地球人だったらってことさ」

「つまり、思考や行動が私達のような地球人を指し示す言葉か?」

「……まあそんなところだろうな」

 その生返事は、私の言っていることが理解できていないことを示している。音声による意思の疎通というものがいかに頼りないか、これまでにさんざん思い知らされてきたことではあるが、このとき私は、演技以上の怒りを発していた。

「ドーリア人みたいな事を言う奴が地球人に居れば、そのチュウニビョウとか言うのに当てはまるのか、ってことだ」

「おいおい、人前で言っていいのか、それ」

 浩一に指摘されるまでもなく、我が母星の名は禁句である。地球人に対しては機密保持のため、私達の価値観においてはあまりにも畏れ多いために。私達は自分たちの星の事を、偉大なる我が星とだけ呼ぶ習慣だ。

「……ドーリア人などと聞いても、どうせマンガか何かの話だと思われるだけさ。第一、星の名前だけ聞いたところで何一つ問題はない。三〇万光年以上の距離があるんだからな。イスカンダルよりも遠いんだぞ?」

「イスカンダル?」

「おいおい、こちらの人間のくせにあの名作を知らないとは……あれを分水点にして日本のアニメは……」

「ずいぶん変わったなあ、お前」

 しえしげとこちらを見つめてくる浩一の視線に、私はハッと意識を取り戻した。

「馬鹿もの、これは単なる地球人の少年期における対話様式Ⅴを実行しているだけだ!」

 耳元でそれを口にするだけの分別はあった。さすがにそこまで判断能力を失っていたら、私は自らを処理しなければならない所だ。

「さいですか。……三年前、あいつと入れ替わったと聞いた当初は怖くてしかたなかったけどなあ。あの時は爬虫類のような目をしてたよ」

 あいつ、というのは私が侵入している飛瀬家の長男、敦の事を指す。私は交通事故で死亡した地球人の少年と入れ替わることで、この星の調査を行っているのだ。

車に接触するという、地球人の技術の拙劣さを雄弁に語る事象(なにせ、この小さい島国だけでも年間五〇〇〇人もの割合で死んでいるのだ)により生命活動を停止していた体を回収分析し、新たな地球人の素体を作り出す。その素体は、遺伝子レベルまで元の体と違う点はたった一つ……飛瀬敦という人格が取り除かれていることだ。。

この星の医療レベルで問題なく治癒できる範囲の損傷を再現した上に、私、つまりD―1382917号の意識を組み込むことで、私はこの星への侵入に成功した。

 侵入の目的は、この辺境の星の知的生命体がいかなる文明を持っているかを調査することにある。我々から見ると原始的な物にすぎない地球の文明を調査するのは、たとえその水準が水面すれすれとはいえ、発展様式がまったく異なっているからだ。

 偉大なる我が星が、敵対する文明に先んじて全宇宙で覇権を握るためには、たとえわずかでも情報が欠かせないのである。それが例え顕微鏡の中の雑菌であろうとも。

「俺たちが雑菌ってわけか? そりゃひどい」

「そのセリフは、せめて恒星間移動くらい実現できるようになってから言ってほしいな。そうなれば我々もアメーバ程度の興味を示すことになるだろう」

 私は、エネルギーが充足したことに満足しながら、弁当を口に入れたまましきりに話しかけてくる目の前の提供者に、器用だなという感想を抱いていた。

 入れ替わった人間に血縁のない人物の中で、最も多くの交流を持つ人物、つまり一番親しい友人から選び出される提供者は、文字通り我々に情報を提供する存在である。深層意識の一部を、脳へ埋め込まれたナノマシンにより操作され、我々への各種敵対行動だけを排除された生の原住民の言動は、各種のデータだけでは知ることができない、興味深い風俗、習慣などのデータをもたらすのである。

「まーた、あんた達はこんな所で弁当食べて」

 突然声をかけられて、私は戸惑いつつ振り返った。学校のような場所で過剰な反応を示すのはかえって不自然であるので、各種のセンサーは切ってある。それにしても志穂の接近を許してしまったのはまずかった。今までの会話を聞かれていたかもしれない。

 それにしても、目の前で腰に手を当てている少女は、神出鬼没だ。細身の体をすらりと動かし、いつの間にか何処にでも現れるような印象がある。

「たまには皆と食べればいいのに」

「余計なお世話だ」

 邪険な上目遣いで、浩一は目の前の少女を睨みつける。

「だれがアイツらなんかと」

 と、浩一が他のグループに対して行為を持てないのは、実は私の意識操作により、他人と必要以上に親しくならないよう条件付けられているからである。親しくなりすぎれば、うっかり私の事を口走りかねないからだ。ただ、目の前の少女に対しては、ある理由からその種の操作はしていないはずなのだが、付き合いの長さの割に浩一は冷淡だ。

「そんなんだから、敦君くらいしか友達が居ないのよ」

「いいじゃないか、それで」

 もう、と軽く口をふくらませると河豚のような顔つきになる。とはいえ、すぐさま真顔に戻ると、地球人の基準からすればそれなりの容貌を、この少女は持ち得ていた。

 私と浩一、そして志穂の間柄は、いわゆる幼なじみである。我々の文明においては、社会階層に応じた教育が個別でなされ、中央管理体、もしくは単に母と呼ばれるコンピュータにより社会全体の統制がなされるため、集団で行動することはほとんど無い。

そのため、幼なじみという概念は理解しがたい奇妙な物である。たかだか付き合いが長いだけで行動を共にするとは、なんと非効率的な社会組織であることだろう。地球時間で三日に一度送信する定期レポートで、私はそう結論づけたことがある。

「志穂ちゃん、なにやってるの?」

「あっ、ごめんごめん」

 教室の真ん中、賑やかな空間から女子の声がかかると、志穂は寂しげに肩をすくめてそちらの方へ去っていった。その顔を見上げもせず、浩一は黙々と弁当の残りを平らげている。

 私はふと、ある検証をしてみたくなった。

「気づいていたか? 志穂がお前に話しかける時、瞳孔が数%見開き、心拍数が増えていることを」

「うん?」

「視認できない程度に汗が浮かび、顔がかすかに充血している……つまり、興奮していると言うことだ。これはつまり……お前に恋をしているということだな?」

 私を見上げる目が険悪であることに気づいていたが、構わずに続ける。

「恋とは性欲の前段階であるという。君たちの生殖行動に関しては様々な文献で学んでいるが、実地にその推移を目にしたことは無くてな。もしよければ、もう少し彼女に対する態度を和らげて段階を進めてみないか?もし自信がないのなら、彼女の感情を操作するための薬剤を提供しても……」

 がたっ、と突然に響く大音響に、私は嚥下でなく体をすくめた。

「お断りだ。 そんなことを本気で言っているのなら、お前とは絶交だ」

 絶交? もう二度と交流しない、だと?

「そんな権利がお前にあるとでも」

「口にするだけの権利はあるさ。それを実行できるかは別にして……さあ、好きなようにやってみろよ。俺は抵抗しない、というかできないだろうけどな。……エロ本でもめくるように、好きなようにすればいいさ」

 浩一は私に背を向けて立ち去ろうとする。私が一言命令すれば提供者である浩一の思考は止まり、私に対して忠実な存在となる。それはしかし、自然な反応ではないために戒めなければならない行為だ……いや、それ以上に、この場合は……

「すまん、馬鹿な事を言った」

 私は、立ち上がって浩一の肩を掴んでいた。私の目を見返している浩一の目は、なにか信じがたい物をみたというように見開かれている。私自身としても、こんな行為に出ているというのは信じられないことだった。どこの世界の研究者が、モルモットに対して謝罪の言葉を投げかけるというのか。

「分かってくれるなら、良いんだ……しかし――」

その後の言葉は予想できるので、そのまま廊下に立ち去る浩一を尻目に、私は慌てて自分の席に戻った。変わったな、などと言われるのに決まっているからだ。その言葉は侮辱に他ならない。それはつまり、偉大なる我が星の誇り高き臣民である私が、そのしかるべき地位から逸脱しているということだからだ。落伍者、墜ちこぼれ。それは我が故郷において死に等しい意味を持つ。今からでも、浩一に対して意識操作を施すべきだろうか……

「おいおい、ホモ臭えなあお前ら」

 混濁の極みにあった私の思考が、不意に引き戻される。いつしか私を3人の生徒達が取り囲んでいる。その顔に張り付いているにやにや笑いは、ただでさえ醜悪な顔をより際だたせていた。

「いつも仲がいいもんな、仲が良すぎで乳繰りあってんだろ」

「女にゃもてないもんな」

「な、そんなこと……」

 私は、演技に集中することで精神の均衡につとめることができた。まったく、この連中の登場は私にとって救い船そのものであった。

指で頭をピンとはねつけられ、私の体は軽微な損傷を受ける。

「そのくせ香坂には話しかけられて」

 香坂というのは志穂の名字である。どうやら私は嫉妬の対象になっているらしい……それだけ志穂はクラスの中で人気があった。

「お前らみたいなクズがめずらしいんだろ」

「クズなんかじゃ……」

「クズがしゃべんな」

 手にしていたプラスチックの筆箱を頭に叩きつけられて私は頭を抑える。もうすこし打撃が加わるようなら、斥力フィールドを最低出力で発動しなければならないな、と私は分析していた。

飛瀬敦という人間の位置する社会階層の低さに私が直面したのは、2ヶ月という、想定よりも長い期間滞在した治療施設を出て間もなくのことである。

集団教育の場で加えられる、イジメという名称の私的制裁。肉体的に貧弱であることがその主原因であるらしい。地球人の水準から見れば発達した頭脳を持っていたにも関わらず、むしろそのことも制裁の理由であるという。

生まれたときからその素質で区別され、それぞれの役目を果たすことだけに専念する我々にとって、それはあまりに非合理的な行動様式であり、私は思わず失笑したものだ。階級の上下に気を使っている暇はない。

 体格が良く、運動神経に優れた浩一か、正義感の強い志穂が見ていないところでは、常に私はイジメの対象となっている。今、私を取り囲んでいる連中を抑える方法は百万通りは思いつくのだが、今は研究の一環としてイジメを受け続けている。

「止めてくれよ、先生にいいつけるよ」

 言うも情けないセリフだが、仮に敦少年がこの年まで生きていたとして発するのは、こんな所だろう。

「ぷっ、高一にもなって、センセーだって」

「情けないヤツ。なあ、ちょっと屋上に来いよ」

 こうなると、しばらく彼らの稚拙な打撃の的になった後に紙幣を数枚渡すだけである。その原始的な構造の貨幣は、偽造、もしくは物理的手段によりいくらでも調達できるので、情報収集活動には何の支障もない。数枚の紙切れを手にしたときの連中の変わり方は、それだけでも論文が書けるほどだ。ぎらぎらと欲求に目を光らせる醜さと来たら!

不当に得た所得により価値観が変化していく様は滑稽ですらある。いま身につけている学生服の持つ洗練されたフォルムの足下にも及ばない、ごてごてとした服やアクセサリーにその紙幣は費やされる。志穂と比べれば霞むようなけばけばしい女と遊び回っている様を遠くから監視するのも楽しい物である。

いずれ、一度に大金を渡すことで、その影響を計る予定だ。今まで見たこともないような大金の分配でいかに見苦しくもめることになるのか。私が学校や警察に届け出た時の周囲の反応は。警察の捜査レベルは。動かぬ証拠を突きつけられたときの言い訳は、裁判は……などと、興味は尽きることがない。

さしあたりは屋上へ行き、金を渡す前に渋ることで暴力を引き出し。この星の住民の身体レベルを計るつもりだった……志穂が、我々を止めたりしなければ。

「やめなさいよ、アンタ達」

 我々の前に立ちはだかった志穂の体はいかにも小さい。彼らを物理的に止めるのは不可能だったが、女を押しのけるほどに連中の倫理観は退化していなかった。

「イジメなんて、いい年して最低ね」

「だーれがイジメなんてするもんか、俺たち仲がいいんだよ、なあ?」

 リーダー格の赤毛の男、江藤が馴れ馴れしく肩を組んでくる。

「友達がお腹を殴ったり、蹴ったりするの?」

 志穂がいったいいつ、私が制裁を受けている現場を見ていたのだろう。うかつなことに、私はそれに気づいていなかった。

「お金もずいぶん取ってるようだけど、返しなさいよ」

「あれは……借りているだけだ」

「先生の前でも、警察にもそう言える?」

 そこまで言うと、私を囲んでいた男達の顔色が変わった。社会的地位をおびやかされるとなると、この星の住民は敏感だ。普段はそれを防ぐための努力を怠っているくせに。

「おい、香坂。まさか言いつけるつもりじゃないだろうな」

「嫌なら全部返しなさい、そして敦君に謝って」

 志穂が胸をそらしてきっぱりと口にする。その目に迷いはなく。まるでドーリア人の女性士官のような趣さえあるので、私は怯えきった演技の奥で感心していた。

「全部なんて無理だし、こいつも返してくれなんて言わないよ、なあ」

 暴力を対価にした取引が成立するのは全宇宙に共通する真理だな、と私は実感する。

「うん……別にいいよ」

「……馬鹿、知らない!」

 志穂はじっと私を見つめていたが、くるりと背を向けてすたすたと歩いていく。はっきりと失望を顔中に表しながら。そして私は、全く余計な御世話だ、という想いしか抱いていなかったのである。



全治2週間程度の軽傷を制服の下に残しつつ、屋上を後にしようとしていた矢先の事、浩一が私の元へ駆け寄ってくるのを、私は眉をひそめて見つめていた。

「気づかないふりをしろと言っているはずだが」

「間抜けな」浩一が見ていないところでなくては、あの連中は私に手をだそうとはしない。腹部からしきりに送られてくる電気信号を無視して、私は浩一に詰め寄る。

「そうもいかないんだよ。志穂に助けるように言われちゃって。助けに行かない方が不自然だろう?」

「それはそうだが、余計なことをする。まったく、人間の女は……」

「先生、こっちです!」

 志穂の上ずった声が聞こえてきて、私は浩一と顔を見合わせる。ああ、これは面倒なことになりそうだ……

 駆け寄ってくる教師の汗に満ちた顔を、私はおずおずと見上げる。

「暴力を受けたというのは、本当か?」

 中年教師の、やけに油脂分の多そうな汗の中に埋もれた表情は、他人が心配で気遣うという地球人特有の表情はなく、むしろ我々の民族のような、義務感にのっとった顔色があった。……いや、我々は責任を果たすために気を砕くものだが、この男はただ責任からいかに逃げようかとしている風に見えなくもない。我が故郷であればこのような男は即座に追放刑に処せられるものだが。

「いいえ、そんなことはないです……」

「……本当か? 嘘は言ってないだろうな」

 嘘、か。私以上に欺瞞に満ちている存在もそうはあるまいに。

「ええ、なにもされてません」

「……だ、そうだ」

 と、教師は志穂を咎めるような目つきになる。志穂の目に困惑と怒りの色が浮かんだが、それは私に向けられたのか、教師に向けられたのか、始めのうちは判断がつかなかった。やがて、その視線が私にぴたりと固定されるに至って、私に対して静かな怒りを浴びせているのに気がつく。

(その視線は、この無能な教師へ向けるべきだな)

 私は志穂から視線を逸らした。それが敦らしさというものだ。しかし……このとき私は、演技以外の力で志穂に目を向けることのできないでいる自分を感じ、戸惑っていた。

(目をそらすのは柔弱な証拠だが……いや、これはあくまでも演技だ)

 気まずい沈黙が数瞬続く。それを破ったのは、浩一だったが、その破り方は私にとって耳元で風船が割られるような、ははなはだ不快な物であった。

「先生、見てくださいよ。なにもされていない人にこんな傷がつきますか?」

 確かにこのときの私は不覚であった。いきなり手を伸ばしてきた浩一に気づかず、止める間もなく制服をまくり上げられてしまったのだから。そこには、くっきりと暴行の後が残っていた。白い肌に生々しく残る青いアザは、軽度の内出血を表している。私の元々の肉体、飛瀬敦の肉体に意識を移す前の体は硬質の殻で覆われているためにこういう種類の傷はありえない。

「浩一……」

 何のつもりだ、という言葉をぐっと抑える。どういうつもりで私の傷ついた体を晒してしまったのか。面倒になることは分かりきっていたはず。そうなれば私の怒りを買うことは分かっていたはずだ……

 提供者である浩一からは生きた情報を得るため、その意志決定にはほとんど手が加えられていない。ただ、私に敵対する行為ができないように潜在意識に植え付けられているのと、わずかかばかりの脅し(例えばブラスターで山を一つ消してみる等)がかけられているだけだ。

 敵対行為とは、私を害したり、私が異星人であることを周囲に広めようとする行為のことであるが、前者は無理であり後者は無益である。私が抵抗しようと思えば私を傷つけるのは不可能だし、(斥力フィールドの最高出力は水爆の直撃に耐えうる)異星人との接触が未だ行われていないこの星の文化レベルでは、世迷い言としか受け取られないだろう。

 ただ、様々な媒体で異星人やその文化について、取り上げられているのは甚だ驚異的なことであり、その空想力は地球人における数少ない驚異だという報告がいくつも入っている。

 ともかく、ここで浩一が私に対して邪魔な行動が私に対する害意ではないことは、浩一がその場で痙攣し、陸に打ち上げられた魚のように跳ねていないことから分かるが、それにしても……

「なんだこれは、誰にやられたんだ」

 詰め寄ってくる教師に向け、私は戸惑ったような表情を作りだす。

「あ、これは……」

「同じクラスの、江藤達です」

 きっぱりと志穂が告げ、審理は早くも済んでしまう。

 それから先はくどくどと述べるまでもあるまい。おきまりの学級会、度重なる告発、校長からの呼び出し、謝罪……金銭を私から取っていたことが響き、あの連中は停学一ヶ月となった。わりあい名の通った進学校に通っている者にとって、停学という処分を受けるのは進学へ大きく響くそうだ。その程度で人生が変わってしまうというのだから、地球人の社会の不安定は興味深いものである。

 で、私はと言えば母親へと連絡が行き、心配そうな表情で家に迎えられた。

「気づかなくてごめんね……」

と、母の心底落胆している表情。

「あたしに言えば、学校に乗り込んでやったのに」

 胸を張りながらも心配げな表情の、姉良子。

「やられたらやり返すぐらいの根性がないとな。しかしまあ、あんまり元気そうだから全然気づかなかったが……」

 と言いひんしゅくを買う父。父親に対しては反抗期の兆候にあるので、私は弁護することはせず、ただひややかな目を向けたのみであった。

 そうして、告発から三日が過ぎ去っていった。



(やはり、つまらなかったな)

 すべてが想定の範囲を出ず、私に対するイジメは終わってしまった。想定していたこの星の人間性の研究や、人体構造の力学的影響の実験は不満足なまま終わってしまい、余計なことをしてくれたあの二人にどうして報いようか、という思いがわだかまっていた。

しかし、堂々と家に居て地球の文化を学ぶことができるのは、思わぬ副産物であった。

怪我が治るまでは家に居なさい、と母親に言われ、私は学校を休んでいる。元々、授業時間は地球のあらゆる文献を読み漁るのに費やす時間でしか過ぎないので、たまには目先を変えるのも必要か、と自分を納得させる。

 私は、ワルサーP38のモデルガンをもてあそびながら、アニメ「怪盗物語」ファーストシーズンを見返していた。

 地球独特の文化にフィクションという物がある。実在しない物語をでっちあげ、それを楽しもうというものだ。偉大なる我が星においてもその黎明期では存在したようであるが、とうの昔に消失している。

 大抵の文明にとって、発展とは効率化を意味する……そのために、娯楽などという時間の無駄としか思えない物はある段階でうち捨てられてしまうのだ。この星も、とうにその段階に入っていてもおかしくないはずなのだが……この星では、むしろ娯楽という物が分明と共に発展を遂げている。

 このような文明は類例がない。地球人は奇妙な民族だと言えた。

 覇権の拡大という目的のためには空想に囚われるなど無益である。テレビアニメが流れる三十分の時間があればスタークラッシャー級の戦艦を一隻建造できるし、素新たな数学理論も生み出すことができる。

 そうして偉大なる我が星は、その覇権を二万の星系に渡って伸長できたのだ。全宇宙に秩序をもたらすためにも、一時たりと休むことはできない。

(だから、折角の機会なのだ。一刻も早く地球の文化を研究しなければ……)

 薄々、自分の言い分が言い訳がましいことに気がついていたが、仮に誰かに咎められたとしても研究だと言い張るつもりである。折しも、主人公の回答が絶体絶命の危機にあり、私は手にしていたモデルガンを、手が白くなるまで握りしめていた。

地球のフィクション、とりわけ漫画やアニメというものには妙な魅力がある。それも、魔力的な、麻薬的な物が……初めてアニメという、絵を一枚一枚ずらして動かすことにより動いているように見せるという、途方もなく無駄に手の込んだ映像作品を目にしたとき、いつしか、戦艦が四隻建造できるほどの時間が経過していた事に気がついて、私は愕然としたものである。

敦の部屋へ初めて入ったとき、時間の無駄でしかないそれらの類が無数に並んでいるのを目にし、また書店に行けばいくらでも実用書以外の文献が置かれているのを知ると、地球人の非合理性をあざわらったものだったのだが……

(まったく、無駄が多すぎる種族だ。これでは文明が遅れているのもうなずける)

 そう考えながら、私は三枚目のディスクへと手を伸ばそうとした。七〇年代を代表するこの名作アニメシーリーズを鑑賞するのはもう三度目になるが、そのスラップスティックな展開の妙は何度見ても興味深い……いや、面白くて見ているのではない。地球人の稚拙な戦術、突飛な発想を研究しているのにすぎないのだ……

 悪人の罠に怪盗一味がまんまと罠にはまり潜入した基地が大爆発。あわや絶体絶命、というシーンだった。突然に画面いっぱいに大写しの男の顔が現れたのは。

「お楽しみの所すまないが」

机に肘をついて前のめりになっていた私はびくりと体を痙攣させ、脇に置いてあったコカ・コーラのペットボトルを倒してしまった。ほとんど飲みきっていたのであまりこぼれなかったのが幸いだった。

「隊長!」

 その顔は見忘れもしない、我が情報収集部隊の隊長であった。受け持ち地区がイギリスであるために典型的なアングロ・サクソン系の顔つきであり、007に出ていた頃のショーン・コネリーにそっくりな、やや大げさなほどのダンディな顔つきをしていた。

「お久しぶりです」

「うむ」

 私は、机を拭くこともせずに正面の顔を見据えていた。私の上司たるB―31721は、社会階層が私より二段上であり、したがってその存在は絶対なのである……もっとも、もう腰こぼれる量が多くてキーボードを浸しそうになっていたら、なにか言い訳をして机を拭いていたかも知れないが。

 顔をあわせたのはちょうど三百五十二日ぶりだ。我々の情報収集活動は、おのおのの判断で自由に任されているため、研究レポートを送信する以外、情報部と交信することなどはめったにない。

「これは、映像を通して地球人の戦略を研究していたところで……」

「言い訳はいい」

 厳しい言葉に反してその口調はどこか憂鬱げであった。

「……どういうわけか、私が連絡をとった部隊員は、揃って何かに夢中になっているのでな……」

「と、いいますと」

「アニメやゲーム、漫画、ドラマ、映画にスポーツ観戦……酷いのはパチンコや競馬などの、ギャンブルに興じていた者も居る……文化情報のみに情報収集が偏るのは、あまり良い傾向とは言えん」

 他の連中もそうなのか、と私は心の底で安心した。私一人だけが、任務を逸脱しかねない程度にこの星の文化に接しているのではないらしい。

「しかし、それも仕方がないのではないですか?はっきりいって、我々が知らなくてはならない情報がこの星にあるとは思えません」

 弁解がましいな、とおもいつつも、私はこう具申してみる。私の言葉を聞いている間、隊長はじっとこちらを見つめていたが、その視線が徐々に冷たくなり、言い終わる頃には冷え切っていたのに気づいたのは、すべてを言い終えた時であった。

「君の階級を言ってみたまえ」

 その言葉に潜む意味に気づいてわたしははっと息をのんだ。私の母星における階級は第四階級であり、隊長は第二階級。情報部隊10000人を統べていることからも分かるように、指導者層に分類される。我々一般兵がまともに口を聞くことは、本来ならばできないはずなのだ。

 上の階層の者が、下の階層の者に意見を聞くということもない。元々その素質により別れている階層なのだ。下の者の意見が上の者より優れているはずがないという前提が、そこには存在する。

 だというのに私は、ぺらぺらと聞かれてもいないことを口にしている。追放刑に処せられても仕方のない事であった。

「階級は?」

「第四階級……です」

「この星に染まりすぎているようだな。この、まともな秩序もない混沌そのものの星に」

 その通りだ。なにせ、本来の体を捨てて借り物の体で日々を送っているのだ。触れるものに故郷の影は一つもない。それどころか、この間はドーリア式の銃を手に取り、そのあまりに洗練されないフォルムに批評を加える始末だ……

「毒されて、いるな」

 私の思考をそのまま言語化したように、隊長が告げる。

「そのようです……が、それも研究の対象となるのでは……」

 また言ってしまった。これでは地球人の自己保身と変わらないではないか……

「もう研究は必要ない」

「すると、私はこの任務から外されるというのですか?」

 鼓動が高鳴る。任務を失敗したとなれば私の価値はがた落ちだ。下手をすると階層を落とされるかもしれない。その上、まだいくらでも見たいアニメや漫画はいくらでもあるのに……

(私は何を考えている!)

 アニメや漫画がどうしたというのか。この星の多少変わった文化に過ぎない。そんな物のために我が偉大なる星の帰郷を喜べないなどという事が有ってたまるものか。

 そんな思いに私はじっと目をつぶったのだが、隊長から返ってきた返答は意外極まる物であった。

「なぜなら、我々はこの星を破壊することに決まったからだ」



机の上には銀色の哺乳瓶が光っている……その中に秘められている破壊のエネルギーは、地球の八分の一をなぎ払えるほどだが、普通の攻撃にはそれほどのエネルギーを一度には用いない。

 今セットされている最低レベルの破壊力でも、地球に存在するどんな拳銃の威力をも凌駕する。一〇万Wの出力の光線を浴びれば、どんな生命体も、物質も、チリ一つ残さずに消滅してしまうのだ。

「ついでに、見た目だけでもたいした物だ。この形を見てだれも銃だとは思うまい……」

 誰も聞いていないのに、私は皮肉をつぶやいている。もし、故郷でそんなことをしているのを聞かれたら、即座に狂人扱いされ、査問会行きであろう。(精神病院などという気の利いたものは我が偉大なる星には存在しない)

 私は、その円筒形の物体を手に取り、構えてみる。どうにも様にならないこと夥しい。アニメの中の英雄がこんなものを構えていれば、笑えないギャグだ。

よりにもよって、こんな物で家族を殺さねばならないとは。

 ぎりっ、と歯を噛みしめたのは、演技でもしたことのない無意識の動作であった。

「侵略、の間違いではないのですか?」

「私が、ひいては『母』が間違いを起こすと思うのかね」

二十分前の悪夢のようなやりとりを私は反芻している。大人であれば酒でも浴びるほど飲んで忘れてしまいたいところだが、私は、少なくとも肉体はまだ十五才だ。実際にはその倍近く生きていたとしても。

「破壊など……かつて、行われた試しがありましたか?」

 たとえ相手の星がどれほど高度な文明を持っていたとしても、それを遙かに上回る力を常に誇っていた我々である。どんな宇宙艦隊も我々の相手にはならない。侵略され、資源の供給源と化した星は十万を数える。

 だというのに、宇宙戦艦の一つ持たないこの星に限って、破壊しろという命令が下ったのか。侵略しようと思えば三時間でできるはずだ。破壊などをすれば、その星からは何一つも得られなくなってしまう。そんな無駄な行為は我々ドーリア人の最も嫌うところであるはずなのに……

「分からないのか? 己を振り返ってみて」

「?」

「この星の文化は、危険すぎる。特に、我々のように、これまで娯楽を持たなかった者にとっては……どうやら麻薬のような危険性があるようだ……君のようにこの星の文明に囚われた者は、全部隊一万人の中で九割を占める」

「そんなにも!」

 想像以上に多いその数値に、私は驚いた。

「君は、自分からドーリア人らしさが抜け落ちているのに、気がつかないのか?」

 指摘されて愕然としたのは、その言葉は事実上の死刑宣告だからだ。秩序を至上とする我々にとって、ドーリア人という枠組みからはみ出す者は必要ない。非ドーリア的言動を行った者は、それを理由に射殺して良いことになっているほどだ。

「……しかし、とりあえずは咎めまい。この任務のせいでそのような影響を受けているのだからな」

 と、その冷徹な目で見つめてくる。007の映画の中で、ジェームス・ボンドがワルサーPPKを敵に突きつけた際、このような顔つきになったはずだ。

「それで……いつ、この星を破壊するというのですか?」

「うむ、方法はいくらでもあるのだが、一番愉快なのは、この星にある、ありったけの核兵器を誘爆させることだな」

「そんな、よりにもよってそんな残虐な……戦艦の主砲で一息に消してしまえば良いではないですか」

「さしあたって戦艦はこの付近にはない。たかが惑星破壊のために、三万光年離れた中継基地から呼び出すわけにもいかんのでな」

「そもそも、本当に破壊する必要があるのですか? 占領でよろしいのでは」

 なぜ、私はこの星に対してかばい立てなどしているのだろう。私が受けてきた教育からすると考えられないことだ……我が偉大なる星以外の文明はすべて野蛮で下劣であり、存在する価値もないと意識に刻み込まれているはずなのだ。この、借り物の体に居たことで感性が影響を受けているのかも知れないが……そんな例は聞いたことがない。

「いや、占領することは考えられない。資源は乏しく住民は好戦的。もし、我が偉大なる星の文明を教えでもすればたちまち反乱を起こすであろう。戦乱を常に続けてきた歴史がそれを語っている」

 我が偉大なる星も似たような物だろうに、とはさすがに声にはできなかった。不敬罪で間違いなく処刑される。

「そんなもの、占領政策でいかようにもできるのでは」

「いや、そんなことよりも……一番恐ろしいのは、この星の文物が我が偉大なる星に広まってしまうことだ」

 その一言で納得がいった。

 我が偉大なる星の文明は、全ての無駄を切り詰めることにより発展を遂げてきたのである。この星も似たような傾向があるが、その中にあっても時間の無駄としか思えない各種の娯楽が生き残り、それどころか発達を遂げてきたのである。このように文明を発展させている民族は宇宙でも稀だ

 ……己にない物に対して興味を抱くというのは、どの種族も同じであるらしい。私個人としても、初めのうちこそ私も、わざと興味を示さぬように、地球の娯楽には触れずにいたのだが……ひとたび目にした途端、情報収集の主眼はそこに置かれてしまったのである。

 元々、この星から得るべき技術科学はないのだ。我が偉大なる星と敵対しているわけではないから機密情報などもないし、退屈な任務だったのだ。……それを言い訳にして、これまでさんざんこの星の「文化」に触れてきたのだが。

「さて、そこでだ。君は再び偉大なる我が星に帰属したいかね」

「当然……です」

言いよどんでしまうのはなぜだろう。偉大なる我が星から離れすぎたせいだろうか?

「それなら良い、が、口だけなら何とでも言えるのでな……そこで、君にはテストを受けてもらいたい」

「テスト、ですか?」

 嫌な予感がする。我々、ドーリア人が考えつきそうな試験方法は……

「そう。まずは、君が潜入している一家を明日までに皆殺しにしてもらいたい」


 

笑顔が飛び交い、会話が弾む。和気藹々という言葉を絵にしたような食卓のはずであった。

「敦、どうかしたの?」

 と、母が深刻な面持ちで私を心配げに見つめてくるまでは。

「どうかしない訳ないじゃん。あれだけイジメを受けてたんだから」

 と、あっけらかんに良子が言う。わざと強く言って深刻さを打ち消そうとしているように。

「それに、さっきまでテレビ見て笑ってたじゃん。敦って鈍いとこあるから、案外気にしてないんじゃないの?」

 内面的な敦と違い、短大に通う3つ上の姉は思考が直情的かつ感情的だ。普段は、私に対してもどかしさを隠さないようにつらく当たるが、イジメを受けていたと聞き、血相を変えて学校に乗り込もうとしたことから、私を嫌っていないことは良く分かる。

「敦は優しすぎるからなあ。殴られているときも相手の手の方を気にしてたんじゃないのか?」

 にこやかに言う父の言動をまともに取ろうとする者は居ない。悪気で言っているのではないだろうが、あまり励みになるような言葉ではない。

「うん……そうだけど。敦、なんだか無理して笑ってない? 辛いことがあったら、言えばいいのよ?」

 私は、空中で箸を止めたまま、こちらを真正面から見据える母親の目に射止められたように動きを止めた。

「そんなつもりじゃないんだけど……」

 と、私は絞り出すように言葉を出した。そう、そんなつもりではないのだ。私は、「家族に励まされ、元気を取り戻しつつある敦」を演じていたつもりだった。そこには大げさな笑い声など必要ない。ただ、唇の端にうっすらと微笑みを浮かべるだけで良かったのだ。

 なのに、私はたわいもない会話に大げさに笑い声をあげてしまう。感情の抑制がきかなくなっているのか?それとも、何かを隠す為に笑う必要があるのだろうか……

(どうした、なぜこいつらを射殺しない?)

 突然湧いてきた思考の奔流に、私の心臓は胸が苦しくなるほど鼓動を早めた。

(お前に新しく与えられた任務を忘れたのか?)

 忘れたわけではない! こいつら……飛瀬、敦の家族を……この、地球人を私は殺さねばならないのだ。いくら唐突に与えられた任務だとはいえ、上からの命令はドーリア人にとって絶対なのだ。逆らうことなど……

「どうしたんだ、敦」

 機能停止したロボットのように、突然表情を止めた私を不審に思ったのだろう。父のみならず、三人の心配そうな目線が私に注がれる。

「なんでもない、なんでもないんです」

(こんなことを言っているうちに、なぜ、目の前の銃を取り出して消滅させないのだ?一秒後には原始のチリになる存在に向かって、言い訳をする必要などないんじゃないか?)

 理性の訴えを、感情が否定する。そんなことが、地球人ならいざ知れず、ドーリア人に? 肉体だけでなく、精神までもが地球人になってしまったのか?

「撃ってもいいのかい? 愛する家族を」

 私の混乱する思考の中に、突然一人の男が現れた。私は、その男の顔を……モニターの画面を通じて知っている。その、正義を愛する拳銃使いは、私を見下ろして微笑んでいる。

 私は、あまりに急激な情景の変化にとまどった。個人用のテレポート装置などは所有していないはずなのだが……

 いつしか、私はその男と、果てしなく広がる赤い荒野の中で対峙していた。その荒野には見覚えがある……我々ドーリア人の文明が栄える前の、我が偉大なる星、ドーリアの光景だ。いつの間に私はこんな場所に連れてこられたのだろう。

 白昼夢、という言葉はこの時の私には浮かんでこなかった。強靱な精神を持つドーリア人が、そんな物をみるほどの気の迷いを持つはずがないからだ。

……少なくとも、私という例外を除いて。

 伝説のガンマンはニヒルな笑みで私を見つめて来る。

「撃つなら撃てばいいさ。 その時にお前は人間でなくなる。そうなりゃただの化け物さ」

「うるさい! 誰が化け物だ。第一俺は地球人じゃない。元々お前らとは相容れない存在なんだ!」

 やれやれ、とでも言わんばかりにガンマンが肩をすくめると、その姿が筋肉隆々の拳法使いへと変化する。経絡秘孔を利用した一撃必殺の拳法の使い手だ。

「たとえ仮初めの間柄とはいえ……そこには真実の愛がなかったのか?」

「愛などという無駄な感情はドーリア人には存在しない!」

「では、なぜその目には涙が浮かんでいる?」

「なっ……」

 瞳から流れる液体が、涙であると言うことは知っていた。それが、目の粘膜を保護する役割だけではなく、ある種の感情の発露を表すことも。しかし、そんな物をなぜ流さなければ成らないのだ?

「あんた、気づいてる? あんたが元のままの血の涙もないドーリア人だったら、命令された時点でもうこの人達は消えているのよ?」

 いつしか、蓮っ葉な少女剣士に姿を変えた何者かが私に語りかけてくる……よりにもよって、地球人の、それも創作作品の登場人物が語る崇高な理念が私を攻め立ててくるのは私があまりにもそれらに浸りすぎたせいだろう。

 私達とまったく相容れぬはずの、自己犠牲、友情、愛などという概念。それは、たいがいの地球人にとってさえ絵空ごとに過ぎないはずなのに……作品のなかで語られる、理念を貫き通して生き、死んでいく人々の姿は、創作というものに触れたことのない私には、確かに刺激的なものだったが、こうまで私の心を侵食していたとは……そういえば、九割の同朋が、私と同様に地球の創作に夢中になっているというが、確かに危険な傾向だ……

「いや、それが本当に危険なことだろうか?」

 私は、目の前に立ち並んだ二次元の住民達に問いかけてみる。

「ドーリア人に無い価値観を否定することが、間違っているだろうか?」

「それを決めるのは、あんたじゃないか?」

 ガンマンの真剣な目つきに射すくめられたように、私はその場に立ち止まる……

「……敦、大丈夫か?」

 肩を揺すぶられ、私ははっと我に返る。目の前には、心配そうに私を見つめる、現実の顔が三つ並んでいる。私がその生殺与奪を握る、仮初めの家族が。

「ごめん、ちょっと食欲がないんだ」

 私は、銃を振りかざす代わりに言い訳をして席を立つ。

「あ、敦、ちゃんとゴハンは食べないと……」

「本当にごめん。ちょっと一人で居させてほしいんだ。しばらくでいいから」

 こう言えば、理解力のある彼らが、私を引き留めないであろう事は分かっていた……この人たちと、ただ別離を迎えられたならばどんな楽だったろうか。

 部屋に戻ると、本棚いっぱいの主人公達が私を出迎える。私が初めてこの部屋に来た時、本棚は二つあったのだが、今はその倍に増えている。ベッドの下にはモデルガンがならべられていて、私の収集欲を満たしてくれていた。

(彼ら……物語の登場人物だったら、どうするのかは分かっているが、私の置かれた立場はそう単純な物ではない)

 ベッドに倒れ込み、天井を見上げる。その三〇万光年彼方に私の故郷があり、その間には薄い木の板と果てしない暗黒の空間が広がっている……が、私と故郷との隔たりは、果たして距離だけなのだろうか?

 ……仮に、私が飛瀬家の人々を殺さなかったとしても、この星の運命は決まっている。すでに命令が下されている以上、この星は破壊されてしまうのだ。だとすれば、私が彼らを殺しても、同じ事ではないか、というのはごく普通のドーリア式論法だが、それでは納得できない部分がある……

(しかし、結局私は殺してしまうのだろうな)

 己が極刑に処せられてしまっては何の意味もない。自分を捧げるのは、偉大なる我が星に対してだけで十分なのだ。

(……とりあえずは、誤魔化す方法を考えてみよう。彼らを生かすために、宇宙の何処かへ隠すという事も考えられる……それがだめなら、諦めよう)

 定められた刻限は、明日の深夜十二時までだ。それまでに彼らを助ける方法を考え、だめだったら、彼らに恐怖を与えぬよう、寝ている間に殺してしまおう。

 無益だとは分かっていながら、私が思考を集中し始めた時だった。机の上に置かれていた携帯電話が、突然に「get wild」のイントロを奏で始めたのは。

 私はそれを無視したかったが、私にメールを送る相手は限られている。おそらくは浩一か志穂であろう。連中の相手をする暇はなかった。

(しかし、地球の最後を提供者に告げないのも哀れなような……)

 いままで協力してくれた浩一は、地球人のサンプルとして連れて帰ることも可能だろう。浩一が望めば、志穂をつがいとして連れていってもいい……

 そこで、私は携帯を手に取る。そこで書かれた文面は意外な物であった。送ってきた者は予想通り志穂だったが、本文がない。そして、ただ題名の欄にだけ、「助けて 火野第三公園うら」とだけが書かれている。その異常な文面は、私を心躍らせた。

(なにかあったな?)

 犯罪に巻き込まれたとは考えがたい。私にメールを送るよりは警察か家族に連絡したほうが良いだろう。それくらいの分別は、志穂は有るはずだ。とすれば考えられるのは……

 自分が知らぬ間に笑みを浮かべていることに気がつく。

 私は、部屋に鍵をかけると、誰にも見られる心配がないことを体内レーダーで確認して、家の外へと飛び降りた。五点着地を駆使すれば、敦のやや貧弱な体でも無傷で二階から降りられる。

 ざっ、と音も立てずに地面に降り立ち、パジャマについた砂を払う。漫画で読んだだけの技術だったが、恐怖心もなく完璧にこなせば有用な技術のようだ。

(まったく最後まで楽しませてくれそうだな、あの連中は)

 私は、とりあえず目の前の悩みから逃避することに心を決めていた。その種の思考は地球人の、駄目な人間がするものであったが、あえて気にせずにおいた……


 

公園まではタクシーを利用する。運転手に不審な目で見られても気にはしない。この時の私は、「飛瀬敦」の演技をする気はなかったのである。

「どちらまで?」

「火野第三公園まで。急いでくれ」

 言いつつ一万円札を渡すと、中年の運転手は生意気な、とでも言いたげに私を見つめたが、やがて無言のままタクシーは夜の道を滑りだした。

 火野第三公園までは、歩いて二十分ほどだ。それほど近くはないが、行くのをためらう距離ではない。そんな場所を指定してきたというのは、私が警察に連絡するか、自分で乗り出すのか微妙な距離だからだろう。私に警察へ通報させて恥をかかせる、という手段も考えられるが、そのくらいで彼らの復讐心が満足はしないだろう。いったいどんな罠が待ち受けているのだろうか。

(がっかりさせないでくれよ)

 夜の街が後ろへ流れて行く。原色に輝くネオンの原始的な、混沌とした風景を見て私は頭が痛くなったものだが、今は、その非幾何学的な、前衛芸術的な模様に奇妙な美しさを見いだせる自分がいる。

 そして、街にはこの光景以上に混沌に満ちた無数の人生がある。あらかじめ経路を定められた電子のように整然とした一生を歩む人間は、この中には居ない……いや、その中で我々一万の調査員も、流れを遮られ曲げられているのかもしれないが……それは、私が自分だけ墜ちこぼれていることを自覚できないだけなのだろうか。

「お客さん、つきましたよ」

 あっという間に貴重な時間がすぎてしまう。私が車から降りようとすると、運転手が無言でこちらへ手を差し出してきた。私が疑問に思ってその手を見ると、そこにはメーターの額の分だけ差し引かれた、数枚の紙幣と小銭が乗せられていた。

「あ、いいんですよ」

「学生が、ナマ言うんじゃねえ」

 ぐい、と突き出される手に、私は苦笑してお金を受け取った。まったく、解せないものだ。黙って受け取れば損はしないのに。そういう不合理なところが、昔は理解できなかった。しかし、今は少しだけ理解できるような気がする。

夜の風は意外と涼しく、私は薄いパジャマのまま家を飛び出してきた事を後悔した。そういえば、四季という不便な物のあるこの星は、もう秋に入ろうとしている。公園には人気もなく、蛍光灯の冷たい光が、ジャングルジムを無機質に照らしていた。

(公園の裏、か。人気の付かない場所なのだろうか)

「おい」

 センサーをあえて消していた私は、突然後ろから声をかけられると、身体のあらゆる関節を駆使し、独楽のように素早く振り返った。振り返った先にいた浩一を見て、私は少し落胆した。

「なんだ、お前か」

「なんだじゃないだろう、お前にもメールが届いたのか?」

 はあはあと浩一は息も荒い。おそらくは家から駆けてきたのだろう。浩一の家からの位置関係を考慮すると、歩いて三十分はありそうな距離だったはずだが。

「ああ、その通りだ」

「志穂は?」

「まあ、落ち着け。本当に志穂が助けを求めているとも限らんだろう」

「でも、携帯の、メールが……」

「携帯だけ盗ったのかも知れないぞ。慌てるよりは冷静になったほうが賢いのが分からないのか? なんなら精神操作をしてやろうか?」

「いや……いい」

 手で私を制しながら、浩一が深呼吸をする。その大げさな動作を目の端にとらえつつ、、私は周囲に目をやっていた。

「公園の裏、というのは何処なのだろうな? もっとも、あいつらが来ていない可能性もあるだろうが」

「お前なら分かるだろう? 機械を使って」

「それを使ってしまうと面白くないのだがなあ」

「馬鹿言ってんじゃねえよ! アイツの身が危ないんだぞ!」

 私は、浩一の口調にむっとした。提供者が、いくら自然の状態のままが望ましいとは言っても、ここまで私の事をないがしろにするとは……それだけ志穂のことを気にかけているのだろうが、普段の態度からはむしろ嫌っていたものだと推測していたのだが。

「ふん……まあ良いだろう。調べてやる」

 地球が破壊されるという事実の前には、一人の少女の安否などが何になるだろう。しかし、今はそのことを告げるつもりはない。この状況を楽しむことができなくなってしまうからだ。

 センサーを作動させた途端に右目の視界一面が緑色に染まり、私は一瞬まごついた。この体でセンサーを動かすのは久しぶりだ。元の体なら複眼だから、このように右目の視界全てをさえぎってしまうことはないのだが。

「う……ん……公園の東入り口に7人固まっているようだが、これかな?」

「よし、行くぞ!」

 言いながら浩一はすでに駆けだしていた。私はあっけにとられながらも、徒競走では常にビリだった足を、可動域の限界までフルに動かし浩一と並走した。サッカー部のエースと並走していることは浩一には驚きのはずだったが、それを気にとめる余裕はないようだ。

 さして広くもない公園の裏にはすでに閉店した商店が並んでいる。その前を占拠するように数人の人影があった。殺気だったところはなく、友達同士がわいわいと騒いでいるように見えなくもない。

「おい、お前ら!」

 私が止める間もなく、浩一が声を張り上げた。声を聞いて一斉に人影が振り返る。そのうちの4人は見慣れた顔であった。

「浩一、敦!」

 それぞれの腕を二人の男に掴まれている少女は、まぎれもなく志穂であった。そして、私達の出現に明らかに動揺している男が三人、いずれも、江藤を初め、停学中のはずの私をイジメを加えていた連中である。他の男達は見知らぬ顔で、私達高校生よりは明らかに年を食っていることがわかる。そして、髪を不自然な茶髪に染め、革製のジャケットに鎖をじゃらじゃらと鳴らしている。不良というレッテルを貼られたいが為にそんな服装をしているのだろう。

「思ったよりも早かったな」

 江藤が動揺していたのは初めのうちだけで、すぐにいつものように凄んでみせた。ズボンをだらしなくずり下げていて、みっともないこと夥しい。制服という、秩序を体現した服でさえも着崩していて、その行為にも納得しかねるものがあったのに。

「おい、こいつらか、お前らが可愛がってたのは」

「誰をイジメてたって? おい、江藤。おれに喧嘩を売るとは良い度胸だな」

 浩一は私にこれまで見せた事のない険悪な目で、男達を見据えている。

「へっ、スポーツ馬鹿め……お前にもいつか礼をしようと思ってたんだ」

「どうして此奴らについてきたんだ、志穂!」

「だって……私が来なかったら、敦を、殺すって……」

「そんなのに騙されやがって」

 と、浩一は言い捨てるものの、私は、その方法なら確実に正義感の強い志穂を釣ることができるだろうと感心する。

「お前ら三人にはさんざん世話になったからな……おかげで人生メチャクチャだ。親父にはしこたま殴られる。お袋には泣かれる……少しは痛い目にあってもらわんと割にあわないんだよなあ!」

江藤が、私に向けてわめくように言う、その目は復讐の喜びにぎらついており、脳内物質がふつふつと湧いているであろうことを感じさせる。私達の等級で表すなら、十二階級くらいだろうな、と私は分析した。生まれたと言う事実を無駄なく利用するために、再処理施設で使役される最底辺の階級、頭よりも感情で行動し、誰に顧みられることもなく死んでいく存在だ。

 それにしても、原因は結果を生むものだろうに……地球の言葉でさえ「因果応報」というものがあるのだ。先人の知識から学ばない者は、ドーリアでは必要とされない。

「しかし……思ったよりは悪知恵が回るのだな」

「飛瀬。お前今なんて言った?」

「いや、私は褒めているんだぞ?」

 私の口調に面食らっているようだ。それはそうだろう。いつもこの同級生には「飛瀬敦」として接してきたのだから。敦はつねに気弱で、口答え一つしたことがなかったのだ。

「お前、調子に乗ってるな。今の状況が分かってるのか?」

「ああ、僕らを呼び出してリンチでも加えようというのだろう? 僕らには暴力を、志穂には陵辱を、か……期待していた以上の物ではないな」

 創作物の世界において、これほどありきたりな展開もないだろう。しかし、当事者にしてみれば必死で考えた作戦なのだろう。

「どうしたってんだ、飛瀬。漫画の見過ぎか?」

 奇しくも江藤の言葉は一面の真理をついていたので、私は噴き出してしまう。漫画を読みすぎてなければ、今頃は……

(今頃、家族の皆は私を捜してはいないだろうか)

 私に撃たれるのを待っている人たちが。

バラバラに私を捜しに出られたら面倒な事になるという冷たい計算が、そこには働いていた。

「ふざけんな!」

 いつものように、腹部ではなく顔面に向けて江藤の拳が飛んでくる。私は、それを難なくかわした。

「きゃっ!」「おっ?」志穂の叫びと、江藤の困惑声が夜の街にこだまする。私が、江藤の攻撃をかわしたのはこれが初めてだった。もっとも、かわそうと思えばいつでもかわせたのだが。

 人間が、死に際の集中力ですべてがスローモーションに見えるのと同じ現象を、私は薬剤をナノマシンにより脳内へ投入することによりいつでも発動することができる。その中では、たとえボクシングのチャンピオンのパンチでも止まって見えるはずだ。

 再び拳を振り上げて私に叩きつけようとするが、それも私には届かない。江藤の表情には、はっきりと混乱の色が浮かんでいた。

「な、なんで……?」

「うおおおっ!」

 と、雄叫びを上げて志穂を掴む男の元へ、浩一が突っ込んでいく。その勢いは肉弾さながらで止めるべくもなく、男達は蹴散らされていく、が、例の不良を体現かしたような男だけが、ひるむことなく浩一の前に立ちはだかる。私は、そこまでを確認しながら、再び私の頬まで伸びてくる江藤の腕を私は掴んでいた。

 合気道の教則本で見た通りに、体を動かす。全身の体重移動により江藤の力のベクトルを動かし、地面に叩きつける。素晴らしいほどにあっさりと肉体が宙を舞った。

「な……」

 浩一に吹き飛ばされて地面にへたり込んでいた者が、あんぐりと口を開ける。私が見せた意外な能力に唖然としているようだ。私としても、被虐者から逆の立場に立つことへ、言い難い快感を覚えていた。カタルシスというものだろうか。

「野郎!」

 江藤達の悪友だろう、不良の内の一人が殴りかかってくるのに、コツン、と払うように手を顎に当てる。その角度で当てられた際、人間がその意志を失ってしまうことは自分自身でも証明済みだ。

 あっという間に二人の戦力を失う。戦争であればすでに壊滅にある状況だ。その上、どうやら浩一の対峙する相手は、漫画の中の不良ほど喧嘩慣れはしていないらしい。浩一の一発の蹴りによって、勝敗は決してしまった。

「う……」

腹部を思い切り蹴られて、男はその場にうずくまってしまう。口からだらりと液を垂れ流しており、どうやら急所に入ったらしい。かなりの質量と速度の込められた一撃だったので、内蔵の一つは損傷を受けているかもしれない。

「な……どうして」

 壊滅に瀕した軍隊は恐慌に陥るのが常である。残された三人の男達は、いつしか志穂の手を掴むのも忘れていた。志穂は、素早く男の手をふりほどくと素早い手つきで、たった今まで自分の腕を掴んでいた男を張り飛ばした。

「この、変態ヤロウ!」

 その勢いのあまりの強さに、男ははじき飛ばされる。

「う……うわあああっ!」

 殴られた勢いのまま男が逃げ出し、それに他の者達が続いたのは当然の成り行きだっただろう。

意識を失って倒れた江藤ともう一人を残して、四人の私の暇つぶし相手は、振り返りもせずに夜の街を駆け抜けて行き、あっという間に見えなくなって島lった。

「志穂!」「浩一!」

 二人が駆け寄りあい、見つめ合う。

「大丈夫か、乱暴されなかったのか?」

「ううん、メールを打たされてからすぐに二人が来てくれたから……」

「さて……こいつらをどうしようか」

 私のつぶやきに、二人は耳もくれない。蚊帳の外に置かれた私は、ただ苦笑を浮かべるしかなかった。

「馬鹿、本当に馬鹿な奴だな。こいつらに人を殺す度胸なんてあるわけないだろう」

「うん。冷静に考えればそうなんだけど、万一敦がひどい目にあったら、すごく後悔しそうで……最近はそういう事件も多いし」

「自分が襲われて後悔する所だぞ……俺たちが来ていなかったらどうなっていたことか」

「ううん。私は来ると思ってた。浩一は……敦が来たのは少し意外だったけど。どうしてあんなに強いのに、今までイジメられてたのかな」

「うーん……それは」

 とりあえず、気絶している江藤を道路わきまで引きずっていた私は、ニヒルな笑みを作ってこう答えた。

「能ある鷹はツメを隠すっていうだろう?」

 私の顔を、二人はむしろ不審げな表情でじろじろと見る。

「なんだか人も変わったみたい。敦って双子の兄弟、いないよね?」

「お前、本当に敦か?」

 二人の言葉が持つ意味は似ているようで違っているので、私は同時に答えることができず、ただ肩をすくめるのみだった。



「宇宙人ですって? 敦が?」

 私が秘密を告白したことに驚いたのは志穂ばかりではなかった。浩一はかっと目を見開いて、私の顔をまじまじと見つめてくる。

「信じられな……くはないけど、ずいぶん唐突ね」

 私が自販機で買ったホットのお茶を啜りながら、私たちは志穂を挟んでベンチに座っていた。

「ちょっと、一休みしてから帰ろう」

 倒れていた全員を並び終えた後に私が提案したことで、心身を消耗していた二人に否やはなかった。これから、あいつらをどうしようか。警察を呼ぼうか、などと二人が話し合っている時の私の突然の告白に、二人は困惑を隠せなかった。

「おい敦、そんな事を志穂に言うなんて……」

 たった今まで、志穂を救ったことによる興奮に上気していた浩一の顔が、みるみる青くなる。

「お前、まさか、志穂を提供者に……」

「そういう事じゃ無いんだ」

 こんなふうに秘密を告白してしまったのは、すべてが終わりに近づいているからだ。いまさら隠しごとなどしてもしょうがない。

「提供者?」

「ああ、今まで浩一には、地球上のいろんな事を提供してもらっている。本や電子機器では知り得ない、生の情報をね」

「いったい何時から? 私たちは幼稚園のころからずっと一緒だったよね」

「……飛瀬敦という人間が、死んでしまった時だ」

「3年前の事故の時ね?」

 ずいぶん勘のいい子だ。はじめから彼女を提供者に選んでおけばよかったが、いまさら後悔してもしょうがない。

「おい、志穂。こいつ漫画の見すぎで現実との区別がついてないんだよ。信じてるのか?」

「作り話にしては突飛すぎるしね。私は信じるよ。それで、何をしにこの星にきたの?地球の事を知るため? 観光?」

「お前もSF小説の読みすぎだって……」

 未だに私のことを警戒しているらしく、浩一はしきりに私の言う事を否定する……もっとも、警戒して当然なのかもしれないが。私が自分の出自をぺらぺらと話すことなど、これまで一度もないことだからだ。きっと何かあると思っているに違いないし……第一、それは事実なのだ。

「我々は、全宇宙に存在するあらゆる文明にそれぞれ派遣され、現地民の身分を借りて調査をしているんだ。現地民そっくりの身体を作り出し、そこへ意識を移してね……殆どが我々より劣った文明だが、まったく違う種類の文明からは、何か得られるものがあるのではないかとね」

「一体どこの星なの?どんな文明?あなたたちも人間型宇宙人なの?」

 たった今まで、酷い目にあいかけていたことも忘れ、志穂は目を輝かせて聞いていくる。私のことを頭から信用しなかった浩一に対しては、近くの岩を吹き飛ばして見せなければならなかったのだが、それよりはだいぶ手間が省けたことで少し安心する。

私は、なるべく志穂の質問に答えてやった。

「惑星ドーリアを中心とした二万の星系からわが文明は成立している。今はこんな姿だが、元々の姿は……そう、昆虫……のカマキリにちかいな」

 折よく、ベンチそばの草むらに私の小さな同胞がいたので、私は指に乗せて二人に見せてやった。

「うええっ、お前ってそんなんだったのか?」

「もちろん、こんな不格好なカマじゃあ道具を操作できないから、代わりに指が六本発達している……地球でも、哺乳類が発達していなければ、いずれかの昆虫が文明を築き上げていたはずだぞ。私はアリだったろうと睨んでいるが。宇宙における七割の知的生命体が、この星で言う昆虫型だからな」

 私は、進化できなかった同胞をゆっくりと草むらに放してやる……これも、本質的には無駄な動作だったのだが。この星の運命を考えれば。

「本当に、敦じゃないのね? でも、この間までは……」

「悪いが、あれは全部演技だった。飛瀬敦が生きていれば、どのように行動するか、すべて大脳新皮質が教えてくれるのでね。さて……」

 私は、そろそろ本題に入るべきだと思った。その返答に二人の命運がかかっているのだが、どう転ぶかは責任を持つ気はない。

「浩一は薄々察しているようだが、我々は近々この星を出ることになった」

「なんだ、そんなことか」

 と、浩一は露骨にほっとしたようだが、安心するにはまだ早すぎる。

「それで、別れ際にいろいろ言っとこう、てことか」

「そうなの? もっと早くに知りたかったなあ」

「おいおい、こいつはとんだ冷血宇宙人なんだぜ。人を雑菌呼ばわりして……まあ最近は丸くなってきたようだが」

「いや、確かに私は……我々は冷血宇宙人だよ」

 私は、ふうとため息をついた。ため息をつくと力が抜けていくという言い伝えは本当らしく、なんだか全身から力が抜けていくような気がする。

「地球を離れる際に、我々はこの星を破壊することになった」

 浩一のゆるんだ表情が一変した。

「な……ふざけるな!」

 激昂し立ち上がった浩一の横で、たった今まで楽しげに眼を細めていた志穂が表情を凍りつかせる。

「まあ、落ち着いて聞いてくれ」

「なんだと、落ち着いてられるか!」

「落ち着け」

 これではろくに話もできないので、私は浩一の体内に送り込んであるナノマシンを操作し、浩一の脳内にあふれたアドレナリンを除去し、鎮静化してやったが、どさりとベンチに座りなおした浩一からは敵意は消えていない。

 志穂が無表情なのは、私の言葉をまだ全面的に信じていないからだろう。でなければ、浩一のように私に犬歯をむき出しにして睨みつけてくるはずだ。

「調査が終わったら、もう用済みってことなの? そんな風に今までずっと星を滅ぼしてきたの?」

「いや……この星だけは特別だ。他の星では、情報を吸収した後にその価値があれば占領、もしくは無視するだけだ」

「なら、なんでこの星は……」

「この星の文化は危険すぎる、と判断されたようだ」

「私たち地球人が、凶悪だからってこと? いつも戦争ばかりで」

「それも有るのだが……純粋に文化が危険なのだ」

 私は、隊長の言葉をそのまま二人に話してやった。大半の同胞が地球の文化に取りつかれてしまったこと。それは、効率を重んじるドーリア人にとって甚だ危険であり、もし広まってしまえばドーリアの文明そのものが危機にさらされるという事……。

「じゃあ、あれか? 俺たちは漫画や小説があるから滅ぼされるってことか?」

「そういうことだ」

「そんな、ふざけた理由で滅ぼされてたまるか!」

 ベンチから立ち上がった浩一は、私の前に立ちはだかると、私の襟首をぐいと掴んだ。呼吸が苦しくなり、せき込んでしまう。

「私に危害を加える気か?」

「お前を殺せば、破壊されずに済むんだろう!」

 ここまで短絡的な行動を取る人間ではなかったはずだが。志穂を助ける時もそうだ。私が手を貸さなければ袋叩きにあっていたはずだ……

「私を殺したところで、我が小隊は一万人で構成されている」

「それなら、一万人全員殺してやる!」

 脳への血流量が危険水域にまで少なくなってきたので、私は浩一をキッと睨みつけるように、眼球の底部につけられたコンソールを操作した。その途端に浩一は全身の力を失い、飴細工のようにぐにゃりとその場にへたり込んだ。

「無駄なことだと分かっていただろうに」

「くそっ……くそ……お前は、宇宙人だからってそんなに冷たい奴じゃないと思ってたのに……変わったと思ったのに」

 頸部から先は自由に動けるようにしてあるので、浩一は涙を流すこともできる……

「変わったさ、これでも」

 変わっていなければ、今頃はさっさと家族を撃ち殺して母艦への帰還準備を進めているはずだ。浩一達は一言も告げずに。いや……むしろ、死を前にした人間の行動を観察するために、わざと告げていたのかもしれないが。

「……いったい、いつ地球は破壊されるの?」

「遅くとも、この星の時間で一月はでないだろう」

「あはは……夢でも幻でもないのよね? 江藤達に薬でも嗅がされて幻覚を見ているのならいいけど……」

「現実かどうかの判断は、自分ですることだ」

 紛れもない現実だと説明する義務は、私にはないのである。放心したように夜空を見上げている志穂の眼は焦点が定まらず、私は気が狂ったのではないかと勘ぐっていた。

「ふざけんな、ふざけんな……せめて、志穂だけは助けてくれ……」

 砂を噛みながら浩一は必死に声を上げる。体の自由を戻す前に、安心させてやろう……

「ああ、そのことだ。提供者として協力してきれた浩一と、志穂は……」

「おねがいします、敦君」

 地べたに膝と手をつく志穂の姿を見て、私はぎくりと体を硬直させた。

「私に、なんでもさせてください!」

「おい、志穂!」

 これは……そうだ、土下座というやつだ。そこまでして生き延びたいのか、と一瞬拍子抜けしたのだが、志穂の次の言葉は私を驚かせるものだった。

「私一人と引き換えに地球を助けられる、なんて思わないけど!それでも、もし助けてくれるというのであれば、どんな目にあっても構いません!」

「それは……自己犠牲というやつか?」

「……どうせ、地球が滅びるのなら、私は精一杯に抵抗したい。あなたたちの星で見世物になってもいい。宇宙に放りだされても構わない! だから!」

「やめてくれ、志穂!」

 ……志穂の地面から私を見上げてくる視線は、炎のようにぎらついていて、私はおもわずたじろいでしまった。なにも、精神波兵器の類を受けた訳でもないのに、後ずさるなどというのは、初めて体験であった。

「いや……君と浩一は助けてやろうと思うんだ。だから、話した」

 しかし、志穂が安心して表情を緩めるだろうという私の予想は外れた。志穂は炎のようにまくし立ててくる。

「私の家族は? 親戚は? 友達は?」

「家族まではぎりぎり大丈夫かもしれないが、さすがにそれ以外は……」

「そうまでして生き延びたいとは思いません! 私の家族が同意してくれれば、私の家族にも……どんな事をしてもいい、です……だから、どうか皆を……地球を助けてください」

 その眼にはいつしか涙が浮かんでいた。その痛ましい姿をいつまでも見ていられず、私が何か声をかけようとしたときだった。

「敦……貴様……」

 私は無意識に身体拘束を解いてしまったのか。よろよろと立ち上がり私になぐりかかってきた浩一に私は反応することができなかった。

 強烈な顎部への衝撃に、私は訳もわからず、浩一と重なり合って崩れ落ちる。

「お前に、志穂を泣かせる権利があるのか! 志穂を!」

 ひたすら叩きつけられる拳に、私は斥力フィールドを発動するのも忘れてうずくまる。痛みなどは電気信号の一種で、それを無視することなどは今までずっとできていたはずなのに、どうして今はこうも激しく痛むのだろう。

「やめて、浩一!」

「やめるもんか、こいつが――こいつがすべて悪いんだ!」

「今、敦を傷つければ、誰も地球を救える人がいなくなるじゃない!」

 浩一の腕に志穂が取りすがる。志穂ごと私に手を叩きつける訳にもいかず浩一はようやく手を止める。

 その瞬間、私は斥力フィールドを発動させた。電磁波の反発力を利用した一種のバリアで、私にまたがっていた浩一は地べたに叩きつけられてしまう。

「くっ……やってくれたな」

顔がまんべんなくずきずきと痛んでいた。痛めつけられるのは慣れたものだし、顔を殴られた言い訳をする必要も今後はない。それなのに、やけに今日の痛みは響いてくる……

「お前は、私と一緒に、我が偉大なる星に行きたくないのか? この星よりも遙かに優れた文明なんだぞ」

「……この地球が滅びるっていうのに、行くわけないだろう!」

 やはり、私が施していた身体拘束はまだ有効だったらしく、浩一は倒れたまま体を一ミリも動かすことができずにいた……それならば、なぜ私は殴られたのだろうか。創作物ならいざ知れず、意志の力が麻痺した体を動かすことなど……

「それが、人間ってものさ」

 不意に、浩一でも志穂でもない声が聞こえ、すぐに消えた。私はその幻聴を振り払うように首を振った。

「改めてお願いします。……なんでもしますから、せめて遅らせることもできないの?」

 私は、再び地面に伏せようとする志穂の手を取り、立ち上がらせた。

「そんな事をしてもしょうがないことくらい、分からないのか!」

 なぜ怒りなどを表さなければならないのか、させたいようにさせればいいじゃないか。私の人格の大部を占めるドーリア的要素がそう呼びかけるが、私は無視して志穂の肩を掴んだ。その、あまりに真っ直ぐな目に見据えられ、私は思わず目をそらしてしまう。

 目を逸らしてしまうのは、軟弱者のすることだ。これは、ドーリアでもこの星でも同じことだったが、この際私は、自分が行った恥ずべき動作をそのまま利用することにした。

「……僕は、でたらめを言ってたんだよ。ちょっとそういうアニメがあったからね。からかおうと思って」

 がらりと口調を「飛瀬敦」のものに変えてみるが、志穂の心理には何の波風も立たなかったようだ。

「ううん、でたらめっていうのがでたらめよ。あなたと浩一は真剣そのものだった。そのくらいは分かる……だから、私も今できる最大のことをしたい」

 ああ、そうだった。志穂というのは出会ったときからこういう人間だった。私を病床に見舞いに来てくれたときも、ずっとつきそい遅くまで居てくれ、家族の誰かが慌てて送り届けるまで、昏睡状態を装っている私のそばに付き添っていたものだった。

 事にあたる際は常に全力、後悔はしないというのは彼女の人生訓であるらしい。そして、今も、私に対してできる限りの事をしようとしている……

「何をしても意味がないというのなら、あなたを殴るわよ、私。そうして、あなた達のボスの居場所を聞き出して、直談判をしてみる」

 斥力フィールドを目の辺りにしながら、志穂は腕を振り上げてみせる。

「そんなことをしている暇があったら、逃げろ!」

「何処へ? 宇宙へ逃げられるはずないでしょう?」

「いや……おい、敦……いや、D―1382917号……様。俺はもう諦める。だから、せめて志穂だけは生かしてやってくれないか?」

「私一人だけ生きていたいほど、馬鹿じゃないよ。助かるなら皆で……そうなるようにせめて努力させて」

私は、この場から逃げ出したかった。なぜそんな思いに囚われるのか私は分からなかった。いつしか唇から血がにじみ始める。どうやら無意識のうちに噛みしめていたようだ。

「……くそっ!」

私は、二人に背を向けてすたすたと歩き出した。

「あ、待って、敦!」

「うるさい、お前らなど地球と共に滅んでしまえ!」

 私はいつしか駆けだしていた。

どんな痛みにも耐えることはできる。しかし、私は……涙の止め方は分からなかった。

「誰が、好きでこの星を破壊したりするものか! 私は、この星の文化が……この星が好きなんだ!」

 そうか――私は、この星が好きなのだ。大声を張り上げて、私はようやく悟った。

 涙というものは、ただの水分であるはずなのに感情を抑えがたいほどに湧きあがらせてしまうものらしい。

「この三年間、楽しいことばかりだった! 楽しむなんて無駄なことはドーリアにはない……あるのは、ただ秩序に尽くすという義務感だけ、今まで私が生きてきたのはすべて故郷の発展に尽くすためだったが……それだけが生きることの価値ではないと、地球のあらゆるものが教えてくれたんだ!」

 感情がオーバーフローする。言葉がわき出てくるようだ……脳ではなく、心という得体のしれない器官から。 肺の中の空気を出しつくして、私ははあはあと息荒く空気を吸い込む。

「そして、お前達もな……だから生かしてやりたい……いや、一緒に生きたいのに……」

 私に追いついていた志穂が私を見つめる目は、むしろ憐れみに満ちた物だった。

「あなただって、自分の星が滅んでまでも私達と生きたいの?」

「……それは、できない」

「私達も同じよ」

「私は……これからどうすれば……」

「それは――」

 志穂の言葉を中断してしまったのは、思考の行き詰まりなどではなく……純物理的な、殺意であった。

「えっ……」

「へへ……やったぞ」

 崩れ落ちる志穂の後ろに立っていたのは、血に飢えた野獣のように歯をむき出しにして笑う、江藤であった。その手には赤く染まった刃が握られている。志穂の刺された背中が恐ろしいほどに早く朱に染まっていく。

「あ……が……う……」

 肺を刺されたのだろう。刺された部分から、ヒューと笛を吹くような音が漏れている……やはり私は、いくら地球の影響を受けたとしても……永遠にドーリア人なのだろう。普通の人間ならば、こうも冷静に傷の分析ができるはずがない……

「なに馬鹿なことを言ってるのか知らないが、油断しやがって……お前も殺してやる!」

 愚か者め! 志穂が必死でこの星を救おうとしているのに……このくだらない男は……

 じりじりと迫ってくる江藤の狂気に眩んだ顔に、私はドーリアの銃を抜いてピタリと照準を合わせる。

「なんだ、その玩具は? ふざけてるのか?」

(頭を消し飛ばされてから後悔するんだな)

いつしか、すっかり思考が冷え切っている自分に気がついて、私はいやに悲しくなった。

「泣けよ……命乞いをしろ」

「私はお前ごときのせいで泣いている訳ではない」

 この星の哀れな運命のために、私は泣いているのだ。涙腺のないドーリア人の体では泣くことはできなかった。

「待って……」

 志穂の弱々しい声が私の元にかすかに届く。今の状況で何を待てと言うのか。

「江藤を……殺さないで」

「なんだと? お前は今、この男に刺されたんだぞ!」

 さすがに私は驚いた。この期に及んで他人を、それも自分を刺した人間を案じるとは。

「でも……殺すのはやりすぎよ」

 肺から漏れる息と共に生気が抜けていくように、目に見えて志穂は衰弱していく。なにがやり過ぎなものか! 女を傷つける男は……

「お前も似たようなことをしたじゃないか」

 そっ、と白昼夢のガンマンが耳もとでささやいてくる……まるで、弟子を諭すような目で私を見据えている。

「女を泣かせる男は、無条件で最低だ。それが異星人であってもな……」

 知ったことか!私は……私は……

「死ねええぇぇ」

「くあっ!」

 私は、訳の分からない奇声を上げながら、引き金を引いた。ブン、と空気が震える音を残して飛んだ超指向性レーザーの赤い閃光が、江藤の右手を射貫いていた。

「あ……?」

 江藤は、右手がいままであった虚空を惚けたように見つめた。一瞬で神経ごと焼き切られたため、痛みもないのだろう。しかし……たった今まで動いていたはずの手が綺麗に消えていたという事実に気づくと……

「うわ、うわああああっ!」

 まるで聖火のように右腕を掲げたまま、江藤は夜の街へ消えていった……

「よくやった、カウボーイ」

「……ふん」

 私はガンマンの幻影を振り払うと、死体のようにぐったりしている志穂の元へ駆け寄った。

「まだ、生きてるな」

 大丈夫か、という励ましはかけない。

「ええ……江藤を、殺さなかったよね?」

「死んだ方がマシかもしれんがな」

 私は、医療用スライムを二匹取り出すと、志穂の傷口へ押し当てた。みるみるうちにアメーバ状のその生物は、志穂の体の中へと浸透していく。

「ひゃっ、冷たい……」

「我慢しろ」

 医療用スライムは、惑星TM―76で採取された原生生物を元にした人工生命体で、生体組織の情報を取り込み、遺伝子レベルで細胞を復元する性質を持つ。本来は取り付いた宿主から生体エネルギーを奪い、胎児を吸収してしまう危険な生命体だったのだが、もちろんそのような性質は取り除いてあり、一切の危険はない。……やや気持ち悪いという欠点を除けば。

 うぞうぞと緑色の液体が傷口でうごめいていたのは、ほんの三十秒ほどだっただろう。

「えっ……あれえ?」

 あっさりと傷口がふさがり、痛みも消えてしまって、志穂は昼寝から起きたような顔つきで目を見開いた。

「私、刺されたんだよね?」

「ああ」

「そうか……やっぱり宇宙人なんだね、敦って……こんなにすぐ傷が治っちゃうなんて」

「君は、証拠も見ないうちから信用していたようだけど」

「全部嘘だって、言ってくれれば笑い話ですんだんだけどね」

「……じゃあ、まだ本当かどうかわからないうちに、あんな事を……」

 志穂は、そのままアスファルトの上にへたりこんだが、私は手をさしのべられなかった。今はまだ、その資格がない……

「あなたの星は……どのへんにあるの? あんまり星は見えないけど」

 空気が悪いのか、暗い夜空にはほとんど星は見えていない……

「三十万光年離れているんだ。どのみち見えないさ」

「大きいの?」

「地球の倍くらいはある」

「それなら、地球の皆を連れて行ってよ! いや、そうなったら文化が伝わることは同じだから、駄目か……」

 いまだにこの少女は諦めていない……

「女に負けるのか、おい」

 例のガンマンのセリフはフェミニストが聞いたら目くじらを立てそうだ――その通りだと私はうなずいた。

私は、志穂を立たせてやる決意をした。

 浩一の拘束を解いてやると、恐ろしい勢いで駆け込んできて危うく私とぶつかりそうになる。

「この、殺人鬼! 人でなし!」

 地面に頃がされている間に並べ立てていたのだろう罵声を、私に容赦なく浴びせてくる。

「待って、浩一」

「志穂……どうしたんだ、その血は!」

「刺されたの、江藤に。でも、敦が治してくれた」

「江藤……あのクソヤロウ……だが、傷が治ったってんなら!」

 志穂から私へ、キッと向き直る。ここで私を止められなければ、江藤を追求するなどむだだと分かっているのだろう。私の提供者が優先順位をわきまえていたので、私は満足げに微笑んで見せた。

「蹴られたくなかったら、いや、俺に呪い殺されたくなかったら、地球の破壊を止めて見せろ!」

「蹴られたくもないし、呪われたくもないな」

「だったら……」

「ああ、地球を救ってみせよう」

「だったら……なんだと?」

「理解力まで奪った覚えはないのだがな。それに……浩一。君はもう自由だ。君の中に侵入していたナノマシンは機能を停止した。君はもう提供者じゃない」

「え……どういうことだ?」

 くすっ、と微笑んだ志穂の目にはうっすらと涙が浮かんでいた。その涙の種類を、私は知っている……いや、理解できているつもりである。

「女の子を泣かせるのは、最低だ。そこまでして生きていたくはないのでね……だが、しょせん私にできることには限界がある。地球を助けられる見込みはほとんどない……正直、これからの私の行動は、身投げと一緒だ。でも――」

 ここで私は、志穂と――その背後に林立する、彼女の倫理観を育てた地球の文化へと目をやり――こう告げた。

「後悔するよりは、ましさ」

 後悔などということは、ドーリア人はしない。なぜなら、反省もしないからだ。踏みにじられた者へ振り返りもせず、ただ前進を続ける……いつか、その飽くなき支配欲が満たされてしまったとき、後に残されるのは無限の荒野だけなのではないか。

「私はもう、地球人だ。ドーリア人には戻れそうにない。肉体はこの通り。考え方もだいぶ――」

「そんなふうに一々あげなくても、あなたは地球人よ」

「そうだろうか?」

「そうさ。お前は血も涙のない、D何とか号じゃない」

「私達と一緒の道を行くんだから」

 ふっ、と私は笑顔を見せた。不覚にも私は、演技でなく笑う事がこんなに楽しいものだと今まで知らなかったのである……

「……女の子に恥をかかせたんだ、こんな時に地球人なら死んでも詫びるな」

「気にしないで。地球を救ってくれれば、それでいいんだから」

「ずいぶん難しい事を言う」

 私たちは連れだって歩き始めた。端から見ると、派手に喧嘩帰をした友人同士にしか見えなかっただろうし、私はそんな風に見られたかったのである。



「……それで、お前の家族は殺したのだろうな?」

「はい、この通り証拠もあります」

 私は机の下から腕を取りだした。その薬指にはめられたままの指輪が、蛍光灯に反射してきらりとにぶい光を放つ。切断面は素早く焼却されていて血の一滴も付いていない。

「証拠が必要にあると思い、残しておきました」

「うむ……よろしい」

 隊長は不快げに眉をしかめた。本来ならばただの異生物の肉体であるはずなのに。このモニターに浮かぶ顔を見て、私はかすかに成功確率の見込みを上昇させた。この隊長でさえ、少なからず地球に影響されている。それでも、小数点の下に0が4つ必要な程の数字であるが。

「では、今後の日程を説明しよう。我々はこれから、この星を破壊するわけだが……」

「その前にひとつお願いしたいことがあるのですが。効率の良い破壊を行うために、同胞との連携を行いたいのです」

 ドーリア人にとって、効率とは信仰に等しい。拍子抜けするほどあっさりと仲間のリストを渡されたのは、ドーリア人が地球の文化に飲み込まれるはずがないと信じていたからだろう。隊長である自らもが少なからず地球に影響を受けていることにも気付かずに。

「猶予は三週間か……」

 隊長との連絡を終えると、私はすぐさまリストのデータを元に手に取り、回線を繋いだ。

 初めに画面に現れたのは、アフリカ系の黒人の青年であった。

「忙しいところ失礼」

「同胞か」

 その、いかにもレゲエ・ソングを歌いだしそうな装いからは想像もつかないほど冷静な返答が、ドーリアの言葉で返ってくる。

 さあ、正念場だぞ……

 私は、保健室から浩一が拝借してきた人体模型の左腕を放り捨てた。……これくらいのことしか手助けできないことを二人は悔しがっていたが、すでに私は二人から得難い物を受け取っていたのである。

(地球を救う事が出来たら、どうやって志穂に詫びをしようかな)

 女の子に膝をつかせるなど、男のすることではない。切腹ものかな……

「おい、何をにやついている?」

「いや、ちょっとね」

「そんな地球人のような事を……」

「君は誰もいないところで、演技ではなく笑ったことはないのかい?地球人のように」

 かすかに顔をこわばらせる同胞を見て、私は手ごたえありと感じた。 

 地球を救うために私ができることは、すこしでも多くの仲間を引き込むことであった。多くの仲間が団結しても命令は覆ることはなく、従って反乱を起こすしか取る道はない。

 九割もの同胞が地球の文化に熱中しているのだ。その中には、私と同様に地球を愛している者も居るかもしれない、愛する者ができたかもしれない……

 仮に反乱が成功したところで、私たちはしょせん情報収集部隊。正規軍が進出してくればひとたまりもないが、一番近い中継基地から出発しても、相対時間で百年以上の時間がかかってしまう。その間に私たちのテクノロジーを提供すれば、それを応用し、迎撃できるだけの能力は地球人にはあるはずだ。仮にできなかったとしてもそれは次の世代の課題である。

「おい、お前の後ろにある『Star  Blazer』のDVDBOX、ドーリアに持ち帰るつもりなのか?」

「さすがに無理だろうな。検査に引っかかる」

「くそっ、俺はどうしてもそれが見たかったんだが」

「それなら、良い方法がある」

確かな手応え。これで、蟷螂の斧が二丁に増えるだろう……

母さんの声が外から聞こえてきたのは、私が二人目の同朋へ連絡を取ろうとしていた時だった。

「敦! 夜食は外に置いておくからね!」

 その声に私はほっと安心する。この声を聞けるだけでも、あの星を裏切った甲斐がある。

「ああ、ありがとう」

「それと……がんばってね。でも無理はしないように」

「今無理をしないでいつするのさ」

「……地球が助かっても、敦が倒れたら意味が無いじゃない」

 君は良い家族を持ったな、敦――

 銃を見せながら私に課された命令を告白したときも、私の家族は戸惑いながら受け入れてくれたのだ。信じがたいことだったが……地球人のすべてが、優しくないことは知って居る。江藤のような人間がまき散らす悪意で、この小さな星は満ちている。しかし、それを絶えず改善しようと……人間は神話を創作した時点から努力をしているのだ。

「私も……努力せねばならないな」

 私を地球人として受け入れてくれた人々のために。次にモニターに映し出された顔には、演技ではない、顔中に悲しみを表している男の顔があった。

「同胞か……この星にいられるのも、あと三週間だというのに、何をしているんだ?」

「……今から、この星を救ってみないか?」

 私はあの少女のように微笑んで見せた。


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