【8】最終回
朝はあっという間に訪れた。今日こそは写真を探しださなくては。ベッドの横の時計を見るともう9時を指していた。お母さんはもう病院に出掛けたはずだ。
ベッドから這い出して、リビングへ向かう。テーブルの上にはおにぎりが2つラップにくるまれて置いてあった。お母さんの書置き付きだ。どうやら今日はお母さんがベジブルに寄って帰ってくるそうだ。いつもなら、任せてくれればいいのにとなるところだが、昨日シロさんとあんな別れ方をしたのもあって、今日に限っては少しありがたかった。
おにぎりを2つを冷蔵庫から持ってきた麦茶で流し込むと早速写真捜索の続きに取りかかる。外では、もうとっくに蝉が鳴き出して結構な気温になりつつあった。
当然プレハブはサウナ状態。昨日ぼくが積んだアルバムを横に避けて、次のアルバムをめくっていく。1冊目の途中ぐらいで汗が滴り落ちるぐらいになっていた。これを見終わったらいったん部屋に戻ろうと思ったところで、名案が浮かぶ。
アルバムを部屋に運ぼう。幸運なことに今日は1日ぼく以外に誰も家にはいない。思い立ったら即行動。北極の白クマには申し訳ないけど、エアコンをガンガンにきかえせた部屋でアルバムをめくっていく。すずしさのせいか心なしかめくるスピードが上がった気がする。ちなみに、CDプレイヤーのスピーカーからはぼくのお気に入り、中島みゆきの「時代」が流れる。
捜索開始から3時間。読み終わって積んだアルバムはもう10冊を超えていた。気が付くともうお昼を回って、これを見終わったら、またそうめんを茹でようと思ったところだった。このアルバムも違ったかと思ったところで、見覚えのある風景が現れた。角度こそ違うが、あの公園に違いない。おばあちゃんの写真がいっぱいあって、その中に1枚写真があっただろう空白があった。たぶん、ここにじいちゃんが篠山さんに見せた写真が収まっていたのだと思った。
でも、残念なことに写真はあったものの、公園の名前やその他の手掛かりは見つからなかった。お昼を食べる前に、例のアルバムだけをぼくの部屋に隠して、残りをもとの段ボールに戻した。これがまた結構な肉体労働で、またどっと汗をかいた。
エアコンをつけっぱなしにしていたリビングに戻ってくる頃には、写真を見つけた興奮のせいか暑さのせいかは謎だけど食欲はもうなくなっていた。
そうなると、とりあえずは久米氏さんの住所を調べないと。最後の1人にして、唯一住所が手書きで、なんか特別な感じのした人。調査ノートに挟んであった写真名簿に乗ってた住所をグーグルマップに入力する。市の名前はうちと同じだけど、それより下は聞いた事が無い住所だった。でも、じいちゃんの工場で働いていたんだからきっとそれなりの近所だと思っていた。
するとどうだろう。地図は、かなり拡大をしてもぼくの家が入るぐらいの近所の地図だった。むしろ、朝賀さんちよりも近い。シロさんとはこじれてて、今、同行を頼むのも気が引ける。そして、ものすごく近所ってこともある。決断は早めに。思い立ったら即行動。ぼくは信条に従って、久米氏さんの家を目指して真夏の太陽の下に出た。
ベジブルを通り過ぎ、いつもシロさんが帰っていく方向の道に入っていく。昔からある住宅街っては聞いていたけど、特に知り合いもいなかったから入った事の無い地区だった。プリントアウトした地図を頼りに、右へ左へ迷路の奥へ入っていくような感覚で進んでいく。そして、いよいよ目の前には「久米氏」の表札。ごくごく普通の平屋だった。庭もある程度きれいにしてあって、人が住んでいる事は間違いなさそうだった。ただ、残念ながらインターホンが無く、仕方なくぼくはノックして声を張るしかなかった。
「すみませーん。どなたかいらっしゃいますか?」
暫くの沈黙の後、扉の向こうで足音がする。くすんだ金色のドアノブが回り、古ぼけた茶色のドアが開く。その向こうに立っていたのは、まぎれも無いシロさんその人だった。
「えっ」
言葉を失うぼくにシロさん、久米氏さんが掛けた言葉は、
「やはりな。来ると思ってた」
だった。
さらに言葉を発せられずにいるぼくにシロさんは続ける。
「わしが、久米氏論介。郁の持っていた名簿の一番下に書いてあったのは紛れもなくわしだ。ずっと、黙っていてすまなかったな」
「どうして……。じゃあ、初めからぼくがじいちゃんの孫だってことも。でも、前の仕事は人助けだって」
「無論だ。その顔を見た時からずっと分かっておったわ。それに、どんな仕事だって結局は誰かの役に立つ。こんなこと言ったら社長に怒られるかもしれないが、姫森金属だって小さな町工場なりに間違いなく誰かの役に立っていた。これを人助けと言わずになんというか。ま、立ち話もあれだ、中に入れ」
言われるがままに、玄関を抜け居間に通される。部屋の隅にそっと置かれた仏壇には優しそうなおばあさんの遺影が飾ってあった。昨日話していた、病気で亡くなった奥さんだろう。
ぼくらはテーブルをはさんで向かい合う。
「はじめは、お世話になった社長への恩返しのつもりだった。だがな、その内本気で郁の力になりたいと思う様になった。すると、どうにも本当の事が言いだせんでな。この関係を崩したくなかったからとういうのもあるし、なにしろ郁をがっかりさせたくなかった」
そんな……。
「じゃあ、朝賀さんも剣さんも、篠山さんもみんなみんな知り合いだったってことですか? それでいて初めて会った風に――」
シロさんはだんだん申し訳なさそうに萎んでいくようだった。
「そうなる。剣さんにも、篠山さんにもわしが事前に連絡をしていた。昨日一堂に会した時点で皆、事情は知っていてくれたんだ。なにしろわしらはこんな歳だ。思い出すのも時間を掛けないと難しい。それで、事前に頼んでおいたんだ、あの頃の事を思い出しておいてくれとな。どうか、悪く思わんでくれ」
だから、こんなにも話がとんとん拍子に。なんか違う。これって、ぼくが考えてた調査と違う。でも――
「本当はな、昨日郁が全部吐き出したところでわしも言ってしまうつもりだった。ただ、また郁からわしの所に来てくれるような気もしたんだ。そして、その時でも遅くないとどこかで確信していた。そして、やっぱり郁はここに来た。写真が見つかったんだろ。わしの方も、その場所の目星をつけた。これから行くぞ。夕飯にはまでには帰ってこれる」
話の流れがいまいち分からなかった。
「これからって……あの公園にですか? なんで場所が?」
「調査を手伝いたいと言ったのはわしだ。郁が難しいなら、そこを手伝うのがお手伝いさんの役目だろうが。あとのネタばらしは新幹線の中でだ。それ、もうタクシーが付く頃だ。行くぞ、あそこに」
気が付いた時には、もう仙台行きの新幹線の座席に座っていた。全く予想もしていた無かった展開に、ぼくの頭はすでについてこれていなかった。シロさんは、名簿に載る最後の従業員久米氏さんで、他の元従業員の人たちとも知り合いで、もちろんじいちゃんとも知合いで――。
ものすごい速さで、見慣れた景色が右から左へ流れていく。今のぼくの頭のなかみたいだった。
「疑問があるんですけど、いいですか?」
「勿論、応えられる事だったら何でも答える。もう隠し立てしても仕方ないからな」
「じゃあまず、なんでぼくがじいちゃんの孫ってわかったんですか。さすがに顔だけじゃわからないと思うんです」
「さすが郁だ鋭いな。その通り。最初はそのカメラで気が付いた。社長にたびたび見せてもらっていて、わしも当時、写真が好きでな。社長とはよく写真談義をしたもんだった。そして、郁は忘れているだろうが、まだ郁が小さかった頃に会っているんだ、わしら元従業員は郁にな。初孫だった事もあって、当時の社長は本当に喜んでいたんだ。工場によちよち歩きの郁を連れてくるほどにな」
「そうだったんですか……。確かに、工具とかを遊んでいた記憶はあったんです。でも、シロさんと会っていたなんて。それともう1つ。なんで剣さんの奥さんはあんなに取りみだしていたんですか。事情を知っていたなら、あんなに驚かないと思うけど」
「あれはな、わしが剣さん本人にしか事情を話していなかったからなんだ。ただ、わしと郁が訪ねていくからわしには他人のふりをするようにとだけ話があったんだろう。そして、奥さんが剣さんを呼びに行ったところで、詳しい説明があったんだろう。それとな、」
「それと?」
「このタイミングより前に、郁がわしの正体に気が付いてしまうんじゃないかと言うことも恐れた。写真を手掛かりにしている以上、工場で撮った写真が出てきてしまう心配もあった。それは、杞憂に終わったようだったがな」
「杞憂?」
「無駄な心配だったってことだ」
そこから仙台に着くまで、シロさんからは社長時代のじいちゃんの話をいっぱい聞いた。取引先の人に怒って水をぶっかけた話とか、しょちゅう工場にばあちゃんが弁当を届けに来ていた話とか。そこにはぼくの知らないじいちゃん、そしてぼくのじいちゃんになる前のじいちゃんがいた。
「仙台駅からはまた少し電車を乗り継ぐ。そして、少し歩けば、あの公園のはずだ。準備はできてるか?」
正直、どんな気持ちであの公園に向かえばいいのか分からなかった。でも、ぼくは深く頷いた。それから、シロさんに言われるがまま電車に乗り、殆ど誰も降りないような寂れた駅でぼくらは下車した。
「駅からはもう近いんですか?」
「そうだな。ここから海の方向に少しいった高台だ。行きたくなかったら、まだ戻れるが、本当にいいんだな?」
ぼくの心は調査を始めた時から決まっていた。
「はい、大丈夫です。行きます。『理由』は見つかったんで」
そうか、と言うとシロさんはすたすたと歩き出す。潮の匂いがする。海が目前だということ感じる。無意識にぼくは自分の左手を右手で握ろうとする。すると、シロさんが左手を差し出す。ぼくは、それに逆らうこと無く右手で捉える。もう大丈夫だ。
緩い坂の先は夕映えの空しか見えなかったが、頂上に近づくにつれて、海の匂いは強くなっていき、いよいよそこが見え始まった。
かつて、じいちゃんとばあちゃんが立った場所。
じいちゃんが一人でカメラを構えた場所。
ここが、ぼくがずっと探し続けた場所だった。
立て看板には公園の名前、「潮かほる広場」。写真と景色がついに重なる。
ぼくはシロさんの左手をさらに強く握った。景色の中からぼくの中にじいちゃんが入ってくるような気がした。涙は、もう流れなかった。
「どうだ、郁」
「どうして、ここが分かったんですか?」
「名前だな。結果的には郁が現像した写真だったかもしれないが、どうして、社長があの写真を郁に送ろうと思っていたか、わしなりに考えた。そして郁への伝言じゃないわけがないと思った。まぁ、いろいろ探した。もちろん場所は、この辺だとは踏んでいたが、まえに郁が言った様に海沿いの公園なんぞ無数にある。ただ、こんなにも郁と関係のある公園はここしか無かった。だが、公園の名前が『広場』だなんて、予想できなかったがな」
だから、ぼくがいくら「公園」検索しようともこの「広場」は見つからなかったわけだ。
「郁」
「なんですか」
「『理由』聞いてもいいか」
「もちろんです。ぼくがここを探し続けていた理由は、じいちゃんからの卒業です。あの地震から三年間、ぼくはじいちゃんにもたれかかっていたけど、それはもう卒業です。でも、忘れるわけじゃありません。ぼくは自分の力で立って、次に進まなきゃいけないと思うんです。だから――」
そこまで言うと、シロさんはいつもみたいにニヤッと笑った。そして、
「ほら、次は郁の番だ」
と言って、シロさんはカバンの中から、ぼくの持ってる「パンダグラフ」より幾分新しいデジタルカメラを取り出してぼくに渡した。
「それ、もう壊れているんだろ。年取ったじいさんカメラからは卒業だ。これは、その卒業祝いだと思って受け取ってくれ」
その通りだった。見た目では分からないけど、このカメラは譲り受けた時点でもうカメラとしての役目を果たす事は出来なくなっていた。
「でも、なんで壊れてるって…?」
「いつも持ち歩いてるのに、郁がそのカメラで写真を撮ったところを見た事が無いからな」
なんて単純明快な答え。思わず、2人して吹き出した。ぼくはシロさんからカメラを受け取ると、じいちゃんとおんなじアングルで構える。そして、ぼくの動作にじいちゃんの声が重なる。
『慎重に捉えたら、一瞬で切り取る』
パシャっていう音と共に、ぼくの調査が終わりを告げた。
*
あれから、帰宅するとリビングにはお父さんがいた。ちなみに、ぼくはじいちゃんののカメラをリュックにしまって、シロさんから貰った新しいカメラを首からかけていた。シロさんはストラップも用意してくれていたけど、前の物をそのまま使うことにした。シロさんには申し訳ないけど、その方が断然しっくりきた。そして、久しぶりに生のお父さんに会えて、ぼくはさらに元気が出た。
「お帰り」
お父さんの声に台所からのお母さんの声も重なる。
「どうだった、仙台は? 調査お疲れさま」
(あれ)
「なんで、お父さんとお母さんまで――」
まさか、ここまで手が回っていたなんて。シロさんはもしかしたら昔は本当に刑事だったのかもしれないと、ひやりと汗をかいた。
「シロさんから突然電話があったのよ。あの時、郁にはおじさんからの電話とか言ったっけ。でも、秘密にして見守ってくれっていうから。じゃなくても、息子の事が分からないわけ無いでしょ。シロさんが噛んでたのは驚いたけど、ね」
と、お母さんがやんわり微笑む。
「さすが、お父さんの息子だ。というか、あのじいちゃんの孫だ。よく一枚の写真から、そこまでやったな。お母さんから報告は受けていたんだが、まだ詳しくは知らないからちゃんと調査報告してくれよ。それから――」
「それから?」
「来月から福島に戻れることが決まった。こっちにおじさんが支社を作るそうだ。お父さんはそこの管理責任者になるんだ。これからは、また家族3人一緒だ」
一瞬のうちに色んな事が起きすぎた。お母さんはうっすら涙を浮かべていた。
それから、夏休みの期間を使って朝賀さん、剣さん夫妻、篠山さん、そして久米氏さん、(やっぱりシロさん)に調査報告をして回った。バスは1人で乗れた。
あの広場で撮った写真を人数分現像して、それぞれの人に渡した。朝賀さんからは涙ながらに、ベジブルでシロさんに会計中調査のことを打ち明けられたって教えてもらった。
剣さんの奥さんなんて、さらに泣きに泣いて大変だった。篠山さんは、相変わらずなかなかつかまらなくて、剣さんに教えてもらったパチンコ屋さんの前で出待ちした。
そして、シロさんは調査終了まで立ち会ってもらったおかえしに月1でお茶をする約束をした。あと、一緒に写真を撮りに行く約束もした。とはいっても、ベジブルで毎日のように会うから1ヶ月に1回ぐらいがちょうどいいんだけど。
それと、まだネタばらしがあったのになんで教えてくれなかったんですかと聞いたら、「聞かれなかったから」って言われて言い返す気力もなくなった。悔し紛れに、そんな悪戯っ子みたいな顔をしたシロさんの事を写真に収めておいた。
夏休み自体も、毎日ラジオ体操に通って、家族3人で東京観光の旅行にも行ったりそれなりに忙しかった。宿題はやっぱりギリギリになった。
明日からいよいよ、お父さんとお母さんとぼくとの3人生活が始まる。カメラを持ち歩く「理由」は変わったし、お母さんの心臓の音も確認しに行かなくて平気になったし、左手も握らないで済んでる。3年分止まっていた成長が一気にきた感じだ。
調査報告の最後は、やっぱり大好きな「時代」で締めようと思う。
ぼくは、
「生まれ変わって歩きだすよ」
ね、じいちゃん。
調査報告終了。
―この物語はフィクションで、実在する地名、団体名とは一切の関わり合いを持ちません―